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後章―『Chapter11「23」』

******************************



――Chapter11「23」――



 ひっそりとしたものです。アスファラ山脈の中腹ちゅうふくほどにぽっかりと空いた洞窟からは物音1つしません。


 魔術師イゼラは大きく深呼吸をすると、表情を真剣なものに戻し、覚悟を決めて歩き始めました。


 リッキー王子はなにかを誤魔化ごまかすように、ぶつぶつと森の木やそこらの岩についての感想などを言っていましたが……イゼラが動き始めたことに気がつくと慌ててその後ろを追いかけました。


 イゼラとリッキーはそうして、洞窟へと足を踏み入れます。


 まったく外の光が入らない洞窟は本来なにも見えないほどの暗闇であるはずです。しかし、この洞窟はなぜか“ぼんやり”と全体的に光があり、歩く程度には問題ない視界がとれます。


 ずっと昔にこの洞窟へと足を踏み入れたリッキーはほとんどの暗闇でも活動できました。ですがそうであっても「暗いなぁ」という印象は残っています。このように目をこらさなくとも歩ける状態ではなかったはずです。


 真っ暗な洞窟で目をこらして歩けることがそもそも異常ではあるのですが……ともかく、こうしてリッキーはもちろんのこと、常人の視力であるイゼラもかんたんに歩ける洞窟はなにかがおかしいでしょう。


 リッキーはそのことが気になっています。


「おっかしぃなぁ? ここってこんな明るくなかったと思うけど……」


 彼にとっての疑問はイゼラにとっての疑問ではないようです。


「ああ、これはね……洞窟の壁面に塗料とりょうってあるのよ。透明で見た目には解りにくいけど、さわると岩の感触ではなくってツルツルしているでしょう?」


「え・・・・・あっ、ほんとだ!? なんかガラスっぽい感じがする!! ナニ、コレ??」


「これね、魔力に反応して発光する性質をもつ塗料よ。紙にしみこませるみたいに魔力を吸収して、消費することで光るの。おくに行くほど微妙に明るくなっているでしょ? ……そして、こうした状況を維持するには魔力を供給きょうきゅうし続ける何かが必要よね」


 洞窟の奥へと進むうち、確かに光は少しずつ強くなっています。魔術師イゼラは両手にある手袋がしっかりはめられていることを確認しつつ、歩行をゆっくりと慎重なものにしました。


 そして、岩の壁をまがります。



 ――陽が射しこんでいるかのように明るい洞窟の奥。壁をまがった先は行き止まりでした。そこには果物や魚を入れたかごに、衣類がまとめられた箱がぱっくりと開いて置いてあります。


 そうした物にまぎれて……物音1つさせず。木彫りの人形かのようにひっそりと座っている小柄な姿があります。


 それは金銀色とりどりの装飾品に身を包まれ、壁からの明かりできらびやかです。


 それは大きな布をかぶったようなよそおいで、座ってさらに身を屈めた小ぢんまりとした姿勢でそこにあります。


 それは皮膚に水気がなくシワシワで、顔にも深いシワがたくさんあって目をつむっているとどこに目があるのか解らないほどです。



 来訪者があることに気がついているのか、それとも眠ってしまっているのか……。


 洞窟の奥で静かにただ座っている老人。この人物こそ――


「――あなたが、永遠の老婆ね?」


 イゼラが言いました。口調は厳しいものですが、表情には不安も見られ、両手はいつでもなにかに対応できるよう前に構えてあります。


 魔術師に問われたシワシワの人はほとんど動くことなく、シワにまぎれた口だけを少し開きました。


 それは言います。


「うん、“あたし”のことをあなたたちはそう呼んでるね。あなたは国の魔術師さんだろう?」


 老婆の口が動いたことにイゼラは警戒しました。そうして自分で聞いておきながら「動かないで、それ以上話さないで!」と両手を開いて突き出し、赤い閃光を手先に奔らせました。


 明らかに威嚇いかくされている状況ですが……言われずとも、老婆はまるで動きません。それどころか目を開いてすらないので、いまだにどこが目なのか解りません。


 無防備にまったく動じない老婆に対して、イゼラは「あなたをここで捕えます、抵抗しないでください!」とさらに口調を強くします。


 そうして極度に緊張している魔術師の横から……たいかくの良い少年がノソリと前に出ました。


「おぅ、あんたが“永遠の老婆”っつぅ魔女かい。俺の名はリッキー……リッキー=ヴェイガードだ! しかしあんた、ずいぶん悪さをしたと聞いたが……こうして見るとただの“ばぁちゃん”だな?」


 まるで警戒ないようにそうして歩き、あっさりと老婆の目の前に出てその場にかがむ少年。そうした彼の振る舞いに、イゼラはポカンと口を開いて呆然ぼうぜんとしました。


 ズカズカと目の前にまで来た少年。その気配を察したのか、それとも彼のまるで警戒しない口調に反応したのか……。


 ここでやっと、老婆の目が開きました。シワシワな顔にある瞳はつぶらで、目の前にある少年の顔が反射して映っています。


「りっきぃ、ヴぁいがぁど……そうか。あなたは何者なんだい? 少なくとも魔術師じゃないみたいだね、まるで魔力が無いよ?」


「うむ、俺か? 俺は“今のところ”このエルダランドで3番目の王子だ。竜の奇跡って特殊なやつらしい……そういうあんたも特殊な魔女なんだろう?」


「おぉ、そうか竜の……さて、あたしはどうかね? 魔女なんてそれだけで異物扱いが普通なんだろう? そこで特殊もなにもないさ」


「だってあんた、たくさんの人を殺したって聞いたぜ。あの帝国をぶっ壊そうともしたって……だが確かにな。こうしてあんたを見ていると、なんだか……そんなに特別“強い、怖い!”――って感じもしないんだよなぁ。なんでだろう?」


「そりゃ、あたしが強くもなんともないからじゃないかね? あんたは竜の奇跡ってやつならあのユウマ様と似たようなものなんだろ。それだったらあたしなんかが怖いはずないよ」


「ふぅん、そっかねぇ~? ……なぁ、ばぁちゃん。あんた本当に人を殺したのかい? それも大勢……俺にはやっぱりそうは見えねぇんだけど?」


「見ただけで人の何が解ろうか……あたしがたくさん人を死なせたのは本当だよ。この歯で噛むと、だれだって死んでしまうことがあるんだ。そうして何人も私に噛まれて、死んじゃった。この目で見てたんだからウソじゃないよ」


「そっか……じゃ、その歯にはやっぱり気をつけないとな。俺を噛まないでくれよ? はっははは!」


「あんたが望まなけりゃ噛まないよ。だいたいね……人間の血って苦いから嫌いなんだ。噛ませないでもらえりゃ、それが一番いいのよ? うっふふふ……」


 ――――などと。2人はすっかり話し込んでいます。


 洞窟の奥で座り込み、談笑だんしょうしている少年と老婆。陽のさす庭で語り合う孫と祖母かのような光景がそこにあります。


 魔術師イゼラはしばらく呆然と2人の様子を見ていました。しかし、「ハッ!?」としてリッキーの肩をつかんで老婆から離そうとします。


「王子!! あなた人の話しを聞いてた!? 何してるのよ?!」


「え、話しって……今まさに聞いてたところだけど?」


「その人との話しじゃないってば! ……私、言ったでしょう? 永遠の老婆と対峙たいじしたら“会話”にも気をつけなさいって。どうしてあなたってそう不用心なのかしら!?」


 イゼラはきびしい口調でリッキーの肩を引き寄せようとしつつ、魔女から視線を外しません。ですが、彼女の力ではまったくリッキーを動かせないようです。


 リッキーは身体を軽くゆすられながらも動こうとしません。魔女からも視線を外してイゼラの凛凛りりしい横顔をキョトンと眺めています。


 リッキーは言いました「だってこの人そんな危なそうじゃないよ??」と。イゼラが答えます「そう見せる話術なのよ、騙されちゃダメでしょ!?」と。


 あんまり聞き分けないのでイゼラはついにリッキーを直視して顔を近づけます。そうして必死な表情で「あなたはもう下がってて!」と迫りました。


 息がかかるほどに近づかれたリッキーは「え、でも、あの、ちょ、近……」と硬直こうちょくした真っ赤な表情でイゼラを見上げています。



 魔女は……ただ2人のことを見ていました。若い2人がなにか言いあって、距離を近くしている様子を見ています。そのシワだらけの表情にはどうやら微笑みがあるようです。


 魔女は――永遠の老婆はうつむきました。そうして見た自分の細い腕……骨と皮くらいしかないようなシワシワの腕をじっと眺めています。



「わわ、解ったよぅ! イゼラおねぇさん、解ったからちょっと離れて!? あんまり近くって俺、俺――」


「これまでもそうだったけど……王子、あなた自分がいくら特別だからって勝手が過ぎるわ!? そりゃ、これまでに自分を隠してきた鬱憤うっぷんがあるのかもしれないけど、そんな様子じゃたとえこれから自由になったって、きっといつか痛い目にあうわよ!! ねぇ、聞いてるの、リッキー王子?!」


「あわわわ、ごめんごめん! なんかもう、悪かったから許しておねぇさん! きっと反省するから、だからちょっと……お、俺なんか身体が熱くって、むしろもう解んなくなってきたかもしれん!!!」


 おびえたような表情です。リッキー王子の顔つきはとても弱々しく、なぜか現状に不安を覚えて泣きそうになっていました。


 そうした王子の表情を見たイゼラは「ハッ!?」として冷静になり、彼から手をはなしました。そうして「ふぅ」と息をはき出して荒れた呼吸を整えます。


 よたりと、力なく洞窟の地に倒れるリッキー。紅潮こうちょうした頬を片手で押さえ、地面を見つめてすっかり静かなものです。


 ちょっと気まずそうに洞窟の壁を見て立つイゼラ。こちらも少し顔が赤いようで、くちびるに指を押し当ててなにかを考えています。


 どちらもそうして魔女から完全に目を離していました。そうして1分ほど静寂の時が流れた後――。


 魔術師イゼラが「ハァッ!?」として魔女を見ました。すっかり油断ゆだんすきを見せてしまったと背筋に寒気を覚えています。


 そこには……変わらず座っている老婆の姿がありました。老婆はじっと自分の腕を眺めているようで、つぶらな瞳が下を向いています。


「わわわっ!? ななな、何をしてるか!? そうよ、あなたを捕まえるわ! 私はバシャワールよ!?」


 まだ混乱が残っているようです。イゼラはそのようにちぐはぐな言葉を発しながら両手を前に突き出して魔女を威嚇しました。


 老いた魔女が顔を上げます。そうして、つぶらな瞳でイゼラを見つめました。


 洞窟の奥は光が十分です。魔女が見るイゼラの顔は鮮明で……つややかな肌にうるおいあるくちびる、シワがほとんどない首元がハッキリと見えました。


 まだ若い立派なたいかくの男が“照れて顔を赤くする”のも納得できます。魔女から見たイゼラもまた、まごうことなく“美しい女性”でした。


 ……老婆のシワだらけな顔にある口が動き、言葉を発します。それは美しいイゼラに向けたものです。


「あのさ、最期さいごだから言うけどね……あなたたちが私のことを“永遠の老婆”って、そう名づけて呼び始めたんだよね?」


「な、なによいきなり……そんなこと解らないわ!? でも、たぶんそうかもね。だってあなたの本名も知らないし、見た目の情報も“老婆”ってくらいしかなかったから……」


 イゼラは本当にそのくらいしか情報が無いのでしょう。しかし、ここにいる魔女のことをそう呼び始めたのは確かにバシャワール含む、帝国の教団討伐部隊でした。


 老婆のシワだらけの表情にあるまゆ毛が下がっています。口元もへの字に少しまがっていて、とてもつらそうです。


 その表情の意味が解らず戸惑とまどうイゼラ。そんな彼女に向けて魔女は言います。


「本当は傷ついていたんだよ? そりゃそう言われたって仕方がない見た目だけど……あたしはずっと嫌だなぁと思っていたんだ。まぁ、どうでもいいけどね」


「何、どういうこと?? 実際にこうしておばあさんなのだから、老婆って呼んでも……永遠というのもだってあなたが――」


「ねぇ、あなたに聞くけど……あたしさ、何歳だと思う?」


「はぁ?? 何歳って……見た感じはもう80歳とか、もしかしたら100歳とか? でもあなたって長い時を生きてきたはずだし――」


「あたしは“23歳”だよ。だからそんな呼ばれ方をして、悲しく思ってもいいじゃない?」


「へぇ、そうなの。23って私と同じ年・・・・・いやいや!? こんな時に変な冗談じょうだん言わないでよ?!」


「本当、ウソや冗談だったら良かったけどね。ところでなにさ、あなた同い年なの? そうか……うふふ、こうも違うものかい。まったく、運命ってのは残酷だよねぇ……」


 老いた魔女は笑いました。そうして笑う魔女の姿を見て――イゼラは両手を下げます。


 笑う老婆の姿が、表情が……そこにまるでよろこびも楽しみもないと……ただ悲しみしかないと、彼女の感情が解ったからです。


 涙が1つ、落ちます。シワだらけのかわいた頬を伝って、しずくが洞窟の地に落ちました。


 老婆は「うふふ」と笑いながら、目元をこすって言います。


「あたしね、4歳になるまでは年を数えてくれる人がいたんだ。だからそれから、その人がつめたくなってしまった後も歳を数えることはできた。あんたたちが――地上の人たちがにぎやかにする日があるだろう? 昔にいたすごい王様をたたえる記念日さ。その日があたしの産まれた日だって、あの人は言っていたからね。数えやすかったよ……」


 老婆はシワだらけの指を1つずつまげて、数える仕草をしてみせました。


 イゼラはすっかり戦意を失っていました。ただ、そこにある老いた女性の姿を見ています。


「みんなが魔女様とか教祖様とか好き勝手呼ぶ名前も、本当はあるんだ。エリシア=ガーネット――それがあたしの名前なんだ。まぁ、どうでもいいけどさ……」


「エリシア……永遠の老婆には名前が無いと思っていたけど、本名があったのね」


「そう思われても仕方ない。あたしに特別な存在であってほしいと、みんなその辺は隠してたみたいだしね。あたしもまぁ、どうでもいいかって……とくに自分から言わなかったし」


「みんなって、それは教団の幹部かんぶたちのこと? じゃぁあなたは彼らに“特別であるように”といつわられた存在って、そう言いたいの?」


「いんや……そうでもない。あたしはたぶん、特別な魔女ってのはそうなんだろう。最初にあたしを保護してくれた人はそう言っていたよ。教団ってのはあたしを保護した何番目かの人たちだし、彼らだってもう、知らなかったんじゃないかな。真実なんてどうでもいいって、そう思っていただろうし……」


 老婆はシワだらけの指で薄い白髪をなでました。そうして語る彼女の前に、イゼラは屈んで話しを聞いています。


 イゼラは聞きました。「教団より前にあなたを保護した人って何者なのか?」と。


 老婆は――【魔女エリシア】は答えました。


「さぁね。たぶんそこらの浮浪者だったんだろうよ。ある日にめずらしく水道の出口辺りをウロウロしてたらさ、良い残飯ざんぱんがあったんで……拾ったんだ。そうしたらその人が“俺が先に見つけた!”って襲い掛かってきて……殴られているうちに思わず噛みついたんだよ。思えばそれが最初に、だれかを噛んだ瞬間だったねぇ……」


「えっ、浮浪者に……“あなたが噛みついた”??」


「――そうさ。そして彼はたまたま“とても適性があった”。だからその時は苦しみながら転がってどこか逃げてったけどさ……次に会った時は立派な身なりで清潔だったよ。もう忘れたけど、何らかの魔法が使えるようになったみたいだねぇ……それでお金を稼いだんだろう」


「ああ、そして“その人”は気がついたのね。あなたが噛みついたこと、そしてそのことが自分を魔法使いとして“覚醒”させたことに……」


「そうだね。そうして思ったんだろう“こいつは使える”――って」


「そうして、地下から連れ出されたのね……“魔力適応者”を生み出すために、か」


「うん。あたしが噛めばだいたい、ただ不健康になったり体のどっかが無くなったり死んだりするけど……なかには魔力の器としてすぐれた体になる人もいたね。最初のその人はとくにめずらしく、“魔法使い”になれたみたいだ」


 魔女エリシアの真なる力――それは彼女が人を噛むことで“魔術師”として適性の高い者や、後天性の“魔法使い”を生み出すことです。これまでイゼラたちの前に立ちふさがった3人の魔法使いも彼女に噛まれ、特別な存在として覚醒した人たちだったのです。


 つまり、それまで一般人として生活していた人間をある瞬間からいきなり“特別な力を持つ者”に変化させるこの魔法こそ……帝国を崩壊の危機においやった本当の脅威でした。


 日常や人生に不満があったり、なにか通常は成し得ない願望がんぼうを抱いたり、どうにか自分を強く変えたいと願う人々が彼女の力を求め、集った結果がくだんの“教団”となりました。


「待って。じゃ、あなたは自分から“信徒を増やそう”と人を噛んでいたわけではないの? だれかに噛むようにと、いられていたってこと?」


「さっき言ったよね。人の血なんてマズイし、あんまり噛むと口も痛いし……嫌だよ、本当はさ。でも、あたしは常に“保護”されていたんだ……まともなご飯ってやつを一度知ったら、戻れないからね。そのために言うことを聞いたさ。こんな見た目でも臭い体はイヤだったしね」


「教団や、それ以前の組織って……なるほど。どうりであなた、“存在している”ということは確かなのに表に出てこないわけだわ。そのくせ人々を扇動せんどうして力を振るっているって、それもつまりかつがれていただけなのね?」


「扇動ねぇ……どうぞ好きにしてってなもんさ。まぁ、そうしてあたしを利用した最初の人はどっかで死んだみたい。そしたら次の人があたしを“保護します”って来たんだ。あとはそんな感じで繰り返して……あたしは別にだれだってよかった。生きていることもどうでもいいんだけどさ、生きているなら清潔で美味しい物を食べたい……それだけだよ。動物みたいなものだね。まぁ彼らにとってはそれ以前に道具なんだろうけど」


 帝国首都であるアプルーザン――その地下に流れる巨大な下水道。


 薄暗い世界で冷たくなった母の亡骸なきがらを護りながら、流れてくる残飯や汚水を飲んで生きた幼少期。それでも死なずにいたのはそれこそ彼女が“特別”だったからです。


 本当はもっと早くにすんなりと息絶えるはずの彼女を、産まれながらに備えた力が生き永らえさせました。


 彼女は確かに、ほかの魔女とは比べ物にならない“魔力吸収”の力をもっています。身近で息絶える浮浪児や浮浪者はもちろんのこと、地上で亡くなる人からも魔力は彼女にそそがれました。


 そして彼女はほかの魔女とは違い、そうした魔力を「生命力」として変換することで生きてきたのです。


「エリシア……でも、だとしてもどうして? あなたはどうしてそんな――」


「この見た目だろう? うっふふ……まったく、同じ23歳だってのにね。どうしてこうも違うものかな……人間ってのは全部同じじゃダメなんかね? こんなさ、特別な力が……うふふっ、望んだ力でもないのにだよ? この力がね、勝手にあたしを生かして……そして勝手に“老いさせる”のさ。まぁ、その老いってやつもある程度で止まったけど……」


 たしかに、エリシアには特殊な力がありました。しかし問題は彼女自身、みずからの力に耐えられる身体ではなかったことです。


 ただ生きているだけでも身体は老いていき、人を噛むとそれでも老いました。


「この姿で見た目がとまっているのはさ……本当なら寿命じゅみょうってのを迎えた時に、この姿だったんだと思うんだよ。だからこれ以上老いることはなくなったんだろうね。いくつくらいかな……8歳くらいの頃にはこんな見た目だったと思うよ。まぁ、もっと小さい時からきっとおばあさんだったと思うし……そんなん、どうでもいいけどね」


 紅血の魔女は――もう何年も同じ姿で人々を操り、国を混乱におとしいれてきたと言われます。老いてほとんど骨と皮だけの姿であっても変わらず人々を扇動し、教団を率いたとされる彼女はいつしか、“永遠の老婆”と呼ばれるようになりました。


 そして話しには尾ひれがつきます。あるいは意図して誇張されました。



 老いた魔女は永くを地下で生きて力をたくわえ、地上を支配しようとした――。


 老いた魔女は強大な魔力で人々を洗脳し、巨大な組織を率いて帝国を滅ぼそうとした――。


 老いた魔女は帝国全土の支配をもくろみ、ダリアに代わる新たなる地上の母として君臨くんりんしようとした――。


 老いた魔女は気に入った人間を魔法使いとし、気に入らない者を殺害し、自分の理想とする選ばれし者たちの楽園をこの世界に築こうとした――。



 ・・・などなど。彼女の思想は主に「地上支配をもくろむ悪い魔女」という認識で多くの人が共通するようになりました。それは彼女の集団に属する人も、そうでない人も関係なくです。


 ごく一部の彼女に近い人だけはそうでないことを知っていたかもしれません。しかし、そうした人すらが入れ替わり立ち替わりにしていくうちに「真の支配者」としてすっかり信じられていったようです。


 エリシア自身がなにを言われてもとくに否定するわけでもなく、ただ静かにしているのでなおさらそうなったのでしょう。もっとも、彼女自身はそれら全てが「どうでもいい」と思っていたので気にもしていませんでした。


 魔女エリシアは魔術師イゼラの顔を見ました。イゼラもまた、エリシアのことを見ています。


「こんなあたしだけど……こうしてキラキラしたものを身に着けているとさ、ちょっとうれしいんだよね。我ながら変だと思うけどさ」


 身に着けている装飾品をいじりながらエリシアがつぶやきました。


 煌びやかな装飾品をさわりながら苦笑いする魔女に、魔術師が首を振りながら言います。


「変じゃないわ。そうして着飾って、自分を美しくするって……私たちならうれしいと思って当然よ。だって……同い年でしょう? とても素敵よ、エリシア……」


 魔女の苦笑いを見ていたイゼラの瞳にはいつしか、涙があふれていました。


 見た目を褒められたことがうれしかったのでしょう。エリシアはシワだらけの腕で金の髪飾りをめくりながら「そうかな、そうだと良いなぁ」と笑っています。



 ……泣く魔術師と笑う魔女。2人の姿を見て、じっと黙っている人がいます。


 その人――リッキー王子はなにも言いませんが、その表情には微笑みがありました。王子は魔女が浮かべるシワだらけの笑顔を見ています。


 そうして、見られていることに気がついた魔女が視線を移しました。


 視線が交わされ、王子と魔女が顔を合わせます。そして、魔女エリシアは一度、少しだけうつむきました。


「リッキーくん。きっと、あんたがやったんだよね。その、あの人たちを……」


「え?? やったって……だれのこと?」


「ほら、ここに来るまでいただろう、3人。あたしを護るって、そういう人たちが……」


「おぅおぅ、いたな!! 確かにそうだ、俺が全員倒しちまったけど……そりゃ、仕方ないだろ。あんたには悪いが――」


「いや、いいんだ。今までだってよくあることだしさ……ただ、彼ら……とくにあの、大きい男の人いただろ?」


「おお、大きい男っていやぁゲラルダっつったか? あの人強かったわ……あんな頑丈な人初めて見たぜ」


 その言葉を聞いて、エリシアの表情が変わりました。顔を上げて不安そうな表情で問います。


「ッ――――そ、そのゲラルダはさ。あの……どうなった??」


「ん、どうなったって……俺に殴られてぶっ倒れて、そんで気絶した」


「あぁ、そうか……そして、その……その後は? いま、どうしてるかな? もしかして……」


「いまどうしてるって……解らん。なんかイゼラおねぇさんが“消しちゃった”から。たぶん帝国の――」


「け、消した?! うっ……そ、そうか。そう、なっても……仕方ない……か」


 消しちゃった――と、その言葉を聞いて魔女エリシアは肩を震わせました。そうして下を向いて、小さな身体をさらに屈ませて小さくします。


 そうした様子を見ていた魔術師――イゼラはなにか「ハッ」とした表情の後に、微笑みました。そして優しい口調で言います。


「エリシア、大丈夫よ……彼は生きているわ。今頃、帝国の牢に囚われているから元気というわけにはいかないけど……私の魔術で転送したの。だから、死んでいない、安心して?」


 イゼラはそっと手をエリシアの背に触れ、なでながら言います。それを聞いた魔女は顔を上げて「本当、生きているのね?」と安心した表情で口元をゆるめました。



 ゲラルダは――教団の怪物はずっとこの魔女を守ってきた存在です。それは帝国から逃げる時もそうですし、この洞窟に逃げ込んでからも一番近くで彼女を守っていました。


 それはただ戦って守るということだけではなく、食料をとってきたり料理をしたり、川で身を清める彼女の周囲を警戒したり……生活そのものを守っていました。


 細い足で歩くことができないエリシアを抱えて川まで連れて行ってくれて、時には少し山の高い位置まで行って景色を見せてくれました。


 彼の大きな身体に守られて、エリシアはこの20日近くを洞窟で生活してきたのです。彼の大きな存在感があるから、不安な時はありませんでした……。



 安心して笑う魔女エリシア。その手をとり、優しく微笑む魔術師イゼラ。


 なんか怒られるかと思っていたリッキーはどうにもそうではない様子に「ホッ」としています。


 ――アスファラ山脈の中腹。そこにある洞窟の奥で手をとりあい、笑う魔女と魔術師。


 しかし、それもしばらくそうしていると魔女の方から手を放しました。


 魔女は言います。


「――――あなたの名前、イゼラっていうのね。同じ年頃の女性とこんなに近くでたくさん話したのは初めてよ。いっつも、噛んで“ハイ終わり!”だったから……」


 それを聞くイゼラの表情は複雑です。それは彼女の言葉が悲しいからではありません。


 ここにイゼラは魔女をとらえにきました。彼女の話しを聞いたとしても、たとえその話しを信じたとしても、その目的は変わりません。


 ですが、ここで手先に赤い閃光をはしらせ、老いた魔女の首元に電流を当てて気絶させることが……どうにも戸惑とまどわれました。


 魔女は解っています。魔術師の目的も、彼女がこれからなにをしたいのか……そうして身を任せれば、たとえとらわれの身としても彼に再会できるかもしれないと思います。


 しかし、どのみち時間はありませんでした。それに、せめて最期くらいは自分で決めたいと……本当の自分というものを知らず、全て他人に連れられて生きてきた彼女は思っていました。


 魔女は言います「せめて、見た目だけじゃなくてよかったよ」――と。


 イゼラが「どういうこと?」と聞くと、答えもせずに魔女は細い腕で彼女を押しました。


 押されて、あまりにも弱い力で押しのけられて……イゼラはあらがいもせずに下がります。意図が解らないと、そのことを考えていて呆然としています。


 行動の意味が解らずに不思議そうな魔術師……その横にある少年を、魔女が見ました。


 そしてシワだらけの顔で笑って言います。


「きっと――あたしはあんたみたいな、たくましい人が好みだったんだろうね。もし、あたしがさ。なんの力もなくって、普通の体に産まれて普通に生活していたら……そういう人と家族になる未来もあったのかな? ……まぁ、どうでもいいけどさ」


 魔女は笑顔でそう言っています。そして、それまで半端な微笑みで彼女を見ていたリッキーは表情から笑顔を失いました。


 となりで呆然としていたイゼラが「あっ!?」と声を出します。リッキーも気がついており、思わず右腕を横に出してイゼラを護ります。



 彼らの視界にある人。永遠の老婆の身体から――座るその足元から、炎が盛り始めました。



 魔女を焼く炎はすぐに強まり、彼女の全身を包みます。彼女が身に着けている装飾品は焦げ、身にまとう白い布が焼け消えていきます。


 悲鳴を上げるイゼラ。彼女を後ろに押しのけ、リッキーは“魔力の炎を制する”ために左腕を黄金に輝かせます。


「――――エリシア!!!」


 リッキーが魔女の名を叫びました。そうして立ち上がり、左腕を彼女へと伸ばした時――。



 炎の中で魔女が笑っています。そして炎に焼かれながら……シワだらけの口が動きました。



『……いままでだれにも言えなかったあたしの我がまま、一度だけいいかな?』


 燃える炎にさえぎられて言葉は聞こえません。ですが、リッキーは彼女がなにを言いたいのか解りました。続けて動く彼女の口を眺めながら……リッキーは震える左手を、静かに下げました。


 やがて魔女の身体が崩れ始めます。炎の中でボロボロと崩れる彼女の身体と、そこから沸く煙が洞窟に充満じゅうまんしはじめました。


 人の焼ける臭いと充満する煙にイゼラが耐えきれず「うぅ……!」と苦しみながら胸を押さえます。リッキーは黄金に輝く左腕をそのままに、イゼラを抱えて洞窟を走りました。


 背後にある熱量を感じます。それが老いた魔女を焼きつくすであろうことを知りながら、リッキーは振り返らずに走りました。


 たくましいはずの自身の身体がなんとも頼りなく思えます。たとえ魔術師の身体を軽々と抱える腕力があっても、炎を制して魔女を救う奇跡の力があったとしても……。


 それでも、彼女の頼みを叶えることしかできない無力さが――リッキーの叫びとなって洞窟に木霊こだましました。




 そうして、しばらくの時が経ち……。




 洞窟から煙が立ち昇っています。洞窟から少し離れて座り込んでいる女性――魔術師イゼラは呆然とした表情で空を眺めていました。彼女は衣類の乱れもまるで気にすることなく、ただただ見て口を開いて青い空を眺めています。


 煙が残る洞窟から出てきた1人の男性――それはリッキー王子です。彼はくちびるをまげた表情で「ドカッ」と、近くの岩場に腰を降ろしました。


 そこからしばらく無言が続きます。なにも言わずなにも話さず……ただ並んで空を眺めていました。


 そうして何分が経過した時でしょうか。2人にとってはずいぶん長く空を見つめていた気がします。


 ともあれ、そうした頃にリッキーが口を開きました「あそこには灰と少しの骨しか無かったよ」――と。


 イゼラは「そうですか」とだけ答えて空を見続けます。赤い前髪がかかる彼女の目から涙が1つ、張りのある頬を伝って落ちました。


 そうした彼女の様子にリッキーはなにも言えません。やはり同じく空を眺めます。



 それからまたしばらく、そうして空を見ていた2人ですが……。



 やがてイゼラが目元をこすって立ち上がりました。そして鼻をすすると、かすれる声で言います。


「行きましょう、もうここに用はないわ。永遠の老婆は……魔女エリシアはこの地で死んだのよ。そのことをさっさと報告しないとね、うん!」


 強い口調です。言葉のふしぶしで「はぁ」とおさまらない息を混ぜながら、イゼラは森へと向かって歩き始めました。


 リッキーが言います「そっちは城の逆方向だよ」――と。


 イゼラは立ち止まり、向きを変えて森へと歩いていきます。リッキーも立ち上がって彼女の後ろをついていきました。


 ……しかし、森の枝葉が邪魔をしてイゼラは進めません。涙を浮かべて「邪魔しないでよ!」と苛立っている彼女の肩を軽く叩き、リッキーが前に出ます。


 そうしてリッキーを先頭にして森を歩き始めた2人。彼らはしばらくなにも話しませんでした。


 滝を横目に過ぎ、森に沸く泉を過ぎ、森の中を歩き続けます。


 そうしてやがて、2人は少しだけ人の手が入った山道やまみちへと出ました。


 ほとんど野生に近い山道はむきだしの土に枝や葉っぱが混じっており、人の通りなどめったにないなのだとわかります。ここ最近は“悪い魔女”が住みついたとしてなおさらだれも来ることはなかったのでしょう。


 ちた看板かんばんがありました。“いななきとおげの採掘場”と方向を示す矢印がえてある看板です。


 無言のままここまで至った王子と魔術師。ぼろぼろな看板を眺めているリッキー王子の背中に向けて、魔術師イゼラが言葉をかけました。


「ねぇ、どうしてなんだろう? あの娘はさ、なんであんなことをしたのかな……?」


 言葉の最後にぐっと、イゼラはくちびるを噛みます。リッキーは振り返って伏し目がちな彼女を見ました。


 イゼラはまゆを下げた表情で少年を見上げて言います。


「私たち……私が、来たからかな? 追いつめられて、捕まってしまうくらいならって……そういう……だとしたら……」


 言葉の途中からイゼラの声は震え始めました。不安そうにうつむいて胸を押さえる彼女の姿をリッキーは真剣な眼差しで見ています。


 そしてリッキーは彼女の言葉をさえぎるるように「違う!」と言いました。


 イゼラはうつむいたままですが、言葉を止めます。リッキーは彼女を見たまま続けます。


「あの人は追いつめられたからとか、捕まるくらいならとか……そういうことじゃなかったと思う……うん、ごめん。“違う”って言い切ったのに半端だけど……そう思うんだよ、俺はさ」


「だとしたら、どうして? 事情を伝えれば、帝国からも何か彼女に対して――」


「帝国がどうとか、そんなことは最初から関係なかったんだよ。それどころか、あの人は自分自身すらどうでもいいって……そう思いながらずっと探していたんだと思う」


「探すって……何を?」


「……頼まれたんだ。最期に、あの人から。“ここで死にたい”って……安心して終わることができる場所を、やっと見つけたって……!!」


 炎の中で笑い、動く魔女の口。シワだらけの皮膚ひふを焼かれながら願われた頼みを思い出すと、黒ずんだ左腕がにくらしく感じられました。


「叶えてしまった、応えてしまった……俺は、あの人を……見殺しにしてしまった!!!」


 黒ずんだ左腕が黄金に輝きました。そうして輝く左腕を引きしぼり、衝動的に朽ちた看板へとぶつけるリッキー。


 たやすく看板は弾け、細かな木くずとなって山道にりました。


 どれほど異常な体力があろうと、どれほど奇跡の能力があろうと……老いた魔女の23年という時間を救うことはできませんでした。救うにはあまりにも、彼女の心と体は疲れすぎていたのです。


 最期にあった魔女の笑顔からそのことを理解して、だからリッキーは左手を下げました。炎を制する力では焼ける彼女を救えないと思ったからです。


 くだけた看板の欠片かけらが散らばっています。立ち尽くすリッキーと、その背中を眺めるイゼラ。


 赤髪の魔術師はそっと、暴力的に感情を発散してしまった少年の背中にふれました。


 さわって解ります。彼の身体は小さく震えていて……見えない表情にはきっと、涙が流れているのでしょう。


 魔術師イゼラはやさしく言いました。


「泣かないで、あなたは悪くないから……壮絶そうぜつな最期だったけど、彼女はきっと、ようやく安心できたのよ。だれからも監視されず、だれからも利用して操られない自由を……最期の最期にやっと手にできた。

 だから、私たちが彼女と出会ったこと……それがせめて彼女の救いになったとすれば…………ねぇ? だって、そう思うしかないでしょう?」


 よりそうように少年の背中に身体をあずけ、イゼラはこぼれる感情を押さえています。耳をつけると少年の鼓動こどうが聴こえて、体温も感じることができました。



 山道で立ちつくすたくましい少年。その背中によりそい、彼の感情を聴く魔術師――。



 さらさらと枝葉がゆれる森の音。そうした音を聴きながら、彼女の温かさを感じながら……涙と鼻水でぐちゃぐちゃな少年がふと、“気配”にきがついて横を見ました。


 そこには「フゥゥゥ」――と。大きく鼻息を出して2人の姿を見ている“白馬”の姿があります。


 白馬はまるで「やれやれ」とでも言いたげに首を振り、くわえている葉っぱをモシャモシャと噛んで飲み込みました。


 彼の姿を確認したリッキーは涙まみれの表情を隠そうともせず。さらに涙をあふれさせて「リィィンゼンンン~~!」と思い切り白馬の巨体に抱きつきます。


 少年はそうして「うぉあうぉあ!」と声を出して泣きました。瞬間的に支えを失った魔術師は前のめりになって倒れそうになっています。


 どうにか踏みとどまり、泣いている少年の姿を見る魔術師。


 彼女はそれまで感じていた温かみを思い起こして少し、顔を赤くします。そして同時にいきなり放置されたことを思って、それでも顔を赤くしました。



 しばらく泣いていたリッキー王子は気を取り直すと苦笑いで魔術師を見ました。そこでジトっとした目つきで立っている彼女が不機嫌なことにおびえながら、彼女を誘います。


 リッキー王子は白馬にまたがります。そして「彼女もいいでしょ?」と声をかけると白馬は「フゥゥゥ」と大きく息をはき出しました。


 誘われた魔術師イゼラは「ふんっ!」としながらもツカツカと歩みより、そして白馬に乗ります。今度は大きな布袋にくるまれていないので、たくましい身体にしがみつく形で乗っています。


 王子の合図で白馬は走り始めました。不安定な山道もまるで気にならない安定した走行。多少の障害物なら問題なく跳び越え、踏み砕く力強さ。


 精悍せいかんにして力強い白馬の背にゆられて、王子と魔術師はエルダランドのお城へと向かいました。厳密げんみつにはお城というよりはその少し手前までですが……ともかく彼らはアスファラ山脈を離れていきます。



 道中、赤髪のイゼラは何度も山を振り返りました。洞窟などもうとっくに見えませんが、それでも何度も振り返って……今日までそこにあった人のことを考えます。


 煌びやかな装飾品をなでてずかしそうな彼女の表情。老齢でシワシワなその表情が、その時だけは違って感じられました。



 そこに見た彼女の本来あるべき姿を思い起こして……そうした幻影を、忘れることができないのでしょう――――。





******************************


「……ねぇ、本当にいいのね?」


「え。なにを・・・あ~~、そりゃそうよ! 構わねぇ、頼んだよイゼラおねぇさん☆」


「まぁ、ダメと言われてもいまさら仕方ないけどね。私だって真実を言わなければ行動を誤魔化せないだろうし、素直にそうさせてもらうわ」


「へへへ、しっかし巻き込んで悪かったねぇ~。んでも、俺はおねぇさんと冒険できて、それは本当に楽しかったよ!」


「もうっ、だからその楽しいって……気をつけなさいよ、今後もさ。まぁあなたが竜の奇跡として相応しいってことは認めるけど……だからって不死身とか無敵とか、そういうわけじゃないだろうからね?」


「おう、そりゃぁそうあってほしいもんだ! ……地図や本でしかしらねぇけどよ。この世界ってのはぁ、ずいぶんと広いらしいじゃない? だったらそこに俺なんかよりもっとずっと、“すげぇ!”ってなって“やべぇ!”ってなる事があるに違いないんだ。そいつが見れるといいなぁって、へっっへっへ♪」


「……そういう、楽観的な考え方は悪くないと思うけどね。どうにもあなたの危機感の無さは気になるなぁ……まぁ、いいか。じゃぁそういうことで、私は一足先に城へと行くから」


「おっ……そうだな。俺はしばらくして戻るとするかね。いやまぁ、ともかくとしてこっからが上手くいくか、それは不安なんだよな……」


「そうね。せめてあなたが思い描く形に結果が近くあればと……私も一応、心配はしておくわ。だからってできることはハッキリ、しっかりと、必要なら若干じゃっかん“調整”して真実を国王に伝えるって……それくらいだろうけど」


「う~~~ん。帝国と国が仲悪くなるようなことだけはけたいね。俺が牢屋に入れられるって、最悪それくらいなら勝手に出てくからいいけどさ。短い期間なら大人しくしててもいいし。まったくおとがめなし! ってのが一番マズイ状況になる気がする!」


「まぁ、その先はもう“しぃ~~らない”――ってね。私にはどうすることもできませんから。どうか精々、気をつけて頑張ってください」


「そら、そうかもしれんけど……しっかし、頑張るようなことにならなきゃそれに越したこたないわな」


「ふふっ、あとは祖竜にでも願うのね……ああ、あなたの場合はご先祖様か。まぁ、少しは期待しておくとしましょう。あなたが自由となって、どこでなにをするのか……呆気あっけなく死んでしまったなんて、それだけはナシだからね?」


「へっへへ、逃げ足には自信があるからさ。簡単かんたんには死なんでしょう! イゼラおねぇさんこそどうか元気で……またいつか会おう!!」


「えぇ~~? それはちょっと……あなたといるとまた何かに巻き込まれそうだし。やむなく、どこかで出会ってしまったのなら……その時は挨拶くらいするかな。例え“元”王子になっていたとしても、礼儀くらいは示すわよ」


「そ、そんな……! 冷たいなぁ、おねぇさんたら。俺、きっともっとたくましく頼れる感じにこう、なんか成長してると思うからさ! そしたらきっと俺だって――」


「はいはい、じゃぁそういうことで……サヨナラ、今のところの王子様。私をさらってくれて、どうもありがとう」


「あっ! ――――行ってしまったか。しかしイゼラおねぇさん……無理やり誘拐されたってのに“ありがとう”だなんて……良い人だなぁ、ホント。

 ちょっと怖いけど、でも言うことしっかりしていて、本当気が強い感じだったなぁ。それに、小さくて細いけど……柔らかくって、綺麗だったなぁ……別れるのがさみしいぜ!!」



 ・・・・・エルダランドのお城が遠くに見える麦畑のかたわら。リッキー王子は遠ざかっていく赤黒いコートの姿を目線で追っています。


 白馬の身体にほほをこすりつけてため息混じり……白馬は大きく息を吐きだしました。


 そびえて見えるアスファラ山脈。そこから吹き下ろす冷たい風が……少年と白馬、それに麦畑をなでて過ぎています。



 魔術師が王子のとなりを去って、しばらくしてのこと……。



 エルダランドのお城に「ひぇぇぇぇっ!?」とした、王様や家臣たちの悲鳴がひびき渡りました――――。





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