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「アンデルセン、どうしているかしら」
粗相をしてしまった為、外鍵付きの屋根裏部屋へと閉じ込められた少女はぼんやりと窓から月を眺めた。
「残念だけれど、あなたとの約束が守れそうにないわ」
少女にはわかっていた。
粗相なんてただのこじつけにすぎない。継母たちはみすぼらしい娘が王子の前へと姿を現してしまう可能性を一欠片も残さず潰したかったのだ。
「……舞踏会なんて、行けなくともかまわなかったのに」
少女が憂いる理由はただひとつ。口は悪くとも、誰よりも心優しい魔法使いとの約束事が反故されてしまうこと。
部屋から出られない少女にはドレスを手に入れることも、森を歩く靴を手に入れることもできない。
──涙がこぼれてしまいそうだった。
気丈に振る舞い続けてきたローゼンリーリエの心が、母を喪った日のように小さな嗚咽をあげていた。
ローゼンリーリエにとってアンデルセンの存在は大きい。彼に会えない日は──彼からの『魔法』がもらえない日は地獄でしかなかった。
「アンデルセン……っ」
とうとう、溜まった滴を月から隠すように膝の中へと落としたその時。
「──呼んだ?」
窓枠に、靴が見えた。
「──どう、して……」
「舞踏会に現れないお姫様を呼びに来ただけだけど? 王子じゃなければ不満かい?」
不遜に言い退けるアンデルセンは、魔法使いの証であるローブではなく夜会の衣装に身を包んでいた。
ローゼンリーリエは思わず見とれてしまった。それほど、似合っていたのだ。
彼女の視線にばつが悪くなったアンデルセンは早口に告げる。
「君が珍しく落ち込んでいると屋根裏のねずみたちが教えてくれてね。あんまりにもうるさいものだから、仕方なく助けに来てあげたよ。さあ、ここから出よう。馬車も用意してある」
「馬車? 何故馬車が?」
「──王城の舞踏会へ行くには馬車が必要だろう?」
ローゼンリーリエにはなにがなんだかわからなかった。はなから、彼女の頭には王城の舞踏会など入っていなかったからだ。
「ドレスならば君の母上が残してくれたものがある。馬車と共に庭の榛の木の下に置いてあるから。靴は、これを」
アンデルセンが差し出したのは、月光の光を閉じ込めたかのような華奢なガラスの靴だった。
「……まあ、その、僕からの贈り物だ。せいぜい上手く着こなしなよ。似合わないなんて僕が許さないからな」
有無を言わさず足を通させられ、ぴったりとハマった様子に満足げに頷いたアンデルセンは、ローゼンリーリエの手を取って窓の向こうへと抜けた。この窓ははめ殺しだった筈……と、戸惑う間もなくローゼンリーリエとアンデルセンは榛の木の下まで駆け抜けた。
「──とても、綺麗だ」
アンデルセンの心ここに在らずといった感嘆が洩れる。
母の遺品であるドレスに着替えたローゼンリーリエは妖精のごとく美しかった。元々、儚い美貌を持つ母を想って作られた品だ。同じ色彩を受け継いだローゼンリーリエに似合わないわけがなかった。
「さあ後は馬車に乗るだけ。十二時には帰っておいでよ。着替えてまた君の部屋へと戻っていなくちゃ」
「アンデルセン。どうして、どうしてここまでしてくれるの? 私は舞踏会に行きたいなんて一言も言っていないわ」
「──けれど、本当は行きたかったんだろう?」
ローゼンリーリエは言葉に詰まってしまった。
お城の舞踏会に幼い少女のような憧れを持っていたことも事実なのだから。
「僕とはいつだって会える。けれど、君の願いを叶えられるのは今しかない。さ、ダンスが終わってしまう前に行っておいで。……ちゃんと、帰ってくるんだよ」
ローゼンリーリエの乗り込んだ馬車は、城へ向かって動き出した。
『運命の修正かい? 魔法使いよ』
「──お前か。おしゃべりミミズク」
ローゼンリーリエを送り出した木の下で、佇むアンデルセンへと声をかけた存在があった。アンデルセンはそれをおしゃべりミミズクと呼んでいた。
『難儀なものだねえ。幸せとはまこと難儀なものだ。帰ってこいとは──一体全体どこにだい?』
「うるさいぞ。おしゃべりは舌をちょん切られてしまえ」
『おお、こわいこわい』
ホウホウと鳴くミミズクに冷たく返したアンデルセンは、声もなく唇を噛み締めた。