ネーン・ネッチィ・4世にまつわること
ネーン家は、トコビト星に古くから住む名家であり、ネズミのコビト一族である。
ネーン家が名前を上げたのは2世の時代のことである。
その年、ネーン家の領地に大飢饉が起こった。2世は私財をなげうってまで領民の食料を確保した。
そのときの恩を領民はよく覚えている。2世の銅像が領地のそこかしこに作られていったのが、まさにその証明であろう。
次の3世は放蕩息子であった。2世の名誉に泥を塗りまくり、最終的に追放されてしまった。
ネーン・ネッチィ・4世は実は3世とは血が繋がっていない。3世が追放されてから、母親が女王になり、別の名家から迎えた旦那との間に生まれた子だった。
正式な血縁関係はないが、2世にとっては待望の初孫。それはそれはかわいがった。
しかし家来の中には心無い者もいて、あるときネーン・ネッチィ・4世はおじいちゃんと血がつながっていないことを知らされた。
それでもネーン・ネッチィ・4世はグレなかった。ただし、いたずら好きで高慢ちきな、ちょっと嫌な子になっていってしまった。
それでも両親、おじいちゃんからはとても愛されて育った。
このときの愛情がなければ、3世のように道を踏み外していたかもしれない。
とにかくネーン・ネッチィ・4世は少しくせはあるが、順調に領主としての器を備えていった。
あるとき、おじいちゃんが病に倒れた。ネーン家の男は例外なくその病にかかる。そしておじいちゃんはあっけなく逝ってしまった。
ネーン・ネッチィ・4世も両親も、とても悲しんだが、領主という責務があるため、なんとか持ちこたえることができた。
あるとき、領地にネコのコビト一家が移住してきた。
ネコのコビト一家、ニャン家はひっそりと、しかし、じわじわと人望を集めていった。そして謀反を起こした。
ネーン家が全く気が付かない巧妙なやり方で行われたその謀反は、またたく間に領地内に広がり、ついにはネーン家は領地を追われてしまった。
ニャン家がその後の実権を握ったかというとそうではない。
謀反を重く見たトコビト星協議会会長コビトじいちゃんから、喧嘩両成敗のお達しが出た。
協議会は、領主制が諸悪の根源だという結論を下し、その制度を撤廃した。
こうしてニャン家も、その土地を追われることになった。
さて、領地を追放されたネーン・ネッチィ・4世は、良い機会だと捉え、両親に別れを告げ、一人で暮らすことにした。
「わがはいは一人で生きていけるっチュ。自由気ままにいたずらでもしながらのんびり暮らすっチュよ」
そう言い残して両親の元を去った。
両親は、領主制撤廃に異を唱え続けていたが、実はネーン・ネッチィ・4世はそんなことに興味は無かった。
自らが仕掛けるいたずらで誰かを困らせたり、逆に誰かを喜ばせたり、そうやって生きていきたいと思っていた。
「さ〜て、これからどうしまっチュかね。そうだ、ニャン家の次男のニャンバールでもからかいに行くっチュ」
ネーン・ネッチィ・4世の足取りは軽かった。