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【第三部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド交響曲―  作者: 不二丸茅乃
chapter.6 猫は同意の無い変化を嫌う

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10.優しい父親としての顔


「……アタシ、どんな顔でアクエリアと顔合わせたらいい?」


 帰りの馬車の中で、アルギンは窓に頭を寄せて独り言を繰り返していた。

 ディルに直接言えば返事くらいは来るのだが、その時はディルに視線も向ける事は無い。怒っているのではなく、質問に返す答えを発する責任を、彼に負わせたくなかったから。

 けれどディルは、責任よりも妻の心の平穏を選んだ。隣り合って座る最愛の人に、視線を向けないまま。


「汝は、どう顔を合わせる事を望む?」

「……んー……。出来たら……これまでどおりが、良いよねぇ。さっきまでの事を、都合いい部分だけ忘れられたらいいんだけど。いつもみたいに馬鹿面晒してさ、何も知りませんって……顔に書いてあるようにしたいよ」

「では、其のようにすれば良いのではないか」

「……」

「どのような顔でアクエリアと対峙しようと、我は傍に在る」

「……。うん」


 二人は今座っている箇所から、必要以上に近寄ろうとしない。

 四人は軽く座れる馬車の中、向かいの席も空いている。けれど二人は隣同士座ることを選んだ。

 離れず、近付かず。そうして保たれる触れない程度の距離。

 今は触れ合うよりも、考えたい事があるから。


「……、ディルと二十年も離れたとしたら。……今の気持ちも、薄れちゃうのかな」

「………」

「どんだけ好きでも、やっぱり環境に適応しちゃうのかな。例えアクエリアが好きなままでも、想いが一方通行になるのは、悲しいよ。二十年ってやっぱり長いよね……。離れてたら、ディルも、きっとアタシの事なんてそのうち……」

「待て」


 思い悩む妻の言葉に制止を掛けるディル。


「何故、我の話に成る?」

「え? だって、アタシはディルの事絶対忘れないもん」

「だからと、我が汝を忘れる? ……有り得ん話は止めろ」


 ディルが不満を口にすると、アルギンの表情はぱっと明るくなる。


「え、忘れないでいてくれるの? えへへへ、嬉しいなぁ」

「………。流石に、二度目は無いだろうからな」

「二度目?」

「……此方の話だ」


 何か不可解な言葉を聞いた気がするが、アルギンは特に追求しないまま馬車は酒場へと辿り着く。

 こういう時のディルは、どうせ追求したって話してくれないのだ。




 それから数日は、何事もなく毎日が過ぎた。

 雨が降れば室内で過ごし、晴れたらいつもと変わらぬ日々を送る。

 まるで何事も無かったかのように、アクエリアの行動も不気味なほどいつも通りだ。

 そうしていく中で、雨季が明け始める。雨に悩まされない日々が来たと分かった途端、酒場も含め近隣住人は一斉に洗濯物を干し始めた。


「やー……。晴れサイコー……」

「マスターさんはどうされたんですか?」

「雨季が終わったからって酒場中の洗濯物を片っ端から洗いまくって、疲れて死んでるんですよ。馬鹿でしょ、でも毎年の事です」

「へぇえ……」


 今日も今日とて一階のカウンターで、蒸し暑い雨季とは違う理由で突っ伏している馬鹿(アルギン)を見ているアクエリアとスカイ。

 雨季は長くないとはいえ、これまで洗濯出来なかった分の反動が大きい。籠を抱えて外から入って来たディルもまた、珍しく髪を括って腕を捲り上げている。この男は騎士だった時から殆ど長袖しか着ない。


「アルギン、干し終わった。日暮れ前に取り込む故に、その後を任せる」

「ありがとぉー……。ディル、すてきー……。愛してるー……結婚してぇー……」

「知っている。して、我々は随分前より夫婦だった気がするが気のせいかえ?」


 いつものやり取りは軽く無視する。

 分担して家事をする二人の比率は、細分化すれば平等だった。スカイの目から見ても、双子の世話をするのはディルの方がやや多い。人物としては分かりにくくとも、父として分かりやすく娘を溺愛していながら、その行動を制限する事もない。控えめに見ても、理想の父親だ。……炊事全般が絶望的な所を除けば、だが。


「アタシ、昼食の時間まで寝てていい……? 今日は何にしようか。冷たい麺類なんていいかもね」

「任せる」

「もー、そればっかり。アクエリア、スカイ。お前さん達もそれでいい? 希望あるなら今のうちだぞ」

「作って貰えるならなんだって嬉しいですよ。ねぇ、スカイ」

「えっ……。は、はい。ぼくも、です」


 今でもスカイは、人に意見を求められることが苦手だ。徐々に慣れて来つつあるとはいえ、物心ついた時からの常からは脱却できていない。

 戸惑いがちでも、ちゃんと応の返事が出来た事にアルギンはにんまりと笑って見せる。


「少し休んだら美味しいの作るからね。ちゃんと孤児院に戻った時、アタシの料理が恋しくなって早くこっちに来れるようにいっぱい勉強しといで」

「……はい」


 スカイが孤児院に戻る日も決まっていた。

 別れが寂しくないと言えば嘘になるけれど、酒場も孤児院もスカイの帰る場所になっている。どちらにいても、毎日が楽しくて、傷付けてくる誰かが側に来ることも無い。理不尽な出来事に我慢をするな、と皆が言ってくれるし、そんな皆を好いている。

 でも、本音を言えば、ずっとここに居たい。


「……ウィリアとバルトがうらやましいなぁ……」


 アルギンが寝室に向かう背中を見ながら、ぽつりと漏らしたスカイの本音。

 声に気付いたのはアクエリアとディルだ。


「羨ましい? どうして?」

「……このさかばで、みなさんと……いっしょにいられて。アクエリアさんたちがいるのはもちろんですけれど……、ディルさんとマスターさんがごりょうしんで。ぼく、向こうに戻ったら……寂しくて、泣いちゃうかも知れません」

「分からぬな」

「ちょっと、ディルさん」


 スカイの言葉を冷たく突き放したのは、ディルの不理解。

 一瞬スカイが悲しそうな顔をするものの、アクエリアがすぐ咎める。


「貴方はどうしてそんな事ばかり言うんです。言われた側の気持ちってものをですね」

「ん……? ああ、いや、意味が違う」


 違う、なんて言われるだけではアクエリアだって納得しない。ちゃんと詳細を説明しないと、ディルの言葉は誰かを傷付ける一方。

 あれだけ妻を傷付けた言葉足らずは、たかだか数年では治らない。


「どうしてもこの酒場が良いのならば、最悪乗合馬車を使って孤児院へ学びに行く方法もある。そも、孤児院でなければ学べない理由はない。……あの孤児院が、今の汝に適しているとは思う。だが、学びたい方向性が決まった場合は他にも学習する場所は有る。いつでも帰って来れば良い。簡単に投げ出す訳で無ければ、我等は歓迎する」

「……ディルさん……」

「料理と医学、士官学校での座学と実習程度ならこの酒場でも少しは教育出来る。だが、スカイ。汝は未だ未来を決めかねているのだろう。であれば、フュンフの許で学ぶのが最善手だ」


 奴隷の立場から救い出されて、ここまで親身に自分の将来をも考えてくれる人たちと出逢えるなんて、スカイには今でも都合のいい夢を見ているように思えている。

 アクエリアも、フュンフも、ディルも、そして最近知り合った他の面々も。

 ちゃんと、スカイを一個人として尊重してくれる。

 いつでも『帰って』おいで、と言ってくれる。

 帰る場所を、くれる。

 

 ――だから、双子が羨ましい。

 こんな環境、きっと、万金に値するほどに価値がある。


「……ディルさんはやっぱり、ぼくの、りそうの、おとうさんです」

「……理想?」

「アクエリアさんは、たよりになるお兄さんって思うんですけれど……。でも、ねがっていいのなら……、ねがうだけならおこられない、なら。おっきくて、しっかりしてて、やさしくて。ディルさんが、お父さんだったら……きっと、ぼくでもしあわせになれたと思うんです。ディルさんがお父さんで、マスターさんがお母さんで、アクエリアさんがお兄さん……。ふふ、ぼくにはぜいたくすぎますね」

「……」


 ディルはスカイの話を聞きながらも、よくここまで懐いたものだ、とアクエリアに視線を送る。目線の先のダークエルフも、照れ臭そうにしていつつも満更ではない様子だった。

 父、と慕われるのはディルだって嫌とは思わない。スカイは控えめが過ぎるが素直で手伝いもする良い子だし、小さな背と痩せた体を見るともっと食べさせたくなる。双子の良き遊び相手として、一緒に居てくれるなら父親としても嬉しい事、だが。


「双子どちらかの伴侶にと収まる心算なら、我を倒せるまでになれ」

「は、はんりょ?」

「待ちなさいディルさん。話が飛躍しすぎですよ」


 どうしても、『義父』の言葉が頭をちらついてしまう。

 まだ幼い二人が、いつか伴侶を見つけて家を出ていくかも知れない。その候補に入れるには、スカイは貧弱だ。

 無用な心配であるにも関わらず、男親というものは考えてしまうのだ。特に、ディルは双子を溺愛している。

 双子が関わってくると理性的でなくなるディルの姿もまた、スカイには魅力的に映る。

 ちゃんと、彼は『ヒト』だ。優しい、一人の父親だ。


「飛躍ではない。予防線は張っておくべきものであろう」

「スカイをそんな風に言わないでくれますか? 貴方がオマケで付いてくるんだから、年頃になったらきっとあの子達も困るでしょうねぇ?」

「ふ、ふたりとも、けんかしないで」


 尊ぶべきはここで仲裁しようとするスカイの甲斐甲斐しさだが、有難い事にその苦痛は酒場の扉が担ってくれた。

 がらん、と重い鐘の音が鳴る。外からの来客を示す音。


「あの、すみません。……お邪魔しまーす」


 それはこれまでも何回か聞いた事のある快活な声――が、今日は静か。


「ん……」


 ディルが最初に視線を向けて、それから他の二人もそちらを向く。

 オリビエが立っている。これまでと違い、どこか遠慮がちだ。扉の側から離れようとしない。


「アクエリアさん、丁度良かった。その、お話があってお伺いしました」

「お話? そこにいつまでも立ってないで、中に入って来ると良いですよ。好きな場所に座ってください」

「……ぅ。あ、その……は、はい。……お邪魔し……致します」


 どこか動きも様子もぎこちない。

 その上、アクエリアから椅子を勧められても座ろうとせず、アクエリアの側に近寄って行く。

 オリビエの視線は、ちらちらとディルを見る。その視線は色っぽい類のものではなく、どこか畏怖に染まっていた。


「……アクエリアさん。その……うちの新聞社に、手紙が届いてまして」

「手紙?」

「はい。……えっと、その」


 オリビエが荷物入れからおずおずと差し出したのは、薄紫色の封筒。


「……差出人は、『ミリア』さん……と」


 未開封のそれが、アクエリアの前に現れて、彼の息が呑み込まれた。



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