酒虫
連休明けの昼下がり、わたしは我輩堂で中国茶をごちそうになっていた。茶壺を使った本格的な淹れ方をしてもらった。茶盤のうえに茶壺と茶杯をおき、大量のお湯を使って容器を温めながら淹れていく。茶壺からただよう香りと老師の仕草は、目でも鼻でもわたしを楽しませてくれた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
わたしは茶杯をひとつ受け取り、お礼を言ってから口をつけた。
ペットボトルで飲むお茶とは異なる味わいが、舌のうえにひろがる。
「フルーティな香りがしますね」
味だけでなく、香りも一風変わっていた。くだもののような甘い匂いがする。
老師もじぶんの茶杯に口をつけて、一服した。
「発酵がとても弱い茶葉です。六大茶類のなかでは、その色から白茶と呼ばれています」
老師の講釈を聴きながら、わたしはお茶の時間を満喫する。周囲の本たちも、静かにその香りを楽しんでいるかのようだ。天井からぶらさがったランタンは、窓からさしこむ陽光を受けて静かに揺れている。灯りはついていない。どことなく薄暗く、それでいて陰気な感じのしない我輩堂の空間。ゆっくりと流れる午後のひととき。心が安らぐ。
「ところで、今日は本のご用件とうかがいましたが」
老師はそう言って、鉄瓶にお湯を足した。
わたしは茶杯をテーブルにおいて、手帳をとりだした。
あの卒業論文「雨月物語にひそむ志怪ミステリ」について質問があった。
「この『志怪ミステリ』っていうのは、中国語かなにかですか?」
「いいえ、わたしは聞いたことがありません。大神さんの造語かと」
なるほど、どうりで調べても出ないわけだ。
老師が知らないなら、おそらく造語でまちがいないだろう。
それくらいの信頼が、老師にはあった。
「でも、『志怪』は中国語ですよね? ネットで調べたら出てきたんですけど?」
老師は「はい」と答えた。
「志怪の『志』は『記す』という意味で、奇怪なことを書き記したもの、という意味になります。『記事』の『記』と同義です。とりわけ雑駁なできごとをまとめたものに使われる漢字です」
「『志す』と書いて『記す』なんですか? 日本語だとない用法ですね」
「日本人も『三国志』というおなじみのタイトルで使っています」
老師に指摘されて、わたしは初めて気づいた。『三国志』って、三つの国のこころざしを描いたものかと思ったら、どうやらちがうようだ。三つの国の歴史。
わたしはお茶のおかわりをいただく。茶菓子もあって、それもつまませてもらった。胡麻団子をひとつ、口に入れるとまだ温かくて、外はさっくり、中はもちもちとした食感。こういうのを至福って言うんでしょうね。
「ところで、老師、中国の志怪……怪談には、例えばなにがあるんですか?」
老師はいくつか書名をあげつつ、
「筆頭にあがるのはやはり『聊斎志異』かと思います」
とつけくわえた。『聊斎志異』とは、科挙を受けながら合格できなくてあきらめた蒲松齢が長年にわたって収集した怪奇小説で、執筆は一七世紀ということだった。全一二巻、約五〇〇編の短編小説集になっているらしい。
「『志異』というのは、怪異について記す、という意味ですか?」
「左様です。『聊斎』は蒲松齢の号のようなものです」
「ゴウ?」
「松尾芭蕉のような異名です。芭蕉の本名は宗房で、芭蕉はペンネームです」
じぶんの国の話なのに、いろいろと知らないことが多い。
わたしはそれもメモにとりながら、老師にひとつ話を紹介して欲しいとお願いした。
「おや、遠坂さんも、お話に興味が出てきたのですか?」
「なんていうんでしょうか……機械学習を勉強していくうちに、研究対象についてはある程度調べておいたほうがいいかな、と思うようになったんです。そうしないと、データの収集に偏りが出たり、結果の解釈がおかしくなったりすることがあるので」
老師はこくりとうなずいて、茶杯をおいた。
「そうですね……では、有名な『酒虫』の話をひとつ」
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長山、今の山東省に、劉氏という大酒飲みの男がいました。ひとりで甕の酒を丸々飲み干してしまうほどの巨漢でした。家はたいそう裕福で、県城の近くに三〇〇畝もの美田を有していたので、酒に困るということはありませんでした。
ところが、ある日、ひとりのラマ僧がやって来て、こう言ったのです。
「あなたの体には奇病があります」
劉氏は心当たりがなかったので、
「いいえ、まったく」
と答えました。するとラマ僧は、
「あなたはいくらお酒を飲んでも、酔わないのではありませんか?」
と尋ねました。劉氏はそれが自慢だったので、
「おっしゃるとおりです」
と答えました。
「それは酒虫という虫が、あなたの体のなかに住み着いているからなのです」
ラマ僧の言葉に、劉氏はすっかりおどろいてしまいました。
いったいどうすれば、その虫を体から追い出せるのか尋ねたのです。
「簡単なことです」
劉氏は、なにか特効薬があるのかと思い、あれこれ薬の名前をあげました。
ところがラマ僧は、そのような薬はどれもいらないと答えて、治療法を教えました。
それがまたすこし変わっていて、次のようにおこなうのです。まず、日のよくあたる場所にうつぶせに寝て、手足を縛ってもらい、頭から五寸ほど離れたところに、うまそうな酒の容器をおきます。そしてそのまま、喉が乾くままに放っておくのです。
劉氏がこの方法を試してみると、どうにもこうにも目の前の酒が飲みたくなり、酒の香りが鼻をくすぐるたびに身悶えするほど飲酒欲が燃えあがりました。すると、急に喉がむずがゆくなってきて、なにかが口から吐き出され、酒のなかに落ちました。
劉氏は手足をほどいてもらい、器のなかをみると、長さ三寸ほどの真っ赤な肉のようなものが、器のなかを這いずり回っていました。それは見たことのない生き物で、口も眼もそなわっているではありませんか。
劉氏はほんとうにおどろいて、ラマ僧にお礼を言い、謝金を渡そうとしました。ところが、ラマ僧はこれを受け取らず、代わりにこの虫を引き取らせて欲しいと願い出ました。
「いったいなにに使うのですか?」
「これは酒の精です。甕に水を入れてこの虫をなかに入れてやると、たちどころに美酒ができあがるのです」
劉氏が試しにやらせてみたところ、ほんとうに美酒ができあがりました。
さて、劉氏はそれ以後、酒というものが大嫌いになりました。それと同時に、だんだんとやせ衰え、家も日ごとに貧しくなり、やがては飲み食いをすることでもきなくなってしまったそうです。
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老師は「以上です」と告げて、お茶っぱを交換し始めた。
その手際を観察しながら、わたしは今の話について考えをめぐらせた。
どうもわたしは、物語に現実的な意味を読み取ろうとしたくなる。
「……けっきょく、この話の作者は、なにが言いたかったんですか?」
老師は鉄瓶のお湯を茶器にかけながら、
「怪談になにか意味があると、そうお考えですか?」
と尋ね返した。
わたしは答えに窮してしまう。質問を質問で返すのはズルい気もした。
一方、怪談にリアリティを求めるわたしがおかしいのかもしれないとも思った。
「老師は、怪談を純粋にホラーとして楽しむタイプですか?」
「いえ、そうではありません。ただ、作者に言いたいことがあるか否かは別の話かと」
それはそうだ。読者がどう読むかと、作者がなにを言いたかったかは別問題だ。
わたしは一読者として、じぶんの解釈を述べてみた。
「酒虫は架空の生物ですけど、なにか昔のひとの臨床経験なのかな、と思います。体内の細菌が悪さをして、大酒飲みになってしまうことは、あるのかもしれないな、と。一七世紀には細菌なんて知られていませんから、『虫』と表現した可能性もありそうです」
老師はお茶を蒸らしながら、「なるほど」と言って、
「遠坂さんは、あくまでも医学的な解釈をなさるのですね」
とコメントした。お茶が出される。
わたしはそのお代わりをいただきつつ、今の老師の応答について考えた。
そっとくちびるを茶杯につけ、天井をみあげる。
窓から漏れ言った光が、天井でゆらゆらとおどっていた。
「……老師は、なにか解釈をお持ちですか?」
「わたしが、ですか? ……これは、そういう物語なのだと思います」
なんとも抽象的な返答だ。言いたいことは、なんとなくわかる。
怪談に科学性なんてないんだから、そういうものとして捉えなさい、ということだ。
けど、小説はでたらめな文字列じゃないし、文章の組み方は作者の裁量だ。作者の個性が文章に反映されないとしたら、そもそも作者の同定がなりたたない。じっさいには機械学習を使って作者の同定はできる。つまり、小説はデタラメな文字列じゃない。テキストが作者から独立しているというのは、極端な主張のように思われた。
老師も、わたしが答えに満足していないと察したらしく、
「むろん、昔からこの物語に注釈をつけようとしたひとはいます」
と言った。
わたしはどういう解釈があるのか教えて欲しいとお願いした。
「まず、『聊斎志異』そのものに注釈が二つ載っています。そのひとつによれば、人間の飲み食いの量は最初から決まっていて、前半生に暴飲暴食をした者は、後半生を粗食ですごさなければならない、というものです」
わたしは最初、意味のわからない解釈だと思った。
けど、これも医学的な解説であることに気づいた。
「つまり、不摂生は晩年に祟る、ということですか」
「それは、当時の解釈に対する遠坂さんの解釈、ということになりそうです。この注釈者が医学的な意図を持っていたのかどうかは、今となっては知りようがありません」
むずかしい。入れ子のように解釈が解釈を呼んでしまう。もちろん、一七世紀には人体の仕組みもよくわかっていなかったから、若い頃の暴飲暴食が不健康につながる理由も解明はされていなかったはずだ。でも、日常生活を観察していれば、アルコールの大量摂取が体に悪いことくらいはわかる。劉氏というひとは、お酒に酔わないと言っていた。けど、それと体調不良は話がべつだ。アルコールに強いひとのほうが、かえって肝硬変などになりやすいということを聞いたことがあった。
「もうひとつの解釈は、なんですか?」
「こちらは陰謀論めいた解釈で、酒虫は疫病ではなく幸福の印だった、というものです。ラマ僧はそのことを知っており、劉氏を騙してこれを横取りした、というわけです」
ちょっと込み入った解釈だな、と思った。
それに、酒の精がラッキーアイテムというのは、あんまりすっきりしない。
わたしは月餅のきれはしをつまんで食べる。これも甘くておいしい。
老師はお菓子に手をつけなかった。全部食べてもいいのだろうか。
でも、カロリーがすごいことになりそう。ちょっと控える。酒虫ならぬ甘虫。
「さて、遠坂さんは、ご自身の解釈が思い浮かびましたか?」
わたしはそう言われて、はたと困ってしまった。
「……なんとなく納得がいくのは、一番目の解釈です」
「不摂生にご用心、というわけですか」
老師の口調には、べつにひとを小馬鹿にしているところはなかった。
それはそれでひとつの解釈だと、そう言っているように思われた。
「ほかにだれか解釈をしていないんですか? ミステリっぽいものとか?」
「ミステリではありませんが、日本人でもこの物語に独自の解釈を加えたひとがいます」
「だれですか?」
「芥川龍之介です」
なんと、かなりの大物でびっくりした。
訊いてみると、芥川は「酒虫」という同じタイトルの短編を書いているらしい。
わたしはそのあらすじを尋ねた。
「あらすじは同じです。最後の解釈だけが異なります」
「その解釈というのは、なんですか?」
「酒は劉氏のアイデンティティだった、というものです」
これまた二番目の解釈より意味がわからなくて、わたしは解説を求めた。
老師は語った。ひとにはそれぞれ、個性というものがある。そして、個性には善いものもあれば悪いものもある。劉氏の場合は、たまたまそれがお酒だっただけだ。劉氏は「大酒飲み」という個性のもとに生きていた。それをラマ僧に渡してしまった劉氏は、もはや劉氏ではなくなり、べつの誰かになってしまったのだ、と。
ずいぶんむずかしい解釈だったけど、なんとなく理解はできた。
「機械学習でも、個々のテキストには特徴量があると言われています。人間もそうです。AIで故人を再現する、というのが最近流行ってますけど、あれもようするに、『個性』さえ取り出してしまえばそのひとを再現することは可能だ、ってことですよね」
わたしはじぶんで解説をしながら、理解が深まったような気がした。
他人に教えるかたちで整理してみるというのは、学習効果が高いのだ。
ただ、ひとつだけ気になることがあった。
「一七世紀の中国に、そういう考え方があったんですか?」
老師は手にしていた茶杯をおく。コトリと小気味よい音が鳴った。
「よいご質問です。答えは不是です。芥川の解釈は、あくまでも近代人の人間観です。彼の作品は、『聊斎志異』の直接的な解釈というよりも、近代風な翻案と呼ぶほうが正しいでしょう。近代化は、当時のアジア諸国にとって重大な問題でした」
歴史の講義になった。
これはこれでおもしろい。
わたしは月餅をもうひと切れもらってから、
「ところで、老師のアイデンティティってなんだと思いますか?」
と尋ねた。
老師は鉄瓶にお湯を足しながら、
「さあ……わたしは現実に興味がありませんので」
と答えた。
現実に興味がない……それが老師のアイデンティティってことかな。
老師がワイドショーの話とかしだしたら、イヤだもの。
ひとにはそれぞれ個性があり、それを失うと死んでしまうのだと、わたしは実感した。