後章―END―『Chapter14「旅立ちの勇者」』
******************************
――Chapter14「旅立ちの勇者」――
早朝の街。エルダランドのお城近くに栄えるアイザラードの街には薄っすらと霧が立ち込めていました。時間が早いこともそうですし、霧の水気が肌寒さを感じさせます。
ほとんどだれも姿を現していないアイザラードの街。そこを1頭の白馬がゆうゆうとして美しい白銀のたてがみを揺らして歩きます。
美しい白馬、リィンゼンの背にまたがるリッキー少年は街の様子を眺めていました。あとしばらく時間が経てば人々が道を行き交い、昼間から酔っぱらった笑い声が飛び交うことでしょう。そうした光景にリッキーはすっかり慣れ親しんでいます。
ここ数年をお城の中よりも長く過ごしたのはこの街です、思い入れが深いのでしょう。通いつめた酒場の前にくると、白馬の足を止めて真っ暗な店をしんみりと見てしまいます。
ボードゲームをしたり、酒を飲んで歌ったり、踊ってみたりタルやテーブルを使って無茶をしてみたりと……思い出がそこにはたくさんありました。
偽っていた自分の姿――たしかにわざと評判を落とすために遊び歩いていたことは事実です。しかし、リッキーにとって酒場で遊んだりさわいだりしたことは本心から楽しい思い出です。そうしてハシャぐ姿もまた、本当の自分に違いはなかったのでしょう。
そうして呆然と懐かしむように明かりの無い店を見ているリッキー。白馬の上でそうしている少年の存在に、だれかが気がついて声をかけてきました。
「――――よぉよぉ、王子様よぉ……ヒィック!」
「ん・・・・・ああ、なんだ“ビジャル”か。まぁたそうやって外で寝てたんだろ? ……こりないなぁ、ホント」
しゃっくりをしながら声をかけてきたのは男性です。この【ビジャル】という男性はリッキーにとって見慣れた人であり、毎晩のように酔いつぶれて酒場で眠り、店が閉まってもそのまま居座るような典型的酒狂いです。たまに邪魔だと思われ、追い出されて通りに放置されることもあります。
この日もそうして追い出され、そのまま店の外壁を背に眠っていたのでしょう。ビジャルは空の酒瓶を大事そうに抱きながらリッキーにつめよってきます。
「ウィヒィック! ……そんなん、いんだよぉ。それよりよぉ、王子様よぉ……やっぱりおれっちは気になってるし、怖くってよ? ほら、例のうわさの……ヒヒィック!」
よろよろと前進・後退を繰り返しながら、酔っ払いビジャルがなにかを言っています。彼は不安そうな表情をしており、しゃっくりで言葉につまりながらそのことを“王子の”リッキーに訴えたいのでしょう。
リッキーは「なんだよぉ」と言いましたが、すぐに「ああ」と。酔っ払いがなにを言いたいのか察して……ため息をつきました。
そうして白馬にまたがったまま、リッキーが答えます。
「ビジャル。お前がここんとこ気にしているその魔女……永遠の老婆なんだけどさ。そいつは俺が昨日倒したからよ。もう、彼女はこの世にいないんだ……だから、安心していい」
さびしそうにリッキーはそう言いました。それを聞いた酔っ払いビジャルはしばらく口を開いて停止した後……言葉の内容を理解して「おおっ!」と瞳を輝かせます。
「そうか、倒してくれたのか! さすがはリッキー王子だなぁ~。ほかのやつはあんたを色々言うけどよ、おれっちはやっぱり思ってたんだ! 昔もそうだったが、やっぱりこの国はあんたが――」
「――ただし!! 魔女は倒したが……そのために犯罪もやっちまってね。アプルーザン帝国の使者をさ、無理やり誘拐して情報を聞き出したのさ。アッハハハ☆」
「・・・・・えっ??」
「俺のすごさを見せつけてやろうって、そうしてムキになっていたのかなぁ……で、そのことで王様にたっぷり叱られてね。帝国の人も激怒しちゃっててさぁ~~、最悪戦争になるんじゃないの? ……ってことで、責任をとることになった」
「え・・・・・はぇっ???」
「――――王様にさ、言われちまったよ。お前は王子失格だって……そんで城も国も出ていくようにと裁きを受けた。きっと、すぐにでも街にお触れが回るんじゃないかな?」
「・・・・・?????」
酔っ払いだったビジャルはあまりに突飛なリッキーの発言を理解できていないようです。それでも理解しようとするためにすっかり酔いは覚めていました。
そうして呆然と突っ立っているビジャルに向けて「じゃぁそういうことで、元気でな!」と明るく言い残し……リッキーは白馬を歩かせます。
リッキーが去った後もビジャルはしばらく石像のように硬直していました。やがて、ようやく現実をのみこめた彼は「ひぇぇぇ!?」と叫んで走り出します。
少しすれば、朝っぱらからさわいで走る彼の姿に街の人々は気がつくはずです。そうして事情を聞いて、同じように叫んで、また別のだれかへと……昼前には街は大変なさわぎになっていることでしょう。
そうした数時間後の騒ぎはともかくとして。リッキーは白馬に乗ってまだ静かな早朝の街を周りました。そうしてひとしきり眺めた後、街を出ようと愛馬のリィンゼンに声をかけます。
街の外に向かって歩き始める白馬。それにゆられていたリッキーですが……街の外れで“だれか”に気がつき、「あっ」と声を出して白馬に止まるよう言いました。
そうしてまだ馬が止まりきらないうちに跳び降り、手を振りながら“だれか”へと近づいていきます。
そこでは家の前にある落ち葉をホウキで集めている女性の姿がありました。その女性はエプロンをかけており、目元には丸くて大きなレンズが少しずり落ちて掛かっています。
全力疾走で近づいてくるリッキーにメガネの女性も気がつきました。そしてびっくりした後、「お、おはようございます。王子様……」とおずおずしながら挨拶します。
リッキーは彼女の名前を呼びながら挨拶を返しました。
「おはよう、“リナリア”おねぇさん!! 俺のこと覚えていてくれたんだ、うれしぃなぁ!!」
ハキハキとしてそう言いながら、リッキーはメガネの女性の前で急停止しました。
メガネの女性――【リナリア】はリッキーを見て恐縮しています。彼のことをまだ王子だと思っているから、ということもあるでしょう。しかしそれ以前に……彼女はだれを前にしてもだいたいこうなのです。
それは彼女がずっとこの街で“魔女”だということを責められてきたからでした。直接なにを言うことがなくても、さりげなく冷たくする人が多くて、そうするうちにリナリアは「申し訳ない」とだれに対しても思うようになっていたのです。
そこにきて近頃街を騒がせる“悪い魔女”のうわさ――リナリアへの周囲の目線はさらに冷たいものとなっていました。
「いやぁ~~しっかし偶然だねぇ! こんな朝早くからはき掃除だなんて、おねぇさんは働き者で関心だなぁ。あ、俺はその……ちょっとわけありなんだ☆」
そんな時に酒場で大柄な男性にひどいことを言われても「ごめんなさい」とただそう思うだけで……つまりリナリアは「自分という存在」そのものを“悪い”と思って生きてきたのです。
だから、その場でさっそうと跳び出してきたたくましい少年のことを忘れるはずもありません。その人が王子だからとかそんなことは関係なく、自分のために周囲を一喝した彼の姿と、その言葉がとても印象に残っていました。
「へへへ。俺さ、その……やっちまったんだ。えと……とにかくすごくマズイことやっちゃって…………俺、城を追い出されたんだよ! もう王子でもなくって、だからただのリッキーになって……つまり、そう! なんも気をつかったり緊張するこたないんだ。俺は君と“同じ”、ただの人になったんだから!!」
なにかとんでもないことを言っている気がします。リナリアは彼がさらりと「もう王子じゃない」とか言っていることに驚いていますが……それよりも。
やっぱり彼は自分の事を“特別”だと思って接していないらしく、そのことが……うれしいと思いました。
「追い出されたからさ……旅に出るんだ。そんで世界を見て回ってくる! だからもう、この街にも来ないから……せっかく会えたのに、アレなんだけど……うん。どうかリナリアおねぇさん、元気でね?」
リッキーは寂しそうにそう言います。リナリアは彼の事情を細かくは知りません。ですがきっと彼は旅立つこと自体に不満はないのだろうと、むしろなにか楽しそうだとその様子から感じ取りました。
そうしてリナリアは「私も……」と切り出します。
「実は、両親とこの街を出ることになったんです。だから酒場のみなさんとも……短い間だったけど、もうすぐお別れなんです」
それを聞いてリッキーは「え、なんで??」と首をかしげました。リナリアが答えます。
「この街は生まれ育った場所で、好きです。でも……やっぱり私が魔女であることが、みなさんの負担になっているんじゃないかって……両親にも、そのせいで迷惑をかけてしまっていますし……」
リナリアがうつむき加減に答えました。リッキーは彼女の言葉に声をつまらせ、首を振ります。
そうして目の前にある人に聞きました。
「――――魔女だからって、みんな大げさだよ……どうしておねぇさんがつらい思いをしなきゃならないの? 何も悪いことしてない、なのにさ?」
「いいんです、みなさんの気持ちも解ります。何が悪いかなんて……そう思われているのなら、やっぱり私が悪いんです」
リナリアはうつむきながら、なるべく明るい表情で言いました。しかしそこにある悲しい気持ちは決しておおいかくせるものでものなく……。
「そんな……だってこの街が好きだって、そうなんだろう? どうにかみんなと仲良くできる方法が……今はちょっと、思いつかないけどさ」
「そんな方法がもしかしたら、どこかにあるのかもしれませんね。でも、いいんです……もう決めたんです。私たち家族はこの街を離れて……魔女に対して少し考え方が違う場所に移り住もうって、そうすることにしました」
救いたいけど救えない……あきらめたように自分を笑う彼女の姿が、炎の中に見た魔女の姿に重なります。
彼女の感情を見たリッキーは地面をにらみながら拳を握りしめました。
「……ごめんよ。俺は王子として――いや、もう王子じゃないけどさ。ともかくこの国に産まれた人として……君になにもしてあげられなくって、本当にごめんよ」
「そんな、あやまらないでください。私はこの前、あなたに助けてもらったことを……あの時、私を救ってくれたあなたの姿がとてもカッコよくって……その……素敵、でした。だから本当に感謝しています、王子様……」
頬を赤く染めてリナリアは言います。リッキーは顔を上げて彼女の視線を受けました。そうして彼女のメガネがずり下がった顔を見て……少年の顔が真っ赤になって熱をおびます。
「あは、あはっははは! いや、そんな……“カッコイイ”って、俺が? いや、別にカッコつけたわけじゃなくってね、俺はただ本心から“だまってらんねぇ!”――ってさ。うん、そうした姿がカッコよく見えたって? そういうのなら、まぁ……うぇっへへへ☆ しっかし、なんか暑いなぁ!? おいおい、急に気温があがってきちゃって……どうしたってんだコレ?!」
そう言って近くにある木の柵に寄りかかり、パタパタと黒ずんだ左手で顔をあおぐ少年。そうしている姿をポカンとして魔女は眺め、彼のおどけたような振る舞いに「クスッ」と笑いました。
リッキーは木の柵をなでながら「しかし立派な作りだよ、これは。君の家の柵かい? いいね、コレぇ!」などと白い柵をほめています。リナリアは「ええ、お父さんが作ったんです。彼は大工さんだから、こういうの得意なんですよ」と笑顔で答えました。
――早朝の街外れで、2人は少しの間会話をしました。
どちらも家族を話題に出して……リッキー少年は「アイザード兄さんって実はさ」などと兄のことを話しの種に使っています。
リッキーがおどけて話すと、リナリアは口元を押さえて笑いました。そのことがうれしくて、リッキーもまた笑顔になります。
そうして……しばらく話した後。
白馬にまたがったリッキーをメガネの魔女が見送ります。
「君も山を越えて……そこに向かうんだっけ?」
「ええ、一応予定だと……最近栄えているという“センタバラード”という街か、その辺りに行こうって話しになってます。そこはいろんな場所から……それこそ聖圏からも人が来ているそうで、少し特別な人でも受け入れてくれると聞きました」
「そうか……俺もまずは山脈を越えて行こうと思っているからさ。もし、そっちでまた会うことがあったら――――いや、きっとまた会おう。そしてさ、もっといろんなこと話そうよ!」
「はい、その時はきっと……約束しましょう。そのためにもどうか王子様、お元気で……旅のご無事を、母なるダリアに祈っております――」
魔女の祈りを受け、リッキーは「もう王子じゃないってば!」と馬の上で笑って言いました。
さわやかに笑顔を残して。白馬に乗ったリッキーが街を去っていきます。
その姿を見送る魔女にとってはきっと、だれがなんと定めようと……。
彼は“素敵な王子様”のままなのでしょう――――。
――――エルダランドの大地を駆ける白馬。リッキーが“相棒”と呼ぶこの凛々しい馬は彼によってリィンゼンと名づけられました。
小さな川くらいなら軽く跳び越えてしまう脚力。多少の障害物なら問題なく打ち砕く巨体。近づいてくる不用心な人間を迷いなく頭突きで昏倒させる胆力……。
気性激しく荒々しい白馬はしかし、リッキー少年にだけはあんまり反抗しません。気が乗らない時はちゃんと無視しますが、彼が本当に困って頼んでいる様子があれば「フゥゥ」と面倒そうにしながら協力します。
住み慣れた厩舎を離れて旅を共にすることも、面倒とは思いながらも戸惑いはありませんでした。無理にではなく、自身の意思によって、リィンゼンはリッキーについていこうと決めたのです。
そうした頼れる相棒の背にゆられて……リッキーはこの国を離れる前にどうしても寄っておきたい場所がありました。
それはアスファラ山脈をすぐ近くに見上げられる辺境の村で、“トンパの村”と呼ばれています。
村の伝説によりますと――魔術師とも魔法使いとも異なる、魔力とは別の力を使う不思議な老人、【トンパ】がこの村のもとを作ったとされています。彼は“仙人”と呼ばれていたようですが……それは異国の伝説にある架空の存在とされています。きっと、単に少し不思議な力がある老人だったのでしょう。
そうした伝説をもつトンパの村ですが……ここを発祥とする伝説はもう1つあります。
それは6年前のこと。この村を襲おうとした悪い魔術師を白馬に乗った王子様が退治した……という紛れもない事実です。
その伝説本人であるリッキーはこの日も白馬にまたがってトンパ村にやってきました。アスファラ山脈を越えて旅立つつもりの彼はついでにここへと寄ったのでしょうか。
それは違います。なぜなら“ついで”ではないからです。
――リッキー少年にとって、幼い頃を過ごしたお城の景色には“ある女性の姿”がいつもありました。
その女性は女中としてお城に住んでいましたが、ある日に故郷であるこの村へと帰ってしまいます。それはリッキーがこの村に迫っていた脅威を取り除いたからでもありますが……そもそも彼女はいつかこの村へと帰るつもりだったようです。
執事パンジャルと共にリッキーの世話をしていた女性――その名は【マリエス】といいます。彼女はリッキーにとってやさしい姉のような存在でもありましたし、最初に心をときめかせた人……つまりは“初恋”の相手でもありました。
そして、リッキーはずっとマリエスのことを忘れていませんでした。
リッキーが国を出て自由になろうという思いを抱いたのは兄であるアイザードとの関係性が一番大きなものでしょう。しかし、もう1つの理由として「彼女に会いに行く」という思いがあったことも確かです。
王子としてではなく、リッキー=ヴェイガード個人として会いに行き、そしてできれば……という下心が実はあったのです。彼の中ではだれと話すにしても、心のどこかに「マリエスおねぇさん」の姿があったのではないでしょうか。
ともかくとして。少し大人になったリッキー少年は「今こそチャンス!」と、自由を得たこの時を理由として彼女に会うためトンパ村へと来ました。それはより道などではなく、間違いなく“目的ある行動”です。
森を抜けてひらけた草原。ゆるい丘にぽつぽつと家が並んでいます。それこそがトンパ村であり、リッキーはあの時と同じに白馬へとまたがってこの場所に来ました。
リッキーは丘を登って白馬から降ります。そうしてフラフラとなにかを探して村を歩き始めました。なんだか視線をキョロキョロとしていて落ち着きがありません。
そうした怪しい様子の少年に村の1人が気がつき、声をかけてきました。
「あんたぁ、だれだい? みない顔だけど……いや、みたことある顔だね。あんた、まさか…………まさかっ!?」
「おお、村のおっちゃん。あのさ、ちょっと人を探してきたんだけど――」
「あんたぁ、あのリッキー王子かね!? この村を救ってくれた、あの日の少年なのかね?!」
「えっ…………ああ、うん。そうだよ、リッキーだよ。そんでさ、ちょっと人を――」
「おお、おおおぉぉ……! これはなんと、なんと立派になられて……今でもハッキリ憶えておりますよ、あなた様がこの村を救ってくれた日のこと……あの輝かしいお姿を!!」
「う、うん。それはどうも……それでさ。あの……人を探しているんだ。教えてくれないかな??」
興奮している村人。それとは反対にまったく上の空な少年。
村人は「なんでしょうか、どうぞお聞きください!」と瞳を輝かせて言います。リッキーはキョロキョロしながら聞きました。
「あのさ……“マリエス”って人は……どこかな? いるよね、まだこの村に? ほら、昔に城で働いていたさ――」
リッキーがそわそわしながらそう聞くと、村人は「ああ、彼女なら……」と青い屋根の家を指さしました。
「マリエスはあの家におりますよ。そうですなぁ……確かに彼女はよくお城での生活を語っておりました。もちろん、あなた様のことだって――」
そうして話す村人に「ありがとう、感謝します!!」とだけ言い残し、リッキーは急ぎ足で示された家へと向かいました。
そうした姿を見ている村人は「なんと大きくなられて……」とまだ感傷に浸っています。
リッキーは駆けます。ゆるい坂の村を走り、そして青い屋根の家へとすぐに着きました。
家は静かですが煙突から煙がモクモクとしています。いい匂いもしてきて、きっと朝食の用意をしているのでしょう。
そしてリッキーは家の扉にあるドアノッカーをトントンとさせました。金属と木材が奏でる音色……それに反応したのか、家の中からパタパタと足音が近づいてきます。
中から「はぁい、どなたでしょう?」という声が聞こえました。それは聞き覚えのある声です。リッキーの表情が期待と緊張をふくんだ笑顔になります。
そして扉が開かれると――――リッキーは笑顔のまま「ピタリ」と硬直しました。
「ええと……あっ、王子様!? まぁ、なんてことでしょう。リッキー王子、お久しぶりです! それにしても……ワァ~~、ずいぶんと大きくなられましたね!」
開かれた扉の奥にいたのは間違いなく元女中のマリエスです。6年ぶりですが、彼女自身はほとんど変わっていません。
そう、彼女自身に変化はありません。
ですが……。
「あの、えっとぉ~~~……うん、久しぶり! マリエスおねぇさん、元気そうだねぇ~~アハハ! ……それで、その……あのさ? そこで……その、抱っこしている……その、ね?」
リッキーはどうしてか上手く話せないようです。硬く感じる口を動かしながらマリエスの胸元を指さし、なにかを聞きました。
マリエスが頬を赤らめながら答えます。
「えへへ、そうなんです! 半年前に産まれまて……私もやっと、“お母さん”になれました。よかったぁ、王子様に見せたいって、ずっと思っていたんですよ!」
「へ、へぇぇ~~~……っそう! なるほど、“赤ちゃん”か! うんうん、なるほど……なるほど?」
そこにあるマリエスは赤子を抱いています。すぅすぅと眠るその子はどうやらマリエスの子供らしいです。
リッキーは現実を理解できています。ですが、混乱もしています。思い描いていた想像と比べてあまりにも現実が想定外だったので、「理解したくない」と心が脳に反抗しているのでしょう。
そうしてリッキーが眠る赤子をじっと見ていると、家の奥からもう1人が姿を現しました。
その“男性”は言います。
「ややっ!? これはこれは……リッキー王子様ではないですかぁ! あの時はどうも、村を助けてくださって本当に感謝しております。あなたは村の勇者ですよ! それに、“妻”のマリエスもずいぶんと世話になったとのことで……一度こうして、挨拶したかったのです。しかしなんて光栄な……まさか我が家に来ていただけるなんて……!」
興奮気味にそう言う男性。彼に寄り添いながらマリエスが「今日は素晴らしい日ね、あなた♪」と、幸せそうに笑顔を浮かべています。
彼らの幸せいっぱいな姿を見ているリッキーは……笑顔のまま動けずにいました。
マリエスとその夫はなにかその後も言っているようです。しかし、リッキーは意識が半分しかないようなボンヤリとした状態で「うん」「ははは」「そうだね」などと、簡単な返事しかできません。
そうしてしばらく彼らの話しを聞いた後……ようやく現実を受け止めたリッキーが言いました。
「マリエスおねぇさん。結婚と赤ちゃん……本当によかった、おめでとう。僕、こうしてまたおねぇさんに会えて本当によかったと思うよ。どうかお幸せにね……へへへ」
言いながら涙があふれています。目元を押さえながら、リッキーは彼ら家族の幸せを願いました。
王子が涙ぐんでよろこんでくれていると、マリエスもまた瞳をうるませて「ありがとう、王子様!」と答えます。
そのまま朝食でも一緒に……と2人が提案してくれましたが、リッキーは「ごめん、ちょっと急ぐからさ」とそれは断りました。ここで晴れやかに彼らと食事を行えるほど、リッキーはまだ大人ではなかったようです。
そうしているリッキーのそばにいつの間にか白馬リィンゼンがいます。「フゥゥゥ」と大きく息をはき出す白馬を見て、リッキーが「そうだね、そろそろ行こうか」と涙あふれる微笑みの表情で言いました。
白馬にまたがったリッキー。立派に成長した彼の姿を見上げて、マリエスが「どこかに向かわれるのですか?」と聞きました。
リッキーは答えます「旅に出るんだ……色々見てこようって、そのつもりなのさ」――と。
マリエスは少し驚いたようですが……リッキーの常人離れした力と、それをもてあましていた姿を……彼女は間近で見てよく知っています。だから「行ってらっしゃい、どうかお気をつけて」――と、広い世界に向かう彼を見送りました。
遠ざかる景色。そこでは赤子を抱いたマリエスとその夫が手を振っています。白馬にゆられるリッキーは黒ずんだ左腕をかかげて応えます。
トンパ村を離れていくリッキーと白馬リィンゼン。しばらく進んでまったく村が見えなくなると……リッキーは「ガクッ」と倒れる様に白銀のたてがみへと顔を突っ込みました。
そして――「うぅぅぅ!」と、うめき始めます。どうやら彼は泣いているようです。
そうして泣きながら「マリエスおねぇさぁぁん……!」ともごもご叫ぶ少年。白馬リィンゼンは自慢のたてがみを涙とよだれで汚されることもそうですが……なにより少年のそうした情けない姿が気に入らないようです。「フゥゥゥ!」とめずらしく、感情強く息をはき出していました。
そうして白馬の背で泣きながら……リッキーは旅立ちます。アスファラ山脈を越えれば、その先には見知らない世界が広がっていることでしょう。
リッキー=ヴェイガード、当時15歳……そして、王子としての彼の物語はここまでとなります。
ここから始まる新たな物語……それはグランダリア大陸に残された伝説の1つ。
後に『エルダランドの勇者』と呼ばれるリッキー=ヴェイガードの旅路。それは失恋の涙にぬれた始まりでした――――。
******************************
|エルダランドの勇者物語 ~後章、王子と魔術師~| END
******************************
――オレらはモンスター!!外伝――
リッキー=ヴェイガードの冒険〜旅立ちの勇者〜end




