前章―『Chapter5「初恋はすりぬけて(前編)」』
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――Chapter5「初恋はすりぬけて(前編)」――
リッキーが7歳の頃に兄を倒したことはお城の中では有名な話でした。ただしそのことは城下の街はもちろん、他の領内にも広まらないように気を付けられていたようです。その理由は「アイザード王子が激怒するから」です。
お城の中でもその話題に触れるには細心の注意を必要としました。「すごいことだよな」と一言二言触れるくらいにして、だれもがすぐに話題を切り替える工夫をしていたようです。
このことから、リッキーが9歳になるまでは彼の『伝説』と言える活躍は世に広まっていませんでした。歩くのが早いとか話すのが早いとか、そうした成長のうわさは多少広まっていたものの、ほとんど城外に姿を見せない王子は王国民にとって「うわさの王子」だったのでしょう。
それにくらべて兄のアイザード王子は目立っておりました。頻繁に城下へと姿を見せて、治安が乱れていないかと兵士を引きつれて巡回していたからです。
アイザード王子としては民の信頼を得るための行いだったのでしょうが、どうにも熱心すぎた様子もありました。
つまりは“おせっかい”な事も度々あったようです。民同士で話し合えばいいような問題にも首を突っ込んで勝手に仕切ったり、大人だろうが子供だろうが容赦なく大きな態度でよく命令を行っていました。
王子に悪気があったわけではありません。アイザード王子は国民を想う心は確かなもので、危険を犯して兵士とともに罪人や盗賊を捕らえた記録もいくつか残っています。ただ、どうにも自分の力を見せつけたいという想いが強く、今一つ彼が周囲から信頼されなかった理由はその辺りではないでしょうか。
王様もこのことに注意はしていたものの、やはり聞き入れられずただ心配して見守るだけでした。
そんな血気盛んに熱心なアイザード王子ですが……当時、その王子ですら「危ない」と感じて迂闊に手を出せない問題がありました。
それは『赤トカゲ』と呼ばれた盗賊です。
赤トカゲはもともとアプルーザンの皇帝を護る近衛兵だった人です。赤みの強い肌色をしていて体格も大きく、何より魔術を操る器用な才能がありました。
彼は特に物を燃やしたり熱を与える“炎術”に長けていたようです。近衛兵時代は魔術の専門部隊である『皇帝の翼隊』に所属しており、聖圏との戦闘も何度か経験しています。聖圏側からも認識されていたほどで、「赤トカゲ」はそちらから名づけられた異名でした。
残念だったのは彼がどうにも乱暴な性格の人だったことでしょう。
帝国内にある犯罪組織や外部のならず者たちと簡単に手を結び、悪事を行っていました。そのことから罪人として重い指名手配を受け、ついにアプルーザン領から逃げ出してやっかいな盗賊になってしまいました。
赤トカゲとその一団は帝国領内を荒らしまわり、帝国の精鋭から逃げるように移動しました。それはやがて、アスファラ山脈を越えてエルダランド王国へとやってきます。
王国の辺境地が襲われたと報せを受けた王国精鋭である紺染めの甲軍はすぐに出撃しました。しかし、到着するとすでに盗賊たちの姿はありません。大人数でぞろぞろと動く軍団に対して、赤トカゲとその仲間は10人程度で素早く移動するので追いつけなかったのです。
王国軍はいくつかに別れて赤トカゲとその一味を倒そうとしましたが、アスファラ山脈の山林を利用して隠れる彼らに苦戦します。せっかく見つけても逃げられたり、数十人程度では返り討ちになってしまったりと厄介な盗賊に好き勝手されていました。
赤トカゲには優しい心などまるでなく、それは自然に対しても同じです。時には山に火を放ち、王国軍を消化に専念させることで簡単に姿をくらませました。
アイザード王子も討伐隊に入り、一軍の指揮をとっておりました。
苦戦する王国軍――エルダランドのお城はこの話題でもちきりになります。
色々と情報が入ってきましたが、正しいものや間違ったものが混在する状況で、だれもが赤トカゲの脅威におびえておりました。
この当時、リッキー=ヴェイガード9歳。まだ幼い彼もまた、兄とお城の仲間たちが苦労していることを知っていました。
しかし、リッキーがお城から出て討伐に参加することはありません。なぜなら彼はまだ幼いからです。
9歳の子供にだれが「最高位指名手配の極悪人を退治せよ!」と命じましょうか。たとえ、彼が普通の人間では考えられない強さをもっていたとしてもです。王様も王妃様も当然としてむしろ「絶対にお城から出てはいけない」とリッキーに強く言い聞かせました。
リッキーは両親の言いつけを守っていましたが、心のどこかで「兄に協力して仲直りしたい」という想いはあったようです。ですが、それによって言いつけを破るほどの感情がわき上がることはありませんでした。
そうしたある日のことです。
いつものようにパンジャルに発見され、しぶしぶとお城のろうかを歩いていたリッキー。そこに、うつむいて涙を流しながら歩くマリエスが現れました。
泣いているマリエスを見るなんて初めてのことだったので、リッキーはとても驚いて彼女に理由を聞きます。
すると少女は答えました。
「私の村に、“トンパの村”に赤トカゲが来るかもしれない……」
マリエスの涙はそれが理由でした。家族を残してきた故郷に赤トカゲが迫っていると、そうしたうわさを聞いたのです。
軍に追われて逃げる赤トカゲはどうやら、マリエスの故郷であるトンパ村の近くで姿をくらませたようなのです。赤トカゲは一度姿を消してからさっと現れて近くの集落を襲い、また姿をかくす習性があります。
父親代わりのパンジャルは「大丈夫、きっと王国の兵士たちが守ってくれるよ」と泣いているマリエスをなぐさめます。
そしてリッキーは……。
「――パンジャル、国の地図ってどこに片づけたかな?」
と、自室に向かいながら執事に問いました。すぐに執事が答えます。
「王子……地図でなにを確認するおつもりですか?」
答えではなく、問いかけでした。問い返されて王子は振り返ります。
「なにって、マリエスおねぇちゃんの村だよ。トンパ村って、どこにあるんだっけ?」
平然として答えるリッキー王子。パンジャルはため息をついて王子の肩に手をかけました。そしてじっと彼を見つめて言います。
「王子、お気持ちはわかります……ですが、おやめください」
真剣に見つめられて王子は問い返しました。
「どうして? だってやっつけないと。赤トカゲって悪い人を、僕がやっつける」
王子のまるで当然とした様子に、パンジャルはさらに顔を近づけて表情を険しくします。
「危ないからです! 城の兵士とは違うのです! 王子、あなたはまだ子供だ……いや、例えそうでなくとも私は引き止めます。この世の中には城の生活だけでは解らない、本当に危ない事だってあるのです!」
「でも、おねぇちゃんの家族が……危ないのは彼らだって同じだろう?」
「王国の兵士が守ります! そしてあなたは私が守ります! だからなりません、決して無茶をしようなどとは考えないでください!!」
「わ、わかったよ……わかったから離れてよ! 近すぎて怖いよ!」
鼻と鼻がくっつく距離にまで近づいた顔と顔。あまりの迫力に気圧されたリッキーの表情を見て、パンジャルは安心して胸をなでおろします。
「ふぅぅ……ああ、よかった! そうしたならば……ささ、学問の時間ですぞ!」
王子の背中をぐいぐいと押しながら進むパンジャル。押されながらリッキーは振り返り、そしてマリエスを見ました。
彼女は泣いています。
「リッキー様ありがとう、心配してくれて……でも、大丈夫です。そうよ、きっとお城の兵士さんたちが……アイザード様が、きっと……守って……くれる……から……う、うぅぅ」
マリエスは涙をおさえられず、その場を去りました。ろうかを駆けて行く彼女を見てもパンジャルは叱らず、リッキーはくちびるをかみしめて彼女の顔を思い浮かべました。
いつも笑顔で優しいマリエスが苦しそうに涙を流していた……。その事実がリッキーの体温を上昇させます。
リッキーの幼い拳は硬く、硬く。力強く握られた拳には熱がこもっていました。
学問の時間になり、自室で勉強を開始したリッキー。机に着いた王子の姿を確認して、パンジャルは「よしよし」と自分の仕事をこなしに行きました。
しばらくして……王子に勉強を教えていた教師の1人が首をかしげながらパンジャルのもとにやってきました。聞くと、どうやら王子が「トイレ!」と言ったきり戻ってこないとのこと。
勉強の前に寝過ごすことはあっても、途中で逃げたり隠れたりしたことはない王子。教師はめずらしいこともあるのですね、とパンジャルに笑いかけました。
一方。執事パンジャルの顔面はみるみる内に青くなり、慌てた様子で教師に掴みかかりました。そして問います「王子に国の地図を見せたかね!?」……と。
教師は国や大陸の歴史を専門とする人でした。彼はキョトンとしながら「はい、見せましたよ。彼から質問されましたので」と答えました。
パンジャルはその場に崩れ落ちます。膝から地に落ち、手を着いて見るからに絶望的な姿勢になりました。このいつも紳士的な老人の有様を見て、歴史教師もさすがに「なにか大変なことが起きたんだな」と思ったようです。
絶望的な姿勢だったパンジャルは勢いよく立ち上がると駆け出し、ろうかも全力で走って玉座へと急ぎました。
そして王の間にある扉を開くと、呆気にとられる周囲を無視して王様の面前に駆けより、紺の絨毯に倒れ込みます。ただ事ではない様子に、王様も腰を浮かせて老いた執事へと近よりました。
パンジャルは言いした。
「王子が……リッキー王子がトンパ村へと向かいました! 赤トカゲを倒すと、そう意気込んで……!」
王の間はしばらく静まり返った後……「えええええ!?!?」と、家臣団一同及び王様の叫び声が響き渡ったそうです。
そのしばらく前。
お城から出てすぐ近くの厩舎にリッキー王子はいました。ほとんどの馬は盗賊討伐のために出てしまっていましたので、残されたのはほとんど子供の馬ばかりでした。
厩舎の管理人がめずらしくこんなところにいる王子に話しかけます。
「どうしました、リッキー王子? 馬など眺めまして……」
「ん? いや、ちょっとね……しかし、ケガをしていたり、子供の馬ばっかりだなぁ」
「はぁ。今はちょっと、例の盗賊退治に出払っておりまして……」
そう聞くと王子は少し残念そうに「そっかぁ、なら仕方ないか」と歩いて厩舎を出ました。そして、外で放牧されている一頭の立派な馬を発見します。
「……あいつは? 随分とたくましくって、健康そうじゃないか??」
立派な白い身体に長いたてがみ。草を食べて好き勝手にしている白馬です。
「はぁ、あいつは……ダメなんです。人間にこれっぽっちもなつかない、暴れものでして……近づかないでくださいよ? 蹴られちまったら大事だ」
管理人は呆れたような目線を白馬に向けました。リッキーが気にした馬は確かにケガもしていないし立派なものですが、問題はものすごく人間が嫌いということでした。お城のだれもが乗ることができず、あのアイザード王子ですら「使い物にならない」と諦めたほどです。
藁をかき集めて厩舎を整理している管理人。その後ろではリッキー王子が白馬に近づき、その身体を軽く叩いて具合を確かめています。
ふと、管理人が後ろを振り返った時。そこにはすでにだれもいませんでした。リッキーの姿はすっかり消えています。そして、暴れん坊な白馬の姿もありません。
「・・・・・あれ??」
管理人は想像もしていませんでした。リッキー王子は乗馬の訓練を行っておらず、そもそもあの暴れん坊が人を乗せることなど考えてもいませんでした。
だから、しばらく管理人は状況がわからずに立ち尽くしていたのです。そうして「あー、王子ったら馬に乗ってどこか遊びに行ってしまったのか」と気が付き、一応は報告しようとお城の中へと入っていきます。リッキー王子は普段から色々と無茶な遊びをするので、その延長線上の出来事としか考えていなかったのでしょう。
管理人がお城に入った時。丁度、王の間から家臣や王様の叫び声が聞こえてきました。
そうした頃合い。リッキー王子は白馬にまたがり、地図を片手に草原を駆けていました。リッキーは揺れる馬の背中で地図と周囲を見ながら、初めての景色に興奮を覚えたことでしょう。
この日、リッキーはそれほど迷うこともなくトンパ村へと着いたようです。彼の到着と襲撃はほぼ、同じくらいの時刻だったと言われています――――。