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【第三部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド交響曲―  作者: 不二丸茅乃
chapter.6 猫は同意の無い変化を嫌う

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7.真相に触れた






 その女性と出会ったのはアルセンより遠く離れた国家。小国で目を引く特産品なども少ない。季節感も少ない、

 長い生を自堕落に過ごしていたアクエリアにとって、その国は一月もいれば長い方だと踏んでいた程に目新しいものが何もないと思われた土地だった。

 そんな国の首都で、冒険者ギルドに寄った帰りに空腹感を覚えたアクエリアが料理屋を探して歩いていた日があった。

 刺激は足りないが水は合う土地で、料理は美味しくて食べ歩きくらいしかすることがなくなっていた。今日はどの店に入るかと道を歩いていた時だ。


「んだとこのアマ!! 俺達は客だぞ、偉そうに命令すんじゃねえ!」


 どこからか聞こえてきた声の方角を向く。

 今歩いている通りよりもひとつ奥に入った道から聞こえてきた声に、先に立ったのは興味だった。


「偉そうなのは何方だ。金を払えば偉いのか? 金貨を顔に叩きつけて命令すれば、誰でも言う事を聞くとでも思っているのか」


 怒号の合間に聞こえる声が、女性のものだったから。


「不味いと料理をひっくり返す輩は、金を払おうと客などではない。御退店願おう、他の『お客様』の邪魔だ」


 店の外で喧しく喚いている男に、

 濃紺を思わせる青みがかった黒髪を束ね、薄紫の三角巾を頭に巻いた女が嫌そうな顔を向けた。

 男の背格好はアクエリアのものより遥かに大きく、弱者の矜持が悪い事態を引き起こしたのだとその時は考えた。

 男に無駄な喧嘩を売った女の末路なんて、大抵が知れているというのに。


「何が邪魔だ嬢ちゃんよぉ! その澄ましたツラ、泣き顔に変わる瞬間を見てやるぜぇ!」


 アクエリアは、二人の間に割って入る事も無かった。組み伏せられた女性の顔を見るのも悪くなかったし、その後におこぼれに与るのも良いと思ったから。この時のアクエリアは、悪党の部類に入る程度には下衆だった。

 女性は、アクエリアがこれまで適当に扱って来た女どもとは違う部類だった。美貌も品も、安宿に転がり込む低価格の娼婦とは比べ物にならない。特に外見だけで言えば、切れ長の瞳も唇の厚さも、細い腰も長い脚もとても好みだ。

 こんな場末の食堂で働いているのが不思議なほどの美人。そんな女性がまず最初に、自分以外の汚い男に乱暴されるのは少し残念だが――。


「う、わぁっ!? あ、あ、ああああ!?」


 アクエリアの期待と残念感は、すぐに上書きされる。

 情けない叫び声が聞こえたと思ったら、男の身体が捻じ伏せられて地面に転がっている。

 上に乗られて腕を極められている男に、女性は冷たく言い放つ。


「下品なツラが泣き顔に変わるのは見るに堪えぬな。店主ご夫婦に土下座して来い、でないとこのまま腕を折る」

「あ、謝る、っつったって、嬢ちゃんが腕キめてたら、動け、う、うわあああああああ!!」


 路地に、何かが折れたような軋轢音が聞こえた。

 ふん、と軽く鼻で息を吐いた瞬間の出来事だった。

 その状態で解放され、腕を抑えた男はそのまま逃げ去った。女性はその場に残り、男の後ろ姿をずっと見ていた。もう二度と来るな、と叫びながら。

 一連の流れを見ていたアクエリアは、自分の見ていたものが信じられなくて頭が真っ白だった。

 女と言ったら、弱いものだ。

 強くちゃ組み敷けない。

 身体を許し合う男女間には通常恋愛感情が動くものなのだと、この時のアクエリアは思ってもいなかった。


「あ、の」


 その真っ白な頭で、ふらつく足で。

 女性の近くまで歩み寄ったアクエリアは。


「……はい?」


 声を掛けられて、女性が営業用の笑顔を浮かべた姿に二度目の恋をした。


「お付き合いしてください」

「……はあ?」


 瞳が捉えたのは、生まれて初めて見る絶世の美女。

 鼻が感じ取ったのは、その女性から漂う甘い花の香り。

 口を突いて出たのは、今まで嘘でも口にした事の無い求愛の言葉だった。




「おじゃましまーす」

「邪魔するぞ」

「お?」


 徐々に雨の期間が短くなる雨季の最後、昼に珍しい来客があった。

 昼食の時間は過ぎていたので、酒場の在宅人員が終わらせた食事の食器を洗っている最中の話だ。

 来客は慣れた様子で入って来て、カウンターの席ひとつを陣取った。

 厨房から出て来たアルギンの手には、来客の声から相手を察して既に紅茶が用意されている。茶器はふたつ。


「めっずらしーなぁ、お前さん達が揃って来るなんてよ」

「……聞きたい事があったからな。この記事書かせたアクエリア、出して貰おうか」


 カウンターに出したのは新聞の切り抜きだった。先日の新聞記事の、アクエリアの探し人の記事だ。

 ――王子騎士、アールヴァリン・R(ラズリウス)・アルセン。

 今日は珍しく髪を下ろして、いつもより地味で簡素な暗色の服を着ていた。不機嫌そうに両腕をカウンターに付いて、指を組んでアルギンを睨みつける。

 その隣で長い脚を組んだ、真紅のスリットドレスを纏った女性はソルビット。「はぁい」なんて言いながら笑顔を浮かべて呑気に手を振っている。


「ねぇ、アルギン。一応『風』の方でも新聞社の方を事情聴取してんだけどさぁ、こういう記事って結構困る訳よ。何の暗号?」

「あ、やっぱりそう思った? いや、記事に関しちゃアタシら全然何も手出ししてないから。アタシ自身が依頼したの、この酒場の広告だけだよ? アイツが今更こんな小さな枠使ってまで何か企んでる訳ないじゃん」

「そうなの? あたし達、てっきりアルギンとアクエリアが一緒になって記事依頼したんだと思ってたんだけど。でも、こっちの人探しの記事はどう見ても暗号にしか見えないじゃない? 何よ木陰の桃って。暗号じゃなきゃ下ネタ? 公然猥褻?」

「そこ気になるよな。でも下ネタじゃないらしいから捕まえないでやってくれ」


 紅茶を出されたアールヴァリンは、唇をひん曲げるほどに不満顔だ。


「こんな事で俺がこんな五番街くんだりまで下りて来なきゃいけないなんてな。相変わらず埃臭い」

「あら?」


 その不満顔は、奥から出て来たマゼンタの黒い笑顔に掻き消える。


「アールヴァリン様ったら、私が毎日掃除しているこの酒場の埃の臭いを嗅ぎつけられるほどに嗅覚が優れていらっしゃるのね? 凄いわぁ、流石騎士隊『風』の隊長様ですものねぇ。その嗅覚を以てしても私が在宅だって事に気付けなかったのかしら?」

「……前言撤回する」


 二人は義理のとは注釈が付くが、年下の叔母と年上の甥、という関係だ。ただでさえ叔母というだけで力関係が出来上がっているのに、マゼンタにはアールヴァリンの切り札『王子』が通じない。相手も元他国の次期女王だったのだ。

 頭の上がらない相手の登場で、アールヴァリンがカウンターに肘をついて頭を抱える。話を進めないとこのまま義叔母に詰められっぱなしだ。


「アルギン、今後こういった用途不明の記事の依頼は止めろ」

「止めろ、っつったってさ……。アクエリアだって人探ししてるんだよ? ずっと探してた人を街中で見つけたけど逃げられた、って」

「ああ、あれか」


 すん、とした無表情で、それが何の話か知っているような口ぶり。その違和感にアルギンが眉を顰める。


「昔の話なんだろう。相手はもう忘れているに決まっている。覚えていたとしても、忘れたい記憶の筈だ。追いかけるのは止めてやれ。俺の隊経由で、その『相手』とやらがひどく狼狽していると情報が入って来た」

「……アールヴァリン? それ、あたしも初耳なんだけど」

「聞かせてなかったからな」


 カウンターを占拠した来客二人も険悪な空気を醸し出す。同じ国に仕えておきながら情報伝達がうまく行っていない――いつもだったら違うのに。


「……なぁ、アールヴァリン。聞いていいか」

「どうぞ?」

「アクエリアの恋人さんなぁ、『ミリア』って名前だったそうなんだよ」

「そうか」

「お前さんとこの隊が把握してる、その狼狽してるって女性も『ミリア』さん?」

「………………。……黙秘する」

「黙秘? 言えない、の間違いじゃねぇの? そもそも――なんでお前がアクエリアの昔の話知ってんだよ」

「……それは、当の本人から話を聞いて」

「本人? アクエリアじゃねえよなぁ。その『ミリア』って女性からだろ? 年の頃は四十代、あの皮肉屋が褒めそやすほどに綺麗なひと。大事な話があるからって二十年前にアクエリアに言っときながらどっか蒸発した――男相手に乱闘しても勝つ程度には強い女」

 

 ソルビットが唇を引き結んだ。『花』隊長である彼女にも、思い浮かぶ人物が一人いる。

 だが、その場にいる誰も、それが誰なのかを具体的に話さない。

 アールヴァリンは僅かに視線をマゼンタへ向ける。けれど彼女は素知らぬ顔で目を逸らした。確信に触れていなければ誤魔化しようもあるだろうが、もうどうしようもない、とばかりに。

 カウンターに手を付いたアルギンは、アールヴァリンの顔を覗き込むように大きく身を寄せる。


「……アールヴァリン。謁見を、申し入れたい。手続きしてくれるか」

「はぁ? 嫌だよ。どうして俺が……。そもそも、お前だったら手続きなしでも義母上の所にならいつでも行けるだろうに」

「なんだ、『殿下』呼びしないと動いてくれねぇのか? 行くのはアタシじゃない。正確には、『アタシだけ』じゃない」

「ねぇ、待ってアルギン」


 王子騎士に詰め寄るアルギンを止めたのはソルビットだった。

 来た時よりも遥かに悪い顔色で、カウンターにある二人の手の間に指を滑らせて割り込んだ。


「直接、謁見するのは、待って。誰にだって、心の準備が必要でしょ?」

「待てって? ……アクエリアが散々探した二十年の間、あの人が待ってくれた事あんのかよ。今直ぐにアクエリア叩き起こしてけしかけてやってもいいんだぞ、こっちは」

「止めて。お願い、止めて」


 アルギンの怒りの矛先は王妃に向いているのに、何故かソルビットの方が泣きそうになっている。こんな時まで忠義心に満ちた女なのだから、アルギンは彼女に後を任せて正解だと今でも強く思っている。


「……せめて、アルギンがお話だけでも、聞いて差し上げて。ここ最近、ね。本当に、あの方のお加減も宜しくないんだ。ご夫妻共々伏せっていらっしゃるの。今以上、心労掛けないであげて。アルギン達の言葉が本当なら、あの方だって随分思い煩ってるの。……原因はあたしには分からなかったけど、二人が話してるの聞いたら、ああそうなんだ、って……今、分かった」

「……殿下が? 聞いてねぇぞ。何かあったら連絡するって話だったろう、どうなってんだ」

「だから、俺達が来た」


 逐一最初から言わないと理解しない、相変わらずの空っぽな頭であるアルギンに嫌気が差しているアールヴァリン。でも、アルギンを厭う本当の理由はそれ以外にある。

 面倒くさそうに立ち上がるアールヴァリンは、親指で柄悪く扉を指差した。


「残念ながら、アルギン。これはお前の旦那もとっくの昔に知ってる話だよ。聞きたいなら馬車に乗れ。それで――義母上に、直接聞け」

「そう。……じゃあ、ディルも一緒に連れて行きたいな。マゼンタ、悪いけどウィリアとバルトの事頼める?」

「っあ、あたしも、残る」


 子守に名乗りを上げたのはソルビットもだ。店員姉妹にソルビットまで居れば、双子の安全は確実だろう。

 やがて寝室から渋々出てくるディルを連れて、三人が酒場を出ていく。


 ――階段の上では階下の話を立ち聞きしていたアクエリアもいたのだが、誰も気付いていない。



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