厄介ごとの予感
バスン、バスン、ガコン、スパンッ。
そんな音が体育館内に虚しく響き渡る。先ほどまでしみ込んでいた男たちの唸り声はすでになく、決して無音とは言えないが、それに近い何かを感じさせる雰囲気があった。
「七割も行ってないか」
そのような空間に歩夢はいた。黙々と、手元に集めたボールがなくなるまでシュートを打ち続ける。すべてなくなったら、周りに散らばった球をボールカゴの中に集めていった。
「……くっ、ずれた」
スリーポイントラインの外に出て、またシュートを打つ。これの繰り返しだった。
シュートフォームは日本人らしい、基本に忠実なもの。小さいころから教えられてきたものだ。正直歩夢にとって、シュートは入ればいいものなのだ。ただ、おかしなシュートフォームで入らなくなると疑心暗鬼になってしまうことがあるため、そのときに縋れるものがあるというのは好ましい状況だった。
「くっ、まただ……」
十五本のシュートを打ち終わると、ボールカゴの中身はゼロになっていた。放ったボールのうち、入ったシュートは十本にも満たない。いくらスリーポイントシュートといっても、杜撰な結果というしかなかった。
時計を見ると、もうすぐ七時を回ろうとしていた。この体育館についたのが十一時過ぎ。練習試合が終わったのが四時過ぎ。実に三時間も歩夢は練習していた。しかし、それは珍しいことではない。むしろ、よくあることだった。
特に、自分に責任のある敗北をしたときは。
「はあ……はあ……」
今日、こいつはいったい何本のシュートを打っただろう。何本のシュートを決め、何本のシュートを外したのだろう。ワタシは覚えていない。
「あそこで決めていれば……ッ。八十三本目だ」
ただ、この世界のワタシは、想像よりもしつこくねちっこく女々しい性格をしていた。俗にいう人に嫌われるタイプという奴だろうか。
「くそ……」
歩夢が地面にこぶしを打ち立てる。
八十三本。今日、のではないことは明白だった。これは、こいつが車いすバスケを初めてから今日までで、重要な場面でボールを託されてシュートを外した本数だ。歩夢は、それを明確に記憶していた。
ここまで記憶して、ここまで執拗になり、ここまで気にしている。夢の中のワタシは、かなりのセンチメンタリズムな性格をしていた。
「……はぁ、終わろう」
もうすぐで七時半にもなろうという時間、こいつはようやく帰宅を決めたようだ。正直、ワタシはつらかった。ネガティブな言葉を吐きながら打ち続ける歩夢を見ていると殴り飛ばしたくなってきたし、変わらない光景を見せられると死にたくもなった。
高校生かよ、そうとしか思えないくらいに彼は一心不乱にシュートを打っていた。それがたまらなくウザかった。だからこそ、ようやく終わるといってくれた時は泣き出しそうになってしまう。
そんな感傷に浸っているとき――、
「ああ、やっぱりここにいたんだね」
そいつはやってきた。
それも、先ほどの悪態を神が見ていたのか、ワタシにとってとてつもなく面倒くさい事案を引っ提げて、その女性は歩夢に会いに来たのだ。
「葉月さん、どうしてここに」
「もう、そんな他人行儀でどうしたの。むかしみたいに千和おねえちゃんってよんでもいいんだよ」
「やめてくださいよ。もうそんな年でもないですよ」
背中まで伸ばした亜麻色に染めている髪を揺らしながら、千和は体育館に入ってくる。髪の毛と一緒に、その発育の良い双丘も一緒に揺れていた。
「――ッ!」
それに気が付いた歩夢は、頬を赤らめて目をそらす。経験があまりないせいか、こいつはかなりの初心だった。
「どうしたの、明後日のほうなんか向いて」
「いや、何でもないですよ」
それも面白いことに、千和には見られている自覚がなかった。もしかしたら、歩夢しかいないせいで警戒心が薄れているのかもしれない。
「義足をはいてシュート打つなんて珍しいね」
千和はそばにたどり着いて早々、そんなことを歩夢に訊いた。いきなり話題がそれた気がするのは気のせいではないだろう。
「ジャンプしなければ似たような感覚ですからね。屈伸運動と屈側運動だけで打てば似たようなものですし。自分的には感覚は一緒だと――どうしました?」
彼女の質問に丁寧に答える歩夢だったが、途中でその言葉を詰まらせてしまう。何が起こったのかと彼らのほうを見てみると、彼の視線の先にはふくれっ面をした千和がいた。
「その、ですとか、ましたとか、気に食わない」
どうやら、歩夢の口調が固いのが気に食わないらしい。しかし、彼女の意に反して彼は苦言を呈した。
「いや、気に食わないといわれましても、一応年長者ですし」
「あたしは従弟だよ」
「親しき中にも礼儀ありです」
食い下がってくるのをどうにかして納得させようとする歩夢だったが、千和は彼が想定するよりも頭の回る人物だった。
「なら、あゆむちゃんは自分の親にも敬語で話すの」
「それは……はなさないと思いますけど」
「ほらね」
「でも――」
その機転で、千和は勝利をもぎ取ることができたように見える。だが、それによって失ったものも大きかった。
「実際に起こったことないんで分かりません」
冷たい汗がワタシの背中に流れた。たとえるなら何でもいい。彼女彼氏だった関係の男女の話題を本人の目の前でしてしまっただとか、中学校時代の黒歴史を見てしまったとか、例はそういうものでもよかった。
何かしらの闇に繋がる扉をノックしてしまったような――パンドラの箱を開けたかのような空気に包まれる。
「あ、その、……ごめん」
「いえ、今始まった話ではないので」
体育館が静寂に包まれる。歩夢が口を開くときに滑り落ちてしまったボールが、ドムドムと音を立てているにもかかわらず、静かだと感じた。
「あの――」
「わかりました。いや、わかったよ」
千和が先に口を開いた時、今朝と同じようにまた受動的な構えかと一瞬思った。だが今回は、少し出遅れる形にはなったものの夢の世界のワタシは自分から動いてくれた。
「確かに、ち……千和さんは従弟だし、フランクにするように頑張るから」
何かの引っ掛かりを振りほどくように、不器用ながらも歩夢はこの空気を良くしようとする。それを聞いた千和は唖然とした表情をするが、すぐに笑って見せた。
「……ふふ、おねえちゃんとは呼んでくれないのかな」
「それは勘弁して」
先ほどの空気を振り払うように二人して笑っていた。一瞬だけ見えていた歩夢の陰りも鳴りを潜め、上手く持ち直したみたいだった。
「でも、すごいよね。こんな遠くからシュートするんでしょ」
テンションが上がってきたのか、千和は見よう見まねでシュートを打つふりをする。もちろん、歩夢と違って彼女はジャンプしないという縛りはないため、その場で容赦なく飛び跳ねる。
「どうしたの、顔紅いよ」
先ほどと同じように目に毒の光景から歩夢が顔を背けていると、千和からそんなことを言われてしまう。さっきは、歩夢のもとに近づいてきていたため気づかなかったのだろうが、今回は違う。近い場所にいるため、歩夢が恥ずかしがっていることに気づかれてしまう。
どうしよう、と考えを巡らせている歩夢の姿が見て取れた。正直言って、初心すぎるお前が悪いとも思わなくもなかったが、しょうがない部分もあったのかも知れない。
それほどに、身近にいた人物を女性だと認知してしまうのは無力的な麻薬なのだ。
「き、気のせいだよ、さっきまで運動していたからね」
「そうかな~」
「うん、そうそう」
歩夢は気が付かなかった。その間延びした声からも、そこに浮かべた挑戦的な瞳からも、彼は読み取れなかった。ここにいる葉月千和の心に。
「そ、それよりも、今日はどんな用事で来たの」
苦しくなってきたので話題をそらそうとする歩夢。千和はそれを拒むようにして彼をいじめることもできただろう。しかし、彼女はやらなかった。それが優しさなのかもしれない。
「……ふふ。えっとね、あるお願いをしたくて」
「あるお願い?」
ここに来て、はじめてワタシに悪寒が走った。嫌な予感がする、そんな感じの虫の知らせが耳を撫でた。
「うん、そうなんだけどね。断りたかったら断ってもいいんだけど……。ほら、あゆむちゃんは一応個人勢ってことにはなるじゃない。マネージャーとかいないし」
「あー。まあ、そうなるのかな」
「それでね、あたしがメッセンジャーみたいなことを頼まれたんだけど、ある企業から。だからまあ、あたしが発案したことじゃないんだけど、あたしも関係してて――」
煮え切らない言葉を並べる千和。彼女の態度に、歩夢は頭の上に疑問符を浮かべているようだった。
「千和さんの頼みだったら、ある程度は聞くけど」
「そういってもらえるのは嬉しいんだけど、でも」
その状況を見かねて歩夢が助け船を出してあげたのだが、それでもなかなか言い切れない千和。そこまで言いにくいことなのかと思い、歩夢にもワタシにも不安が募ってくる。
そんな恐怖を抱えながら千和を見ていると、もう行っちゃおう……とワタシだからこそ気づけるような声でボソッとつぶやき、
「ある人とコラボしてほしいんだよね」
「こ、コラボっ!?」
彼女はそう口を開いた。それと同時に、スマホの画面を見せてくる。そこには、紫を基調とした髪に黒と水色のメッシュが所々入った女のことともに、胡蝶漣の文字が躍っていた。
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