後章―『Chapter9「魔女の守護者(後編)」』
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――Chapter9「魔女の守護者(後編)」――
大地の人形を操る魔法使いを倒したリッキーは森の中を再びズンズンと歩み始めました。
その背後をついてくるイゼラはやはり自然の環境に苦戦しながらも少しだけ機嫌はよくなっているようです。
「ねぇ、あなた――リッキー王子?」
「んぉ、どうしたかねイゼラおねぇさん?」
イゼラからリッキーに話しかけました。茂みを歩いて熱くなったのか、イゼラは口元の布も頭にかぶっているフードも外しています。
「あなたは魔女とその護衛の魔法使いについて何も知らないのよね?」
「えっ――――ハイっ! とくに護衛の人たちについては何も知らないです!!」
「あ、そう。じゃ一応言っておくけど……あとの2人の内、1人は“とても素早い”魔法使いだそうよ。何か飛び道具も使うみたいだから気を付けて。まぁ、その人についてはそれくらいしか情報がないわね」
「ほうほう、速くてなんか飛ばしてくる……わかった!!」
「もう1人は……私の予想どおりなら、かなりやっかいだと思うわ。帝国の戦いで私も会ったことがある人だと思うのだけど……その人は“とても頑丈で力強い”相手よ。最後は私たちの集中放火ですっかり命を落としたと思っていたけど……生きていたなら、とても私1人では相手できないわ」
「おっ、そりゃいいな! 単純にすごく強いってのは楽しみだ……俺とどっちが強いかな??」
「……あなたね、そうして“楽しみ”って言うのはやめなさい。危機感がないのは関心しないわ。いくらあなたが特別でも、これは遊びではないのだから。死んでしまうことも、それより酷いめにあうことだって、あるかもしれないのよ」
「えっ。そ、そうだな……でもあんまり怖がっていてもしょうがないし。実際に戦ってみて、ダメだと思ったら怖がればいいんじゃないかな?」
「……ふぅ。どうしてこう、竜の奇跡って人たちはこんな感じになってしまうのかしら。周りの心配も知らないで……」
リッキーはこれまで戦いにおいて苦戦したことがありません。赤トカゲとの戦いで少し危ない思いをしましたが、それも結果としてほとんど苦労した記憶にはなりませんでした。
むしろ戦う前後でつらい思いをしているので戦いそのものへの危機感が沸かないのでしょう。戦った後どうなるか、ということへの配慮はよくしているようですが……。
そしてリッキーもそのことを自覚しています。だからこそ、自分がそうなるくらい――苦戦して実力を思い知れるくらいの相手を求めているのです。それは今のところエルダランド国内では見つけることができていません。
「イゼラおねぇさん、永遠の老婆ってのは……魔女は強いのかい?」
「ああ、永遠の老婆は……どうかしら。強いかはともかくとして、危険ではあるわね」
魔女に関するイゼラの答えははっきりしません。リッキーは振り返って首をかしげました。
「えっ、強くないの?? だって赤トカゲより危ないんでしょ??」
「危ないという指標は強さだけではないのよ。彼女の場合は実力はほとんど不明だけど、何より魔法――というべきかしら? 彼女がもつ固有の体質、みたいなものが危険極まりないの」
イゼラは口をひらき、自身の犬歯を指で示します。そして「気をつけて」と言いました。リッキーはまた首をかしげています。
「――永遠の老婆は人の魔力を“噛む”ことで奪うわ。まぁ、魔力は別に奪われたってその人が活用していなければ少しだけ身体に違和感を覚える程度だから、そのことは大した問題ではないの」
「はぇ~~、噛むってこうガブッとくるんか。獣みてぇだなぁ」
「問題はね、もう1つ――彼女は人に噛みつくことで“魔力を送り込む”ことができるの。これが危険なのよ、あなただっていくら頑丈だからってまったく油断できないんだからね」
「魔力を……送り込む? どういうこと? それって、なんだか良いことなんじゃないの?」
「良いどころか“最悪”ね。単純に膨大な魔力を送り込まれてしまったら積載量を上回って身体が煮えたぎって死んでしまったり、文字通り破裂することだってあるわ」
リッキーは老婆に噛まれて破裂する自分を思い浮かべて「そりゃ、危ないな!」と苦笑いしています。
イゼラは続けて言いました。
「それだけじゃないわ。例え少量でもね……本来人間ってのは自然とあるべき量の魔力しかもっていないものなの。それを自然の中で少しずつたくわえたり、技術によって――ようは魔術ね。それによって意図的に増やしたりするわけ。でもそれは簡単なことじゃなくって、魔力を扱う以前にたくわえるための技術とそれを保存する技術を習得する必要があるのよ」
「あぁ~~なんか兄さんの本で読んだことある。ちゃんと吸収しないと身体の変なところに入って大変なことになるとか……」
「そうね、魔力を貯蔵するには繊細で高度な技術が求められるわ。雑にしているとお酒に酔うみたいにおかしくなったり、身体とか脳に異常がおきたりするのよ。人格に影響を及ぼす場合もあるわ……」
イゼラはふと、顔を上に向けました。枝葉におおわれた空を見上げて、なにか思い浮かべた光景から目をそらすようにしています。
「そうそう、魔力は毒みたいなものだって。そういうふうに書いてあるのもあったなぁ……だから無理やり変なふうに送り込まれると身体がおかしくなるって、そういうことか?」
「もちろん、それもあるわね。永遠の老婆による直接的な死亡被害は全てそれが原因だから……でも、本当に危険なのはそこでもないのよ」
「えっ、それ以上に危険て……何があんのさ?」
イゼラが永遠の老婆について語っている内に、2人はいつしか森を抜けていました。
そこには川があり、先ほどの泉にあったものとは比べものにならない大きな滝から水が流れています。
河原は小さな石で埋めつくされていて少し足場が悪いようです。リッキーも大概ですが……イゼラもかなり山道には向かないかっこうで、クツも都会染みたものなので歩きにくそうにしています。
つまずきそうになって、イゼラがどうにか踏みとどまりました。彼女はあらわとなっている赤い髪をなで上げて、「ふぅ」とため息をはきます。
リッキーもそのことに気がついて振り返りました。そうして、イゼラの方を見て……ぽかんと口と目を開きます。
「危ないなぁ、お嬢さん……どうか足元に気をつけて?」
それはイゼラの耳元でささやかれた声です。赤い髪をなで上げた右手……その手先に触れられた感触と耳にかかった息の生ぬるさから、彼女は背筋に寒気を感じました。
そして「きゃぁぁっ!?」と叫んで前のめりに走ります。しかし歩いていても危うかった足場ですので、イゼラはそこで転んでしまいました。
イゼラが転んだまま振り返ると、そこには1人の男性が立っています。
「ああっ! だから言ったばかりなのに……ケガでもしたらどうするんだい? まったく、こんな山奥に不用心なんだから……ほら、手をとりなさい?」
その男は明らかに山で生きる人の格好ではありません。指輪や腕輪に首飾りが見た目にうるさいくらいに輝き、しきりに青がかった黒髪をなで上げて気にかけています。
くちびるには薄っすらと青い口紅を塗っていて、服装も下腹部や胸元を露出したリッキーとはまた異なる意味で登山に不向きな“街中”にあるような姿です。羽織っているコートのふちにはフカフカとした羽毛がゆらいでおり、それは川の湿気ですぐに硬くなってしまいそうなものです。
そうした装いの男がいきなり背後に立ち、耳元に息を吹きかけた上で「手をとりなさい」と見下してきました。
イゼラは顔を真っ赤にしてまゆ毛を吊り上げ、立ち上がって両手の先に赤い閃光を奔らせました。
「あなたっ――――魔女の護衛ね!? そんな怪しい人、きっとそうに違いないわ!!」
イゼラがそう言って両手を前で合わせると、手と手の間で閃光が何度も行き交い、次第に輝きが増していきます。
耳に息を吹きかけた男はそうしたイゼラの明らかな“戦闘態勢”を見て言いました。
「おっとと、気の強いお嬢さんだこと……転んでしまって、恥ずかしかったのかな? 気にしないで、見なかったことにしてあげる♪」
人差し指を立ててそれを左右に振ってみせる気取った男。そうした行動を見たイゼラは両腕を広げてかかげ、思い切り振り下ろしました。
魔術師イゼラの両腕の間を行き交う赤い閃光が空中で広がり、激しい電流の網となって河原に叩きつけられます。
雷が落ちたかのように激しい音が周囲一帯に鳴り響くと、河原の一部が半円を描くように焼け焦げてしまっていました。
渾身の一撃を放って「はぁはぁ」と息をつくイゼラ。その頭上から「パチパチ」と拍手の音が落ちてきます。
「素晴らしい、見事な“一芸”だったよ! やはりバシャワール仕込みの魔術は見ごたえあるね、帝国のお嬢さん♪」
河原にある一際大きな岩。その上に腰をかけているのは先ほどイゼラの耳に息を吹きかけた男です。
イゼラは「ハッ」として男を見上げました。すると、大きな岩の上にはすでにだれもいません。
「――――おっと、自己紹介が遅れたね! 私は始祖様を守護する3神の1人、“魔神アズワルド”。君たち人間の理解を超越する神速こそ我が魔力……なに、怖がらないでくれたまえ。ゆっくり話し合おうではないか?」
河原ぞいにある森林。そこにある木の1本に背中を預けて、気取った男――自称、【魔神アズワルド】は優しく微笑んでいます。
また背後から声が聞こえて、イゼラは慌てて振り返りました。手袋をはめた手の平をゴシゴシとこすりながら、警戒してアズワルドの様子をうかがっています。
「うふふ……そうだよね、怖いよね。いいんだ、最初はだれだってそうさ……まずは話して、触れあって……そうして君も始祖様を想い、気持ちを共にすることができるようになる。この魔神アズワルドと共に、理想の世界を築いていこうではないか?」
木の幹から背を離し、手を広げて無防備に、ゆっくりと歩む魔神アズワルド。
そうして寄ってくる男の姿から視線をそらせず、イゼラは後退します。じりじりと後ろに下がっていきますが、やがて行き着く先は川です。
なんとか注意を自分からそらそうと考えるイゼラ。そんな彼女を愛おしそうに直視してまったく目をそらさないアズワルド。
2人が距離を保ったまま、イゼラのかかとがいよいよ川に触れた時。
「・・・・・あのさ、こいつってさっきの魔術師の仲間だよな? 魔女の護衛なんだよな?」
2人の間に男が1人、割って入りました。それはたいかくの良い少年――リッキー王子です。
アズワルドが「むぅ?」として表情をくもらせます。
「なんだね、君は?? 男に用はないよ。いやしかし、さっきの魔術師というのは――」
魔神がなにか話そうとした途中、イゼラが割り込んで言いました。「そうよ、さっきあなたが倒した人形の魔法使いの仲間よ!!」――と。
それを聞いたアズワルドはたいかくの良い少年を注目します。そしてつま先から頭頂部までを眺めた後、「そんなまさかね」と言いました。
疑う口調でありながらアズワルドはコートの裏に片手を入れます。そして「確かに、ここへとたどり着いたということは……」と表情を険しくしました。
そうした様子を見ているリッキーは「そうか、こいつが2人めね!」と拳を打ち鳴らして笑っています。
アズワルドが険しくしていた表情は――すぐに薄い笑いに変わりました。「そんなこともあるか」と、少年たちがここに至ったことをそれほど気にしていないようです。
魔神は羽毛がそよぐコートの裏から一本の“ナイフ”を取り出しました。そうして言います。
「人間どもの皮膚を裂く感触は、女性の柔肌を抱くより心地よい――♪」
ナイフを片手に持ち、無防備に立つ魔神アズワルド。そうしてニヤニヤとしている男を見て、こちらもニヤリと笑っているリッキー王子。そしていつの間にかすっかり姿が見えなくなった魔術師イゼラ……。
魔神と王子、向かい合う2人だけの姿がある山中の河原。滝から流れ落ちる水の音が2人の静寂によく通っています。
静寂に笑顔を浮かべていた王子が「おっしゃ、んじゃ一発だけ殴るぞ!」と一歩踏み出しました。
それと同時に、王子の皮膚が裂けます。黒ずんでいる左腕を見て、そこから血が噴き出す瞬間を目撃するリッキー。
そこから離れた位置。河原で一際大きな岩の上に立つ男が「理解できるかい?」と言葉を落としてきました。
「君たち人間では到底至らぬ速度――これぞ我が神速だ。君は斬られたことも解らず、そうして立ちつくすしかない……どうかな?」
リッキーは下のくちびるを尖らせて、岩の上を見ました。そしてすぐに振り返ります。
今度は左脚から血が噴き出しました。リッキーはその部分を見ることもなく視線を横に移しました。
そこには河原の真ん中に立つ男の姿があります。
「――――触れ難いからこその神だ。これは魔神の裁きである。さっきも言ったが、私は男に用はなくってね。少し楽しんだら後は消えてもらうよ♪」
気取った男がそう言い終わると同時にリッキーが顔を少しかたむけながら背後を振り返ります。左の頬から血が流れ出しました。
魔神アズワルドは河原の水辺で無防備に立ちながら、天を仰いで笑っています。さえぎるものが無い空は澄み渡っていて青いです。
「アアッハハハハハハ!!! 辛いなぁ、人間というものは!!! こうした超常の存在には手も足も出ない!!! 解るよ、私も昔はそうだったからな!!!」
過ぎ去る笑い声を追うように、リッキーは少し身体をかたむけて振り返りました。切り傷を負った胸元から血が滲みます。
リッキーは背後に回って立つ男を見ながら、左の手先をにぎにぎと、何度か開いたり閉じたりしています。
「フハハハハハッ!!! 人間を切り刻む時――我が力を感じるこの瞬間こそ、始祖様への忠誠を最も感じる至福の時だね!!! 君には解るまい!?」
大きな笑い声を耳にしながらもリッキーが注目するのは男の姿だけです。彼が言葉を途切れさせた時、リッキーは半歩だけ横に動いて振り向きました。
後ろに回って立っていたアズワルドは笑った表情のままナイフを見つめています。そうして「足場が悪いからな」と、感触がなかった右手の疑問を自己解決しました。
後ろ向きで無防備にナイフを眺めていたアズワルドはゆっくりと振り返ります。そして同時の瞬間に駆けだしました。
――アズワルドの疾走は誇張ではなく、常人には有り得ない速度です。加速なく一瞬にして最高速に到達し、停止に反動もありません。その最高速度はあらゆる問題を無視し、塵芥や空気ですら彼を妨げることはできません。“彼が無視すると定めたものは”全て無視されます。
いわばこの一刻は彼だけの法治下にある時間であり、この瞬間こそが彼の魔法なのです。
しかし、彼だけのとは言ってもほかの全ての人だって共有はしています。つまり速度と感覚に差はあれど“動くことはできます”。もちろん、目も動けるので理論上は見えてもいるはずです。ただ、普通はそれを理解できないのでアズワルドの主張は正しいはずなのです。
だからアズワルドはまったく予測していませんでした。自分だけの時間という意味こそを誇張して解釈してしまっていたため、そこに問題が生じるという危機感がまるでありませんでした。
リッキーの左脇腹から出血があります。ナイフの刃が今、まさに刺さっている状態です。そうしながらも王子は「ニッコリ」と微笑んでいます。まるで鬼ごっこをしていてだれかを捕まえた時のような……そういう満足感が彼にはあるのでしょう。
「がっ……がはっ!? かっ……あがが……!!」
リッキーの足元では魔神アズワルドがもだえて転がっています。胸元を押さえて苦しそうです。
一瞬の時間の中。直立に近い姿勢だったリッキーはただ左手を少し上げました。同時にほんの少し前に押し出すような動きも加えています。
魔神がどのような動きをしているのかはこれまで全部見えていました。なので、後はその進路に手をおいて掴まえようと思ったのです。結果、少し反応が遅れて掴めませんでしたが……彼の胸元を瞬発的に「ドン!」と強く叩くことはできたようです。足元で転がっている魔神がその証拠でしょう。
王子にとっては軽く叩いた程度でも、アズワルドにとっては岩を思い切りぶつけられた気分です。内臓にまで響いた衝撃によって彼は「ヒューヒュー」とまともに息もできていません。
そして、リッキーは言いました。
「叩いたけど……“殴ってはいない”からさ。今のはノーカウントってことで……よろしくゥ!」
リッキーは片目を閉じて「えへへ」としながら左拳を振りかぶりました。そうしてヒザを地に落とし、一発を振り下ろします。
河原の石がはじけ飛びました。すごい音なので驚いたのでしょう「きゃぁっ!?」とどこからか声が聞こえてきます。
「おっ、イゼラおねぇさんの声が……っと? おや、“あいつ”どこ行った??」
あいつとはイゼラのことではありません。拳骨を落とした場所にいたはずの魔神アズワルドです。
「はぁ、はぁ――――図に乗るなよ、人間!!!」
気を抜いていたのであんまりよく見ていなかったようです。つまり、集中しなければ魔神の速度は目で追えないということなのでしょう。
アズワルドは少し離れた位置に立っていました。胸を押さえて苦しそうにしていますが、しっかりと立ち上がって薄い笑みも浮かべています。
そうして大きく息を吸って、吐いて。呼吸を整えると右手をコートの裏に突っ込みます。
そこからナイフを一本、取り出しました。そうした光景を見て思い出したかのようにリッキーも脇腹に刺さっているナイフを抜き取り、放り投げて捨てます。出血はしましたが少量であり、ほかにも斬られた傷はすっかり血が止まっています。
それはともかくとしてアズワルドは薄く笑いを浮かべたままナイフの柄をつまんでかかげました。軽くつまんで持っているナイフの切っ先は真っすぐとリッキーの方に向けられています。
「……うふふふ、なるほど。お前が凡人と違うことは認めよう。だが、ならば“確実に触れられない手段”というものがこちらにはある……」
軽くナイフをつまんで持ったまま、アズワルドはそのように言いました。リッキーは彼がなにをするつもりか解らず、首をかしげています。
そうしてかしげた視界の中。そこに見た光景を確認して、リッキーは少し身体を屈めました。
もう少し油断していたら見えていなかったかもしれません。高速で飛んできたナイフの切っ先は前髪を何本か斬ってどこかへと飛んでいきました。
「えっ……ど、どうやったん?? まるで投げてないように見えたんだけど……」
今度こそ本当に理解できません。リッキーは不思議そうにじぃっと、離れて立つアズワルドを凝視しました。そこにある魔神は口を大きく広げて笑みを浮かべます。
「ふんっ、避けるかもと……予想はしたよ。何せお前は凡人とは違うのだからな。だが、いつまで避けられるかな? 何本まで避けられるかな?」
そう言いながらコートの裏から新たにナイフを取り出します。どうやらアズワルドのコート裏には複数のナイフが仕舞われているようです。
そうして取り出したナイフの柄を軽くつまんで持ち、切っ先をリッキーに向けます。ほとんどそれと同時の瞬間にリッキーは身体を横向きにしました。リッキーの足元にある石が、彼の靴底との摩擦で焦げています。
その時にはもう、アズワルドはコートの裏から新しいナイフを取り出していました。そうして軽く構え、そして“放ち”ます。
「――――っぐぁ!?」
リッキーはうなりました。そして右肩に深く刺さったナイフを引き抜き、投げ捨てます。アズワルドは新たなナイフを軽くつまんで持っています。
「お前さ……名前も知らんが、ともかく人間よ。お前“銃”って見たことあるか? 帝国の人間なら見たことくらいはあるよな?」
「――――っつぉ!?」
防ぐために上げた左腕に刺さったナイフを引き抜くリッキー。人間そのものが走ってくるよりも避け難いのでしょう。そのため、リッキーはナイフが飛んでくる前から身体をゆすり始めました。
アズワルドはナイフをつまんで構えながら言います。
「その銃ってのは人間がよく発明したものだと思うよ。大したものだ、立派だよ……だがな、この私には不要なものだ」
「――――ふんっ!!」
身体をゆすりながら、リッキーはナイフの刃が肩を掠めていくのを感じました。
アズワルドはつまんでいるナイフを「パっ」と、ほんの少しだけ柄の後ろを指で押して手放します。
「私が行うナイフによる射撃は――銃弾よりも、速い」
「…………ふぅ。」
アズワルドはほとんど言葉を続けながらナイフを次々と取り出しています。
――取り出して軽く構えて、“放す”。この一連の動作が全て、彼が言うように銃による射撃に匹敵……いえ、精度に関しては確実に凌駕する攻撃手段となっています。
風や空気などの妨害を無視して飛翔するナイフの軌道。それは常に正確で紛れもない直線です。そして同等の速度で飛ぶ飛翔体の質量は弾丸とは比べ物になりません。
そして無音です。着弾時の音こそありますが、方向さえ考えて放てば限りなく音を消して放つことが可能となります。アズワルド自身が狙いをつける修練をまったくしていないので、狙いの正確性に若干の問題はありますが、いずれにしろ脅威的な攻撃手段と言えましょう。
そして、つまり……魔神アズワルドの魔法とは“自身を高速移動させる”だけのものではないようです。彼の魔法とは“触れたもの(自身含む)”を“一定の条件を付与して高速移動させる”ものなのでしょう。
軽い調子で話しながら行う攻撃がそのようなものですから、アズワルドが余裕をもつのも仕方がないことです。危機感を抱けという方が無理なのかもしれません。攻撃対象を注目する必要も本来はあまりないのでしょう。
この時。リッキー王子は身体をゆすることをやめていました。そうして少しだけ左腕を上げた“構え”になっています。
まるで同じ調子でアズワルドはナイフを手放しました。「人間の至る英知など、我々選ばれし存在には無用なんだよね、ハハハ」と言葉を続けています。
そうして同時に手放したナイフはやはり高速で宙を飛び、真っすぐにリッキーのもとへと届きました。
そのナイフはしっかりと、リッキーの左腕に掴まれています。
「……おっしゃ、つかんだ!! いやぁ、やってみればできるもんだなぁ~~」
「ハハハ・・・・・は?????」
アズワルドの表情から笑顔が消えました。対してそれまで真剣な眼差しだったリッキーはニコニコと楽しそうに笑っています。
リッキーは何度も飛んでくる飛翔体とその発射装置をじっくりと観察し、集中力を次第に高めていました。そうして「コレたぶん掴めるな」と思って試していたのです。
掴んだ時ちょっと刃ごと握ったので出血はありますが、まるでリッキーは気にしていません。そうして手にしたナイフを眺めて「しっかし、こんなん飛ばすなんて危ねぇなぁ」と顔をしかめています。
魔神アズワルドは完全に停止していました。少し離れた位置にある男の所業がまるで理解できず、口を半分開いた表情でその姿を見ています。
そうしているアズワルドに向けて。リッキーが満足した表情で「返すね!」と言いました。
言葉と同時に左腕をかかげ、いきおいよく振り下ろすリッキー。そこから放たれたナイフは完全な真っすぐでもないし、弾丸より大きく速度も劣っています。しかしその分、風を「ゴウ」と鳴らして回転しながら耳元を過ぎ去った投てき物の存在感は凄まじいものでした。
アズワルドを過ぎ去ったナイフは空気を駆けのぼるようにホップ・アップして、背後にある一際大きな岩にめり込みました。岩の上半分には大きな亀裂が生じています。その時、近くで「きゃぁっ!?」と悲鳴がありましたが魔神は気にもしません。
アズワルドは唖然として振り返り、一部が砕けた岩を眺めています。彼は身体に「ぶるり」と寒気を感じて、羽毛がそよぐコートの襟を首元に引き寄せました。
そうした人の背後に立つ影――それは屈強な男のシルエットです。
アズワルドがそのことに気づくより前に、彼の首元は強い握力で掴まれました。魔神が「ぐぇっ!?」とうなった時にはもう、彼の足は地から離れています。
腕力で吊られた魔神を見る、満開の笑顔。リッキー王子は左拳を振り上げながら言いました。
「じゃ、約束だから……一発だけ、ガツンといくぜ!!」
唖然として状況を把握できていなかったアズワルドは反応が遅れたようです。吊られながらもどうにかその手をリッキーに触れさせた時、すでに……。
「ガツン!」と、鈍い音が周囲に響いていました。
……戦いは静寂となり、滝から水が川へと流れ込む自然の音だけが残っています。大きな岩のすぐ近くでふぅっと、沸いたように赤黒いコートを着た人の姿が現れました。
それは魔術師イゼラです。彼女は周囲をキョロキョロとしてゆっくりと立ち上がりました。
「おおっ、イゼラおねぇさん。よかったぁ~~無事だったんだね!! しっかし、さっきもだけど……一体、どこに隠れているの?? なんか気配はあるけどさ、正直まったく解らないんだけど……」
すっぽりとフードで頭までおおっているイゼラの姿を見て、リッキーは安心しながらも不思議そうにしています。
イゼラは口元にある薄い布を取り去り、フードも外して倒れている男を見ました。
「……倒したようね、すごいじゃない。でも、傷は……身体は大丈夫なの?」
「おう! 血もだいたい止まってるし、こんなん明日には治ってるからダイジョブ!!」
「そう、本当にあなた達って……まぁ、いいわ。じゃぁさっそく――」
――と。イゼラはそう言っておもむろに倒れている男へと近づき、屈んで両手を男の身体にあてました。
見下ろしているリッキーを背後にして、魔術師イゼラの伏せた両手の平からなにか光が生じます。すると、「あっ」とリッキーが言った時には倒れていた男が消えていました。
リッキーは「本当に消しちゃってない?」と若干疑っています。イゼラは「む、ここでは証明しようがないけど……信じなさいって」と少し不機嫌に返しました。
こうして自称、“神速で動く魔神”ことアズワルド=チュチュシカは帝国のどこかに送り届けられたようです。
やや不機嫌になってしまった魔術師に「信じているとも、もちろんさぁ!」と前言撤回をこころみるリッキー。
そう言われて「あなたって意外としつこい質なのね」と横目ににらんで返すイゼラ。
……魔女の魔法使いはあと1人。そして、その先にはきっと“永遠の老婆”がひそんでいることでしょう。
彼女が隠れているとされる洞窟は、ここにある滝からすこし登った場所にあるようです――――。




