碁鬼
蝉の声にまじって、パチパチとはずみのある音が聞こえる。
葉桜の下で涼んでいたわたしは、我輩堂の店内をのぞきこんだ。
背中を丸めた朝茅くんと、対照的に姿勢のよい老師が、碁盤を挟んで対峙していた。
朝茅くんは黒い石を手のなかで回して、次の一手を考えている。
わたしは囲碁を知らない。遊んだこともなかったし、ルールをおぼえようとしたこともなかった。わたしが遊ぶのは、スマホのパズルゲームくらいだ。それも、ただ単に解くのではなくて、プログラム言語はなにかとか、この動きはどういう物理計算をしているのかとか、そういうことのほうに興味があった。研究室の先輩も、機械学習にパズルゲームを取り入れているひとはいた。攻略の最適化をして、最短で解くのだ。
でも、目の前のふたりのどちらが優勢かは、雰囲気でだいたいわかった。
案の定、数手して朝茅くんが投了した。
「負けました」
「ありがとうございました」
ふたりともていねいにお辞儀をして終わり。
わたしは読んでいた技術書を閉じて、我輩堂に入った。小道具でつまずかないように気をつけつつ、碁盤の近くに歩み寄る。盤の上には、解読不能な白黒模様ができていた。
「おつかれさま……ちょっと休憩しませんか?」
お茶を飲みたいなあ、なんて思惑だったけど、朝茅くんに拒否されてしまった。
「仙人、もう一局」
まったく、すこしは察して欲しい。
と思いきや、老師のほうが機敏に反応して、
「ひとつお茶にいたしましょう」
と言ってくれた。
助かった。ちょっと喉が乾いていたのだ。
熱中症になるとよくない。わたしたちはテーブルに移動して、腰をおろす。
老師は店の奥から、冷やした中国茶を出してくれた。
わたしはお礼を言って、まずは香りを楽しむ。
「緑茶ですね」
「左様です」
わたしと老師のやりとりを聞きながら、朝茅くんはぐいぐい飲んで、
「たしかに緑茶の味だな」
とコメントした。
「朝茅くん、中国茶は香りから入るの。風情がない」
とわたしが指摘すると、朝茅くんはすこしめんどくさそうに、
「遠坂が風情とか言い出すと怖いんだよなあ」
とつぶやいた。失礼な。
「なにが怖いの?」
「遠坂はもうちょっと理系らしく『カテキンが多そうです』とかコメント欲しい」
意味がわからない。理系のイメージがざっくりしすぎだ。
そういうのは薬学科にでも言って欲しい。
「朝茅くんこそ、俳句のひとつでも読んだらどう? 国文学科なんでしょ?」
この仕返しに、朝茅くんはひるんだ。
「それは藝大の仕事だと思うぞ」
「だったら、カテキンも情報学科には関係ないでしょ」
わかったわかったと、朝茅くんは降参した。
「ところで老師、これを飲み終わったら、もう一局お願いします」
老師はかまわないと言いつつ、
「ただそのまえに、遠坂さんのご用件を済ませましょう」
と言って、茶杯をおいた。
そう、わたしは老師に訊きたいことがあった。我輩堂に到着したときにはすでに対局が始まっていたから、そとで待っていたのだ。邪魔にならないように。それにしても、老師がそのことに感づいたのは、あいかわらず目ざといな、と思った。
わたしは『聊斎志異』の日本語版をとりだしながら、
「中国人の老師からみて、『聊斎志異』を機械学習したらおもしろいと思いますか?」
とたずねた。
老師は、扇子で顔をそっとあおぎつつ、
「おもしろいか否かは、遠坂さん、あなたが決めることです」
と答えた。
うーん、無難にかわされた感じがする。
一方、朝茅くんはわたしのブンガク熱を意外に思ったのか、
「『聊斎志異』なんか読んでるのか?」
と、これまた余計なつっこみを入れてきた。
「朝茅くんこそ、文学部なら『聊斎志異』くらい読んでるんでしょ?」
ちょっとイジワルな質問だったかな。
朝茅くんは気まずそうな顔をした。読んでいない証拠だ。
「いや……まだ……仙人が遠坂に吹き込んだんですか?」
「こら、老師に失礼でしょ」
朝茅くんは詮索をやめた。
その代わり、文学部らしく、『聊斎志異』の中身をくわしく知りたがった。
老師は茶器をわきへかたづけながら、
「そうですね……ではこういうお話などはいかがでしょうか」
と言って、物語をはじめた。
○
。
.
揚州、今の江蘇省の総督であった梁公は、退官して郷里にもどり、好きな囲碁と酒を楽しみながら、悠々自適の暮らしをしていました。
九月九日、重陽の節句をむかえた梁公が、いつもどおり客人たちを相手に碁を打っていると、突然、そばに見知らぬ若い男が立っていて、熱心に勝負を見守っていることに気づきました。どうにも貧相な顔つきの男で、着ているものはボロ同然でしたが、雰囲気は穏やかで、どこかしら教養があるように思われました。梁公は、この青年がどこかの書生であり、碁が好きなので見物しているのだろうと思いました。
梁公が会釈をすると、書生はようやく腰をおろしました。しかし、ひどくへりくだったようすでしたので、梁公は碁盤をゆびさして、
「あなたもこれがお好きですか。どうです、一局打たれてみては」
と言いました。
書生は最初、強く辞退しておりましたが、ついに対局することになりました。
梁公は客人へ席をゆずり、こんどは観戦する立場になりました。
ボロをまとった男は、まず一局負け、もう一局打って負け、だんだんとやけくそになってきたようすで、酒をついであげても飲まず、むやみやたらと客をつかまえては、手洗いにも立たず打ち続けておりました。
さていよいよ日も暮れてきた頃、書生は突如立ち上がり、おどおどとしたあとで、梁公のまえに進み出て平伏しました。梁公はわけがわからず、
「どうしました。たかが碁ではありませんか」
と言って、わけを尋ねました。すると書生は、
「どうかあなたの馬丁に、わたしの首を縛らないように命じてください」
と答えました。
これまた要領を得なかったので、梁公は、
「馬丁とは、だれのことですか?」
とかさねて尋ねました。
「馬成でございます」
馬成というのは、梁公が雇っている馬丁のひとりで、十数日に一度、夢のなかで冥土へ行って、この世の寿命が尽きたひとを知ることができる男でした。しかし、目のまえの男とどういう間柄なのかはけっきょくわからず、梁公はとりあえず馬成のもとへ行ってみると、馬成はちょうど寝ているところでした。
「なにごとか!」
と梁公が一喝すると、馬成は目をさまし、あのボロの男は姿を消しました。
梁公が不思議に思って馬成に次第を尋ねると、彼はこう答えました。
「あの男は、湖北省襄陽のひとでした。碁にやみつきで、家産をくいつぶしてしまったあげく、とうとう実家に監禁されてしまったのです。ところが、彼の悪癖はなおらず、家を抜け出しては碁を打つというありさまで、なにを言っても聞かないので、お父さまは憤死なさいました。そこで冥土の閻魔王は、彼の親不孝を責めて、寿命を予定よりも縮め、餓鬼地獄に落としました。しかしながら、なにぶん酷な刑罰でしたので、閻魔王も慈悲をお見せになり、地獄に作る鳳楼の碑文に書く文章を地上から持ち帰れば、罪を赦すことになりました。ところが、あの男は文章を持ち帰りもせず、あなたさまのところで碁ばかり打っておりましたので、閻魔王もついにお怒りになり、わたくしめに対して、あの男に縄をかけてひっとらえてくるようにお命じになられたのです。わたくしはちょうど今から、それを果たそうとしているところでした」
梁公はおどろきを隠せず、
「して、あの男はけっきょくどうなるのだ?」
と尋ねました。
「閻魔王のご命令ですから、縄をかけないわけにはいきますまい」
梁公は嘆息した。
「ああ、道楽が身を滅ぼす。まさかこれほどとはッ!」
○
。
.
話を終えた老師は、パチリと白石を碁盤に置いた。
朝茅くんはちょっとイヤそうな顔をしつつ、
「今の話、わざわざこのシチュエーションでしますか?」
と、やや皮肉っぽく言った。
たしかに、囲碁を楽しんでいるときにする話ではなかったような気がする。
老師、けっこう空気が読めないタイプかな。
まずわたしから感想を述べた。
「怪談というより教訓めいた話ですね」
朝茅くんも同調する。
「べつに地獄がどうこうの部分、要らないですよね。碁が好きすぎて破産したとか、そういうオチでも伝わる内容だったと思います」
老師は「そうかもしれません」とだけ言って、白い石を回収し、朝茅くんに渡した。
対局再開の合図とみて、朝茅くんは黒石で初手を打った。
老師はすぐに打ち返し、ポンポンと手が進んだ。
しばらくして老師が打った手に、朝茅くんはうなった。
「老師、見かけによらず打ち手がめちゃくちゃキツいんですけど」
「わたしは読みどおりに打っているだけです」
「碁でも打ち方に性格は出ますよ」
どうだろう。わたしはこれを疑問に思った。
ついつい口をはさむ。
「それっておかしくない? たとえば囲碁のAIに性格なんてある?」
話が機械学習におよんで、朝茅くんはちょっとひるんだ。
「いや、囲碁AIとかは、よくわかんないけど……」
「でもすごい強いんでしょ? 人間じゃ勝てないらしいじゃない? そういうAIって、機械学習の過程では勝敗と確率を基準に学習するから、そこに個性なんてないと思う。人間でも、勝てるように打つなら合理的な思考が必要だし、個性は出ないんじゃない?」
朝茅くんは、
「だんだん遠坂らしくなってきた」
とコメントした。
「いや、わたしらしいとからしくないとかじゃないでしょ」
「そうか? 今の発言って、人間の打ち方とアプリの打ち方がおなじだって前提になってるよな? その時点で、遠坂の主観的な人間観になってると思うぞ」
むッ……けっこう合理的な反論をしてきた。
わたしも再反論する。
「じゃあ、人間の打ち方に個性的な差があるっていう有意なデータはあるの?」
「データって言われてもなぁ……例えばプロの棋譜をみるだろ。そしたら、『この棋譜はたぶんだれだれ先生のだ』っていうのは、なんとなくわかるぞ」
「そういうのはダメ。主観的に『当たった』っていう錯覚に陥ってるだけかもしれない」
人間は印象に左右される生き物だ。だから、じぶんの判断が当たったときのことをよくおぼえている。そういうバイアスの集大成が【占い】だ。占いというのは、次のようなバイアスを使う。まず、百人のお客さんが占い師のところに来る。てきとうに三割くらい当たりそうなことを言っておく。すると、でたらめでも三〇人分は当たる。次にこの三〇人がリピートしたときに、また三割くらい当たりそうな適当なことを言っておく。この繰り返しで、数人の信者を獲得することができるわけだ。
というわけで、朝茅くん読みだって勘違いかもしれない。
わたしがそのことを指摘すると、朝茅くんは、
「じゃあそれを遠坂の卒論にして調べてみてくれ」
と、身も蓋もない反論をしてきた。
ただ、ちょっとおもしろいな、とも思った。
「わたしも、癖が出ないっていうデータを持ってるわけじゃないから、なんとも言えないんだけど……ほんとうに癖が出るなら、人間はAIには勝てないかも。機械学習で人間の癖を読む機能を実装すれば、次の手の予測精度があがるから」
「まあ、勝ち負けが絶対ってわけじゃないもんな。囲碁のトップがAIに負けても、みんな囲碁は打ってる。もとはただの遊びなんだから、それでいい気がする。さっきの老師の話だって、書生は負けっぱなしだったじゃないか。あれだけ負けて地獄の用事を忘れるってのも、ある意味リアリティがあるよな。ギャンブラーが破滅するのも、負けが込んでもやめられないからだろ」
たしかに、朝茅くんの批評は正しいと思った。勝敗は、善悪とは関係がない。老師の話に出てきた青年が悪かったのは、碁に夢中になりすぎたからであって、碁が弱かったからではない。仮に青年が中国一の碁の達人でも、おなじように用事を忘れたら非難される余地があるだろう。閻魔王でなくても、道徳的な判断はできる。
ただ、ひとつだけ気になることがあった。書生は不幸だったのだろうか。地獄に落とされた云々というのは、そこのところを強調するためだったのかもしれない。好き放題に生きたひとを道徳的に非難することは簡単だ。でも、そのひとが不幸だったかどうかは、そのひとにしかわからない。書生を不幸にしているものは、地獄というじっさいには存在しない脅しの部分でしかなかった。
「朝茅くんも碁のやりすぎで破滅しないようにね」
わたしの忠告に、朝茅くんは、
「べつにこれは賭けてない」
と答えた。
「今日、四限の講義があるんじゃなかった? しかも単位ギリギリの?」
「……」
朝茅くんの悲鳴が聞こえたのは、それから数秒後のことだった。




