第二話 毒虫
「卒業論文が呼ぶ怪異、ですか……」
昼下がりの歩道で、本屋の仙人は例の籐椅子に腰かけていた。わたしはそのとなりで、お客さん用の洋椅子に座り、昨日のできごとをつぶさに話し終えたところだった。
仙人は本をひらき、耳だけわたしのほうに傾けてくれている──と思いきや、その先の言葉はなかった。不思議ですね、とか、怖いお話ですね、とか、そんな感想すら漏れてこない。わたしはじれて、こちらから話しかけた。
「仙人は、どう思いますか?」
「わたしは仙人ではありません」
あたりまえすぎて、グゥの音も出ない返事だ。
やっぱり皮肉と受け取られているらしい。
「本名を教えてください」
「わたしの名前など、どうでもよろしいでしょう」
「じゃあ、お店の名前で呼びます。お店の名前は?」
「この店に名前などありません」
ウソでしょ。わたしは建物をみた──看板もなにもない。
しつこくたずねたけど、けっきょく教えてくれなかった。
わたしはいじわるな気持ちになって、
「それなら、日本語で老師さんって呼びますね。昼間から道ばたで本を読んでるなんて、まるでおじいさんみたいですから」
と告げた。これは即興のジョーク。わたしは大学で中国語を履修している。先生のことを老师と呼ぶくらいの知識はあった。仙人は日本語がペラペラだから、老師は日本語でお年寄りのニュアンスがあることも知っているだろう。
どういうふうに切り返すかな、と期待したけれど、
「どうぞ」
と、あっさり許容されてしまった――気まずい。絶対イヤがると思ったのに。
とはいえ、決まってしまったものはしかたがない。
「で、老師さんは、今回の事件についてどうお考えですか」
「……」
「あの……」
「ここでは本以外の話題はご遠慮ください。わたしは現実に興味がないのです」
なんて冷淡なんだろう。わたしは席を立ちかけた。
ところが、それよりも早く、老師は本を閉じた。
「と、申し上げたいところですが、『雨月物語』がテーマのミステリとあっては、わたしも興味を持たざるをえません」
わたしは目を白黒させる。どういう基準なのだろう。
いずれにせよ、関心を持ってくれたのは助かった。文学部には、昨日会ったばかりの小嶋さんと、あの憎たらしい朝茅しか知り合いがいないし、情報学科にはこの手の話をまともに聞いてくれそうなひとがいなかった。心理学科の友人に相談したら、カウンセリングを受けたほうがいいとまで言われた始末。
興味を持ってもらえるという、ただそれだけでありがたかった。
「大神磯良という女性の卒業論文の写しは、お持ちですか?」
「はい……本文はありませんが、表紙と概要と目次を二部ずつ写してきました」
わたしは、写しをバッグからとりだし、それを手渡した。
「『雨月物語』がミステリだという話は、わたしも初耳です」
老師はうっすらと微笑んだ。はじめてみる表情の変化だった。
そうなのだ。『雨月物語』に巻き込まれたわたしは、ネットでいろいろと調べてみた。まず、作者は上田秋成。一七三四年生まれで、一八〇九年没。江戸時代の男性だ。職業は多彩で、作家だけでなく、医者などもしていたらしい。『雨月物語』を発表したのは一七七六年だから、四十三歳のときになる。内容は怪異小説で、現代風に言えばホラー。短編集になっていて、全部で九話あった。
「なんとも不思議なお話です」
老師は卒論の写しに目を通しながら、そうつぶやいた。
わたしも、我が意を得たりと続けた。
「そうなんです。だれもいない部屋から声が聞こえるなんて……」
「遠坂さん、ここでは本以外の……」
「あ、すみません、『雨月物語』のほうですね。で、なにかわかりましたか?」
「……」
老師は黙って、卒業論文の概要を目で追っている。
コピー禁止だから、手書きでがんばって写した。
字が汚くないことを願う。
わたしは、自分用の写しを読んだ。
本稿の第一章では「仏法僧」を論じる。旅好きの隠居老人が高野山を詣でるこの話は、「主題があいまいで、率直に言って雨月物語中では、もっとも魅力に乏しい作品」と評され(土佐・四七頁)、「怪異出現は、怪談集の建前に無理に合わせたのではないかとさえ疑われる」(同・四八頁)とまで言われてきた。元田・二一頁は、「弘法大師の玉川の歌の考証的部分に、多くの筆がついやされていることが原因となって、とらえどころがなく、まとまりに欠けるなどとして、『雨月物語』のなかで不当に評価されてきた」と総括する。本稿は、高野山の密室性に着目しながら、「仏法僧」が和歌を中心とする優れた歴史ミステリであることを示す。
「第一章は『仏法僧』ですか……豊臣秀次にまつわる怪談です」
「日本の小説もご存知なんですか?」
「『雨月物語』には宋代以降の白話小説を下敷きにしたものが多く、いわゆるオマージュになっています。白話小説とは、口語で書かれた娯楽中心の作品です。『水滸伝』『三国志演義』『西遊記』『金瓶梅』の四大奇書もすべて白話小説です」
老師は、文学史にもくわしいようだった。話が早い。
「豊臣秀次って、豊臣秀吉の甥ですよね?」
「そうです。関白にまで昇りつめたのですが、なぜか秀吉に切腹を命じられてしまった戦国大名です。自害したときは、まだ二十八歳。彼の首は三条河原でさらし首に、家族も大勢殺されています。十歳に満たない子供たちも、みな処刑されました」
残酷すぎる。史実というのが洒落になっていない。
それにしても、日本史も完璧なのか。このひと、何者なんだろう。案外、中国のすごく有名な若手の研究者……なわけないか。こんなところで研究しているとは思えない。もしかして隠者? 雰囲気的にそっちのほうがありうるから困る。
「老師さんは、本の話なら乗っていただけるんですよね? 『仏法僧』が歴史ミステリだという理由を教えてください」
わたしがお願いすると、老師は流暢に「うらやすの国ひさしく」と語り出した。
わたしはあわてて、待ったをかけた。
「すみません……それってまさか原文ですか?」
「はい」
「老師さんの解釈だけでいいんですけど……」
「物語にご関心がないならば、お話はここでおしまいです」
わたしは観念した。けど、古文を耳で理解しろというのは、ムリがある。すくなくとも現代文で教えて欲しいとお願いした。
「では、わたしが即興で語りましょう」
老師は足を組み、おごそかに物語を紡ぎ始めた。
○
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西日に陰る細い細い山道を、ふたりの旅人がのぼっておりました。ひとりは剃髪で、その健脚を誇るかのごとく、すたすたと前をゆきます。そしてそのうしろに、ひとりの若者がだらだらと従っておりました。剃髪の男は、氏を拝志、名を夢然と云い、伊勢の相可、今で言う三重県多気町に住む隠居者。家業は早々に嫡男へとゆずって、千切れ雲を吹き払う風にそぞろ誘われながら、諸国漫遊の旅を楽しんでおりました。若者のほうは、夢然の末っ子、名は作之治。父の子とは思えぬほどかたくなな性格で、それを心配した夢然が、わざわざ京へ連れ立った次第。正月から一月、京都二条の別荘に逗留し、弥生末には吉野山の花見遊び。知り合いの寺に泊まって、今や帰らんとしたところで、高野山参りを思い立ったのでありました。
「作之治、作之治、ここが天の川というところだ。美しかろう」
「父上、そろそろもどらねば、日が暮れてしまいます」
「なになに、心配するな。わしらの足ならば、山を降りるのに、わけはない」
夢然は闊達に笑うと、どんどん山をのぼってゆきました。作之治は、おもしろくないやら疲れるやらで、黙ってあとを追うばかり。あれは壇場と夢然が言えば、はいはいとおざなりな返事をし、山際に沈む夕日のことのみを案じていました。
「父上、とうとう日が暮れてしまいました。夜道は危のうございます」
「安心せい。この先の霊廟で、最後にしよう。山寺に泊めてもらえばよい」
巡拝を終えたふたりは、立派な寺の戸を叩きました。
「もうしわけございません。一夜の宿をお貸しください」
出迎えに現れた僧は、ふたりの容貌を、しげしげと眺めました。
「この寺のどこかに、縁者のかたがいらっしゃるのでしょうか」
「いえいえ、縁者を訪ねたのではございません。ただの旅人でございます」
「お気の毒ですが、見知らぬ旅人をお泊めすることはできません。寺の掟では、ふもとまで降りていただくことになっております。そこで宿をおさがしください」
予期せぬ事態に、夢然親子は、あわてふためきました。彼らは幾度も頭をさげますが、旅人に宿を貸すことは禁じられていると、同じ答えがあるばかり。根負けした夢然は、悪態をつく気力もなく、路傍の石にへたへたと、腰を下ろしてしまいました。
こうなると、さすがに孝行心が湧いてきて、作之治は父を慰めました。
「日も暮れてしまい、足は痛み疲れていますから、ふもとへはもどれません。かくなるうえは、ここで野宿するほかありませんが、私はいっこうに構いません。ただ、ご老体の父上にはつらくないかと、そればかりが心配です」
作之治の気づかいに反して、夢然は笑顔をみせました。
「いやいや、こういう難儀に遭うのが、旅の醍醐味というものだ。今から無理して山を降りたところで、そこが安息の地というわけでもあるまい。明日の旅にも、さしさわりがあろう。高野山は日本第一の霊場。弘法大師の高徳は、語っても語り尽くせないほどに尊いものだ。よくよく考えてみれば、来世のことをお祈りするために、最初から徹夜を覚悟で詣でるべきであった。いい機会であるから、大師霊廟にお参りしよう」
これには作之治も、開いた口がふさがりません。さきほどの孝行心など、どこへやら。機嫌を損ねて、また気難しい青年にもどってしまいました。
そのような息子の憤懣などつゆ知らず、夢然は奥の院へと続く、大きな杉の木が立ち並ぶ道を選び、霊廟のまえにある灯籠堂の簀子縁にのぼりました。そこで静かに念仏を唱えていると、息子の作之治は、さすがに心細くなってまいります。西行法師が一夜の宿を求めて、遊女にすげなく断られる。そのような能の演目を思い出して、あの法師もまた、かような心境であったのだろうかと、つまらぬ空想にふけるのでありました。
あたりはずいぶんとひらけていて、見苦しい林なども視界になく、小石ひとつまでも掃き清められた聖域。寺院からも遠く離れ、僧たちの読経、鈴や錫を振る音も聞こえては来ません。道を横切って流れる川のせせらぎだけが、物悲しく耳へ届くばかり。
うつらうつらともせずに、夢然は息子に話しかけました。
「弘法大師の偉大な徳は、土石草木にいたるまで成仏させ、八百年以上経った今でも、ますます尊くなっていらっしゃる。この高野山は、大師が巡り歩かれた場所のなかでも第一の霊場。唐土へお渡りになったとき、その地において、『この三鈷が突き刺さった場所こそ、私の真言宗を広める神聖な土地である』と仰って三鈷をお投げになり、その三鈷がこの高野山にたどり着いたのである。御影堂の前に生えている三鈷の松は、道具が落ちたちょうどその場所を指しているとのことだ。さもあらん。この山の草木も石も水も、すべて霊気を帯びていると言って、さしつかえない」
などなど、蘊蓄を垂れる父親に、作之治は退屈するばかりでした。
半分聞き流していると、背後で「ブッパン、ブッパン」と、鳥が鳴きました。
「おや、これはめずらしい。あれは仏法僧という鳥だ。高野山に住んでいるとは聞いていたが、今夜この声を耳にしたのは、現世の罪が消え、来世で善行を為す兆候であろうか。仏法僧という鳥は、神聖で清らかな土地にしか住まないということだ」
夢然はそう言って、弘法大師の詠んだ漢詩をひとつ披露しました。
寒林独座草堂暁
三宝之声聞一鳥
一鳥有声人有心
性心雲水倶了々
作之治には漢学の素養もなく、父親の言葉がひとつとして飲み込めません。
「また、藤原光俊の古歌に、次のようなものがある。『松の尾の、峰静なる曙に、あふぎて聞けば、仏法僧啼く』とな。これは、松尾山が静かに明けていく曙のなかで、空を仰いで耳を澄ませていると、ブッパン、ブッパンと鳴く声が聞こえる、という意味だ。昔、松尾山の神様が、最福寺の延朗法師に仏法僧を贈ったという伝説があろう」
夢然は、この神秘的な鳥の声を聞けたことに感動し、俳句を作ることにしました。
「鳥の音も、秘密の山の、茂みかな」
「父上、それはどのような意味の歌ですか」
「これはな、仏法僧の声も、真言の秘密を持った高野山の深い夏の茂みと同様に、神秘の響きに満ち満ちている、という意味の歌だ」
夢然は林のほうへ、じっと耳を傾けます。あの仏法僧の鳴き声を、もういちど待っているのでしょう。作之治も同じく、耳を澄ませてみました。
すると、平伏を命じる、先払いの声が聞こえるではありませんか。
「父上、大名行列でしょうか」
「このような夜更けにか。いかに外様でも、そのようなことはなかろう」
さては狼藉者かと、親子は息を殺して、様子をうかがいました。すると、近くの川にかかっている板橋を荒々しく踏んで、若い侍がひとり、こちらに渡って来ました。
親子は身を隠そうとしましたが、あとの祭り。やすやすと見つかってしまいます。
「何者だ。殿下のおでましであるぞ。出て参れ」
ふたりは簀子縁からおりると、地べたにひれ伏しました。殿下と言えば、高貴なお方に違いありません。まもなく足音が聞こえてきて、大勢のお供のなかにひとり、沓の音も高く、烏帽子をかぶった貴人がいらっしゃいました。まず貴人が灯籠堂にあがって、それから武士たちが四、五人、彼の左右に座をしめました。
「まだ来ておらぬ者があるな」
貴人がそう言うと、従者たちは「間もなく、間もなく」と申しあげ、そしてその通り、立派な武士や剃髪の法師たちが到着し、貴人に一礼して、お堂にあがりました。
「常陸よ、どうして遅くなったのだ」
と貴人が尋ねれば、武士は油紙をひろげてみせました。
「白江、熊谷の両名が、殿下にお酒を用意致しましたので、拙者は肴の準備をしていた次第にございます」
貴人は機嫌を直して、酒宴が始まりました。従者のなかでもひときわ美しい、万作と呼ばれた少年が、酌を務めます。盛り上がってきたところで、紹巴という法師が呼び出されました。平べったい顔にくっきりとした目鼻の、大柄な男です。
貴人は、紹巴からいろいろと話をお聞きになり、彼の語り草がたいそう見事であったので、褒美を取らせました。
紹巴がうやうやしく礼を述べると、ひとりの武士が、さらにこう尋ねました。
「紹巴殿、この高野山は、弘法大師がおひらきなった場所で、土石草木のそれぞれに、霊の宿らないものはないという。しかるに、この地の玉川には毒が混ざっていて、その水を飲む人が命を落とすゆえ、大師はこれを嘆き、『わすれても、汲やしつらん、旅人の、高野の奥の、玉川の水』と詠んだそうではないか。なぜ大師は、川の水をすっかり涸らせてしまわなかったのだろう。あれだけの高徳の方なのだ。そのようなことは、いともたやすかろう。そなたは、どのようにお考えか」
紹巴は微笑みながら、こう答えました。
「この歌は『風雅集』に収められております。その詞書によれば、『高野山の奥の院へ続く道には、玉川という川があり、上流には毒を持つ虫が多いので、その水は飲んではならぬということを注意して、歌に詠んだ』とのこと。なるほど、詞書に従うならば、そうなのかもしれませぬ。されども、あなた様がお疑いになられたように、弘法大師は神通自在、目に見えない霊を駆使して、道のないところに道をひらき、堅固な岩を土のごとく掘り、災いをもたらす大蛇を封じ込め、怪鳥を手懐けたことは、いずれも世に広く知られているところでございます。すると、毒の川を涸らすことなど、朝飯前だと言わねばなりませぬ。かくして、先の詞書は、どうやら真実であるとは思えず。むしろ玉川の美しさを讃えた御歌ではありますまいか。その流れを見た旅人は、我を忘れて、思わず川の水を飲んでしまうのでございましょう。残念ながら後世に曲解されて、あのように愚かな詞書がこしらえられたのだと思われます」
この紹巴の解釈を、一同は大いに讃えました。彼らが祝杯を交わしていると、燈籠堂の裏手から「ブッパン、ブッパン」と、あの鳥の鳴き声が聞こえました。
貴人はこれを吉兆として、盃をお上げになられました。
「あの鳥の声も、長らく聞いていなかった。これにて我らの酒宴も、一段と引き立ったことであろう。連歌などしてみたい。紹巴、おぬしから始めて、一句詠んでみよ」
「わたくしから始める連歌には、殿下もお飽きになられたかと存じます。ここに旅人が隠れており、当世風の俳句を口ずさんでおりました。殿下にはめずらしいものと思われますので、彼らをお召しになってください。それを発句と致しましょう」
貴人はこの妙案を受けて、夢然たちを引き出すように命じました。夢然も作之治も、これは大変なことになったと思いつつ、震えながら貴人のまえに這い出ました。
さきほどの俳句を披露するように紹巴が命じると、夢然は恐れおののいて、
「なにを申しましたか、まったく覚えておりません。お許しください」
と平伏するばかり。
「秘密の山がどうのこうのと、申したではないか。殿下にお聞かせしろ」
「殿下とおおせられるのは、いかなる方でいらっしゃいますか。なぜこのような山奥で、酒宴をひらかれているのでございましょう。解せませぬ」
「殿下とおおせられるこのお方は、関白、豊臣秀次公ぞ。そばに侍るは、木村常陸介、雀部淡路、白江備後、熊谷大膳、粟野杢、日比野下野、山口少雲、丸毛不心、隆西入道、山本主殿、山田三十郎、不破万作。わしは連歌士の、紹巴法橋である」
貴人の名を知った夢然と作之治は、腰を抜かしました。今は江戸の世。豊臣秀次は、とうの昔に切腹して、この世の者ではありません。
「おまえたちは今宵、黄泉の国へお目通りをしたのだ。さあ、発句を詠め」
夢然は、おののき震えながら、ずだ袋より短冊を取り出して、字にならぬような字を書きつけました。亡者どもの顔を見ないように、下を向いて差し出します。
山本主殿と呼ばれた小姓が、これを受け取って読みあげました。
「鳥の音も、秘密の山の、茂みかな」
秀次はこれを聞いて、ふむと声を漏らし、
「なにやら小器用に作ったな。だれか、脇句をつけてみよ」
とお命じになられました。
山田三十郎が、すすっと膝をまえに出し、
「わたくしめが」
と答え、しばらく考えをめぐらせてから、次のように詠みました。
「芥子たき明す、みじか夜の床」
紹巴は「お見事」とうなずいて、秀次に向きなおりました。
「関白殿下、いかがでございましょうか」
「まんざら悪くもない」
と秀次は評して、また盃を回し始めました。
二度と朝がこないのではないか。作之治が不安になっていると、ふいに淡路守が、
「今や修羅の刻にございます。阿修羅どもが、お迎えに来る模様」
と一座に起立を申し立て、その場の面々、顔に血を注いだかのごとく、禍々しい亡者へと豹変したではありませんか。なかには刀を抜き、
「いざいざ、石田三成と増田長盛に、一泡吹かせてやろうぞ」
と勇み立つ者もあるほど。秀次は木村常陸介に向かって、
「つまらぬ奴らに、我が姿を見せてしまった。あの二人も修羅道へ連れてゆけ」
と命じました。もはやこれまでと、作之治は叫び声をあげました。
けれども、老臣たちが割って入り、
「このふたりは、まだ寿命の尽きぬ者ども。いつものような悪行はなりませぬ」
と諌め、姿は闇に溶け、その声もかすれて、夜空の彼方へ消えてゆきました。
親子はそのまま気を失い、しばらくは死んだようになっておりましたが、うっすらと明けかけた空の下で、つゆの冷たさに目を覚ました次第。あたりはまだ暗く、ふたりは南無大師遍照金剛と口ずさみながら朝日を待って、山際に陽の光を見るや否や、一目散に山を降りました。その後、体を休めた夢然が、ふと三条の橋を通り過ぎたとき、豊臣秀次の葬られた悪行塚を思い出して、その墓がある瑞泉寺のほうを見やると、「白昼だというのに、なにやらすさまじい気配を感じた」云々、京の人々に物語ったそうでございます。
○
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京の町並みは消え失せて、わたしの意識は現代へと連れ戻される。真昼の静けさと、懐かしい本の香り。遠くでひとつ、車のクラクションが鳴った。
「遠坂さんは、この話がミステリだと思いますか?」