7.かみさま
……一日目の作業は、誰もが集中して終えることが出来た。
休憩時間を最低限用意してくれたものの、慣れない作業に全員が疲労困憊だ。
やっと任務が落ち着いて夕食時間に、となった時、誰もが口を閉ざしたまま席に着いた。
今日この日、客人用にと用意された食事の間。運ばれてくる食事は、宮廷料理人手製の豪華な晩餐。
「……皆、お疲れ……」
がちがちに凝り固まった礼儀作法なども必要無く、一通りの食事が運ばれてきて、飲み物も行き渡った所でやっとアルギンが口を開いた。
アルギン自身も昨日とは別の任務を言い遣っていて、顔色には疲労が濃く見える。
室内に居るのは酒場の面々ばかりだが、例外として食事を運ぶ者が居る。あと、料理を作った者もさりげなく給仕に参加していた。ウィスタリアとコバルトは先に食事を終わらせ、オルキデやマゼンタを引き連れ風呂に向かっている。
「……疲れました……。なんなんですか、あの蔵書量……」
「ニ十冊追加された時、流石に雪崩起こして帰ろうかと思いました……」
一番最初に不満を言ったのは医者二人。ジャスミンもユイルアルトも、その頭脳を買われているだけに無茶振りされたようだった。
アルカネットもややげっそりした顔で、誰より先に飲み物に手を伸ばした。軽い酒気の食前酒だが、既に空っぽだ。
「俺も、今日はもう無理だ。教官が元騎士隊長だったって話にも驚いたが、その教官から机上でしごかれるとは思わなかった。あの人、いつも手加減無しで俺を打ちのめしに来るのに、その調子で頭に色々詰め込んで来て……」
「っはは。エンダは部下育成にそこそこ力入れてたからな。教官業もだけど、今も士官学校で歴史の座学担当兼任してるくらいだから凄いぞアイツ」
「は? あの人この上で士官学校の教官もしてるのか? ……化け物だな」
騎士でないにも関わらず、騎士隊『風』元騎士隊長エンダの教育を実技と机上両方で受けたのはアルカネットが初めてかも知れない。
アルカネットも体を動かす方が得意な性質だが、これまで勉強の機会が無かっただけとも言える。エンダの教育でどこまで伸びるかは様子見といったところだ。
アクエリアとミュゼは――無言だった。アルカネットに続いて食前酒を飲み干し、あろうことかお代わりまで要求しているアクエリア。ミュゼは指先で酒器に触れ、お代わりを辞退する羞恥心くらいはある。
この場に居る酒場関係者は、計七人。
「食事、頂けるのは有難いんだけどさ……? 私等、本当に帰れないの?」
不安げに聞いて来たのはミュゼだった。
アルギンとしても帰りたいのは本当だったが、王妃からの話を聞いてしまえばどうする事も出来ない。
「……その点に、ついては。王妃殿下から……アタシの口から、こうなった理由のおおざっぱな部分を話していいって、許可が下りてる」
途端、食事を始めようと食器を手にし始めた面々から音が消える。呼吸する音さえも一瞬無くなったようで、緊張が走った。
あ、と声を呑み込んだミュゼは、この状況を聞きたがっているように見えた。でも急かすようになるのが嫌で、そのまま黙り込む。
アルギンとしても、その聡いミュゼの判断は好ましかった。話の腰を折られるのは好きじゃない。特に、こんな話し辛い内容であれば余計に。
「……。……今回、アタシらに言い遣わされた任務。……任務、と言えるかも分からない、手伝い。これが全部完了すれば、……『アルセン王国』は、王国としての役目を終える」
「……王国、としての……?」
「地図からアルセン王国が消える。……そして、アルセン王国は名を変えて、共和国になるんだ。王家の存在は保ったまま、政治の中枢は王家以外に委ねられる。その際の混乱を最小限にするために、内政官達は全力を尽くしている。アタシ達がしているのは、その手伝いだ」
――この話を聞いて、誰が口を開けただろうか。
「王家は政治の中心にならないとしても存続する意向らしいから、宮廷医師の必要性はあるからジャスとイルの食い扶持は保たれる。騎士は騎士じゃない体系になるらしいが、それでも治安維持組織としてそのまま残るそうだ。国の内乱で政治形態が変わるんじゃないから、その前例とか、必要な情報とか……そういうのを掻き集めて纏めてるんだな。まだ、貴族連中は殆ど知らない話らしいから、奴等を黙らせる材料として用意したいらしい」
「……王国、じゃ、なくなる……? じゃあ、共和国の頂点に立つのって……」
「それは、……まだ、分からないよ。政治したいって思うやつが立つだろうけど、中途半端な志や甘い蜜啜ろうってやつは王妃殿下が弾くだろうからな。ともあれ、アタシらが連れ出されたのは、そういう事だ。何しろ、この国にとって文字通り――前代未聞の話だからな」
「そんなことしても、王政じゃなくなるなんて貴族が反対するんじゃ」
「だろうな。王家の恩恵がまるっとなくなるんだから。だから、四方八方手を回して、色んな所に力借りて、奴等を黙らせる手段を掻き集めてるんだ。アタシら以外にも、色々な奴が」
そこでやっと、酒好きのアルギンが食前酒に口を付ける。横からディルが自分の分の酒器をそっと動かしてきて、お代わりまで用意された。
会話が止まった頃合いを見て、宮廷料理人が自分の話す番とばかりに口を開く。
「……今日は王妃殿下直々の指示で、全て俺が用意させて貰いました。皆様の疲れが、少しでも癒えますよう」
キタラ、と名乗ったその料理人は、一先ずの口上を述べてから被っていた帽子を脱いで頭を下げる。
今日用意された料理をひとつずつ紹介していくが、この状況に平然としているのはディルくらいなものだ。どの料理がどこの産地のどんな材料でどういう調理法をしたか、なんて耳に入っても頭に残らない。
それでも空腹の身体は出された美味なる料理の殆どを胃袋に収め、一番最後の蜂蜜ケーキまで全員が平らげた。アルギンは食前酒のお返しとばかりにケーキをディルに横流ししている。
食事が終わってからは、話の続きだ。これまで食欲が無くなりそうな続きを、ずっと話さないよう堪えていた。
「……皆は分かってると思うけど。この一連の話は、他の誰にも話しちゃ駄目だよ。ココから先は、どうして共和国へ移行するのかって話になるから」
卓上に残っているのは、飾り付けの花と紅茶だけになった。
誰もが続きを聞く心構えが顔に出たのを見たアルギンは、ディルに目を向ける。絡む視線だけで会話する二人だが、まず口を開いたのもアルギンだった。
「国王陛下が、病に体を蝕まれている。治療の為には、そのお体に刃物を入れて病巣を切除する必要がある。ここまでは、ジャスもイルも聞いた話だそうだな? ……だが、王族の方々の御身に刃物を入れる事を、貴族の殆どが反対した。貴族は薬学に明るくないからな、薬を飲んで……駄目なら、それが陛下の……神の末裔の運命だ、とまで言う者がいる。神の血は薄れたとはいえ、アルセン王家は神話上神の子孫だ。この国に住まう者が、その血筋を軽んじて良い訳じゃない」
「……神の子孫って、おいおい。御伽噺を今出して来るのか」
アルカネットが困ったように眉根を下げた。
孤児院で暮らしていた時から、その創世神話は聞いたことがある。絵本で語られるのは創世の神が見捨てた国の話。
けれど孤児院に絵本はそれだけじゃなかった。他の国の創世神話が置かれているような場所で、自国の神話だけを信じろというのは無理な話で。
「御伽噺……。そうだよな、なかなか荒唐無稽な話が本当だっていう方が無理かも知れんが」
「荒唐無稽、っていうかな。この世界を神が作り出しました、神は実在します、……なんて宗教観を否定はしないが、今この年になって信じろって言うのは無理だからな。そもそも、神だなんてものがこの世界に存在する訳が」
「――アルセン神は存在した」
アルカネットの言葉を遮り、ディルが紅茶を傾けながら口を開く。
アルギンも一度視線を送るがそれだけだ。宗教の話になれば、この場においてディル以上に説明できるものが居ない。神官騎士を束ねる騎士隊『月』の元隊長なのだから。
「アルカネット。……汝にとって、『神』とは何だ」
「か、神? ……そりゃ……、大昔に存在したって言われる、想像上の存在だろう? 地上を作り空を作り生き物を作り、って。神が居たんならどうして今居ないんだよ」
「其の点に於いては懐疑的な神官も多い。全てを作り出す万能の存在だったならば、姿を消す意味は無い。欲に塗れた知能有る生き物に失望したとされているが、我であったならば皆殺しにして一から楽園を築き直したであろうしな」
「……」
なかなかに血生臭い考えは戦場を離れた今も健在だ。空になった紅茶のカップをキタラに向け「紅茶」と顎で命令する不遜な態度も。
新しい紅茶を注がれ、再びそれを口にするディル。優雅に茶を飲む姿も絵になっているが、他の者はその姿を見る事にも焦れている。皆が気になる話の続きは、元騎士隊長一個人としてのこの国の成り立ちに於いての解釈だ。
「今現在、アルセン神は居ない。他の二柱の神々は影も形も無い。今や知能有る生き物のみで文明は築かれ、その存在すら伝説上のものと成りつつある。……だが、此れ等全てが作り話であるのなら、何故、アルセン王家は今も存在する」
「……それは……」
「連綿と受け継がれてきた王家家系図、其の頂点に名の在るアルセン神。其の伴侶の名こそ無いが、神の血を引く貴き王家。其れで今まで永く栄えた国だ。他国の横槍は有れど、我等は此れを守って来た。アルカネット、分かるかえ。――信仰は、『成り立っている』のだ」
それが真実でも、偽りでも。
『神は存在する。何故ならばアルセン王家が存在するからだ』という共通認識。それに疑いの目を向けようと、心の奥底から信じようと、この国の前提がその認識である限り『神』という信仰先は存在している。
元神官騎士隊長の言葉に、流石のアルカネットでも言葉を続けるのを躊躇った。
神が実際居ようが居なかろうが、アルセン王家はそれを体現し続けている。そして、普段神の名すら全く口にしないようなディルが、その時ばかりは手で三神教の印を切る。白のシャツと黒のスラックスの地味な姿は今の彼にとっての普段着であるのに、祈りを捧げる姿すら様になっていた。
「信じる所に神は存在する。アルセン王家もそうだと思えば、人々の信仰の行く宛てにもなろう。信じる者が存在する者は強い。我とて、我等が住まう酒場の皆の一日毎の無事を感謝しなかった事など無いからな」
「……良く言うよ。お前、嫁と子供達さえ無事ならそれでいいんだろ」
「無論。アルギンとウィスタリア、コバルトの身の無事は何にも代えがたい。然し、汝等誰一人掛けても、我が家族は悲しもう。……だが」
ディルの掌が、神に願うように組まれて。
「我も、悲しまぬとは言っていない。……此の感情は、妻と共に在ればこそ湧き上がる感情である」
『ヒト』としての外面を成した人外が、神に祈る。
アルカネットのみならず、その場にいた者はアルギン以外そう思った。神の手によって造られた美しい無機物が、敬虔な信仰者の振りをして見せている。そう思ってしまうのは、人並み外れた美貌をディルが持っているからだ。
隣で満足そうに微笑むアルギンは、ディルがそう考えるようになったのは自分の手柄だと言いたそうに無い胸を張っていた。
「神とか信仰とか、そういうのアタシには分からないけどさ。大好きな人たちが笑って生きてる、それだけで感謝したくなる気持ちは分かる。でも、それで何に祈ればいいか分からない人達が感謝する先が神様って話だと思うよ。祈る人たちは、それが実在するかなんてまでは証明できない。ただ、気持ちを誰かに、何かに伝えたいんだ。辛いことがあった時、悲しい気持ちを分かって欲しいんだ。縋り付く先なんだよ」
アルカネットにとって、不本意ながらアルギンの言葉はすんなりと腑に落ちた。理解を成したのが、普段煙たく思っている義姉であることを除けば文句は無い。
何かに縋りたいと思う、その心を持っている者は多い。自警団員であるアルカネットからしてもそう見える。たった一度困りごとを助けてやっただけで、依存して来る者は多い。
それが王に仕えた経験のある二人の言葉なのだから、自分の体験と重ねて理解出来た。
「……話を、戻すよ」
アルカネットの理解を得られたと思ったアルギンの宣言。
アルカネットとしても、もう横槍を入れる気になれない。充分すぎる注釈を貰って、口を開くのも惜しい。話の続きを聞かなければ、今日は不完全燃焼で終わるだろうという予感がしていたからだ。
「神の子孫である国王陛下が、お体に刃物を入れて治療される。その間、国の政治は誰が執り行う? ……とかいう、アホな意見も出て来たんだ。神の子孫ったって、体は人間なんだから治療期間も必要だろうって話なのにな。そのお体に刃物を入れる事、治療期間に政治を執り行えない事。そのどちらにも反対の余地が、貴族にはあるって話になったそうでな」
――その反対意見を以てして、国の次の指導者には自分に有利な後継者をと願う貴族の汚れた瞳。
それが、王妃の一番憂う所ではあったが。
「馬鹿言っちゃいけねえよ。アタシらはこれでも、陛下の面子の為に命張って来たんだ。安全な場所でぬくぬく戦況を眺めてご立派に口だけは出して来たクソ貴族様達の為に、騎士の命賭ける先を奪われてたまるかって話になるんだよ、これが。アタシらは何の為に生きて来た。仕事してきた。任務をこなしてきた。全部、『この国のため』を考えている王家の為だろうがよ。国王陛下が逃れられない病魔から逃げられるなら、アタシはお前さん達に幾ら頭を下げてでも手伝って貰うよ」
アルギンが心から信じているのは、神の血を引くと言われる王家。
そして信頼しているのは、自分の酒場に住まわせている全員。
その信頼はやや重いが、気持ちに応えるだけの気概が全員には備わっている。アルギンだって、今まで皆に真心を以て接してきた。その心に砂を掛けるようなものを、アルギンは信用したりしない。
そしてその信用に、応えず去る者は酒場に暮らしていない。
「力、貸してくれる?」
その場に居た者の殆どは、問いかけに否の言葉を考えるより先に。
「……当たり前だろ」
「私達の能力が医学だけじゃないと示せるいい機会ですね」
「……明日からは本気出しますよ。何やらされてるんだって思ってた心が消えましたから」
「ディルさん、指示は的確にお願いしますよ」
どう応と答えれば気取って聞こえないか、そればかりを考えていた。
破顔して礼を言うアルギン。妻の笑顔を見て満足そうに目を細めるディル。
「……」
しかし、他の誰も気付いていなかった。
ミュゼだけは何も答えず、ただ頷くだけで終わらせたことを。
その表情が曇っている事にも。




