第27深 覚醒しかし。
ここは湿原。
とあるダンジョンの支配領域でもある。
濁り濁って広がる水面と、それを虫食って群生する水草以外は濃い霧に阻まれ見えない。
我慢してさらに進めば湖があるはずだ。その湖は都市ニョルニの主な水源となっている。
その湖には用がないのか、濃霧に閉ざされた湿地に男が一人、立っていた。他に…いや、彼を含め人の気配はない。
その男は道具袋から皮の袋を取り出し、その中身を周囲にぶちまけた。それは日が経って食材としては使えなくなった魔物や動物の臓物と血…。
その濃い血臭に誘われたのだろう。僅か40cmに満たぬ浅い水中、いくつもの気配が蠢き出す。潜航速度に対して不自然なほど弛い波が水面を皺寄らせていく。それは男の方へと集中していき──
バシャジゃッ!
均等に混ざる泥により粘度を増した水を越え、襲来したのは『アクラウラ』という魔物の群れだ。
大きく見開かれこちらが心配になるほど飛び出た眼球はギョロギョロと落ち着きがなく、しかも左右非対称に動いている。
ぬらぬらとテカる体表は魚鱗で覆われており、主武器となる硬さと柔らかさと滑らかさと鋭さを兼ねて備えた多機能なるヒレが全身各所、これまた機能的に配置されている。
指間には水掻き、掌には吸盤。最後の武器と頼るのであろう大きな口にはギザギザと牙を二重に生やしていた。
半人半魚というコンセプトに忠実かつ醜悪な見た目。
そしてその見た目通り、水場においては天然のバフが掛かる生態を持ち、その代償として生臭い…もとい、水掻きやヒレや吸盤が邪魔となり、他の魔物よりも器用さに欠ける。上手く扱えないのか、武器を持つ習性がないようだ。その代わりとして生やす10cm長の爪には神経性の毒が備わっている。
戦型としては自らのテリトリーからは決して出てこず、侵入してくる敵を待ち構え、浅い水中をものともすせず高速かつ隠密潜航で接近、急襲する。その際は硬化させたヒレで切り裂き出血を誘い、爪毒も合わせ効率的に獲物を弱らせたのちに、吸盤で張り付き羽交い締めにして大口で──グワリ。確実に噛み殺す。…という一方的な展開を目指し、さらにはそれを確実とするため必ず集団でかかってくる。つまりは武器を持たず見た目がアレでも頭は意外と回る厄介な魔物だ。
そう、アクラウラという魔物は水場という特殊なステージでしかも群れを相手取るしかなく、そのためには複数種のスキルで対応する必要があるため、上級探索者でもソロで戦うのを嫌う傾向にある難敵なのだが、今回ばかりは相手が悪かった。
自らにとって有利なテリトリーでしか戦わないはずのアクラウラ達はいつも通りそれを遂行したがしかし、この男にとってそれは障害にならなかったのだ。
歯には歯を。
テリトリーにはテリトリーを。
包囲網には包囲網を。
もう既に『上書き』を完了させていたのだ。限定されてはいるがこの場はもう彼の『支配領域』。
そしてその範囲内であるなら彼のダンジョン能たる『絶対把握能力』も遺憾なく発揮される。見通しの悪い水面下もなんのその。敵性存在の所在など丸分かりだ。
だがそれだけではまだ不足。
それは単純に、多勢に無勢だからだ。予測通りの軌道を辿ってくるにせよ、隻腕の上、短剣一本しか武器を持たないこの男がカウンターを合わせられるのは一体のみ。他はかわすしかない。そんな不自由を強いられながらでは硬く滑らかな鱗に覆われているアクラウラを一撃で倒す事は難しい。…つまり戦況は膠着するはずだった。
だがしかし、支配領域の本領はここからだ。
アクラウラ達は、着水出来なかった。飛びかかりかわされた後にはベタっ、と張り付く泥の感触しか返ってこなかったのだ。これでは着地だ。
その感触に慌てたアクラウラ達が見渡せば周辺の水はいつの間にか干上がっていた…それは、界命戦術によって。
これは『陥穽』という技だ。
以前述べたがこれは『突如として落とし穴を創り出す技』なのだが、今回は落とし穴の代わりとしてアクラウラの群れを一網打尽とする深く太い溝を環状に創り出した。その溝に水が流れ込むことで、襲い来たアクラウラ周囲の湿地は干上がったのだ。
周到にも、溝の外周からの水は塞き止められる仕組みにしてある。溝で出来た円の外側には、環状に取り囲む塀が創られていた…盛り上がる土によって──これは、応用の技。
彼はこの陥穽という技を『支配領域内に瞬間的に落とし穴を創り出す』のではなく、『支配領域内にある地形の高低差を瞬時に書き換える』技であると解釈した。
『地面をへこませる事が出来るなら、逆にせり上がらせる事も出来るのではないか』
そう考えたのである。試しに領力のベクトルを逆にしてみればそれは難なく成功した。とにかくこうして干上がった空間を顕現したなら…
後はもう蹂躙を開始するだけ。
水が引いたぬかるみの上をたどたどしく駆け寄ってくるアクラウラ。その一体をまずは鎧袖一触。アクラウラの挙動にあわせて波打つ鱗、その隙間に短剣を滑らせる。滑り終えたそこは難なく切断された。
この、ぬかるみをものともしない巧みな足の運びによる絶妙の位置取り。それにより精密性をさらにと増した斬擊は、敵に多対一の有利を活かさせぬために瞬時に練られた戦略によるもの。つまりはその戦略通りに身体を動かしただけ。
人間であった頃培ってきた超のつく達人級身体操作があってこそ可能な技ではあったが、この瞬間的な戦略の構築も『支配領域』に由る『絶対把握能力』によるものだ。
これが、今のソラ。
支配領域の展開にさえ成功すれば、そこは即座にテリトリーとなる。展開すればどこでだって、水を得た魚となれる──そんなダンジョン人間の真骨頂を、ソラは見事に体現していた。
対する敵の性能は大幅ダウンだ。泳ぐ機能に特化した以上、歩く機能が退化してしまうのは必然。水中をバフ領域とするアクラウラの生態にとって、水中以外は逆にデバフ領域となる。
残されたのは鈍く柔く弱くなった魔物の群れ。丁寧に駆逐する対象にに成り下がったそれら一体一体をソラは確実に仕留めていった。
──意味不明──どの有利も機能しない──いまだかつて経験した事もない──こんな形の形成不利は──
そんな理不尽へ追い込まれたアクラウラ達はもはや、混乱から抜け出せないようだ。ソラを指差し、なにやら魚人語らしい奇声を発している。だがそれはただの悪あがきではなく──バババババババババババシャシャッ!
水の溜まった溝から一斉に。多数の魚影が跳ね上がる。ソラ目掛け飛びかかるのは体長60cmほどの、魚影。しかも多数の。
「暴食魚か…」
暴食魚は魚型の魔物だ。アクラウラ以上に強靭な顎を持つ魚で、レベルが低いままなら、たとえ探索者であろうと噛み付かれた瞬間、肉どころか骨まで持っていかれる。魚らしく水中を泳いで接近し食らい付いてくるのが通常であるのだが、今回のように水面から飛び出す事も希にだがある名前と見た目通りに向こう見ずで獰猛な生態を持つこの魔物を、アクラウラは持ち前の神経毒で狂わせ無理矢理にテイムする習性があった。それもアクラウラが厄介とされるゆえんであるのだが…。
ビタんッ!ビタビタビタッ!ビタたビたタたビタタタタタっ!
地に上がってしまえばこの通り、打ち上げられもがくだけとなる。魔物とはいえ魚なのだから当然だ。
ソラはもう一つの界命戦術である『蔓技』を発動。干上がった湿地に力失くした水草を有効利用することに。こうして操られた水草は暴食魚の全てを絡めとり、無力化してしまった。
テイムした側のアクラウラは『ええー…、』という表情だ。現実逃避でもしているのかもしれない。その頭がポンと飛ぶ。
「何をしたかったんだ何を…」
放心状態のアクラウラを遠慮なく首刈りしたソラがこう呟いたのは中々の酷であったかもしれない。
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やがて、周囲には大量のアクラウラと暴食魚の死体で埋め尽くされた。ソラはいつも通りそれらを【吸収】し、領力に変換していく。
アクラウラは強力さにおいてオーガには数段劣るが、オーク、コボルト、ゴブリンなどの下位種族よりは高位の魔物とされている。これだけの数を、しかも暴食魚の大群もセットで吸収すればソラの領力も満タンになった。だが…
「う…ぷ、、ぐぇ…っ」
唐突に。
えずき出す。
別にこれは、水棲の生物が発する生臭さにあてられた訳ではない。
ソラは今回、【操力】による身体操作を使いはしたが、【依魂】に頼った肉体酷使までは使わなかった。それでも労せずしてこの中位の魔物…しかも群れを相手に殲滅出来たのには理由があったのだ。
〔ステータス〕
このようにソラは今回、領力の最大値が下がった代わりであるのか、『物理性能』と『領力性能』、そしてそれぞれの強化ランクを上げるに至った。
だから、まだ使いなれていないはずの界命戦術に応用を利かす事が出来たり、【依魂】を温存しつつ鱗に覆われ硬いはずの敵の身体を断ち切る事が出来たのだ。温存出来たならば領力の支出を抑える事が出来る。そうなれば効率性も上がる。領力の最大値は悲しい事に減ってしまったが、その分以前よりチャージするまでの時間が短縮された。
だがこれはおそらく、ダンジョン的本能たるあの『裏声』が言っていた『自食』を決行した結果なのであろう。
その自食というものが何であるのかまでは解らない。だがこの吐き気…、それに、内臓ダンジョンがあれほど反対していのだ。きっと何の代償もなしという訳にはいかなかったのだろう。
にしても、今の自分に一体、何が起こっているのか。それを内蔵ダンジョンに聞きたいソラであったが、
「…おい。内蔵の。…起きてるか?」
……………
「…………まだか。」
このように返事はない。眠っているのか…それともただ無視を決め込んでいるだけなのか。それは分からないが死んだ訳ではない…それだけは確かなのが救いだった。魂を共有している以上、もし内蔵ダンジョンか死んでしまえば自分も死んでいるはずだからだ。それでも心配は心配だ。だが新米ダンジョンである今のソラには、どうすれば相棒を救えるのか全く分からない。
ともあれ、ダンジョン人間には領力のチャージは必須。
相棒と相談もなしにそれをして大丈夫かと不安であったが、やってみれば案外とうまくいった。
《界命戦術『陥穽』が『地変』へと進化しました。》
しかもここで界命戦術が進化を果たす…そうだ。悪い事ばかりではない。
「ああそういえば。」
こういう波に乗るのがソラお得意の無理矢理プラス思考だ。
「今日の夜には出来るっておやっさんに言われてたな…」
ラゴウに頼んでいた武具が今日の夜には完成する事を思い出したのだ。不安材料を払拭出来ないならば別に好材料を用意すればいい…我ながらいいタイミングで思い出せたと自己満足しておくソラなのである。
今回のステータス値が本格的に上昇した事、界命戦術を正式に会得した事、しかもその一つを進化させるに至った事に加えて、新たな武具まで合わされば…?
自分は更なる強さを得られるはずだと。
(それに…)
──相棒が何を背負い、そして何を思って今、閉じ籠っているのか。それは分からない──だが、自分が強くなればきっとその負担も減るはず──
そんな想いに衝かれ、ソラはニョルニへの帰還を急ぐのであった。




