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第五話 マスター小嶋

 私は、とっさに返事をすることができなかった。

 しばらくうつむいて、考えをまとめる。

「たしかにミステリっぽいですけど、トリックは簡単なような……」

「ほぉ……どのように?」

「灯りでおびき出された正太郎が、磯良に祟り殺されたんじゃないですか?」

「ずいぶんと非現実的な解釈をなさるのですね」

 わたしは困ってしまった。もちろん、幽霊なんていない。でも、これはただの昔話なのだから、しょうがないと思った。正太郎の姿が忽然と消えても、問題はない。霊界につれて行かれたとか、その場で喰い殺されたとか、いくらでも言い繕えそうだった。

「しかし、それではミステリではなくホラーです。卒論の概要とも一致しません」

 先生は概要の写しを指し示した。

「前半は、通説の引用に過ぎません。末尾の三行に集中してください」

 その箇所には「怨霊の祟りという解釈は、正太郎の部屋が二重の密室であったことを見過ごしている。本稿は、この点を批判して、『耳なし芳一』との異同を意識しつつ、二重の密室が内部から破られていく過程を説明する」と書かれていた。

「さきほどの遠坂さんの説明では、密室は一重ひとえです」

「たしかに『二重』って書いてありますね……でも、護符以外に密室を示すようなものはなかったと思います。なにか言葉のあやで、とくに意味はないんじゃないですか?」」

 正太郎の家には、お札がたくさん貼られていた。作中の記述を見る限り、磯良の怨霊が家に入れなかったのは、このお札のおかげだ。犯人が現場に立ち入れないタイプの、典型的な密室トリックになる。そして、ただ単にそれだけのように思えた。

 しかも、犯人は最初からわかりきっている。磯良だ。

「いわゆる、倒叙とうじょモノだと思います」

「犯人は最初から分かっている、と?」

 私は、そう確信した。でも、老師の雰囲気は不是ブシだった。

「概要には『倒叙』という言葉が、一度も出てきません。大神さんは、トリックの種類についてはきちんと言及しているので、倒叙ならば倒叙だと書くはずです」

 私は苦吟した。先生からうけとった概要を、念入りに黙読する。

「『密室が内部から破られていく過程』……この箇所が気になります」

「密室が内部から破壊されるトリックには、どのようなものがありますか?」

 わたしは、これまでの読書経験を活かして、できるかぎりのトリックをあげた。

「まず、自殺と病死です。犯人がいないパターン……それから、犯人が室内に隠れて、死体の発見後に脱出したパターン……あとは……ちょっと毛並みの変わったものなら、催眠術もあります。被害者がかってに事故死するオチです」

 まとめていえば、外部から殺害しないトリックだ。消去法になると思う。

「ほかには? 志怪ミステリですから、もっと自由に考えてみてください」

 そう言われても、見当がつかなかった。そもそも、志怪ミステリという概念は、伝統的な推理小説にはない。大神磯良さんのアイデアだ。中国語で、不思議なことを意味する。

「老師も非科学的な解釈をするんですね」

「おっと、これは一本取られましたか。たしかに、これは昔話です。幽霊などというものは、この世に存在しません。しかし、卒論の作者である大神さんの意図は、幽霊がいるかいないかではなく、上田うえだ秋成あきなりが隠したトリックを見つけることにあります。その点に注目した場合、犯人はだれになりますか? そして、殺害のトリックは?」

「……分かりません」

 私はギブアップした。

 答えを教えてくれるかと思いきや、老師はいきなり離席した。

「すこし休憩にしましょう。解釈に羽が生えて逃げるわけではありません」

 どうしたのかと思いきや、奥からお盆を持って戻ってきた。中国茶かな、という期待に反して、鼻をくすぐったのは珈琲コーヒーの香りだった。老師は小さな一脚台を持ち出し、そのうえにお盆を置いた。ほんとうに珈琲だった。

「中国茶かと思いました」

「おや、アイス珈琲はお嫌いですか?」

 しまった、お礼よりも先になにを言っているんだ、わたしは。

 あわてて謝る。

「とんでもないです。大好きです。ありがとうございます」

 お盆の木目もくめに、白い陶器皿がよく映えていた。

 わたしは手前のカップを受け取った。

「砂糖とミルクはあいにく切らしていますが、よろしかったですか」

「ブラックでかまいません」

 私はひとくち飲んで、その味にびっくりした。

「おいしい……なんていうブランドですか?」

「遠坂さんはやはり現実に興味が……」

「わかりました、詮索好きですみません」

 わたしはおとなしく珈琲を味わった。冷たくて、香りも芳醇だ。やや苦みが強い。

 とはいえ、ブランドくらい教えてくれてもいいと思った。ひどい。

 老師もひとくち飲むと、カップ皿をひざのうえに置いた。

「遠坂さんは、ミステリがお好きなのですか?」

「はい……ミステリしか読まないというか……」

 じっさいのところ、わたしは読書家ってわけじゃない。技術書を読むほうが好きだ。唯一読むジャンルが推理小説。江戸川乱歩やコナン・ドイルなどの古典から、最近の作家まで、だいだい目を通していた。

 これを朝茅あさがやくんに言ったら、ブンガクも読めばいいのにと言われてしまった。

 でも、そんなのわたしの勝手だし、ミステリだって立派なブンガクになりうると思う。この大神磯良さんの卒業論文は、国文科なのにミステリを扱っている。『雨月物語』がほんとうにミステリなら、の前提で。

「老師は、『吉備津の釜』がミステリだと思いますか?」

 わたしは、さっきされた質問をそのまま返した。

 老師はもういちど概要に目を通しつつ、

「そうですね……大神さんのお考えには、ひとかどの説得力があります」

 と答えた。わたしは眉をひそめる。

「もう推理ができてるんですか?」

「推察、というほうが正しいかもしれません」

 どうやら、また老師に先を越されたようだ。

 わたしは珈琲ののこりをすすりつつ、頭をひねる。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………なにも思い浮かばない。

 頭がこんがらがってきた。

「そういえば、老師、さっきわたしが絵を見てるって、なんでわかったんですか?」

 わたしはすこしばかり話を変えた。また断られるかも、と思っていたら、老師はこの話には乗ってきた。

「『詩経』の絵ですか? ……なぜだと思います?」

「老師ぃ、中国では質問を質問で返すんですか?」

「これは失礼。しかし、ミステリ好きの遠坂さんなら、自力で解けるのでは?」

「……じつは監視カメラがあるとか?」

メイヨウ……ちがいます」

 わたしはあれこれと回答を言ってみた。本の隙間から覗いていた。鏡を利用した。じつは本のうしろにいなかった。スマホで撮影していた。

 全部ハズレ。わたしはタメ息をつく。

「ギブアップです」

「では、宿題としましょう」

 いやぁ、この場で教えて欲しいなあ。大学の講義でも、持ち帰りの課題はあんまり人気がない。私生活の時間を圧迫するからだ。わたしはどちらかというと、講義中に終わったひとから帰っていいタイプの課題が好き。これって、わたしだけなのだろうか。

 けっきょく、珈琲の味ばかり楽しんでしまった。静かに目を閉じる。

 山のほうからひとつ、遠雷えんらいの音が聞こえた。


「失礼しますッ!」

 わたしは逃げ込むように文学部の図書室へかけこんだ。

 最悪。天気予報では、ずっと晴れだったのに。最近はゲリラ豪雨が多い。

 すこしばかり濡れてしまったわたしを、小嶋こじまさんはやさしく迎えてくれた。

「あらあら、通り雨にやられましたか」

「すみません、タオルありませんか?」

 小嶋さんは、職員テーブルからタオルをとりだしてくれた。

 わたしはお礼を言って受け取る。とりあえず髪をふいて──

 身だしなみを整えていると、読書室から朝茅あさがやくんが出てきた。

 これまたタイミングが悪い。

 朝茅くんは、わたしが濡れているのをみて、

「遠坂、折りたたみ持ってないのか?」

 と、気遣いもせずに質問から入った。

 ずいぶんとデリカシーのない男子だ。

「ふつうの傘を使ってこのありさまなの」

 老師は傘を借してくれた。

 さすがにそこで「濡れて帰りなさい」と言うほど冷淡な人間でなくて、助かった。

「どこか行ってたのか?」

「仙人のとこ」

「へぇ……遠坂、あの仙人にやたらとちょっかいかけてるな」

 マズいところに話題が飛んだ。あの卒論のことは黙っておく。

 そうこうしているうちに、小嶋さんはホットコーヒーを淹れてくれた。

 カフェインの取りすぎかな、と思ったけど、ありがたくもらっておく。

 小嶋さんは、朝茅くんにも珈琲をすすめた。

「ありがとうございます」

 小嶋さんもじぶんのカップに入れて、三人で休憩。

 小嶋さんはやっぱり老師のことが気になるらしく、

「わたしもなにか口実を作って、仙人シィェンレンに教えを乞いたいです」

 とつぶやいた。そ、それはどうなんだろう。

 ともかく、あんまり老師のことに話題がいって欲しくない。

 わたしは適当に話をそらした。

「小嶋さんは、なにか推理小説をお読みになりますか?」

「あ、読みます。江戸川乱歩がとくに好みです」

 これは奇遇だ。小嶋さんも、推しの小説の話題でうれしくなったらしく、「犯罪と云う怪物を相手にする時は自らが怪物と化さぬよう、気をつけねばならない。闇を覗こうとする時、闇もまた君を見ていると云う事を心に留めておきたまえ」と暗誦あんしょうした。乱歩の短編『屋根裏の散歩者』だ。わたしはすぐに気づいた。

「そうです、『屋根裏の散歩者』です。遠坂さんも、ほんとうに乱歩がお好きですね。この一節はおそらく、ニーチェの『怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』のパロディだと思われます」

 それは知らなかったと、わたしは感心した。

「小嶋さんも文学部出身なんですか?」

 わたしの質問に、小嶋さんは照れ笑い。

「じつは、この大学のOGなんです。心理学科でマスターまでは行ったんですけど、なんか才能ないというか向いてないというか……とにかく、なんか疲れてここの仕事を紹介してもらいました」

 となりで珈琲を飲んでいた朝茅くんは、わたしを横目でみながら、

「そういうひとの過去を尋ねるのって、どうなんだ」

 とつぶやいた。うるさい。わたしもこんな話が飛び出るとは思っていなかった。

 なんとか話を合わす。

「マスターってことは、修士論文をお書きになられたんですか?」

「はい。私の研究テーマは、文藝が人間社会に与える影響とその過程についてです。人間は、じぶんたちが思っている以上に、空想によって囚われている存在です。例えば、模倣犯……昭和五十九年に起きた、グリコ・森永事件をご存知ですか?」

 さすがに知らないと答えた。わたしが生まれるよりもまえの出来事だ。

「怪人二十一面相による大手食品会社恐喝事件です」

「怪人二十一面相? ……それって、江戸川乱歩の怪人二十面相のパロディですか?」

「ご明察です。怪人二十一面相を名乗る犯罪者があらわれて、模倣犯が大量に出た社会的な犯罪現象です。逮捕されたひとのなかには、小学生までいたんですよ」

「すごいですね……模倣犯なんて、なにが楽しいんですか?」

 小嶋さんは、まさにそこだ、という感じで先をつづけた。

「英語圏ではコピーキャットと呼ばれる現象です。一種の承認欲求ですね」

「あ、そこで心理学とつながるわけですね」

「はい。空想と現実の境界線は、わたしたちが思っているよりも、曖昧なんですよ」

 なんだか、いい話を聞いてしまった。

 こんど老師に「ここでは本以外の話は〜」と言われたら、「空想と現実の境界線は、わたしたちが思っているよりも、曖昧なんですよ」って切り返そう。

 わたしは小嶋さんが修士号持ちだと知って、さらにアドバイスを求めた。

「卒論の書き方について教えてもらえませんか?」

 小嶋さんは急に先輩然となって、わたしに卒論のアドバイスを始めた。

 まずは、過去の先行研究を調べてください、とのこと。

「前例があるとダメですもんね」

「あ、逆です。卒論なら新規性がなくても、ある程度は乗り切れます。発表会のとき『わたしはこの分野のしろうとですが、質問が〜』とか言ってくる大御所もいますが、単位認定とは無関係なので、てきとうにあしらって大丈夫です」

 これには朝茅くんがあきれて、

「小嶋さーん、そういう悪いこと吹き込むから教授に怒られるんですよ」

 とつっこみを入れた。こら、あなたは黙ってなさい。

 小嶋さんは自嘲気味に笑った。

「そうかもしれませんね……あッ」

 小嶋さんは壁の時計をみて、珈琲カップをおいた。

 書庫と読書室の鍵を閉めて、事務机のうえに放置されていた本の山をかかえた。

「すみません、おふたりに留守番をお願いできませんか? 総合図書館に本を運ばないといけないので」

 朝茅くんは、

「いいですよ。三十分ほど寝てます」

 と答えた。それはちょっとちがうんじゃないかなぁ。

 わたしは手伝いを申し出る。

「すこしください。わたしも運びます」

「いえいえ、これくらいなら平気です」

 と言いつつも、足もとがフラフラしていた。見ていて危なっかしい。

「ほんとに手伝いますから」

 わたしたちは本を均分して、受付室を出た。目的地は総合図書館だ。学科専用の図書室とは違い、一般書籍を集めた独立の建物になっている。エレベーターを降り、文学部棟を出て、目のまえに見える総ガラスの自動ドアをくぐった。

「あそこの返却カウンターへ持って行きましょう」

 だんだん手が疲れてきた。本って、思ったより重い。こんなことなら、パワーのある朝茅くんに任せて、わたしは留守番をしていたほうが、適材適所だったかもしれない。それとも朝茅くんはインドア派だから、そんなに体力ないかな。

 ふらふらとした足どりで到着したわたしは、カウンターのうえに本を置いた。受付のおばさんも、びっくりしたみたいで、「あら、小嶋さん、今日はずいぶんと多いのね」と、目を丸くしていた。

 小嶋さんは、ちょっとあきれぎみに笑った。

「昨日、サバティカルの先生が帰られたときに、まとめて置いて行かれて」

 おばさんは、学生アルバイトに頼んで、本を地下の書庫へ持って行かせた。図書館の係員は、なんだかひまそうに見える。どういう仕事なのだろう。今だってマウスひとつ動かさずに、本を運ばせただけだ。裏でいろいろとあるのでしょうけれど。

 総合図書館を出たところで、私は小嶋さんに尋ねてみた。

「さっきの本は、配置転換になったんですか? 国文科の本ですよね?」

「いえ、違いますよ。もともと総合図書館の本です」

「総合図書館の本が、なんで国文科の図書室に?」

「サバティカルの先生が、まちがって返却されたんです」

「サバティカルって、なんですか?」

「大学の教員は、生涯のあいだに一度か二度、年単位の研究休暇がとれるんです。昨日までアメリカから、日本文学の研究者がいらしてまして、返却場所がよく分かっていなかったんだと思います。帰国でお忙しい本人に持って行かせるのも、どうかな、と」

 小嶋さんは、図書室の入り口にサバティカルの先生の英語論文があると言い、一読を勧めてきた。わたしは遠慮しておく。

「五限があるので、生協によって行きます」

「大変助かりました。卒論、がんばってください」

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