後章―『Chapter13「机の上の木剣」』
******************************
――Chapter13「机の上の木剣」――
空は晴れています。流れる雲はゆっくりとしていて、風もあまり強くはなさそうです。
お城の大きな窓から外を眺める景色。そこにはゆらぐ黄金色の麦畑が遠くに見えました。そのさらに遠くにかすんで見えるのはアスファラ山脈の青い影です。
ガサゴソ……と、【リッキー=ヴェイガード】は大きな布袋に荷物を詰め込んでいます。朝も早くから起き出した彼はさっさと必要な荷物をまとめて布袋に入れていました。
そうした荷物整理もほとんど終わった時。「ドン!ドン!」と強く扉を叩く音が聞こえます。
力強いノックに応じて、リッキーは「もしかして、兄さんかな?」と言って扉を開きました。そこには確かに彼の兄がいましたが……思っていた人とは違いました。
扉の先にいたのは鋭い目つきの兄ではなく、細身で弱々しい方の兄です。そして彼はなぜか強くノックしてしまったので「痛たた」と右手を押さえて屈みこんでいました。
そうした様子を見たリッキーは慌てて「キャレル兄さん!?」と心配します。弱々しい兄――【キャレル=ヴェイガード】が片手を押さえながら言いました。
「あはは……ちょっとお前の真似をしてみたら……思いのほか扉が硬かった。やはりお前の手は丈夫なんだなぁ……」
そう言ってへらりと笑うキャレル王子。リッキーは「兄さんの手が弱いんだよ!」と彼の身体を支えます。そうして部屋に入って休むように言いましたが、「それは大げさだよ」と断られました。
キャレルは言います。
「ふふふ……こんな朝早くから準備してさ。あまり目立たないうちに城を去るつもりなんだろう? なんだかんだと、ちょっとは自分のしでかしたことに後ろめたさってのがあるみたいだな」
そうして片手をふらふらさせながら笑うキャレル。そのように言われて、リッキーはまゆ毛を下げ、くちびるを曲げて答えます。
「そんな言い方ないだろう。あんま言いたかなかったけど……俺が思い切ったのは兄さんがけしかけたってのも理由の1つだからね?」
「ん、そうだったかな? 私はお前にチャンスを逃すなとは言ったが……まさかうら若き女性を誘拐しろだなんて、そんなことまでは思いもしなかったよ。本当さ、ふっふふ……」
キャレルはとぼけたように、ニヤリとした笑みを浮かべています。悪そうな表情を見て、リッキーはいぶかし気に聞きました。「実際、どこまで予想していたんだ?」――と。
キャレルは答えます。
「いやいや、何も? ただ……女性とは知らなんだが、まぁ使者はくるだろうと思っていたかもね。そしてお前がみんなから何も教えられずに苛立つだろうことも予想できていたかもしれない。あとは――犯行として脅して聞き出すくらいだと少し弱いかなぁと思っていたが……うん、誘拐までしちゃえばそりゃダメさ。そこまでしたらちゃんと王子失格だったね☆ アァッハハハ――ゲホゴホッ!?」
笑った勢いでキャレルはむせています。そうした様子を心配するより、リッキーは唖然としてくちびるを曲げた表情で彼の姿を眺めていました。
「・・・・・兄さんってさ。もしかして俺のこと心配して話してくれたんじゃなくって、ただ面白がっていただけなんじゃ……?」
「……ふぅ。ううん、そんなことないよ。この兄はお前たち兄弟のことを親身に考えているのさ。だから、まぁ……これでいいんじゃないかな。お前は自由、あいつは王様! どちらもやりたいことやれて、問題なかろう?」
「・・・・・やれやれ、兄さんが本当はこんな人だとは思わなかったよ。ずっと隠していたなんて、ズルいなぁ」
「本当の自分を隠していたのはお互い様だろう? そっちは隠せていなかったってだけでさ。ふふふ、ふっふふふ……!」
「フっ、うふふ…………あはは!」
リッキーとキャレルは笑いあい、互いの肩を叩きました。しかしリッキーのそれはとても軽くしてもこの病弱な兄にとっては強すぎます。
「痛たた」と言って、キャレルは肩を押さえてうずくまりました。リッキーが「あ、ごめん」と申し訳なさそうに後頭部を掻きながら言います。
キャレルは肩を押さえながら立ち上がり、「急に心配が薄くなったな、お前?」と不満そうに言いました。リッキーは「そうかな?」と、とぼけたように天井のどこかを見ています。
そうして肩を押さえながら、兄キャレルは「無理して早起きしてまで来てやったのに……」とぶつぶつ言いながら弟に背を向けました。
そうしてふらふらと歩き始めるキャレル。その不安定な姿にリッキーが「部屋まで送ろうか?」と声をかけます。
キャレルは「必要ない。お前はさっさと行きなさい」とちょっと厳しい口調で言いました。
リッキーは肩をすくめた後、荷物の残りを確認するために部屋へと戻ろうとします。
そうして扉が閉まる直前。キャレルは立ち止まって振り返りました。そして閉じようとする扉の先に向けて、言葉をおくります。
「――――このひ弱な兄は病床で楽しみにしているよ、お前という“勇者の物語”をね。ただし、どうか結末なんぞ見せてくれるなよ? 先の短い私が見れるはずないからな。せっかくやりたいことやるんなら……年老いてまで続く、新たな伝説にでもなってみせろ。お前は竜の奇跡だろ、それくらいやってみせてくれ!」
そう言ってニヤリとしている兄。
部屋に戻ろうとしていたリッキーは……ひょっこりと顔だけ出します。そして「おう、100歳まで続く伝説になってやるぜ!」とウインクをそえて応えました。
キャレルは笑います。「らしくなったじゃないか」と言い残し、彼はふらふらと歩いてその場を去りました。
リッキーは兄との別れに寂しさを覚えながら……しかし、意を決して荷物をつめた布袋を担ぎます。
これまで過ごしてきた部屋を最後に眺めて……リッキーは自室だった部屋の扉を外から閉めました。
そこにはポツンと……。
一振りの“木剣”が残されています――――。
******************************
部屋を出てお城のろうかを歩くリッキー。早朝で静かなろうかは薄暗く、気温が少し肌寒く感じられました。
そうであってもリッキーは薄着です。肩から腕がまるだしの上着に丈の短いズボン。羽織る衣類も一応あるようですが、それは布袋に押し込んであります。
そうして薄着のリッキーはお城のろうかを歩き、中庭を通り過ぎました。彼は自分がもう王子ではなくなったという事実に加え、実際国にとってあまりよくないこともしてしまったという自覚もありました。
魔女を倒した――というよりその最期を見届けたことは良いことなのかもしれません。ですが、やはり他国の使者を“誘拐”したのは大問題でしょう。それも友好国とはいえ国力に大きな差のある大国相手にです。
だから昨晩から部屋にこもってあまり人に会わないようにしていました。使用人や家臣たちもどのように顔を合わせたらいいのか解らないのでしょう。だれも訪ねてきません。
そう、一晩の間だれも来ませんでした。
そうなるだろうなとは思っていましたが……ただ1人。絶対に、間違いなく、真っ先に来るであろうと思っていた“使用人”が姿を見せません。
だから、こうして早朝にろうかを歩きつつ、なんとなく今度こそは解っていました。
リッキーはこっそりとお城の裏側にある出入口へと向かいます。そして、普段は兵士が休憩に用いる一室の前にさしかかりました。
ロウソクも点けずに……暗がりに沈んだ部屋から声が聞こえてきます。
「――――おはようございます、王子。いや、元王子と言うべきか……」
いきなりに聞こえた声。不意打ちのように気配を消して発せられた声ですが……リッキーは驚かないし、跳び上がることもありませんでした。
きっと、ここだろうと。なんとなく解っていたからです。
「・・・・・あのさ、俺がここを通らなかったらどうするつもりだったの?」
暗闇の部屋に向けて聞きました。そこから答えが返ってきます。
「別に……どうもしませんけど? それに、今だってあなたを待ち構えていたわけではありませんよ。盛大にやってしまった上にこの城を追い出されることになり、その上長い付き合いも蔑ろに挨拶もなく去ってしまうようなら……会わなくて結構です」
淡々として言いますが、どうやら暗闇の中から話す人は少し機嫌が悪いようです。“彼”の口調などから顔を見なくてもリッキーはそれがすぐに解ります。
リッキーは言いました「明かりくらい点けたら?」――と。
言われてすぐに明かりが点きます。もとから構えていたのでしょう。暗闇だった部屋にロウソクの光が灯ると……そこに長いアゴひげをなでて椅子に座る老紳士の姿が浮かび上がりました。
それはこれまでリッキーが産まれてからずっと面倒を見てきた彼の教育係――【執事のパンジャル】です。ロウソクの明かりに照らされた執事パンジャルは立ち上がることもありません。
動こうともせずにただそこにある執事に対して、リッキーはくちびるを曲げた表情で言いました。
「挨拶って……だってあんた執事だろうに。王子から来いって、それ変じゃないの?」
「だってもう、王子じゃないんでしょ? エルダランド国民かも怪しい一般男性にどうしてそのような気遣いが必要でしょうか。これでも一応、この城の雑務全般を取り仕切る執務長でもありますからね。一般の方はむしろちょっとかしこまって“よろしくどうぞ!”――ってな感じで。ま、別に偉そうにするつもりもありませんけどね、旅の少年よ」
ゆらぐロウソクの明かりに照らされて、淡々とした調子に続けるパンジャル。どうにも怒っているようなのでリッキーは「悪かったよぉ」と切り出しました。
「やらかしちゃったのは悪いと思うよ。正直、俺の教育係だったあんたもなんか言われるかもしれんから……それは謝っておくよ。でもさ、実際全部俺の責任だからさ、あんたには何も悪いことなんて――」
「そんなことはどうでもよろしい――王子、いやリィンダイト君。私が言いたいことはただ1つです」
言葉を遮って、パンジャルが立ち上がりました。そうして腰を何度か叩いてから部屋を出てくる紳士の姿に、リッキーは反射的に「怒られる!」と思って壁にまで下がります。
険しい表情で長いアゴひげをなでながら、執事のパンジャルはリッキーを壁際に追いつめました。
そして、怯える少年の頭に軽く手を置きました。
「私が言いたいことはですね……“どうか元気におやりなさいよ”って、それだけです。ねぇ、王子――いや、リィンダイト君?」
頭をなでられながらそう言われて、怯えていた少年はつむっていた目を開きます。
すると、そこにはやさしく微笑む老人の表情がありました。
リッキーは口から小さく「ぱ、パンジャルぅ……」とこぼします。思いのほかにあったやさしさが身に染みて、涙で瞳がうるみました。
執事のパンジャルはそうして少年の頭をしばらくなでると、手を放して表情を真面目なものに戻します。そうして「それでは……まぁ、生きていればいずれ会うこともありましょう」とだけ言って背を向けてしまいました。
腰をトントンと叩きながら、彼は愚痴をこぼします。
「まったく……癖になってしまっていて呼びにくいものです。どうやら私にとっては、何がどうあっても……あなたは“王子”、なのでしょうねぇ」
独り言のようにそう言って、執事は歩き始めました。
遠ざかっていく背中を呆然と眺めるリッキー。たくましい少年はくちびるを噛んでから……静かに去ろうと思っていたのに……我慢できずに叫びました。
「――――ありがとう、パンジャル!! いままで俺のこと面倒見てくれて……こんな俺でも見捨てず、ずっとずっと気にしてくれてさ。最後まで俺のこと見守ってくれて……本当に、どうも……この15年間、本当にお世話になりましたッ!! どうかお元気で……長生きしてくれよ、おじいちゃん!!!」
リッキーの叫びを背中に受けて、パンジャルが立ち止まりました。そうして少し、肩を震わせてから身を真っすぐに正し、再び歩き始めます。
その背中が見えなくなるまで、リッキーはその場を動きませんでした。
むしろ、見えなくなってもしばらく、動かずに……だれもいなくなったお城のろうかを眺め続けました。
ふと、懐かしい声が聞こえてきます。それは幼い少年と、まだ少しだけ若かった老人の声――。
『なんだよ、パンジャルぅ。またここにかくれていたの? かんたんだから、ここやめなってばぁ~』
『おや、見つかってしまいましたか! これはこれはさすが、我らエルダの王子であらせられます。見事、見事!』
『いやいや、絶対わざと見つかってるでしょ。知ってんだよ、疲れてくるとここに入るってさ!』
『そんな! このパンジャル、王子との遊びに一切の妥協はいたしません。決して休憩がてらここに入ったわけでは……休憩室だけにね?』
『・・・・・はいはい』
――ロウソクの明かりが残る兵士の休憩室。そこは昔、かくれんぼでよくパンジャルが身を隠していた場所です。リッキーは部屋を懐かしく眺めた後、ロウソクの火をそっと握り消しました。
幼き日の光景を思い出して……。
リッキーは裏側の出入口へと向かって歩きます――――。
******************************
お城を出ると、少し離れた場所に厩舎が見えます。早朝から馬の世話係がわらを集めて仕事をしていました。
リッキーは少し気まずそうにしながら……しかしそこに用があるので近づくしかありません。
そうしてお城の裏口から離れようとして、数歩動き始めた時。リッキーは気配を察して立ち止まりました。
その気配の主は気づかれることを予想していたように……むしろ気づくように、あえてその場に堂々と立っているのでしょう。
・・・というより。いつもはちょっと動くだけで甲冑のこすれる音が鳴るので、リッキーは嫌でも”彼”が近くに来ると気がつきます。
しかしこの時はそうした音が聞こえませんでした。それは彼が「寝起き」で甲冑を身に着けていないからでしょう。
立ち止まっていたリッキーは深く呼吸をしてからゆっくりと振り返りました。そこに、お城の裏門を背にして立つ人の姿があります。
“彼”はゆったりとした白い上着を1枚だけ羽織り、下もゆとりのある白いズボンをはいて立っていました。その人は肌寒い早朝の風を受けて、少し身体をゆすっています。
リッキーが先に口を開きます。こわばった表情で「おはよう、アイザード兄さん」――と。それだけ言って、どうにか笑顔を作りました。
「……フッ、やはりな。こんな朝早く、逃げる様にするということは……キサマ、負い目を感じているのだな? 今さら遅い反省だ、リィンダイトよ」
それは【アイザード将軍】です。金色の髪の毛はどうにもきっちりできておらず、いつもは後ろに流して固めてあるのですが、この時は半端な様子で寝ぐせのように立つ毛もありました。
挨拶も返さずにそのように言うアイザード将軍。そうした兄の態度に対して、リッキーは実際こころよいものではありません。
ですが、この6年間……いや、彼を倒してしまった7歳のあの日から。リッキーはこの兄に対してまともに反抗したり意見することはありませんでした。
昨日のようにへらへらとした態度など初めてのことです。だからこそアイザード将軍も思わず「どうしたんだ?」と困惑して、拳を出そうとしてしまいました。
それは今までリッキーがこの兄に対して気をつかって自分を隠していたからです。しかし、今となってはその必要もなくなったはず。だから昨日と同じに自分らしく彼に対すればいいでしょう。
ですが、できません。この兄を前にすると萎縮してしまう癖が染みついてしまったようです。だからリッキーは何も言えずにうつむきました。
苦笑いしながらうつむく弟。その様子はいつもと変わらないものです。
そんな彼を見て、アイザードは何かを言おうとしましたが……彼もまた、うつむいてしまいました。いつもの太々しい横柄な態度とは異なり、迷っているようにも見えます。
兄弟はしばらく無言のまま。そうしていましたが……やがて、リッキーが口を開きました。
「ごめんよ、兄さん。俺ってば今度こそやってしまって……だからもう、どっか行くからさ。昨日も言ったけど、みんなのこと頼んだよ。いや、心配なんてしてないけどさ……だってアイザード兄さんがいるんだから。俺は、俺にとってあなたは……兄さんは……」
リッキーは言葉を止めました。そうして「じゃ、行きます。さようなら」と言って背を向けようとします。
そこに、アイザードがようやくに口を開いて声をかけました。
「リィンダイト。お前、まさかだが……“わざと”、だったのか? 今回のことは、こうなることを予想して……望んで“あえて”やったのか?」
アイザードは去ろうとする弟に問います。早朝からここにある彼は夜にほとんど寝ていないのでしょう。化粧をほどこす暇もなくここに来たようで、目の下にあるくクマはくっきりとした紫色です。
そうして寝不足だから……というわけではないでしょう。彼の声色はいつもに比べて、なんだか覇気がないように思えます。
問われたリッキーは横を向いたまま、答えます。
「――――まさか。兄さんが一番知っているでしょう? 俺って本当に無茶なやつでさ……だからいっつも、兄さんたちに迷惑かけちまう。今回はそれが、本当に取り返しつかない事になっちゃっただけさ」
苦笑いするリッキー。それは緊張を誤魔化すものではなく、自身に向けたものです。
アイザードはまた考え込むようにうつむきましたが、やがて「そうか」とだけ言って顔を上げました。
それ以上なにも言わず。しばらく視線を合わさず2人はお城の裏で立っていました。2人の間にある距離は縮まることなく、どちらとも歩みよることなく……。
そうして、アイザードが背を向けます。そこでもなにか言おうとはしましたが、口を開いただけで声は出せず。やっぱり口を閉じて歩き始めました。
遠ざかっていくアイザード。それに対して、リッキーも彼のいる方に背を向けて厩舎へと向かおうとします。
そして、しかし……。
「――――アイザード兄さん!!」
振り返ったリッキーが声を張り上げました。厩舎でわらを集めていた世話係が「なんだ?」と王子たちの存在に気がつきます。
リッキーの叫びを聞いて――――アイザードが足を止めました。振り返りはしませんが、その場で止まって動きません。
動かない兄の背中に……少し離れた兄に向けて、リッキーが叫ぶような訴えを続けます。
「兄さん、俺は……俺はさぁ!! ずっと忘れられなかったんだよ、あの日のことが!!」
「――――あの日、か。ああ、私も……忘れたことはないよ」
リッキーの訴えは叫ぶような音量ですが、アイザードは呟くような小さな声です。
それでもリッキーの異常な聴覚には聞こえていました。そして聞こえていることを、アイザードは知っています。
「兄さんは忘れてしまったかもしれない……けど、俺はずっと覚えているんだよ!! 今でも、あんたを見るたびに思い出しちまうんだ、絶対に忘れられない思い出なんだ!!」
「チッ、言っているだろう……だから私だって忘れていない。なにが思い出だと? キサマ、この私を倒したこと――」
兄の呟きに対してリッキーは首を振ります。そして、もうお城のだれに聞こえたって構わないくらいの大きな声で叫びました。
「覚えているんだ、あんたが俺を――――産まれたばかりの俺を、抱き上げてくれたあの日のこと!!! あんたは笑っていて……俺に“言ってくれた”だろう!? でも、あんたは忘れちまってんだろう!?」
「――――――えッ???」
アイザード王子が振り返ります。まったく予想していなかった言葉を聞いて、彼は脳内で記憶の糸を懸命に手繰りました。
産まれた日。リッキーが、リィンダイト王子が産まれた日に……抱き上げて……笑って……そして?
「あんた言ってくれたんだよ!! 俺に向かって、抱え上げた俺を笑って見上げながら、“頼りにしてる”って……そりゃ、そん時は俺も解んなかったよ。でもさ、その言葉の響きはずっと覚えていて……あとになって、言葉を知って、あんたの言葉の意味を知ってさ!! だからッ……だから俺……あんたが頼ってくれるやつになりたいって……だから強くなろうと、頑張ったんだよ!!」
「なっ……まさかリィンダイト、お前……!!」
「あんたを倒しちまったあの時だって……俺からすれば“これであんたの頼りになれるかな”って、認めてもらえるかもしれないって、ただうれしかったんだ。まぁ、頼りにされるどころか……なにもかもが、狂っちまったけどさ……」
「リィンダイト……お前、そんな……あんな昔のこと……」
「……あんたにとっては人生の中で途中にあった1つの出来事かもしんないよ。だから忘れていたんだろうけど……俺にとっては全ての始まりみたいなものなんだ。だから、あの日。声をかけてもらって……ものすごくうれしかった。なのに……」
「――――ば、馬鹿者が。今さら何を……本当に、今さら何を言っているんだ……?」
アイザードからすれば、産まれたばかりの赤子になんとはなしに言ってみた1言だったのでしょう。産まれてきた弟に「頼もしくなれよ」と、そうして意味も解らないであろう言葉を軽い気持ちで言っただけにすぎません。
ですが、リッキーは覚えていました。覚えていて、やがてその意味を理解しました。産まれて1ヵ月で言葉を話し始めた奇跡の子は……自分を温かく、力強く抱き上げてくれた兄の願いを叶えようとしていたのです。
しかし、彼は産まれながらに強すぎました。頼りにするどころか、いつしかアイザードにとって“脅威”として映るようになっていたのです。
そしてあの日に倒れた兄と手を差し伸べる弟の構図が出来上がったことで……全てが違ってしまいました。
そこから2人はろくに会話もせず、いつしか避け合うようになり……リッキーの中で“忘れられない思い出”だけが残ったのです。
「兄さん、俺たちはさ……キャレル兄さんも一緒にさ。並んでこの国を護るって、そんな未来は始めっから無理だったんかね?」
叫びつくしたリッキーはその場でヒザを着きました。そしてうなだれて地面を見つめます。
アイザードはうなだれている弟を見下ろしています。しかしその目はいつものように鋭いものではなく、思い出したように……幼い弟を抱き上げたあの日のように……。
そして、歩き始めます。
「私たちが並んで、か。フッ……そんな未来は想像したこともなかったな……」
うなだれているリッキー。その下を向いた視界にクツの先が映りました。
リッキーが見上げます。そこには……決して笑顔ではなく、いつものように険しい表情を浮かべたアイザードが立っていました。
「――――立て、リィンダイト。王子を失格になったとはいえ、キサマはこのアイザードの弟である。あまり無様な姿をさらすんじゃない」
アイザードはそう言って、険しい表情のまま左手を真っすぐにリッキーへとさし向けました。顔を上げたリッキーは口を開いてぽかんとした後……満開の笑顔となって、兄の手を左手でつかみます。
兄の手を取り、弟は立ち上がりました。そうして目線を近くで合わせていると――兄の険しかった表情が「フッ」と笑みに変わります。弟も思わず「へへへ」と笑いました。
立ち上がったリッキーは兄の手をさすりながら「あの時のお返し?」と笑って言います。それを聞いたアイザードは「ムッ」として表情を厳しくして「調子にのるな、馬鹿者め!」とすぐに弟の手を振り払いました。
リッキーは「ごめんよ、兄さぁ~ん!」と謝りますが、それによってアイザードは余計に顔をしかめて背を向けてしまいます。
機嫌を悪くしたように振る舞い、そのままお城に向かって歩いていくアイザード将軍。
リッキー少年は将軍の背中に向かって声を張りました。
「ねぇねぇ、兄さん。たまには戻ってきても……いいかな? いや、旅人としてだよ。ほら、あまりにも食うものに困ったりしたら……ちょっとだけね?」
そのような言葉。アイザードは振り返らず、歩きながら答えます。
「馬鹿を言うな。城に泊まるつもりなら相応な宿泊費を用意しておけ、キサマはもうまったくの他人だ。ただ飯など絶対にくれてやらん!」
突き放すような言葉を受けて、リッキーは「兄さんのケチ!」とおどけて身体をゆすりながら言いました。
まるで見てはいませんが……そうした軽々しいリッキーの態度を察したのでしょう。アイザード将軍は「フッ、なるほどな」と笑いました。
そうして。アイザードは1度も振り返ることなく、城の中へと入っていきました。
リッキーはすっかり見えなくなった兄の姿を……これまでにあった彼との様々な記憶を思い起こしながら、大きく息を吸ってはき出しました。そうして晴れ晴れとした表情となり、厩舎へと意気揚揚に近づきます。
馬の世話係が呆然としてリッキーのことを見ていました。「おっちゃんも元気でな!」と声をかけて、リッキーは厩舎の中にいる1頭の白馬にも声をかけます。そしてなにか馬の耳元で話していたようですが……。
しばらくすると白馬は「フゥゥ」と息をはき出して立ち上がりました。そして背にリッキーを乗せるとそのまま厩舎を出ていきます。
・・・リッキーはもうお城の人間ではありません。なので正直、許可もなくこの白馬に乗っていくのは問題あるでしょう。ですが、どうせほかにだれもこの白馬には乗れません。リッキー以外にとってはただ“たまに蹴ってくる危ないやつ”でしかないのです。だから、まぁ、きっと許されることでしょう。
リッキーは白馬にまたがってお城から離れて行きまます。産まれてから住み慣れたエルダのお城を気にして、少しさびしさを感じながらも背を向けて行きます。
元王子が向かう先は……。
ここ数年、彼が遊びまわっていた“街”です――――。




