第四話 誰のための化粧
真夏の昼下がり。暑さに参りかけていたわたしは、我輩堂に立ち寄った。
大きな桜の木は、涼しげな影をお店のまえに落としている。
その影のなかに、空っぽの籐椅子がたたずんでいた。
「……あれ、仙人いないんだ」
わたしは書店のなかをのぞく。
ランタンの灯りは消え、窓から差し込む七月の陽射しがまばゆかった。
時間が止まったかのような空間に、本が眠っている。
私はスッと深呼吸して、おもむろに声をかけた。
「老師、白峯大学の遠坂です」
返事はなかった。鍵もかけないで物騒だな、と思う。もっとも、この店から本を持ち出すひとはいないのかもしれない。それとも、古書だから高値がついたりするのだろうか。だとすれば、店番くらい雇えばいいのに。
「老師? いないんですか?」
私は敷居をまたいだ。夏場に似合わない、ひんやりとした空間。お店のなかは、心細くなるくらい静かだった。奥へ進むのが、はばかられるくらいに。
入り口のそばには、古めかしい小道具の山。そのうちのひとつが碁盤であることに、私は気づいた。老師の姿はない。きょろきょろしていると、壁に美しい絵がみえた。ひとりの女性が、不安そうな面持ちで髪を梳いている。衣装はくすんだ赤の着物で、そのデザインから中国画だと察しがついた。歴史映画で見たことがあったからだ。
その絵に惹きつけられたわたしは、余白の文字に気づいた。
豈無膏沐 誰適為容
……読めない。解読云々以前に、一文字目の読みがわからなかった。
「豈に膏沐すること無からんや、誰を適としてか容を為さん……『詩経』の衛風です」
突然の声音に、私はどきりとした。
でも、老師の声だとすぐにわかった。出どころだけが判然としない。
「いるならいるって言ってください」
「失礼しました。書き物をしているもので……椅子は碁盤のよこにあります」
「はぁ……」
わたしは間の抜けた返事をして、腰をおろした。竹で編まれたその椅子は、座りごこちがとてもよかった。それに、老師の居場所も分かった。本屋の左奥、おとなの背丈まで積まれた古書のむこうがわに違いない。ここからは見えないけれど、かすかに墨を擦る音がしていた。わたしは鞄をかかえて、神妙に待った。もういちど絵を鑑賞する。わたしが漢文と格闘していたことを、老師はどうやって知ったのだろう。鏡や隙間をさがしても、見当たらなかった。
そのうち筆をおく音がして、古書の横合いから、老師の顔がのぞいた。
「その絵に興味がありますか?」
「はい、綺麗ですね」
「ほぉ……美しい、と?」
すこし語彙力に問題があった。綺麗というよりは……そう、儚い。
「なんだか儚い感じがします。さっきの歌は、どういう意味ですか?」
「髪に油を塗ったり洗ったりしていますが、誰のために化粧をするのでしょうか……夫を戦場に見送った妻の歌です」
なるほど、それで儚げなのか。
愛するひとが、生きて帰って来ないかもしれない不安。
その感情が、絵師の手によって巧みに写し取られていた。
「ところで、老師は手紙でも書いてるんですか?」
意外と家計簿だったりして――さすがに墨では書かないか。
いや、老師だとありえるかも。竹簡に家計簿。否定できないところが怖い。
老師は立ち上がって、一枚の木板をわたしにみせた。
我輩堂
「必ずや名を正さんか……『論語』において、名前はとても大事なものと位置づけられています。つけられてしまったものは仕方がありませんので、看板にしました」
なんだかとても恐縮してしまう。
あれは夏目漱石の有名な一節をパロっただけなんだけど。
老師はそれを、お店の入り口にかかげた。そして、いつもの場所に籐椅子を持ち出し、そこに腰を下ろした。わたしも竹製の椅子を外へ持ち出す。蝉の声が、本屋の裏手の木から静かに聞こえてきた。
「えーと……お店の名前を採用していただき、ありがとうございます……」
「今日はなんのご用ですか?」
遊びに、というのが本音だけれど、本以外の話題はNGなので、すこしごまかす。
「大神磯良さんの卒論の続きを検討しに来ました」
老師は、ひらきかけた本を閉じた。
ほんと、物語に目が無いひとだ。反応が正直すぎる。
老師は黙って立ち上がると、店の奥から、鶴のクリアファイルを持ち出した。
そのなかに、あの卒論の写しが入っていた。
「遠坂さんは、ご自身のものをお持ちですね?」
「はい」
わたしもカバンから取り出す。
今回は、概要の第二章を解読したかった。
第二章では、「吉備津の釜」を論じる。この作品においては、ヒロインの磯良の描写が最小限に抑えられることにより、かえって「テキストの表現は彼女を存在感あふれる一個の女性に仕立てあげていくことになる」(田中・七頁)。この表現手法は、物語のクライマックスにも使われており、「それまで一貫していた正太郎の視点からの語りは、これ以降、彦六の視点に変更させられて」(同上・一〇頁)、より恐怖感を煽る演出になっている。以上のような分析は、不貞の夫(正太郎)が妻(磯良)に呪殺され、その現場を第三者(彦六)が客観的に報告するという、復讐譚を前提とする。しかし、怨霊の祟りという解釈は、正太郎の部屋が二重の密室であったことを見過ごしている。本稿は、この点を批判して、「耳なし芳一」との異同を意識しつつ、二重の密室が内部から破られていく過程を説明する。
「登場人物の名前が、卒業生の大神磯良さんと同じですね」
「彼女は、この名前に惹かれたのかもしれません」
わたしは、理由が単純過ぎるのではないかと尋ねた。
「本のあらすじに遠坂茉白という名前を見かけたら、手にとってみませんか?」
納得する。同名の登場人物がいたら、思わず手にとってしまう気がした。
「この『吉備津の釜』というのは、どういう物語ですか?」
老師は概要から視線をあげ、そっと閉じた。
「豈無膏沐、誰適為容……これは、夫に裏切られた女性の、復讐の物語です」
○
。
.
吉備国賀陽郡、庭妹の里に、井沢正太郎という怠け者の青年がおりました。曾祖父は播磨の国の出身で、守護大名の赤松満祐に仕えていたのですが、この赤松、足利義教を暗殺した廉で討伐され、井沢家もこの地に逃れて来たのでありました。それから三代にわたって、春に耕し、秋に刈り入れ、裕福な生活を送っていましたが、正太郎は農業を嫌い、酒色にふけるばかり。父母はこれを嘆いて、
「どうにか良家のお嬢さんをあてがって、身持ちを落ち着かせたいものだ」
などと、日々相談しておりました。すると、仲人を申し出る老人がいて、
「吉備津の宮の神主、香央造酒の娘は、たいそう美しく、親孝行で、歌を上手に詠み、琴の腕前も大したもの。香央家は、吉備鴨別命という『日本書紀』にも記された高名な氏族の末裔にございます。貴殿のお考えは、いかに」
と問いました。父親の庄太夫はよろこんで、
「よくぞおっしゃってくれました。この縁組みは息子にとって、このうえなくめでたい話です。しかしながら香央家は、この国きっての名家。それに比べて我が家は、ただの百姓に過ぎません。とても家柄が合いませんから、先方が承知なさらぬでしょう」
と答えました。仲人の老人は笑って、
「ご謙遜を。私が縁談をまとめて、祝いの歌をお聞かせします」
と言い、香央家へと足をはこびました。先方もこれを喜んで、その妻曰く、
「娘はもう十七になります。良い男に嫁がせたいものだと、朝な夕なに考え、おちおち心の休まる日もありませんでした。さっそく吉日を選んで、結納をおさめましょう」
と、ご歓心の様子。婚約が成立し、仲人は井沢家に返事をしました。
かくして結納をおさめ、吉日が選ばれたところで、香央家秘伝の御釜払いという占いがおこなわれることになりました。吉備津の宮に祀られた釜に、水をなみなみ注いで、火をかけながら巫女が祝詞をとなえます。すると湯が煮えたぎって、吉兆ならば、釜は牛の吠えるがごとく鳴り、凶兆ならば、釜は音ひとつ立てません。井沢家と香央家は、境内に集まってこの神事を執り行ったところ、神が嘉し給われなかったのでしょうか、秋の虫が草むらでこぼすほどの音も立てませんでした。
すわ、不吉な婚約かと、香央造酒はあやしみました。ところが彼の妻は、
「釜が鳴らなかったのは、祝部が身を清めなかったからでしょう。古くからの言い伝えによれば、『夫婦の縁をとりかわしたときは、相手が仇敵の家であっても、異国の人であっても、これを取りやめることはできない』とのこと。井沢家は由緒ある武士の家系ですから、いまさら断っても承知なさらないでしょうし、加えて、婿殿の美しい男ぶりを耳にした娘も、嫁入りの日を指折り数えて待っております。そのような悪い話を耳に入れたら、どのような無分別なことをしでかすか、分かったものではありません」
と夫をいさめました。かくして婚儀は成り、「鶴の千歳、亀の万まで」云々と、めでたく謡いはやされて、祝福されたのでありました。
こうして妻になった磯良は、朝早く起き、夜遅く寝て、いつも舅姑のそばを離れず、心をこめて仕えたので、井沢の老夫婦はその孝行と貞節を気にいり、また正太郎のほうでも彼女の真面目さをかわいく思い、仲よく暮らしておりました。
しかし、生まれついての浮気性だけは、どうにもならないものです。正太郎は磯良のことにだんだんと飽きてきて、鞆の津で遊女をしていた袖という女と、深く馴染みあう仲になりました。とうとう金を払って身請けし、別宅を構えて、まったく家に帰らないありさま。磯良の両親は怒って、正太郎を叱りつけましたが、相手はうわの空と言った様子で、何ヶ月も家に戻って来ません。舅の香央造酒は娘を案じて、正太郎を自宅の一室に閉じこめてしまいました。
磯良は正太郎が監禁されたことを悲しんで、身の回りの世話に心を砕き、愛人の袖が生活に窮しないようにと、両親に内緒で物を届けなどしました。これを見た正太郎は、舅がいないところを見計らって、
「おまえの操を知って、今は自分のおこないを悔やむばかりだ。袖という女とは、きっぱり別れようと思う。ただ、あの娘を故郷へ帰して、勤め先を紹介してやりたい。そうしないと、彼女はまた遊女として暮らすほかあるまい。ひとつ都へ行って、身分のいいひとに奉公させたいと思うのだが、旅費を工面してもらえないか」
と頼みこみ、磯良が衣服などを売ってこれを用意すると、正太郎は家をぬけだして、袖をつれたまま都へ駆け落ちしてしまいました。磯良はこれを嘆き、ついに重たい病気にかかって、寝たきりになる始末。命もおぼつかないほどでございました。
故郷を捨てて都に出ようとした正太郎は、道中、袖の故郷である播磨国、印南郡荒井という里に立ちよりました。そこには袖の従弟、彦六という男が住んでいたのです。
彦六は、先のようなことがあったとは露知らず、正式な夫婦であろうと思いこんで、ふたりを温かく迎え入れました。
「都に人は多いですが、皆頼り甲斐があるというわけではありません。いっそのこと、ここに住んではいかがでしょうか、義兄と一緒ならば、生活も楽になりましょう」
彦六の頼もしい言葉に、正太郎も同意して、この地に住みつきました。
ところが、住み始めて間もなく、袖が病気になりました。はじめは風邪心地という程度だったのですが、次第に苦しみ始め、奇行が増し、まるで物の怪にでも取り憑かれたかのようです。正太郎は気味が悪くなって、
「生霊に憑かれたのではあるまいか。故郷に捨て去った人が、まさか……」
などと口走ったのを、彦六は聞き逃さず、あれこれ問いただし、正太郎が妻を捨てて駆け落ちしたことを知りました。これには彦六もあきれるばかりでしたが、彼は怨霊のたぐいを信じておらず、いわんや生霊などいるはずもないと考えて、
「そんなことはありません。流行病でしょう。この症状は、私もよく見知っています。解熱さえすれば、夢から醒めたようによくなりますよ」
と、正太郎を安心させました。
袖が亡くなったのは、それから七日後のことでした。正太郎のとり乱しかたは尋常でなく、自分もあとを追って死ぬなどと狂わんばかり。彦六はいろいろと言いくるめて、ようやく遺体を火葬にふすことができました。遺骨を拾い、土塚を築いてそこに埋め、卒塔婆を立てたあと、僧に頼んで手厚く菩提を弔ってもらいました。
ひとりになった正太郎は、地に伏して冥府の人を想いました。されども、招魂の術が手に入るわけもなし、空をふり仰いで故郷を思えば、冥府よりも遥かに思われ、まえに進む手だてはなく、あとに帰る道もなく、昼間は物思いに沈んで、夕方になると墓参りをする毎日。塚には雑草が生い茂り、そこから聞こえてくる虫の音が、なんと物悲しいことでございましょう。このようなわびしさを身に沁みて感じているのは、この世でも自分一人であるに違いないと、思いあがった感慨に耽りしとき、ふと袖の塚のそばに、真新しい卒塔婆があるのを見ました。そして、世にも悲しげな様子で花をたむけ、水をそそぐ女がいることに気づいたのです。正太郎は、思わず声をかけました。
「ご愁傷さまです。まだお若いのに、このような荒れ野を往来なさって」
女は答えず、青く痩せた手を合わせ、卒塔婆にこうべを垂れて、その長い髪の秋風になびくさまは、枯れ果てたすすきがそよぐよう。なにやら心細くすらありました。
「私も愛しい妻を亡くしたばかり。おたがいに同じ悲しみなどを……」
「正太郎様とは、奇妙なところでお逢いするものでございます」
女が顔をあげ、こちらをまなざしたときの、その恐ろしさ。白く濁った瞳は、どこを見るやも分からず、真っ青な唇にたたえられた微笑みの、凍りつくような冷たさ。女が正太郎を求めて手を伸ばすや否や、彼は気を失ってしまいました。
目が覚めたとき、正太郎は荒れ野の三昧堂にいました。黒い仏像が一体、彼を見守るように佇むのみ。遠くの村里からは、犬の声が聞こえてまいります。正太郎は、その犬の咆哮を頼りに、家へ走り帰り、彦六に事の次第を告げました。彦六は、正太郎の気が触れたのではないかと危ぶみつつ、方便を使って、
「狐にでも騙されたのですよ。気の弱ったときは、迷わし神がとり憑くものです。義兄のようにひ弱なひとが、くよくよと悲しみに沈んではいけません。神仏に祈って、心を鎮めることにしましょう。刀田の里に、高名な陰陽師がいます。そこで禊ぎをしつつ、おまもりでもいただいてはいかがか」
と説き伏せ、正太郎を陰陽師のところへ連れて行きました。
美童のごとく若い陰陽師は、占いを立てて曰く、
「もはや事態は切迫しており、容易なことではありません。磯良という女は、先に袖の命を奪って、未だ恨みは尽きず。あなたの命も、今夜か明日か。彼女の死霊がこの世を去ったのは七日前。今日より四十二日のあいだ、戸をかたく閉じ、物忌みをしなければなりません。私の戒めを守るならば、九死に一生を得る望み、なきにしもあらず」
と厳かに言い渡して、筆をとり、正太郎の背中から指先、鼻面に至るまで隙間なく、古代文字のようなものを書き記しました。さらに、朱で書いた護符を授けました。
「この護符を戸口に貼って、ひとりで神に念じなさい」
と陰陽師は教えて、正太郎は恐怖に打ちひしがれつつ、それでいてありがたいご助力を得たことに感謝し、家に帰って護符を家中に貼り、物忌みを始めました。
その夜、静かな虫の音に耳を傾けていると、外の暗闇のなかから、
「ああ、憎らしい。ここへお札を貼りおって」
とつぶやくのが聞こえたきり、何ごとも起こりませんでした。しかし正太郎は、このひとことが恐ろしくて夜も眠れず、翌朝、隣室の彦六にむかって、壁越しにこれを告げました。それまでは疑っていた彦六も、ようやく陰陽師の予言を信じるに至り、これは一大事と、自分も徹夜をすることに決めました。
次の夜、三更、子の刻にいたって、松に吹きつける風は凄まじく、屋外の物は倒れ、雨さえ交じって、ただごとならぬ様子。四更、丑の刻になるに及んで突如、窓にさっと赤い光が射して、
「ああ、憎らしい。ここにもお札が貼ってある」
とうめく女の声。ふたりは総毛立って、気を失いました。
朝になれば前夜の恐怖を語り、暮れれば曙を待ちわびる日々を送り、今や千年の歳月が去ったかのごとし。磯良の死霊は家の周囲をめぐり始め、屋根の棟で叫び、その憤激は一夜ごとに増すばかり。
忍びに忍んで、ついに四十二日目の夜がやってきました。あと一夜、あと一夜ばかりの辛抱と、念いりに物忌みすれば、次第に明け方の空が白んでゆきます。彦六は隣室でうつらうつらとしながら、こたびの怪異について考えをめぐらせていました。思うに、磯良という女には会ったことがないけれども、義兄の話によれば、見目麗しく、歌と琴に巧み。親孝行で夫に尽くす有様は、桃源郷にも相応しい理想の妻である。そのような娘が十七にもなって、放蕩者の義兄に嫁ぐわけがあろうか。香央家は誠に由緒正しく、結婚の申し込みならば、いくらでもあったはずである。もしや、磯良になんらかの尋常ならざるところがあるのを、両親は薄々勘づいていたのではあるまいか。少なくとも、吉備津の釜が鳴らなかったにもかかわらず、婚約を取りやめなかった母親は、嫌疑をまぬがれまい。『蜻蛉日記』を書いた藤原道綱母は、夫の愛人の子が死んだと聞いたとき、大喜びで喝采したと言う。非道のふるまいであるが、人情としてはむしろ自然に違いない――云々。
「彦六、彦六」
突如、名を呼ばれて、彦六は我に返りました。
「なんでしょうか?」
「物忌みが、ようやく終わったよ。四十二日のあいだ、おたがいに顔も見せていない。懐かしさもあるし、これまでの苦しさや恐ろしさを話し合って、気を晴らしたいのだ。目を覚まして欲しい。私も外へ出る」
と正太郎の声。
「ええ、もう安心です。こちらへいらしてください」
彦六が戸を開けようとした矢先、男の叫び声が耳をつんざき、彼は腰を抜かしました。
正太郎の身になにかあったかと、斧をひっさげておもてに飛び出してみれば、あたりはまだ暗く、月は中空にかかっておぼろげ。冷たい夜風を受けながら、彦六が正太郎の家をみやると、戸は開け放されたままで、彼の姿は見えません。部屋に駆けこめども、やはり見当たらず、おもてに出てみても、目立つ物はなにもなし。
不思議に感じて灯火をかかげると、開け放たれた戸の脇の壁に、生々しい血が一斗、地面にしたたっておりました。死体も骨もなく、目をこらしてみれば、軒の下になにかがぶらさがっているばかり。それが男の髷であることに気づいた彦六は、言葉もなく、ただただ、その場に立ち尽くしていたそうでございます。
○
。
.
蝉の声が聞こえた。私の意識は身震いして、我輩堂へと舞いもどる。
「遠坂さんは、これがミステリだと思いますか?」