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後章―『Chapter3「なにかしたい王子(前編)」』

 記歴785年。アプルーザン帝国は収まらない混乱の中にありました。そしてこれを好機とみてか、悪事をはたらく者が増加します。赤トカゲもその1人でしたが……彼はその中でもかなり危険だった部類に入るでしょう。


 しかし、その赤トカゲすら指名手配としては「第二種」と呼ばれる分類になります。これは“帝国の法でさばききれない犯罪者”というもので、小さな災害と認識してよいものです。十分に国家として危険を覚える存在といえましょう。滅多めったにあるものではありません。


 ですが、それも最高位ではあるにしろ……もう1つ悪い分類が存在します。それが「第三種」と呼ばれるもので、これは“法治を破壊しかねない犯罪者”というくくりになります。つまりは災害や疫病に匹敵する脅威きょういとなる個人を指すものです。


 そうそう、帝国の歴史上に出現するものではありません。竜の奇跡に似たまれな存在といえましょう。


 もっとも有名であろう手配者は「最初の魔女」ことラファンダです。しかし彼女はあまりに古い存在で、手配制度が成立するはるか前に存在しました。


 この時にもまだ生死不明の状態ではありましたが……きっと死んでしまっているだろうという考えのもと。事実確認まで一応は手配しておくべきであると、後の世に「第三種」として最初に指定されました。つまり彼女は最初の第三種指名手配者でもあります。


 しかし、それ以降はほとんど第三種手配というものは出現していませんでした。国家への反逆による暴動を起こした人物をこれとみなしたり、聖圏の強大な存在をこれとみなしたりと。


 本来の意味とは異なる「要注意人物」としての発布はわりとありましたが、本来の使い方をされた例は数少ないものです。めずらしい例だとサルダン帝が一時期だけ、第三種指定を受けていたというウソのような記録も残っています。



 そうした第三種手配者ですが……混乱する帝国の情勢が生み出したのか。それとも、たまたまこの時代に合わせて出現したのか……。



 この時代に“ある魔女”が第三種指名手配を受けました。その魔女は帝国領内で自身の信徒を集めて教団を作り、勢力を帝都にすら浸食しんしょくして新たな秩序ちつじょを生み出そうと国家を混乱におとしいれました。


 単なる反乱者というわけではなく、問題となったのは彼女の魔力であり、しかもそれを他者に分け与える……というより“貸し付ける”ことが可能だったとあります。そうして一般の人では手におえない配下を作り出し、回収した魔力でさらに自身の力を増大させていました。


 全盛期には数万の国民がこの魔女の毒牙にかかっていたとされます。直接的ではなくとも命を落とした人の数は把握はあくしきれておらず、自然死と区別が難しいことから予測として数千人は亡くなったものと記録されています。


 この魔女は……「紅血こうけつの魔女」「吸血ちすいおんな」「流血教団の教祖」「死血しけつ病」などと呼ばれたりしておりました。しかし、もっとも彼女を指す異名として有名なのは――『永遠えいえん老婆ろうば』でしょう。


 永遠の老婆は魔力を他者に分けて力ある従者を増やしましたが、その真なる脅威は「人を操る人心じんしん掌握しょうあくの力」です。魔力とは別に彼女の振る舞いと生きざまから、彼女に自発的な忠誠をちかう者が多かったのです。


 アプルーザンの地下水道で産まれた彼女は鬱屈うっくつとした境遇から地上へとはい上がり、そして地上世界を一時的にも闇に包みました。


 彼女の教団は数年にわたって帝国全土を脅威におとしいれましたが……その繁栄はんえいは永遠ではありませんでした。


 時の皇帝、シラード=ブローデンはとても平和を愛する人でした。生来より大人しく、特別優れた力はない代わりによく国民の話しを聞き、国の未来を深く考えていた人です。しかし、大人しすぎることで永遠の老婆らによる混乱を許してしまったとも言えます。ただし、別の見方をすれば、彼の安定した治世だったからこそ帝国は致命的なダメージを受けなかったともとれるでしょう。


 ともかく、そのシラード帝は国内の暴力的な問題に決定的な解決を見出せませんでした。そこで立ち上がったのが息子の『ユウマ=ブローデン』です。


 後の賢帝はこの頃こそ父とは真逆に破壊的で力強く、むしろサルダン帝の再来として大きな期待と不安を同時に受けておりました。


 彼と帝国精鋭のバシャワール(魔力専攻部隊)らに前線基地オーヴァルキュアから呼び寄せたヴァルキュア部隊が加わり、帝国水面下での教団殲滅戦が実行されました。


 永遠の老婆が圧倒的な人心掌握で教団を築いたとするならば、ユウマ=ブローデンは祖竜ダリアの血統でも稀代な統率力を備えていました。皇子は即席の統合部隊をまとめあげ、ついに教団を崩壊させます。


 永遠の老婆は教団を破壊されましたが、彼女自身は逃げのびました。帝国の追撃を信徒の残党らの協力で乗り切り、そしてアスファラ山脈へと逃げ込みます。アスファラ山脈には鉱山資源の他にもそれに混じる魔力の源泉があると言われ、彼女にとって有利な場所でもあったのでしょう。


 魔女は力を大きく失っておりました。それでも社会にとって脅威である事実は変わらず、それが山脈にこもって力を取り戻したら大事です。


 帝国、もといユウマ=ブローデンもそのことは承知でしたが……ここで父であるシラード帝が体調を崩し始め、いよいよ帝位交代の時が迫りました。老齢の父でしたので、皇子も覚悟はしていたようです。


 さらに、皇帝の危機を知った帝国の真っ当な反逆者たちがこれを好機として立ち上がりました。ユウマ皇子は彼らの対応にも当たる必要が生じ、国内安定のために離れるわけにはいかなくなってしまいます。



 ――そうした状況下。エルダランドにとってアスファラ山脈は自国領内の要所です。つまり、そこに入ってきた問題は彼らエルダランド王国の問題になってしまったということです。


 帝国からの通達にエルダランドのお城は大慌てになります。もとよりくだんの教団はエルダランドにも影響を与えており、アイザード将軍らによる治安維持の努力がなければ国家崩壊もありえました。


 なんとか教団の芽はつぶしたと思ったら、よりによってその中心にある人物が自分たちの聖地と言っても良い場所に住みこんでいたのです。これではアスファラ山脈が総本山そうほんざんにされかねません。


 しかし、それまで王国に紛れていた教団の木っ端団員と魔女及びその近衛このえ団員では危険度が違います。まともに魔術への対策がとれないエルダランドにとってはさらに問題は大きくなります。


 王様は頭を抱えてなやみ、紺色将軍ことアイザード王子もさすがにうかつな手出しを行えません。まずは情報を集めて、慎重に対応する必要があるとだれもが言いました。


 ……そうした頃。


 悪い魔女のうわさに震えるエルダランドの国民たちは6年前の奇跡を思い起こしておりました。


 しかし、この6年の間に新たな奇跡はありません。目立つのはアイザード将軍ばかりで、その弟である王子――リッキー=ヴェイガードはまるで活躍を残していません。


 お城にこもって姿を見せていないわけではありませんでした。むしろ日頃城下の街へと姿を見せ、兄のアイザードよりも国民が姿を目にする機会はあったと思われます。


 ところが成長したリッキーはこの頃、勇者などではなく「遊び人」として名を知られています。勉強も修行もそこそこにして、街へと繰り出す日々が続いていました。



 リッキー王子はなぜ、そのようなことになってしまったのでしょうか――――。





――Chapter3「なにかしたい王子(前編)」――




 エルダランドでは仕事の合間に酒を飲むのは自然なことであり、なんなら仕事中に飲んだってかまわないという人も多くありました。もちろん、酔っぱらって仕事にならなければ相応に叱られるでしょうが……叱る側が酔っぱらっている場合もよくあります。


 このような環境ですので、エルダランドの酒場は昼間から盛り上がっております。笑い声がひびき、歌がかなでられ、拍手はくしゅをしておどりさわぎます。


「ハイ・ハイ・ハイ・ハイ、石掘ってぇ~~酒飲んで♪ 土掘ってぇ~~酒飲んで♪ ここは酒場か仕事場か?? わかんねぇな、かまねぇからおどっちまえ♪ 酒はオレたち一番のともだち、一番の仲間なのさ♪」


 にぎやかに歌われているこれは鉱山の重労働をまぎらわすために作られた歌です。今ではエルダランド定番の酒飲み音頭おんどとなっていますが、内容は錯乱さくらんした現実逃避そのものであり、いかに過去の労働がきびしかったかがうかがえます。


 そうした歌に合わせて人々は酒場のホールでおどります。昼間は日中のピュアホールでも女性客や店員が多くあって、男女かまわずおどって楽しんでいました。


 笑い声ややじが飛び交い、実に楽しそうな酒場。お城からはなれたある酒場の喧騒けんそうを聴きながら、ボ~~っとして酒の染みたテーブルにアゴを乗せている青年があります。


「・・・・・はぁぁ。・・・・・ふぅぅ。」


 ため息ばかり。あんまり元気がない様子の青年は年齢にしてまだ15歳の少年であり、ガッチリとした体格を丸めてすっかりおとなしくしておりました。


 それはリッキーです。エルダランドの王子様はあまり立派ではないよそおいで酒場のすみっこに座っておりました。


 うつろな目でにぎやかな酒場の光景を眺めているリッキー少年。昨日にあれほどさわいでゲームにきょうじていた男が、日をまたいで反転したかのように元気がありません。


 彼はすっかり遅くに帰った昨日の夜に王様から色々と言われました。やれ「王子としての自覚がたりない」とか、やれ「このようになるとは思わなかった」とか、やれ「教育係としての責任まで言いたくはないが……」など。


 自分のことだけではなく、教育者である執事のパンジャルまで怒られたのが効いているようです。当のパンジャルは「申し訳ございません」の一点張りで、毅然きぜんとしたまま王様に謝っていました。


 その後にリッキーはパンジャルに「ごめん」と言いましたが、彼は「いつものことです、お互いなれたものでしょう?」とあんまり気にしていません。自分の行いで叱られることになれてしまったという彼の言葉には、それ以上なにも言えません。


 たしかにこれまでそうして王様に叱られることは何度も何度もありました。しかしパンジャルはそういう時はなにも王子を責めようとしません。追撃で叱りもしません。


 どうにも彼は王子のふるまいを注意はするものの、本当に強くそれを正そうという意思がないようでした。王様や王妃様に気をつかって、王子の度を越えた行いにはしっかり注意をしますが……あくまで小言でつつくのみです。


 昨夜のように深く踏み入って話したことはこれまでなかったことです。だからこそ、リッキー少年にとっては王様に叱られたことよりそのことが気になっていました。


『あなたは“あえて”自分らしさを押し込めている――』


 そのように言われてリッキーはなにか反論はんろんをしていましたが、心の中では慌てていました。だれにも知られていないと思っていた心の中を、本当はとっくに知っていたと言われておどろいたのです。


 知っていて、彼はまきこまれてくれていました。執事のパンジャルはずっと、この6年間。わかっていて自分の行いを見守ってくれていたのだと、ウソに付き合ってくれていたのだと、そのことを知ってショックでした。


 自分でもすっかり、それが本当だと思い込んでいたウソなのに……。


「よぉよぉ、王子様よぉ……?」


 めずらしく静かなリッキーに、酒場の常連客の1人が声をかけました。酒のビンを片手にちびちびとそれを飲みながら、彼は心配そうな表情です。


「んぁぁ?? ……なんだ、ゲームなら今日はお休みさせてもらうよ」


「いや、そんなことより……なんか元気ないみたいだからさ。どうしたのかと思って……」


 アゴをテーブルにのせたまま、リッキーはアゴで支えた顔を傾けます。そして情けなく笑いながら視線を上げました。


「昨日、酒を浴びすぎたらしくってね、体調が悪いのさ。エルダランド人として情けない話だがなぁ……アッハハハ」


「へぇ、そいつぁめずらしいこともあるんだな。あんたてっきり、体調不良なんて無縁むえんなもんだと思っていたよ」


「……俺だってきっと人間さ。そりゃ、具合悪いってこともあるだろうよ……たぶん」


「ははは、なんだよその言い方は。自分のことなのによくわからないってのか?」


「フヘッヘヘヘ……なにぶん、奇跡な身体なもんでね☆」


 笑いながら言う王子の姿を見て、常連の男もニヤリと笑いました。


 常連の男は「昨日のことでパンジャルさんにこっぴどく叱られて、落ち込んでいるのかと思ったよ!」と冗談混じりに続けました。リッキーはその言葉にくちびるを曲げ、まゆを下げた表情で「そんなんはもう、なれたものさ」と返しました。


 そうしていると、突然。酒場のカウンター席あたりでさわぎが生じました。


「なんっだぁテメェ! 俺っちの仕事に文句があんのかよぉ!」


「ああん!? そうだよ、文句あんだよぉ! おめーの作る家具はすぐに壊れて困るんだって!!」


「なぁぁんだってぇ!? ふざけた言いがかりしやがって……そりゃおまえの使い方が悪いんだ、きっと!」


「ふざけてんのはどっちだ! この前も椅子がぶっ壊れてかぁちゃんが尻もち着いてんだよ! いっつもそうして叱られるのはおいらなんだから、てめーおいらに謝れ!!」


「ざっけんな!! いいがかりつけて俺の仕事にケチつけて……評判が落ちたらどうしてくれる!? おまえが訂正ていせいして謝れ、このこのこのぉッ!!」


「なんだとこのっ……!! てめやるんかオラッ!? このっ……んがぁ!!」


 ・・・どうやら客どうしが酔っぱらってケンカを始めたようです。聞く限りではどちらかに非があるように思えますが、聞く限りだけではハッキリ判断できません。


 まぁ、どちらが良いか悪いかなど関係ないのです。酒場の人々にとっては「おっ、勝つのはどっちだ!?」とそのことに関心があります。


 掴みあってもぞもぞと戦い始めた2人の男たち。その様子を観戦しながら、酒場の人々はヤジを飛ばしてみたり、金をテーブルに置いて賭け事にしてみたりと……好き勝手にし始めます。


 止めようとする人もありますが笑い半分で本気ではありません。そうして半端に止めようとしてはじきとばされて、そのことに怒ってケンカはさらに複雑なものとなりました。


 酒場の隅っこでそうした光景を見ているリッキーもまた、別に止めようともせず。


「お~~っ、元気があるなぁ。がんばれがんばれ~~……ふぅぅ」


 などとだらけた姿勢で声援をおくるだけです。ここに兄のアイザード王子がいれば「何をしているかバカ者ども!!」と一喝いっかつして、ケンカの参加者全員を倒して捕まえてしまうでしょう。


 リッキーも無駄な暴力は良しとしませんが……こうした個人同士の争いに力を発揮しようとはしません。ケンカは当事者たちの問題だからとする価値観もありますが、そこに“ほめられてはいけない”という考えも理由としてあります。


「…………ダメだ」


 王子は呟きます。本当は立ち上がって「まぁまぁ」と行きたい想いが自分にあると、そのことが今日はやけに鮮明せんめいです。


 なにもしないことに、昨日までは平気でした。しかし、今は違っています。テーブルの下に隠された拳は硬く握られて、小さく震えていました。


 その拳はケンカをする彼らに対するものではありません。


 ケンカの一部始終を背にしながら、リッキーは酒を飲んでアルコール臭い息を吐き出していました。


 強い身体は酒にも強く、びんで何本かビールを一気飲みしたくらいではまったく酔っぱらうことができません。だから彼の鋭い五感は背中越しにもケンカの様子を察知してしまいました。



 酒場のケンカは結局、5人くらいが巻き込まれてケガをすることになりました。重いケガをした人はありませんが、数日は安静にしたほうが良い状態の人はいます。 



 ケンカも収まって……酒場はいつもの単ににぎやかな雰囲気ふんいきにもどります。人々はガヤガヤとしながら酒と遊びを楽しんでいます。


 酒場の隅っこで1人酒を飲むリッキーは、酔えない身体にいらだちながらテーブルの上に並んでいく瓶を眺めてくちびるを曲げました。「ケッ!」と舌を鳴らして窓の外を見て、通りを行き交う人々の姿を眺めます。


「あの……ビール、もう1本……です」


 そこに弱々しい声がかかりました。リッキーが顔を上げると、そこには女性が1人、おずおずと少しおびえたようにしながらビールの瓶をもっています。


 どうやら店員の人らしく、顔にある丸くて大きなレンズのメガネが重みで少し下がってしまっています。


「おお、ありがとさん! そんで悪ぃんだけど……たぶんまたすぐ飲んじゃうから、あと5本くらいもってきてちょぉ~だいっ☆」


 リッキーはそれまでにあった不機嫌な表情をどっかにやって、さわやかな笑顔を向けました。丸いメガネの女性店員は「は、はいぃ……!」と半端な対応をして硬貨を受け取り、酒場の奥へと慌てて戻っていきます。


 リッキーは受け取った酒瓶をくるりと回して、ふたを親指で弾きました。手癖のようにそうしながら店の奥へと入っていく女性の姿を目線で追います。彼女はさわがしい客たちに背中で押されたり道をふさがれながら、落ち着かない様子です。


「……初めて見る顔のおねぇさんだな。新しい店員さんが入ったなんて、知らなかったぞ」


 空になった酒瓶を支えとして窓際によりかかるリッキー少年。ベンチの上で太い態度の少年は慌てながら注文を受けていた彼女の顔をぼう~っと思い浮かべました。


 かわいらしい――と、それが第一印象です。メガネのレンズが分厚くて輪郭りんかくがちょっとおかしく見えたりしますが……少し顔を下げた表情から素顔がとてもかわいらしかったなぁ~~と、そのようにリッキー少年は思っていました。


 一度に5本も頼んで悪かったな、重いだろうな……と自分からとりに行こうかと少年が腰を上げた時。


 店の奥から男の怒声どせいのようなものが聞こえてきました。


「オ~~イ、オイオイ、オイっ! 店主よコイツぁ一体どういうことなんだぁ!?」


 その男の声は大きな体格と大きなお腹を通すからか、よく店内にひびき渡ります。店のだれもがカウンター席の方を注目しました。リッキーもテーブルに膝をのせて「なんだ?」と状況を確認します。


「どうしましたか、マイリー坊ちゃま……なにかありましたか?」


 酒場のカウンター内で店主が姿勢を低く対応しています。そのカウンターに大きな手の平をのせて威圧している男はかつての赤トカゲほどではないにしろ、ずいぶんと立派な体格です。


 立派な体格の男は「どうしたもこうしたもあるかい!?」と一方的に怒ってカウンターを強く叩きました。


 そして太い指で店の奥を指さします。そこには、5本の酒瓶を前にして「どうしよう……」と困っている女性の姿があります。


 困っている女性は自分が指さされていることに気が付いて、さらにずり落ちたメガネも気にせず「えっ?」と顔を上げました。


 立派な体格の男が言います。


「おいおいおい、ここの店主は世間しらずかぁ~~!? テメェよりによってこんな時期に“魔女”をやとうなんざ……頭がおかしいんじゃねぇのかぁぁ~~!??」


 立派な体格の男は酒場の店主の頭を小突きました。白髪混じりの店主は「痛い、ごめんなさい!」と屈みこんでしまいます。


 そうした様子を見て、メガネの女性店員は顔をうつむかせました。胸元で手を組んで、メガネがずれたまま哀しそうにまゆを下げます。


 立派な体格の男はそんなことおかまいなしです。さらにうるさく声を張り上げました。


「なぁ、おい! おまえらも嫌だろうが!? こんな魔女なんか働く店、来たくねぇよなぁ!? 魔女が持ってきた酒なんてめるかよ! 魔女が触った瓶なんて汚くて触りたくもないよなぁ……なぁッ!!?」


 立派な体格の男がそのようにえると、客たちは顔を見合わせて「うんうん」とうなずいてみせました。中には「そうだそうだ、その通り!」と声を張り返す者もあります。


 客たちの反応に満足した立派な体格の男はズンズンとお腹をゆらして歩き、そしてメガネの女性店員に近よりました。


「おいっ、テメェ……どのつら下げてここにいるんだよ!! テメェら魔女がこの国に居場所なんてあるわけねぇだろ、さっさとうせろ!! ほら、例の山に住みこんだっていう親玉のところにでも行けよ、この悪人が!!!」


 大きな顔を近づけて男が罵声ばせいをあびせます。客の中には合わせて「そうだそうだ!」と声をあげる人もいました。そうでなくとも、店の客たちは苦笑いでだれも助けようとはしません。


 メガネの女性店員は立派な体格の男が言うように、確かに“魔女”です。彼女はこの街に生まれ育った魔女であり、近所の人などはとくによく知っていました。


 普通の両親から普通の家庭に生まれた育った彼女はそれでも魔女でした。人の死をだれよりも先に知り、瞳を光らせて魔力を吸い込む姿はほかの人からすれば不気味でした。治せないのかと医者にみせられたこともありましたが、それは無理なことで医者すら彼女を気味悪がりました。


 もともと、エルダランドには魔力を嫌う文化があります。魔力を「危険でよくわからないもの」として避ける傾向があります。


 そのことから、魔力を生まれつき引き付ける魔女は当然として「避けるべきもの」という認識がありました。


 魔女を殺してしまうような事件は起きていませんが……実質的に国を追い出された魔女は少なくありません。そうでなくとも、この国でらすには魔女であるという事実はとても重い足枷あしかせになってしまいます。


「おらっ、さっさと出てけって言ってんだよ! わざわざ掴ませるんじゃねぇよ!」


 立派な体格の男はメガネの女性店員の肩を掴んで店から追い出そうとします。「痛っ」と彼女が声を出しますがやっぱりだれも助けようとはしません。また、彼女自身もあきらめたような表情でなされるがままに無抵抗です。


 ただ……メガネのぶ厚いレンズ越しに、ゆがんだ彼女の輪郭を涙が流れて落ちます。抵抗はしなくても何も感じないわけではないのです。


 そして、その時でした。


 彼女の涙が床に落ちる時……「ダンッ!!」と、何かが強く叩かれた音が酒場にひびきました。


 店の天井近くをくるりと回る人影ひとかげが1つあります。機敏きびんな人影は立派な体格の男の目の前に降り立ちました。そしてすっくと立ち上がって真っすぐに男を見上げます。


「マイリー、おまえずいぶんとキゲンが良いなぁ……」


 人影の正体は――リッキー王子です。王子は立ち上がった勢いのままに、立派な体格の大きな腕を叩いてかち上げました。そして女性を手放した大男の胸倉を掴みます。


「おっ、王子? なにを……なっにっおっ、おおおおおおっ!?」


 まるで苦労もなく大男は持ち上げられます。足が完全に床を離れてバタバタとしますが持ち上げているリッキーは微動だにしません。


 リッキーの表情にはいつものようなふざけた笑顔はありません。真剣な眼差しで鋭くにらんでいます。


「なぁ、マイリー……調子にのりすぎだぜ? 見てて気分が悪いんだよ。無抵抗な人をよ、なにしてんだよ、なぁ??」


「わ゛、わ゛るがっだ……お゛、お゛ろじで……お゛ろじで、王子、しゃま……!」


 大男のマイリ―は呼吸を苦しそうにしながら涙を流し始めました。どんなに抵抗してもまるで効果がなく、圧倒的な力の差を感じて自分より小柄こがらな王子が巨大な怪物のように思えて恐くなったのです。


 持ち上げられて「ひぃひぃ!」と泣くマイリ―。その表情を見て、リッキーは「ハッ」としてため息を吐きました。そしてすんなりと彼を床に下ろして掴んていた手を離します。


「――――こんなことは俺だってしたくねぇんだ。でもよ、見てらんねぇんだよ。あの人が魔女だってそりゃそうなのかもしれないが……だからって、おまえみたいに乱暴にするのはさ……間違ってないか?」


 マイリ―の立派な体格に手を伸ばし、その肩に手を置きます。


「あの人がなにか悪さをしたのかよ? あの人が触った酒はなにかおかしくなるのか? それにほら、どこをどうみたら汚いって……さっき近くに来たけど、いい匂いだったぜ?」


 つらそうな表情でしかし、リッキー王子は視線を外しません。大男のマイリーはしょんぼりとした様子で「悪かった……その、つい……最近不安なことばかり聞くから……」とうなだれました。


 リッキーは「謝るなら俺にじゃないだろ、ほら!」とうながします。マイリーは大きな身体をすっかり縮めて「ごめん、つい感情的になってしまった……許してくれ」とメガネの女性店員に謝りました。


 少しほほを赤くしていた女性店員は「えっ!? あ、はい……いいんです、なれてますから」と両手を前に振って慌てています。


 そうした状況にあって……。


 酒場はすっかり静まりかえってしまいました。マイリーはもちろんのこと、客のだれもが目をふせて気まずそうです。女性店員も同じく気まずそうにしてうつむいています。


 リッキーは店内を見渡して苦笑いします。そして言いました。


「おまえらも反省したか? 好き勝手言ってただろう? ほら……ちゃんとおねぇさんに謝りなさいッッッ!!!」


 王子が叫ぶようにそう言うと、酒場の客たちが次々と「ごめん」「悪かった」「つい空気を読んでしまって」などと謝り始めました。


 そうして多勢に謝られて、女性店員はさらに慌てて「い、いいんですいいんです! そんなそんな、みなさんもういいですから……!」とズレたメガネを上げながら言います。しかし、上げてもメガネはすぐに下がるので同じ動作を彼女は繰り返していました。


 酒場の光景を見ていたリッキーは「しょぉがねぇなぁ」と言いながらズボンのポケットに手を突っ込みました。そして、わしづかみにした“もの”をかかげます。


「・・・・・ったく、辛気しんき臭くなっちまったぜ!! 悪ぃなおっちゃん、店の空気を悪くしちまった……だからよ? おい、みんな~~~、こっから酒代全部……俺の“おごり”だ!! 見ろ、この札束ッ――――今日は全部、使い切っちまえ!!」


 リッキーが取り出したものは分厚い札束でした。遠目にもかなりのがくだと解る札束を見て、酒場の客たちはなによりもそれに注目しました。


 そして「今日は飲み放題」と聞いて……一気に歓声がきます。


「やったぁ~~!! ありがとう王子、いいのかい!?」


「よっしゃぁ!! 酒が飲めるぞ、酒が飲めるぞ!!」


「小遣い気にせず飲む酒ほど美味いものはねぇ!!」


 酒場の客たちは大喜びです。さっそくに我先にと立ち上がり、それまでのことなどまるで忘れたように酒場のカウンターに押し寄せました。


 リッキーは「感謝するならおねぇさんにしろよ。彼女が許してくれたからおごるんだからな!」と、両手を広げてメガネの女性店員をアピールしました。


 客たちは言います「魔女のお嬢ちゃんありがとぉ~~!」と。そうしながら彼女にも酒の注文が次々と降りかかりました。魔女の店員は大慌てです。


「…………。」


「マイリー……まぁ、こんな大っぴらに言って悪かったな。でもよ、どうしても我慢がまんできなかったんだ……わかってくれ」


「……ううん。王子、俺もよくなかった。最近さ、母ちゃんが“永遠の老婆が怖い”って買い物もできないほど落ち込んじゃってさ。だから俺、苛立ってたんだよ。そんで魔女を見て、つい……」


「反省してんなら、それでいいさ。しかし俺も反省しないとな、他にやりかたもあっただろうに……やっちまったぜ、まったく」


 弱った熊のように座り込んでいるマイリーに言葉をかけ、王子は「やれやれ」と店の隅っこへと戻っていきます。そうして窓際のベンチに腰を下ろし、手にした酒瓶がすでに空だったことを思い出してため息を吐きました。


 そこに、慌てたようすの女性がガチャガチャとさわがしく近よってきます。


「遅くなってごめんなさい。あの、それと……さきほどはありがとうございました。あと、ご迷惑をかけてしまってごめんなさい、王子様……」


 ぺこぺこと頭を下げながら、メガネの魔女が袋に詰め込んだ5本の酒瓶をテーブルに並べました。


 リッキーは酒瓶の1つを手にしながら「謝ることなんてないだろう?」と不思議そうにして1本を飲みほします。


 メガネの魔女は言いました。「王子様に気をつかわせて、お金まで使わせて……だから本当にごめんなさい」――と。


 リッキーは返します。「俺が勝手にしただけだ。勝手に動いて、勝手におごってんだからいいんだよ」と空になった酒瓶を窓際に立てます。そうして少しだけまゆ毛を下げながら、笑って彼女を見ました。


「みんな魔女が魔女がってうるさいだろうけど……少なくともここの連中はそんな悪いやつはいねぇはずさ。マイリーだってだいぶ反省してるから、許してやってほしい。まぁ、アレはさすがにひどかったからすぐに許せないかもしれないけど」


 どこか弱々しく「へへへ」と笑うリッキー王子。その表情にある理由がわからず、メガネの魔女はよくみるとまだあどけない少年をじっと見ていました。


「あっ。そうだ、名前……お姉さん名前はなんてーの? これからもここで働くんでしょ? たぶんよく会うことになるだろうから……」


「えっ……私ですか? あの、私は……『リナリア』と申します。そんな、私なんかが王子様に名前を知ってもらえるなんて……夢みたい」


「あはははは、王子様ってそんなもんじゃないけどね。俺はこんな感じで……ただの遊びたがりなガキんちょだよ。まぁ、一応改めて……俺の名はリッキー=ヴェイガード! 今後ともよろしくね、リナリアおねぇさん☆」


 弱々しかった王子の表情は晴れ渡ってさやわかに。うれしそうな少年がふざけた敬礼をしたので、魔女のリナリアも真似をして「あはは」と笑いました。


 その日は王子の宣言通り……「ただ酒を飲めるんだ!」と、ハシャぐ客たちがいつも以上に酒場を盛り上げました。


 客たちはふざけて「魔女さん!」「魔女姉ちゃん!」などとリナリアを呼びました。魔女と言われてつらい思いしかしてこなかった彼女ですが……その日は困惑しつつも、つらい気持ちではありませんでした。


 そうしてさわがしい酒場の隅っこで……リッキー王子はすっかり陽が落ちた通りを見ていました。彼も途中途中でさわぎに参加してハシャイでいましたが、ちょくちょく店の隅っこに戻ってベンチに座り、なにか考えごとをしていたようです。


 多少いつもと様子が変わっている王子ですが、客たちはべろべろに酔っぱらっていてあんまり気にしませんでした。


 たまにからんで「もっと王子も飲めよ!」と催促さいそくするくらいです。その度に王子は「おっしゃ、かかってこい!」と酒瓶を次々手に取り、客を飲み負かして周囲の歓声を浴びていました。



 ――そして、今日も遅くなってしまいました。


 すっかり陽が落ちたエルダランドの城下。まださわいでいるであろう酒場を後にして、リッキーは夜道を歩きます。


 歩きながら……視線はずっと下向きです。酒場の喧騒けんそうがいまだ鼓膜こまくに残っているように声が聴こえていました。


 盛り上がっている酒場から、聴こえてきた客たちの話し声。その中に混じっていた「やっぱりリッキー王子は強いんだな」と関心する会話。魔女に対する考え方はともかくとして、少しすごんだだけで酒場のだれもが一目置いたあの空気……。


 酒場の人々は「リッキー王子」についての話題を酒のさかなとしていました。そうする内に、忘れかけていたであろうあの日の話も混じって聞こえました。


 あの日も自覚はありました。ですが、どうしてなのかという深い理解はありませんでした。


 今なら解ります。どうして自分は「受け取りたくない」と彼らの賞賛しょうさんを恐れたのか……。


 通りかかった民家から家族の会話が聴こえます。中で一緒に遊んでいるであろう兄弟の楽しそうな声がそこに混じっています。


 リッキーは石の橋を渡ります。その途中で夜空を見上げて、思い出しました。



 本当に昔の記憶……まだ自分が生まれて数日の時。見るもの全てが新鮮だった記憶の中にある、忘れられない表情……。


 自分を抱きかかえて微笑む彼の表情が……今ではまともに笑わなくなってしまった彼が優しく、うれしそうに自分を見ている光景が……。



 リッキーは度々に思い出して忘れることができません。


 たしかにそこに感じた“兄”のぬくもりが、今でもあきらめられないのです――――。




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