人間の本質
――たすけて。
歩夢に届いた言葉。それは、面と向かって言われたわけでもなく、悲壮感なんて含めるわけでもないのにもかかわらず、憐憫に富んだ思いを醸し出していた。
これほどまでのものを、あまつさえ女性に向けられたなら、どうしても男は前向きに考えるだろう。
お人好しの歩夢なら、前向きとすら言わずすぐに助けに行くはずだった。
「結局流されてしまった」
しかしながら、今回は事情が異なる。
その甘ったるい考えはなんだと、こんな行動を繰り返す彼に対していつも悪態をつくワタシも、今回ばかりは口をつぐむしかなかった。原因の一端は自分にもあるということもあったが、一番は歩夢が乗り気ではないことが大きく作用していた。
こいつがここまで手を差し伸べないのも珍しいと思いながら、歩夢のあとを追いかける。
「ここでいいのかな」
たどり着いたのはある広場だった。公園というには遊具もなく、ボール遊びも禁止されていることが入り口の掲示板からわかる。何のためにあるかと聞かれれば、少し反応に困ってしまうようなところに歩夢は着いた。
ここである自信が彼にはあったのだが“もし”というのが怖くなったのだろう、スマホを取り出して確認している。そこには、胡蝶漣との個人チャットが映っていた。
――ここに来れますか。
その言葉とともに添付された画像には、確かにこの場所をさし示したピンが立っている。自分が間違っていないことを確認できた歩夢は安堵の息を吐いた。
「でも、この広場のどこに集まるか決めてないじゃん」
ここまで来て、自分たちが犯した落ち度に気が付いた歩夢。彼らは集合時間と集合場所は決めていたが、互いに譲歩しあって明確なものは決めていなかった。その日本人らしさのせいで、時間ならばまだしも場所を大雑把にしていたため、このような事態に発展していた。
さすがにこれはまずいと考えたのか、歩夢は彼女に連絡を入れようとする。慣れた手つきでスワイプ動作をして伝えたいことを紡いでいく中、漣から連絡が来た。
「お、おお。いいタイミングで……」
そこには、広場のどことは決めていなかったので東口の門前でどうですか、という旨が書き綴られていた。無駄な手間を踏んだといわれればそうである歩夢だったが、そのことはあまり気にしていなかったのか、スタスタと目的地に歩いていく。
東口が見えてくるにつれて、歩夢が少しずつワクワクしてきているのが分かった。少し不謹慎ではないかとも思ったが、ワタシもまた、自分の世界の住人こと胡蝶漣に会えるのを楽しみにしていたのでお互い様だった。
ワタシにとって、この世界で会話できること自体が少ないため、このような思いは許してほしいと思うところだ。
「まだ来ていないのかな」
そう呟く歩夢。ワタシもそれに合意した。
もし、この世界という夢を見ている漣がいれば、最低でもその後ろくらいに彼女の影が見えるだろう。しかしながら、この場にそれらしき人はいない。
「連絡しとくか」
少し子供っぽく、まだかなまだかなと思いながら待ちわびていると、歩夢がそんなことを言いながらスマホをいじっていた。つきましたよとでも連絡しているのだろう、そう考えたワタシは彼女からの返信にあまり気を留めなかった。
それゆえに、予想以上の衝撃が私を襲うことにある。
「……え……っと、アユム……さん…………です、か」
かすれそうになるくらいの声、聞き取るのも難であるその声にワタシは振り向く。歩夢とワタシのどちらを読んだものだろうか。たぶんだが、どっちもであろう。
「もしかして、胡蝶漣――さん?」
歩夢の口から出てきた言葉に驚愕する。そんなことないだろうとワタシは考え、彼に話しかけている女性に失礼だろと思っていた。
しかし、ワタシの考えとは裏腹に、その女性はこくりと頷いた。
「は……ぃ」
今にも消えそうなくらいの声しか発さない彼女こそが胡蝶漣ということらしい。どういうことだ、という考えが頭をめぐる。
周りを見渡していても、胡蝶漣らしき影はない。今まであってきたライバー達には、大なり小なり彼らが夢見たやつらがいた。しかし、目の前の女性にはそれが一切ない。そのことに衝撃を隠せなかった。
「えっと……」
ワタシが困り果てている中、歩夢もまた別の理由で困惑していた。声が聞こえないせいで、何といっているかわからないとのことだ。
だが、それを指摘するのは失礼だと彼も分かっている。どうしようかと歩夢が悩んでいるとき、漣がスマホを取り出した。何をしていると考えていると、二人の間に流れていた空白を繋ぐかのごとくスマホが鳴る。
はじめは見ていいものかと思っていた彼だったが、漣に促される視線を向けられていることに気が付き、それを手に取る。そこにあった通知は漣からのものだった。
「漣……さん?」
どういうことだと疑問に思っている歩夢に対して、彼女は顎をさし示してくる。言外に、見ろといっていた。
その態度に対して、歩夢が若干の不満すら感じていないといえばウソであったが、それでも渋々といった形でしたがうことにしたようだ。
〈こんな形で話すけどかんにんしてください〉
そんな謝罪から始まっていた。
〈うちはいまちょっと声が出なくて、それで助けてほしいと思いました。あんな別れ方をしたのに助けてとかふざけていると思うかもしれへんけど、いま頼れるのが歩夢さんしかいないんです〉
なんとも虫のいい話だと、ワタシは思う。歩夢の性格を考慮したとしても、断ってしまえと思っていた。
〈お願いします〉
ただ、その切実な言葉と目の前の女性の態度から、本当のことだろうと思っていた。歩夢もそうだった。彼女は、胡蝶漣は、本当に声が出ないのだろうと感じ取っていた。
「どのくらい出ないの」
「こ……の………――」
「いや、無理しなくてもいいよ。ごめんね」
一応確認しようとした歩夢だったが、苦虫を嚙み潰したように彼女がしているのを見てすぐに謝る。それに対して、そんなことないというようにブンブンを漣は首を振った。
「とりあえずどうしようか」
そう歩夢が聞くと、漣はすぐさまスマホをいじりだした。
数秒後、歩夢のスマホから通知音が鳴り響く。
〈落ち着いた場所に行きませんか〉
「わかったよ、喫茶店でいいかな」
その言葉に漣はゆっくりと頷いた。
公園を出ていく二人の背中を追いかけながら、ワタシはあることを考えていた。胡蝶漣のようなことがあるのだろうかということを。
ワタシたちにとって、この世界の自分はもう一人のワタシである。それとともに、歩夢にとってあの世界のワタシはもう一人の歩夢であった。だから、胡蝶漣にとってもそうだと考えていた。
しかし、その固定観念をあざ笑うかのような出来事が、いま目の前で起こっている。
ワタシが信じていたものが崩れ落ちていく瞬間だった。
自分が一体だれで目の前に見える彼がいったい誰なのか、ワタシは少しだけ怖くなってくる。
もしかしたら、ワタシはこの世界のゲームでよくあるNPCのような存在なのではないかとか、考え出したらキリがなかった。
ワタシには、ワタシがワタシとして、あの世界に存在している人だと信じるほかなかった。