後章―『Chapter4「なにかしたい王子(後編)」』
15歳になったリッキー王子は自分が普通の人間ではないということを感じていました。それは王族であるということではなく、言ってみれば「身体そのものが普通のつくりではない」となんとなく理解していました。
ほかの人より頑丈で、思い起こせば子供の頃からきっと「異常」な存在として周囲が自分を見ていたのだろうと成長する内にわかってきました。街へと出歩くようになると、そのことがさらに強い実感としてありました。
お城の外に出てより多くの人々と関わってみて、同じ年頃の人と比べてあきらかに「違う」のだと彼自身が自分のことを特殊な存在だと思うようになっていきました。
その内に王子は過去にあった出来事のことも考えました。そして、なぜ兄が自分のことを嫌ってしまうようになったのか。なぜ、母親がノドを枯らすほどに泣いてしまったのか……その時のことを思い起こしてその理由を考えました。
彼はそうして自分が無邪気に行っていたことが、大切な家族を怒らせたり悲しませる原因だったのだと気が付きます。
良いか悪いかではなく、大切な人につらい思いをさせてしまったという事実こそ重要なことだと感じました。
そのことから、リッキー王子は「だれも悲しませたくない」と強く思うようになりました。なぜならそのことが自分にとって、とてもつらいことだったからです。
リッキー王子は考えました。彼なりに考えて、どうすれば上手くいくだろうと悩んで……そして、決めたのです。
――リッキー王子はいつからか、次第に勉強や修行をなまけるようになります。そして自分が特別であることを隠すより、むしろ大っぴらに宣伝して目立ちながら遊んでまわりました。
危ないこともしますが、昔にあった悪い存在に勇ましく立ち向かうようなことはしません。高いところによじ登って不自然な姿勢をとってみたり、酒をだれよりも多く飲んで勝ち誇って歌ってみたり……と。
たしかに特別で話題性のあることを行いますが、そのどれもが人々から「なにをバカなことをやっているんだこの王子は」と、酒の席で笑って話されるようなものばかりです。
そうしたうわさがいくつも広がって……やがてエルダランド国内外に問わず、世の人々はリッキー王子のことを「ふざけたふるまいを好む遊び人の王子」と評価するようになります。赤トカゲと戦った輝かしい伝説はより多くのくだらない伝説ですっかり埋もれてしまいました。
そうなるとエルダランドの王子としてアイザード将軍への期待は高まります。なにせ彼の兄は病弱でとても王位を継げそうもなく、過去に奇跡ともてはやされた弟はふざけた人となり果てたので、王国の人々は「アイザード王子が一番まともだ」とうわさして評価するようになりました。
お城の王妃様は遊び人になってしまった王子の現状を当然良くは思いません。ですが、毎日楽しそうにしている姿と、なにより過去のような命に関わる無茶をしないことが一番でした。彼女は王様に内緒で、こっそり毎日お小遣いを渡してリッキー王子をよろこばせていたようです。
王様は……産まれた時から「竜の奇跡」として涙ながらによろこんだ我が子の有様に、正直ガッカリとはしています。ですが王様は以前から、アイザード王子とリッキー王子の関係にある危険性をわかっていました。
王様はとくに次男のアイザードがだんだんと過激になっていく様子を心配していたので、国民の信頼がアイザード王子に向くことに安心を覚えていました。しかし、だからといってリッキー王子が遊びまわる姿を良くは思いません。当時一番複雑な心境だったのはきっと、このウェイリー王に他ならないでしょう。
そうしてヴェイガード王家の親子はだれもが一応、妥協しつつも「このままで良いかもしれない」と当時の状況に納得していたようです。
ただ、1人を除いて……。
――Chapter4「なにかしたい王子(後編)」――
すっかり暗くなった夜道を目視によってすんなりと歩き、リッキーはお城に到着しました。
お城の門を護る兵士が「あっ、リッキー王子だ」と言ってなれた様子で静かに門を開きます。リッキーは「へへへ、あんがと」とこれもコソコソと静かにお城の裏側へと回っていきました。
リッキーは裏庭を通ってより道気味に厩舎近くへとさしかかると「おっす、リィンゼン!」と声だけかけて通り過ぎます。厩舎の中で眠る馬たちの中でも一際上等なわらの上で眠る白馬が、面倒くさそうに「フゥゥ」と鼻息だけ鳴らして応えました。
そうしてぷらぷらとした歩行でお城の裏側から中へと入っていくリッキー。城内に入った彼は「よしよし」と、門番以外に見つからなかったことに安心しました。
「――――おかえりなさい、王子。思ったよりは早かったですな」
すっかり油断してろうかを歩いていた王子は不意にかけられた声に驚き、「おわぁっ!?」と跳びのいて天井の角に張り付きました。
「な、ななな……なんだパンジャルぅ! びっくりさせるなよ!」
「これはこれは心外な……私はただ“おかえりなさい”と迎えただけなのに……勝手に驚いたのはあなた様でしょう?」
普段は兵士が休憩に用いる一室の中。湯気の上がるカップに口をつけ、紅茶を1口飲んでから【執事のパンジャル】は平然として言いました。
「・・・・・ずっとそこで待ってた?」
「いいえ、なんとなく? そろそろかな~と思って。今日はここかと当たりを付け、先ほどに腰を下ろしたばかりです」
「・・・・・あ、そう。すごいね」
ろうかの壁面を指先でこすりながらリッキー王子は床に降り立ちました。「爪先で壁が傷つくとよくないので、ちゃんと跳び下りてください」と執事に言われて「細かいこと言うなぁ」とリッキーはくちびるを曲げて言い返します。
「そんで……何か用事があるのかい? 僕はもう寝ようかと思うのだけど……何か説教がありますか?」
「小言は昨日言いましたからね。もうしばらく間を空けてからまた言いますよ。ですのでどうぞ、お眠りなさい……私もこれで失礼します」
そう言うと椅子から立ち上がって腰を叩き、スタスタと歩きはじめるパンジャル。リッキーは苦々しい表情で「そいつぁよかったです」と耳たぶをいじりながらくちびるを尖らせました。
「…………ッ!」
「……パンジャル?」
スタスタと毅然と歩き出した老いた紳士はろうかの壁に手をついて動きを止めます。少し屈んだ姿勢で止まった彼の姿を見て、リッキーはすぐに彼のとなりに寄りました。
「どうした、腰か? おじいちゃんなんだから無理すんなって……支えるよ」
「ええ、おじいちゃんですので。無理をさせないでほしいものですな……やれやれ、結構です。少ししびれただけですから」
そう言って腰を伸ばしてから、パンジャルは再び歩き始めました。毅然として歩く老人の姿を眺めるリッキーは「いつまでも子供扱いすんなってば、ったく……」と苦笑いしながら言いました。
リッキーは執事のことを気にしながらも自室へと向かいます。そうして城内を歩いていると……ガシャガシャ、甲冑がこすれる音がろうかの先から聴こえてきました。
リッキーは執事のことを考えていたので気が付くのが遅れてしまったようです。「うっ!?」と口からこぼした時にはすでに、互いが視界に捉えていました。
「――――む?」
「あ、あはは……こんばんわ!」
隠れようのないろうかだったので、開き直ってリッキーは綺麗な敬礼とともに挨拶しました。
リッキーが挨拶した相手は紺色の鎧を着こんだ立派な騎士です。頭髪は短い金髪で髪型は後ろに流して固めてあります。身にまとうマントとスカーフにはエルダランド王族に伝わる竜尾の紋章が輝いています。
鋭い眼光の目元には常日頃から薄くクマができています。これは彼が寝不足がちだからであり、多忙である理由とは別にその神経質な生活にも原因があるのでしょう。化粧をしなければもっとくっきりとした紫色にクマが見えてしまいます。
「――――フッ」
軽く笑いました。挨拶も返さず、ただ片側の口角を少し上げて、嘲笑って騎士はリッキーを一瞥します。
この横柄な態度の人物は――エルダランド王家の次男、アイザード将軍です。成長した彼は少しだけリッキーよりも背が高く、身にまとう威圧感は相対するだれもが息を飲むほど冷たいものです。
嘲笑われたリッキーも苦笑いしながら息を飲みました。視線を外して敬礼の姿勢のまま、横歩きに動いて道をゆずります。
そうして道をゆずった弟のことをほとんど見ることもなく、アイザード将軍はろうかを歩いてリッキーの横を通り過ぎました。
「…………ホっ」
何事もなく脅威が過ぎ去ったので、リッキーは安心しました。
「――――おい、リィンダイト」
「ほわぁぁぁっ!? あいっ、私がリィンダイトです!! いかがしましたか、兄さん!?」
安心していたところにいきなり声をかけられたのでリッキーは跳び上がって空中で向きを変え、再びの美しい敬礼姿勢でアイザード将軍の方を見ました。
弟の異様な行動など気にする様子もなく、アイザード将軍は言います。
「話は聞いた。キサマ、今日の昼に街でさわぎを起こしたらしいな……どういうつもりだ?」
「んぇ?? さわぎって……ええっ!? じょ、情報が早いっすね、さすが兄さん!? いやでもしかし、あれは僕がさわぎを起こしたわけではなくってむしろさわぎを治めたのでして――」
「いずれにしろ、目立つことをしたのだろう。裁きも無く民に暴力まがいの行いをして……不安を抱かせた。そのことになにか弁解はあるか?」
「…………ありません。その、気を付けます」
「ふんっ、そうしてほしいものだな……そんなザマでもキサマはこの私の弟だ。我が名とエルダの栄光に傷をつけることがないよう、くれぐれも行動には注意し、なるべく大人しくしていろ。それくらいできるだろう、いくらキサマでもな……」
アイザード将軍はそう言うと、さっさと歩いてその場を去ってしまいました。まともに振り返ることもなくそのように言い捨てて、甲冑のこすれる音が遠ざかっていきます。
リッキーは……なんとも複雑な表情をしておりました。顔全体がひしゃげたように上のくちびるが鼻先まで上がり、みけんにはシワが深くよって目は強くつむられています。それは悲しさと腹立たしさと悔しさと、あとちょっとの安心した気持ちが混ざった産物です。
そうした絡まった気持ちを吹き飛ばすようにリッキーは首を振りました。勢いよく首を振ったので、後ろに結んだ長い黒髪が揺れて頬にパシパシと当たります。
一呼吸おいてから、リッキーは周囲を注意深く見渡し、そして口をあまり開かず言いました。
「くそぅ、言いたい放題言いやがってぇ……こっちの気持ちも知らんくせに! フンフン、フンッ!!」
かすれるような声でそう言いながら、兄が人を嘲笑う仕草を連続して真似するリッキー。とても面と向かってそんなことはできないでしょう。
しかし、そうしてこっそりとでも発散したことで多少はマシな気分になったようです。
事故にあったようなものだと、運がなかったのだと自分をなぐさめながら彼はろうかを歩き始めました。そうとでも思わないとまた複雑な感情が沸いてしまうと解っていました。
気分を切り替えて今日はさっさと寝てしまおうと……リッキーは自室へと急ぎ足になります。
そうしてズンズンと歩いていると……王の間から声が聴こえてくることに気が付きました。ちょっと立ち止まって聴いていると、どうやら王様や家臣たちが「永遠の老婆」という魔女について話し合いをしているようです。
「永遠の老婆、か。帝国では多くの人を苦しめたと聞くな。この国でも変なやつらが一時期沸いたが……それも魔女の手先だった」
リッキーはアゴに手を当ててうなりました。王の間から聴こえてくる会話では「どうしたらよいのか」「帝国に任せるしかない」「王国の威厳が……」などと家臣たちが悩む声がほとんどです。
どうやらエルダランド王国として“永遠の老婆”にどのような対応をするべきか、未だに答えがでていないようです。
王様も頭を抱えているらしく、そうした声を聴いてリッキーもろうかの真ん中で考え込んでしまいました。
そして、脳裏に過ります。
あの日、王国の脅威であった赤トカゲへと立ち向かったのは――。
「バカだな、俺は……兄さんに言われたばかりじゃないか。もうっ、このおバカさん!」
自分を納得させるように自ら頭に拳骨を落とし、「へっへへ」とふざけた笑いを浮かべます。
ニヤニヤとしながらろうかを歩くリッキー。そこに、王の間にある扉の1つが開いて中からだれかが出てきました。
「――――おっ? やぁ、リッキーか。こんばんわ」
その人は眠そうな表情をしていて、若干に前かがみな、猫背な姿勢です。もともと銀色の頭髪が王の間からこぼれるロウソクの光でほんのり赤みをおびています。
細身でフラフラと不安定な様子の人。その姿を見たリッキーは「うわぁっ!?」と慌てて駆けよりました。
「兄さん、大丈夫なの!? どうしたってこんな時間に出歩いたりして……」
「んん~~? まぁ、こんなでも王子だからね。ちょっとは国の一大事について知っておこうかと……会議に出てみたんだ」
へらりと笑うその人はなんとも声に張りがなく、弱々しい様子です。そうして話す内に「ごほごほ」とノドを鳴らしてさらに屈んだ姿勢になりました。そうすると、リッキーはなおさら慌てて「兄さんっ!?」と彼を支えます。
この弱々しい細身の男性は――エルダランド王家の長男、キャレル王子です。王子は普段のほとんどを部屋から出ることなく、食事も自室で摂るようにしてなるべく動きの少ない生活をしています。
産まれながらに身体が弱く、常に体調が不安定で「明日にも死んでしまうかもしれない」とその身を心配されながら生きてきました。キャレル王子はこの時27歳、リッキーとは12個年が離れています。
夜遅くに起きていること自体がめずらしいのですが、それがお城の中をフラフラと歩いているものだから大変に貴重な姿と言えるでしょう。リッキーが彼をとても心配しているのはそうしたことが理由です。
キャレル王子は「大丈夫」と姿勢をなおして笑ってみせた後、ぐらりと傾いて「あらら足元が……」とろうかの壁に身体をこすりつけました。
やっぱり不安定な様子にリッキーはたまらず「僕がおんぶします!」と、その場にしゃがんで自分の背中に乗るよう構えます。兄のキャレルはそうした弟の姿に「ははは、大丈夫。そこまでしなくても平気さ」と、遠慮した反応をみせました。
「じゃ……じゃぁ、せめて支えるよ。部屋まで付きそうから、そのくらいしてもいいだろう?」
「そうか……心配かけてごめんな。それならちょっと、お世話になろうか……」
か弱く笑う兄の手をとり、リッキーはしっかりと彼の姿勢を支えました。2人の身長は同じくらいですが、後ろ姿からみる体格はまるで差があります。
兄はヒョロヒョロとして細長く、弟はムキムキとしてたくましいのです。
支える弟と支えられる兄は並んでお城のろうかを歩きました。灯されたろうそくの明かりに照らされながら、「無茶をしないでよ」「無茶をしたのかな」などと、兄弟の穏やかな会話が石の壁にひびきます。
そうしてしばらくして、2人はキャレル王子の自室に着きました。中に入ると……すっかり暗い部屋ですが、大きな窓から月明りがぼんやりと、どうにか見える程度には部屋に色合いを与えておりました。
キャレル王子は「ありがとう」と弟の手をはなれ、よろよろとした歩行で部屋にあるロウソクたてにマッチで火を灯しました。
ぼわりと色味が強まる室内。照らし出されたそこは四方を大きな本棚で囲われており、それ以外にもたくさんの棚に本がならんでいました。広い部屋なのでロウソク1本では照らしきれませんが、そこで見る限りにはキャレルの自室は「ちょっとした書物庫」といった具合のようです。
「ほら、横になって……ほんとうに大丈夫かい? そうだ、水をいれるから飲みなよ!」
リッキー王子は自分の部屋かのように物のある場所を知っています。リッキーが常人より夜目が利くというのもあるでしょうが、なにより彼が何度もこの部屋を訪れていることが理由でしょう。
「よいしょっ……と。ああ、ありがとう。しかし久しぶりじゃないか? こうして君が私の部屋を訪れるなんて……」
よじ登るように立派なベッドに上り、清潔なシーツにさっさとくるまるキャレル王子。彼が言うように、リッキーはこの部屋を何度も訪れているものの、最近はあんまり姿を見せてはいませんでした。
「ん……そうかな? 最後に来たのは……そうだね、確かにちょっと前だね」
昔からリッキーはこの部屋を度々訪れていました。文字が読めるようになった1歳の頃にはこの部屋を発見して書物を読みに通っていました。
文字が読めるといっても最初はほとんどの書物がまるで「よくわかんない」といったものです。それがここに通い、成長するうちに少しずつ読める本が増え……それでも解らないことは兄のキャレルに聞いて学びました。
キャレルの居室にある書物は多種多様で、彼の広い知識と深い見識はそれらによって形作られたのでしょう。それらはお城の家臣から使用人、王様王妃様や将軍などあらゆる伝手を用いてかき集められてきた書物です。中には高尚らしいものから少し怪しいものまで……本当に色々とあります。
だから兄ほどではなくとも、リッキーには意外と幅広い知識が備わったりしているのです。知識というには少し怪しいものもありますが……。
「外の遊びは楽しいかい? 私は街を出歩いたことがないからね。聞いたり読んだ限りでしかないが……少なくとも勉強や修行なんかよりは興味をそそるものなのだろうね」
「うっ!? い、いやはぁ~~。そんな別に楽しいっていうか……まぁ楽しいのだけど。それは別にその、なな、なまけているわけじゃぁなくってね? 兄さん、どうか誤解しないでほしいんだ。僕は最低限の勉強はしてますよ、ええ、きっと間違いなく!」
リッキーはそのように言いながら視線がキョロキョロとして落ち着きません。弟の発言と挙動不審な様子を見て、キャレルは「ふふふ」と微笑みました。
「……君も大きくなったからな。この狭い城で縮こまって過ごすよりは街でのびのびと遊ぶ方が健全だよ。私もできればそうしたいくらいさ」
キャレル王子は産まれたその時からすでに命の危機を経験しました。どうにか一命を取り留めても予断を許さない状況が続き、国民にその姿を見せることができたのはある程度大きくなった5歳の時でした。
それも少しの間だけです。幼いキャレルは群衆を前にせき込んでしまい、それによって家臣団一同と王様が大いに慌てる姿を多くの国民が目撃しています。
顔みせの後は国内が「世継ぎは大丈夫なのか?」と不安になり、しばらく落ち込んだ空気を作ってしまいました。アイザード王子の誕生によってそうした不安の声は消えましたが、国民にとってトラウマのような光景を残してしまったことは事実です。
そうした事実をキャレル王子は理解できていました。だから彼は体調的にも心理的にも街へと姿を見せることがありません。そして、それが一番いいのだと、彼は外の世界を望みもしませんでした。
リッキーはそうして、いつもお城に閉じこもっている兄の姿を長年見てきました。彼が「望まない」と言いつつ、日頃大きな窓の前に立ち、街の様子を眺めていることも知っています。
「兄さん……いつか、いつかさ。兄さんの身体が良くなったら、僕……兄さんを連れて酒場に行きたいんだ。そして一緒に酒飲んで遊んでさ……今度は僕が兄さんに教えてあげたいんだ。今まで色々なこと教えてもらってばかりだったからさ……恩返しがしたいんだよ」
日頃街で遊び歩いているリッキー。兄の本心を知る彼はなにもしてあげられない自分が、せめてなにかしてあげたいと願います。
その願いが決して叶わないことをだれよりも知るキャレルはしかし、弟の気持ちを「ありがとう、その時を楽しみにしているよ」と微笑ましい気持ちで受け取りました。
「まぁ、最近なんかは少し調子いいんだけどね。だから今日も会議にでてみようって……」
「えっ、本当!? そいつぁ良い……俺さ、兄さんにとくに踊りを教えたくって。ほら、こうして酒を片手にしながら歌に合わせてね――」
「ははは。まだまだ、そんな動けるほどじゃないよ。でも、そうだね……リッキーの話しを聞いていると。酒場というものは文字で読むより、実際に行ってみないと本当の良さが解らなさそうだよね。歌の雰囲気とか、その場の空気とかさ……」
「そうそう、アレはやっぱりその場に行かないとね。だから兄さん、もっと身体を良くするんだ! そのために無理をしないで、どうか頼むよ!」
「うん、気を付けるよ。ありがとう、リッキー……君は本当に頼もしく成長したなぁ」
「そ、そうかい!? へっへへ! んまぁ、俺にできることって、そんくらいしかないからさ。酒と遊びなら無敵の男、リッキー=ヴェイガードにお任せあれ☆ ってな感じで……うへへへ!」
兄にほめられたことがうれしいのでしょう。リッキーは鼻先を指でこすり、得意気に胸を張って椅子に「ドカッ」と腰掛けました。
そうして得意気にしているリッキー。その、頼もしいと評した弟の姿を見るキャレルは……微笑んで“は”います。
薄暗がりの中、この狭い部屋で胸を張って笑っているたくましい男。
その姿を……彼が成長してここに至るまでを、この兄はずっと見てきました。産まれたその日から、ずっとです。
「――――なぁ、リッキー?」
「んぉ、どったの? 水のおかわりかい?」
「いや、このグラスは空でいいよ……それよりさ」
「……キャレル兄さん? なにか、心配ごとでもあるのかい?」
キャレルの表情を見てリッキーはそう言います。彼の表情が露骨に落ち込んだものではなくとも、「なにか不満がある」と察することができます。
キャレル王子は空のグラスをなでながら、そこに映るロウソクの灯りを眺め、薄い微笑みを表情にして言います。
「君の望みを聞いたからというのもなんだけど……私の望みも、言っていいかな?」
「え、兄さんの願いかい? そりゃ、どうぞどうぞ。いや、むしろ聞かせてよ! なにか僕にできることならなおさらさ!」
リッキーは椅子から腰を浮かせて自分を親指で示しました。頼みごとを兄からされるなんて、今までなかったことです。
キャレルは自分から「なにかしてほしい」と言うことがありません。さきほどリッキーが水を入れたように、周りが自発的になにかを世話することはあっても、彼が望んで自分のためになにかしてもらおうと言うことはありません。
それはきっと、産まれてからずっと周りに迷惑をかけていると考えているからでしょう。だから、それ以上自分は望んではいけないとキャレルは考えていたのです。そしてそういった考え方をリッキーも察していました。
だからここで「望みがある」と言われたことがうれしくて……思わずリッキーは興奮します。
鼻息荒く目をキラキラとさせる弟。空のグラスを眺めながら、キャレルは言います。
「リッキー……私は君が本当に大きな男になったと思っている。それこそ、この国の王子としてふさわしい――いや、それ以上に大きな“器”があると、私は思っている」
揺らぐ炎。グラスに映るロウソクの火が、キャレルの白い肌に赤みを与えています。
「先ほど君は私に遊びを教えてあげたいと言ってくれた。うれしいよ、その気持ちは本当にうれしい。私は君のそうした優しい心が大好きだ。そして……同じく“彼”に対しても優しい、優しすぎるくらいだと思っている」
「へへへ、え? それって…………兄さん??」
「私は君の優しい心が好きだけど、それによって縮こまっている君の姿は……正直、好きではない。私は君の本来あるものが好きなんだ。優しいその心は君に本来あるものに違いないが……今こうして、この国の風潮の中で窮屈に遊んでいる姿を本来のものだとは思えない」
「まって、兄さん? それってどういう――」
「リッキー……お前、いつまで“ウソ”を続けるつもりだ? そうして死ぬまで忘れてしまうつもりか。本当の自分ってやつを……」
「!? ほ、本当の自分って……解らないよ、なにを言いだしたんだ? 兄さん、僕は――」
まるで雰囲気が違って語るキャレル。それまでになかった彼の口調をあびて、リッキーは一度うつむきました。目をそらして、そして再び顔を上げると……。
「解らないという“ウソ”をいつまで続けるのかと聞いている。この兄はお前が偽る姿と、それを始めた姿と、それら以前にあった本来の姿を見てきた。……お前がアイザードを倒してしまった時。あの日のことを、私は今でも悔いている」
キャレルの視線は空のグラスにありませんでした。キャレルは微笑むこともなく、真剣な表情でリッキーを真っすぐに見ています。
見たことない兄の目つきに直視されて、思わずリッキーは息をのみました。
キャレルは続けます。
「彼を止めることができなかった……そうなるだろうと解っていながら、私は彼に言い聞かせることができなかった。思えばもっと早くからそのことについて話しておくべきだったと、今さらになって考えている。しかし、あの日が決定的に君たちを分かち、そしてお前を今のようにする切っ掛けとなってしまったことに違いはない。私が、このようになにも力を持たないばかりに……」
リッキーの視界にはキャレルの姿があります。ですが、彼の話しを聞くうちにリッキーはもう1人の兄の姿を鮮明に思い浮かべていました。
「そして、お前は伝説を作った。外から来た脅威を見事に討ち果たし……しかし、それによって内にある脅威をさらに増大させてしまった。そのように感じてしまった……」
「ちがう……違うんだ、兄さん。僕は……俺は!!」
「あの日“手柄を奪った”と激怒されたお前は以来、すっかり変わってしまった。遊びまわり、派手なことをして人々の注意を引き……くだらない伝説で自分の輝きを覆い隠した。そして酒をのんで遊びまわって、だれからも“諦めてもらおう”と、そう考えた……そうすることが国のためになるのだと、気をつかったんだ」
「兄さん、聞いてくれ! 違うんだって、俺は本当に、本心から今が楽しいんだって! だから、別にウソなんて――」
「こっそりと……竜の伝説、そしてそれにまつわる過去の奇跡たちについて調べながら……か?」
「――――!?」
キャレルはベッドのすぐとなりにある小さな本棚から1冊の本を取り出しました。それは絵と簡単な文章で構成された、「竜の伝説」と題された絵本です。
「……初めはこの本だったよな。幼いお前はとくに意識もせず、竜の絵を眺めてうれしそうにしていたことを、今でも覚えているよ。それから成長して、より難しい本も読めるようになって……いくらコソコソしていたって、この部屋で調べ物をしていたら、解るだろうよ」
「・・・・・し、知ってたの??」
「あのなぁ……“ちょっと借りていくね☆”なんて隠して持っていったとしても、私はこの部屋にある全ての書物を知り、その場所と内容を完全に把握しているんだよ。何を持って行ったかなんて、隠せるわけがないだろう?」
「ほぇぇ……やっぱすげぇや、キャレル兄さん。まぁ、でもそうとは思っていたけど、てっきり気にしていないものかと――」
「いつも気にしていたよ。お前がなにを考えているのか、なにを思って行動しているのか……過去の負い目もあるし、何より大切な弟だからな。気にしないわけがなかろう」
「…………へへ。うん、ありがとう。でも負い目なんて……兄さんがそんなこと感じなくってもいいのに」
「全ての原因は言ってみれば私だからな。長男であるこの私が健康健全であれば、そもそも君たちにこのような苦労をかけずにすんだんだ。アイザードにしたって、あれほど神経質に気を張る生活を送らずにすんだはず……だから、2人ともなんとかしてやれないかと、常日頃考えるのがせめてもの、この無力な兄の役目だと思っているよ」
キャレル王子は「ニヤリ」と笑います。そうした表情を見て、リッキーも「ニヤリ」としました。
すべてを暴かれて……リッキーは脱力し、観念したように椅子に座りました。
「でもさ、だからと言って俺は変われないよ。実際、今は上手くいってるじゃない? このままいけばアイザード兄さんが王様になって、その時に“しかし竜の奇跡こそが~”なんて、文句言う人も少ないだろう?」
「どうかな……確かにそういった意見が目立つことはないだろう。しかしお前という存在がある限り、やはり何かある度に民は“奇跡”にすがろうと脳裏に過るだろうさ。その時、大きな声を発する者が現れないとも限らない……なにせお前は優しいからな。知らずにも人々の信頼というやつを集めてしまっている。どうだ、今もいきつけの酒場とやらで中々に人気者だったりしていないか?」
「…………かもしれません」
「それに、お前自身は実際のところ納得できないだろう。そうでなければ過去の伝説や竜の奇跡がもつ力を調べたり、なにができてなにができなかったのかなどを知ろうとはするまい。加えて、これもこっそり力を試していることも知っているぞ。……あのな、だから部屋の隅っこで“左腕を光らせたり”していたら……いくらこの広さでも解るって。お前はこの兄をなんだと思っているのだ? 身体は弱くとも五感はまともだし、勘だって人並みには利くぞ?」
「……いや、さすがっす。おっしゃる通り……」
思ったより全部バレていたようです。リッキーはくちびるを噛んでまゆを下げました。
そして耳たぶをいじってうつむいている弟の姿。これを見て、キャレル王子は穏やかに微笑みます。
「まぁ、そう、うつくむくんじゃない。叱っているのではないのだから」
「でも、だってさ。そうしたって俺は……やっぱり、今のままが一番いいんじゃないかって――」
「――――1つ、言い忘れていた」
「えっ……なにを??」
キャレルは空のグラスをテーブルの上に置き、それを手放しました。そうしたグラスを軽く指で弾き、テーブルのふちへと滑らせます。
グラスが落ちそうになって、「おっと!?」とリッキーが手の平で受け止めました。空のグラスを手にして、リッキーが不思議そうに兄の顔を見ています。
キャレル王子は笑っていました。しかしそれは穏やかな微笑みではなく――月明りを背景にした、少し歪んだ笑顔です。
「言い忘れていたよ、この兄の望みを……聞いてくれるんだよな?」
「えっ……ああ、そういえばそうか。願いがあるって確か――」
「私の望みはな、リッキー。本当のお前が本当の力で活躍する姿を知りたいってことなんだ。そう、あの日に赤トカゲを捕らえたように……生きる伝説ってやつを見てみたい」
「俺の伝説?? ……て、照れるなぁ。ア、いや、でもだからさ……そんなことしたらまた複雑なことに――」
「お前が王子ではなくなれば……“この国の王となる可能性が無くなれば”……存分に暴れたって、だれも期待しようがないだろう?」
「へぇ?? …………はぁぁ!? そ、それってどういうこと?? 僕が王子じゃなくなるって、そんなことは無理だよ! だってこの家に産まれたんだからさ。父さんと母さんの子供として……」
「そこだよ。なぁ、リッキー……私に良い考えがある」
「な、なんだよ? 兄さんがそんな……あのキャレル兄さんがそんな悪そうな顔するなんて! そんな表情できたんだね!?」
「ふっふふふ、悪くもなるさ。なにせ王子であるこの私が、同じく王子である弟のお前に対して“国を捨ててしまえ!”などと言うのだから……それは悪い提案だろう?」
「ほぅ?? ハハハ、そりゃなるほど。確かに悪い提案だねぇ! つまり僕に・・・・・ハァ!? つまり俺になにをしろって!?!?」
リッキーは驚きました。兄が発した言葉があまりに衝撃的すぎて思わず立ち上がります。
キャレルは平然とした表情です。すっかり穏やかな微笑みとなり、立ち上がった弟を見上げています。
そして彼は言いました。
「お前は王様になろうって、そんな気はないのだろう。兄のアイザードが王になるなら、それが一番だとそのことは本心だ。そして、そのために自分の力を隠し、本当にやりたいことを諦めていることは本心ではない。だとすれば、お前が王子ではなくなる――より正確に言えば、国民の感情論ではなく“法的な理由によって王位継承の権利を失った状態”になれば、だれに気をつかう必要もなくなるということだ。そうだろう?」
「いやいやいや、そんなことしたら・・・・・あれ、確かにそうかもしれない。いや、でもそんなことが――」
「理由があればいいんだよ。だれもが、とくに父さんが――エルダランドの国王が“こいつにはもう王位継承させない、させられない”と言ってもおかしくないような、それで周りも納得できるような理由がな……」
確かに、キャレルが言うように「リッキーが王子様ではなくなる」状況になれば彼の悩みは大体片付きます。好き勝手して目立ったとしても、どうしようもなく王様になれないのであればアイザードと争うことにもなりません。
しかし、そうは言っても簡単なことではないでしょう。
「それって…………ぼ、僕に犯罪でもしろってこと?」
「それはイヤだなぁ。かわいい弟が牢屋に囚われるなんて、兄としてそれは許さないよ」
「じゃ、普通に家を出て行って――」
「ただ家を出てどっか遠くへ行ってもダメさ。そうなると“旅立った王子の凱旋”なんてことを言いだす人が現れる。あくまで“無理なんだ”と感情をおさえる正当な理由が必須なんだよ」
「だ、だったらやっぱりなにか物を盗むとか、食い逃げしたりとか……ええ、やだなぁ! というか、そうやって母さんたちやみんなに失望されるのはイヤだよ!」
「私だってイヤさ。だから罪を犯さずに……いや、罪は罪でも“エルダランドとして仕方なく”という具合のやむを得ない理由がベストだろうな。例えばそう、国を護るために仕方なくやってしまったんだけど、体裁として裁きは与えないといけない……とか」
「そんな難しい条件を満たすことって、ある?」
「さぁ? まぁ、この話しはそもそも私の望みを言ったことが発端。願いというものは中々叶わないから願いなのだよ。それこそ、奇跡みたいな切っ掛けでもない限りな……」
「…………むぅぅ」
「いいか、大事なことは“チャンスを逃がさないこと”だ。常に機会を狙っていれば、意外とすぐにでもチャンスに気がつけるかもしれない。それはお前次第だよ、リィンダイト」
そう言うと、キャレルは「ゲホゴホ」とせき込みました。「話し過ぎたな、寝るよ」と、そう言って糸が切れた操り人形のようにベッドへと倒れてしまいます。
すぅすぅと寝息が聴こえてきました。キャレルはあっさりと眠れる体質のようで、この点に関しては弟のアイザードとは正反対です。
眠ってしまった兄の横顔を眺めながら……リッキーは少し考えていました。
彼が語ったことを思い、自分の本心を考え……“なにかしたい”と沸き上がる感情を偽らずに感じてみます。
やがて……リッキーはロウソクを消してキャレルの部屋を出ました。間際に「ありがとう、兄さん」と呟いて、静かに扉を閉めます。
その日、リッキーは中々眠れなかったようです。本来は長男と同じくあっさり眠れる彼が、神経質な次男のように考えごとばかりして朝を迎えました。眠い目をこすって窓の外を見ると、明るい街並みが見渡せます。
早朝、まだお城も静かな時間帯……リッキーはお城をでて厩舎に向かいました。草原には1頭の白馬が自由な様子で草を食べています。リッキーに気がついた白馬は「ヒヒィィン!」といなないて、それだけです。
だれにも媚びずに自由な白馬を見て、リッキーは苦笑いしながらその身体をなでてやりました。白馬はまんざらでもなさそうに落ち着いて草を食べ続けます。
その日も変わらず、リッキーは酒場へと出向きました。そして酒を飲み、歌い、遊びます。しかしどうにも調子が悪いようで……昼時には「城へ戻るよ」と酒場を立ち去ってしまいます。
……ちょうど同じ頃。エルダランドの地を行く“1人”の姿がありました。
その人は頭まで覆うようにフードつきのコートを羽織っています。また、全身赤黒い装いが見るからに威圧的でした。
背中には帝都アプルーザンを象徴する竜角の紋章、そして両肩には竜の翼を模った対となる印が輝いています。
それらは“バシャワールの刻印”と呼ばれ、帝国の権威と誇りを表すものの1つです――――。




