第25深 引き返せない。
「はぁ…分かった。やる…………もう飽きたからな…迷うのは。」
【そうか…じゃあ反撃開始だ。】
『じゃあ、行ってくる。』
『ああ行ってらっしゃい。』
そんな軽いノリであったか。
それとも…
『押すな。もう征くから。』
こんな悲壮か。
『じゃあ早く飛び降りろ。』
こんな冷徹か。
どうとも取れるこれは、この傲慢なる人外ペアが遂に上げた反撃の狼煙…いやもはや反撃などと生ぬるい。
これは──蹂躙開始の狼煙だった。
なんせ、『支配』だ。
これからそれをする。こんなものは、弱者として生きてきたソラにとって馴染みなど全くなかったはず。
しかし彼の臓腑にその感覚はストンと落ちてしまった。刹那の内に。これは、その間によぎったソラの自問──
なぜ、自分は今、上手く動けない?──それは、敵から不覚にも刻まれた傷のせい。
傷ならばいつも負っている。それらの傷とどう違う?──それは『不覚』の部分にある。
そうか…ゴブリンに腹を貫かれたあの時と違うのも────そうだ──あの時は覚悟があった──いや──あの時は『支配』していた──痛みを。だから──
こうして、ソラは知った。
支配という気概──その有無ででこうも差が出る──ダンジョン人間とは──きっと──
──そういう生き物。
取っ掛かりを得たソラは感覚的にだがしかし、急速に理解を始める。
(…そうだ。覚悟だ。傲慢なくらいの覚悟。『覆す』?それじゃ足りないんだ。それじゃぁただの意気込みでしかない。覆す以前に制圧は始まってなきゃいけない。そうだ…もう始まってるんだ支配は──だってここは──)
──そう、ここは、『自分の中』なのだ。であるなら?
そう。遠慮は要らぬ。
(さあ、やれ。 俺。)
決め手となるのは、覚悟の量。
しかし覚悟だけでは足らないらしい。
傲慢だ。
それをドンと上乗せ。
事実すらも捻じ曲げ。
押し通せ。
徹頭徹尾で。
我を貫け。
変化は即座に顕れた。
敵に深く刻まれた傷から、血と一緒にいつの間にか流れ出ていた自我…もしくは自信と呼べるもの…きっと、その流出こそが原因。それをっかけに心身に齟齬が発生し、領力の循環が滞り、こうなった。
で、どうだ。
それら不具合がたちどころに解消されていくこの感覚は?いや、逆に力が漲って…これこそがその証明。狂おしいほどの…なるほどこれは…なんと危うい。
【ほら見ろ。こんなにも違う】
「…ダンジョンの精神…ってやつか。」
【ああ、心構えっつーか…いや、そんな水物とは違う。これは根幹と言ってもいいもんだ。実際、馬鹿に出来たもんじゃねぇのは身に沁みたろ?その感じ…忘れるなよ?】
「根幹…。まったく…馬鹿に出来たもんじゃないよな。精神論ってヤツも」
いや、ソラ達が言うこれはただの精神論ではない。
……いや、精神論なのだが「ただの」ではない。
これはダンジョンによるダンジョンのためだけにある、『絶対的精神論』。
ダンジョンというものは生まれた時には既に自我があり、その自我は『傲慢』を根幹としている。何故なら『いずれ世界となる』などという大それた目標を掲げるには、それ相応に大それた自我が必要とされるからだ。
だがそれは、神をも畏れぬ気概だ。
たとえダンジョンでもそんな自我を維持し続けられる者など一握りしかいない。だがそんな一握りを強ダンジョンたらしめるのはやはり、超越の自我であり、それを支えるのはやはり、この『傲慢』。
ソラは今、その領域に踏み入ったのだ。そしてこうなってしまえばもう、
──こちらのもの。
間合いの攻防は既に意のまま。
その証拠に敵は攻めあぐねている。
ソラは今になって気付いた。ダンジョン的本能とやらに操られたこの『かつての自分』が何をしようとしていたかを。ソラを混乱させ、ありとあらゆる自信を挫き、無意識下にあったこの『傲慢』を徹底的に削ごうとしていたことを。
そんな事を思う間も、ソラはリーチ差を畏れず攻め続けた。
敵はもう防戦一方だ。
それを見たソラはさらにと増長する。
しかし油断はない…というより、
(それだけじゃもう…)
腹の虫がおさまらない。
(──食い尽くせ。)
──ソラの魂──内蔵ダンジョンにとってすら見えざる深部──そこに座す何か──頑ななほど孤高でしかなかったそれが──鈍く──ギラリ──瞬間──ジワリ。
何かが洩れた。
身体の内側から。
外側に向けて。
飢えて求めて…
(これは…領力が洩れ…いや、侵攻したがってる?この感じは──)
ソラはずいぶん久しぶりに感じるこの感覚を、今一度新鮮に受け止めた。そして、今度こそ逃さない。
(このまま攻め──いや、)
敵も。この空間も。丸ごと。
( 食らってやれ。ほら──
なんなら、 自分さえも。
──ジ『侵食』ワリ。
これはもはや、人間の感覚ではない。
──ジワリ。
これはもはや、ダンジョンのそれ。
──ジワリ。
周囲の空間に向け。
──ジワリ。
展開を開始する。
──ジワリ。
戦いながら同時に。
──ジワリ。
攻め続けながら貪欲に。
──ジワリ。
この傲慢を貫き通す。
──ジワ──
欲したのは打倒ではない。
──圧倒──支配──せよ──
かくして、ソラから滲み出た領力は敵の制空圏を侵し尽くした。
──支配せよ。
一方手詰まりとなっていた敵は自身を取り巻く不気味な空気を敏感に察知。即座に背を向け走り出す。
──支配せよ。
敵の意図には気付いているが、ソラは静かに見守るだけだ。
──支配せよ。
これはただの逃走ではない。敵が目指す先はきっと、あの森。
(きっとそこには…あるんだろ?)
敵なりに用意していた取って置きが。きっとあの森のどこかには、それがある。敵が創意工夫をこらし用意した罠場…ないし、敵なりの支配領域と呼べる何かが。敵にとって台無しにされては困る何かが。
( でもな… )
今のソラはそんな空気など読まない。読んでやれない。覚醒したてのダンジョン的センスがそれを許さないのだ。
──支配──
ただ推して通る。
もう支配は完了している。
ダンジョン由来のエネルギーによって。
顕現されたここはもう、
ソラのソラによるソラのための──
──支配──領域──
「もうお前には何もさせない…」
傲慢なその呟きはしかし、少し哀しげでもあった。それを合図に、逃げようとしていたドッペルゲンガーが躓き倒れ草むらに消える。その両足に絡みついたのは大量の草だった。
当然ドッペルゲンガーはそれを断ち切ろうとした。だが草達は剣持つその腕にも絡みつく。大量追加で群がっていく。敵の全身はソラが操る草原により真に覆われた。そのシルエットが加速度的に膨らんで瞬く間…蠢く大量の草達は辛うじて人型と分かる塊を作り上げ──そう、これは覚えたばかりの技。界命戦術が一つ。
「『蔓技』…だったか。」
【おお…ソラおめぇ。やれば出来…んじゃ──】
珍しくソラを褒めようとした内蔵ダンジョンであったが、その言葉は尻すぼみとなって消えた。先程のソラとは対象的な雰囲気だ。これは…そう、
このダンジョンは、読んだのだ。
人が『空気』と呼ぶそれを。
それは、ダンジョンとしては非常に珍しい事だった。
その一方で。
ソラは込めていた。
短剣に。
「………お前は…ここで死ぬんだよ」」
あれほどの血闘を経てのこれは、彼なりの別れの言葉だったか…いや、これは無意識下のセンチメンタル。
実際ソラは自分で言ったそれを他人事として聞いていた。いや、むしろ他人事としてしまった自分に違和感を感じ、それに対し発生しそうな苦悩を難なくねじ伏せながら結局──
深々と…
そして淡々と…
草塊の中へ短剣を沈める。
こうしてソラはトドメを刺した。
『かつての自分』に
…いや、きっとこれは、
『人間である事』にだ。
こうして、本人すら気付けないまま。
決別の儀式は幕を閉じたのであった。
内蔵ダンジョンはそれを黙って見つめていた。よくわからないまま去来する想いと共に。そして次に、掛ける言葉を何故か見つけられない自分も見つめた。……どちらにせよただ、見つめる事しか出来ないでいた。
「……………………。」
これほど対象的でありながら
【…… … ……。】
互いに選んだのは同じ。
「【………、………】」
引き返せない──分かっているのはそれだけ──そんな沈黙。
《個体名ソラはドッペルゲンガーを見事撃破。これをもって第一の迷宮、その3階層の攻略とします──領力と魂力の最大値が共に200上昇します。》
二人の沈黙を破ったのはいつものお報せ…
いや──、
《──ここまでの経過を詳細に観察──結果、イレギュラーを根幹とするダンジョン人間の種族特性、そしてそれを取り巻いて在る現在の環境を比見するに、通常の強化ではおそらく──》
──これは。
《──今後の生存は危うい。そう判断します──》
【なに?】
「……?なんだ?」
そう、これは『いつもの』それではなかったのだ。
《 ──創世を──早めます── 》




