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第一〇話 死生、命あり

 わたしたちは雨の中、傘をさして我輩堂へとむかった。

 濡れ石をまたいで、店内へ入る。

「こんにちは」

 傘をとじて、入り口に立てかけた。奥から返事がある。

「そろそろいらっしゃる頃合いかと」

 珈琲の香り。老師は、ちょうどおやつタイムのようだった。

 わたしは、スイーツをおごってもらうためにメンバーを集めて来たことを告げた。

「座ってお待ちください」

 曲線を残す木製のテーブルに腰をおろした。これが一番大きかったからだ。しばらく雑談をしていると、老師がお盆を持ってあらわれた。珈琲とスイーツが乗っている。三角錐の透明な寒天が、赤紫と水色に染められて、ふたつの小さなボンボンをかたちづくっている。はじめて見たお菓子だった。カラフルで綺麗だ。

「これは、なんですか? ゼリー?」

 老師は珈琲をカップに注ぎながら、わたしの質問に答える。

「秋から冬にかけての梅雨模様つゆもようを、さざんか梅雨づゆと言います。その情景を写したお菓子です。そとは緋色と水色の寒天、なかはカボチャ風味の黄餡をもちいたものです。まだ八月ですが、かえって涼しみがあります」

 ずいぶんと風情のあるお菓子だ。

 お中元かなにかの余りを、大放出されるだけかと思っていた。

 いい意味で裏切られた気がする。

「みなさん、ブラックでもよろしいですか?」

 全員オッケーだと答えた。

 老師も席につく。さっそくいただきます。甘味を口に運ぶ。ひんやりとした秋雨の清涼感に続いて、カボチャの甘い香りが、舌のうえに広がった。

「老師、これってどこのお店で売ってるんですか?」

「遠坂さんは、あいかわらず現実に興味がおありですね」

 もう、そういう言い方はないじゃないですか。

 わたしは内心でつっこみを入れた。とはいえ、もらいものだと言っていたから、どこで売っているのか老師も知らないのかもしれない。わたしは黙って食べることにした。あとでネットで検索すれば、すぐに見つかるだろうと考えた。

 それに、ここへ来た目的は、スイーツではないのだ。

「老師、これを食べ終わったあとでいいんですが、ひとつお話をしてください」

 老師は珈琲をひとくち飲み、澄まし顔。

「どのような? ここでは本以外の話は……」

「もちろん、本の話です。『雨月物語』の『菊花きっかやく』を解説してください」

 わたしはそう言って、ちらりと朝茅くんをみた――朝茅くんもこちらを見ていた。

「遠坂、ほんとに『雨月物語』が好きなんだな。なにかあったのか?」

「んー、こういう雨の日にはぴったりかな、と思って」

 朝茅くんは、「なんか遠坂らしくないな」とつぶやいた。失礼な。

 まあ、今のはてきとうな口実だから、本気で言ったわけではない。朝茅くんの反応を見たかったのだ。朝茅くんがあの卒論の概要に目を通したのなら、なにか反応があると予想していた。さっきの反応では、まだなんとも言い切れない。

 老師は花火模様の扇子せんすをひらいて、こまやかに前髪をゆらした。

「あれはまだ、戦国の世……」


  ○

   。

    .


 播磨国はりまのくに加古かこ宿やどという街道沿いの町に、丈部たけべ左門さもんという若い学者がいました。清貧に甘んじ、書物のほかは身の回りに頓着せず、小道具などはなにも置かない生活を送っておりました。老母ろうぼがあり、中国の有名な儒学者、孟子もうしの母にも劣らぬ賢女で、糸繰りと機織りをして、左門の高い理想の支えとなっていました。また、ひとりの妹が、知人の佐用さよう家へ嫁いでいました。この佐用家は、丈部親子の立派な人柄を敬慕して、わざわざ嫁に迎えて親戚となったのでした。義父義母は、なにかにつけて左門に財貨を贈ろうとしましたが、左門は他人の世話になりたくないと、これを断り続けていました。

 ある日、左門が同郷の友人を訪ねて、今昔の物語などしていると、壁のむこうから、苦しげなうめき声が聞こえてきました。家の主人に尋ねてみれば、

西国さいごくからきたと思しき男で、一晩泊めて欲しいと頼まれたのです。ところがその夜、高熱が出まして、寝起きもできないという有様。いかにも侍の風格があり、立ち居にも品があったので、そのまま三、四日泊めておきました。しかしながら、素姓もはっきりとしませんので、今となっては迂闊うかつだったようです」

 と答えました。これを聞いた左門は、

「お気の毒な侍だ。あなたの不安はごもっともですが、病気で苦しんでいるその人は、旅人の身で病気をわずらい、切ない気持ちでいらっしゃることでしょう。ご容態を診てさしあげたいと思うのですが」

 と告げて、隣室へ行こうとしました。主人はこれを押しとどめて、

流行病はやりやまいは人に移るものです。私も家族には、部屋へ入らないように言ってあります。あなたの身を損なうような真似をなさってはいけません。学業にさわります」

 と忠告しました。左門は笑って、

「『死生しせいめいあり』という言葉があります。天命でなければ人は生まれず、死ぬこともないという意味です。私がここで死ぬ運命ならば、病室へ入らずとも死ぬでしょうし、そうでないならば何ごとも起こらないはずです」

 と言い、隣室へ入ってみると、顔は土気色、肌は黒ずんで痩せた男が、布団に伏して苦しんでいました。男は左門を見ると、一杯の水を所望しました。左門はこれに応じたばかりでなく、自分で薬を処方し、男を手厚く看病してやりました。その様子はまるで本物の兄弟のようであり、男は左門の憐れみに感動して、涙を流しながら、

「見ず知らずの旅人に、これほどまで尽くしてくださるとは。たとえ死んでも、必ずやご恩は返させていただく所存です」

 と言いました。左門はこれをたしなめて、

「そのように気弱なことをおっしゃられては困ります。病気にはそれぞれ、わずらいの長さというものがあり、これさえやり過ごせば、無事助かることができます。それまでは、毎日お世話に参ります」

 と約束して、ていねいに看病していくうちに、男も快方へむかいました。意識も明瞭になってきたので、男は家の主に礼を述べ、それから左門の陰徳を尊んで、相手の身上を尋ねつつ、自らも次のように名乗りました。

「私は出雲国いづものくに松江まつえの出身で、赤穴あかな宗右衛門そうえもんと言います。軍学の知識が幸いし、月山富田がっさんとだの城主、塩谷えんや掃部介かもんのすけの指南役として仕えておりました。ところが、佐々ささき氏綱うじつなへの密使を仰せつかり、彼の館に逗留していたところ、富田の前城主、尼子あまこ経久つねひさが城を横奪し、塩谷殿も攻防戦で討ち死になさってしまいました。私は佐々木殿に、『尼子経久を討つべし』と何度も進言したのですが、佐々木殿は臆病者で、かえって私を足どめしようとさえしたのです。館を抜け出して出雲へ帰る途中に、急な大病をわずらってしまいました。あなたにお会いできなければ、この命もなかったことでしょう。生涯をかけて、恩返しさせていただきます」

 左門は、助けた男の身分が立派なのにおどろきながら、

「孟子も述べているように、他人の不幸を見て忍びないのは、すなわち惻隠の情、万人に備わった本性に過ぎません。このたびの看病も、そのように丁重な御言葉をいただく理由にはならないでしょう。ゆっくりと、ご療養なさってください」

 と答えて数日間、昼となく夜となくおたがいに交際し、話し合ってみると、宗右衛門も諸子百家につまびらかで、なにひとつ意気投合しないことがなかったので、ついには義兄弟の契りを結ぶにいたりました。五歳年上の宗右衛門が義兄となり、

「私には父も母もなく、義兄弟の契りを結んだ以上、あなたの母上は私の母上でもありますから、ぜひお目にかかって挨拶をしたいと思います」

 と言い、左門が彼を母親に引き合わせてみると、母親もたいそう喜んで、

「我が子は才能がなく、学問も時流に合いませんので、世に出る機会を逸していた折、どうか末永く兄として、左門を導いてやってください」

 と頼みこみました。宗右衛門は老母に礼拝して、

「男子は義を重んじます。功名富貴はとるに足りません。私は今、左門殿のご母堂からは慈愛をうけ、左門殿ご自身からは敬意をうけました。これ以上、いったいなにを望むことがありましょうか」

 と語り、そのまま数日、左門の家にとどまりました。

 さて、時の巡りは速いもの。昨日今日まで咲いていたはずの桜も散りはて、爽やかな風が吹き寄せる波の色に問いかけるまでもなく、ようよう初夏になりました。ある日、宗右衛門は居住まいを正して、母子のまえに出ました。

「私が近江おうみの佐々木氏綱から逃れて来たのは、出雲へ潜って、尼子経久の様子をうかがうためでありました。一度故郷へ帰って、それから貧しいながらも、ご恩返しをするつもりです。しばしのいとまをいただきたい」

 宗右衛門は秋までに帰ると言いましたが、左門はもっと正確な日付を求めたので、

「では、九月九日、重陽ちょうようの節句をもって、帰宅の日としましょう」

 と約束しました。左門はこれを聞いて、

「兄上には、この日を決してたがえないでいただきたい。私はひと枝の菊と、心ばかりの酒などを用意して、お待ちしております」

 と念押ししました。

 月日はたちまちに過ぎ去って、グミの実が赤く色づき、垣根の野菊が美しく咲き誇る九月。その九日の朝に、左門はいつもより早く起きて、質素な家を掃除し、黄色い菊と白い菊を二、三本、小瓶に飾り、とぼしい小遣いで酒食の用意をしました。

 老母は、あわただしい息子を横目に、

「八雲立つというあの出雲の国は、山陰道の果てにあって、ここから百里もあると聞きます。必ず今日帰ってくるとは限りません。あの人の姿が見えたあとで準備をしても、間に合うでしょうに」

 と言いました。左門はこれを、こころよく思わず、

「赤穴は信義のある武士ですから、決して約束を破ることはありません。姿を見てからあわただしく用意するのでは、義兄がどのように思うか、恥ずかしいことです」

 と言って待ちました。この日は空も晴れ渡って、雲ひとつなく、旅人たちも上機嫌で通り過ぎていきます。丁稚の少年は空をあおいで、「今日は結構な日和ひよりだ。今度の商売で儲かる前兆に違いない」と言い、また五十余年の武士が連れの若い武士に、「瀬戸内せとうちはこんなに穏やかではないか。明石あかしから舟に乗っていれば、今頃は牛窓うしまどにまで向かえていただろう。近頃は若い男のほうが物怖じして、陸路で無駄金を使ってしまうことだ」と長々愚痴ると、若いほうの武士は、「殿がご上洛なされたとき、小豆島あずきじまから室津むろづへの船旅をお選びになられましたが、海が荒れて大変な目に遭われたと聞いております。お恨みになさいますな。魚ヶ橋うおがばしというところで、そばをおごりますよ」と慰め、またある馬方は年老いた馬に、「このくたばり損ないが。居眠りでもしているのか」と怒鳴り散らしておりました。こうして昼も過ぎ、日は西に沈みかけて、宿を目指す旅人たちの足どりが速くなるのを見ていると、左門は屋外に目が引きつけられて、心はまるで酔ったかのようでございます。

 見かねた老母は息子に声をかけて、

「再会を約束した菊の花があでやかなのは、なにも今日だけではありません。帰るという誠意があるならば、たとえ時雨しぐれの季節、冬になったとして、どうして恨む必要がありましょう。戸を閉めて横になり、また明日を待ちなさい」

 と諭したものの、左門は母を先に寝かせて、もしやと外へ出てみれば、銀河の星霜せいそうも今宵は薄く、月はひとり左門を照らして淋しく、番犬の吠える声が遥かに澄み渡って、遠い浜辺の波の音が、すぐ足下まで押し寄せてくるような気さえしました。

 月の光も暗くなったので、左門はこれまでと思い諦めて、家に入ろうとしたとき、目に映ったのでございます。薄墨色うすずみいろの影が、風に吹き流されるかのごとく、こちらへやって来るところが。彼こそ、赤穴宗右衛門でした。

 左門は四肢躍動ししやくどうし、宗右衛門を出迎えましたが、相手はうなずくばかりで、一言も口を利きません。とりあえず客室の窓のしたに案内して、席につかせ、

「夜も更けたため、母は寝床に入っております。起こして参りましょう」

 と言えば、宗右衛門は、かぶりを振ってとめました。左門は、彼が老母をいたわって起こさないのだろうと解釈して、酒を温め、肴を並べました。すると宗右衛門は、袖で顔をおおい、その匂いを避けているかのようでした。

「貧しい手料理ですから、十分なおもてなしにはなっていないと思います。けれども、気持ちをこめて作ったものです。どうか蔑まないでください」

 宗右衛門は長い嘆息をもらし、なおしばらく黙ってから、口をひらきました。

「義弟の心のこもったおもてなしを、どうして拒む道理があるだろう。いつわりなく、事実をそのまま申し上げるが、どうか驚かないでいただきたい。私はもう、この世の人ではないのだ。穢れた死霊であり、かりそめの姿で現れたに過ぎない」

 左門は魂消たまげて、

「なにをおっしゃるのですか。私は夢をみているのでしょうか」

 と尋ねれば、宗右衛門は滔々とうとうと語り始めました。

「義弟と別れて出雲へ下ったところ、郷里の人々は大方、尼子に服従していた。塩谷殿の恩に報いようとする者はなかった。私には丹治たじひという従兄がいるので、助力を得ようと富田城へ出向いてみたのだが、奴は打算をめぐらせて、私も尼子に従うように誘ってきた。私はその説得に乗ったふりをして、尼子経久に会ってみた。なるほど武勇は万夫に抜きん出ているものの、疑り深い性格で、家臣からも警戒されているようであった。このような人に仕えることはできない。私は義弟との約束を打ち明けて辞退した。すると経久はこれを怪しんで、私を城内の牢に閉じこめてしまった。月日が経ち、義弟との約束を守る希望も失われ、ひたすらに思い沈んでいると、ふと『魂よく一日に千里をもゆく』という漢籍を思い出した。すわ自刃して今宵の風に乗り、はるばる約束を果たしに参ったのだ。せめて、この気持ちだけは察して欲しい」

 と言い終えるや否や、その青ざめた頬は、涙の流れる様に色あせて、「永久の別れである。ご母堂に、よくお仕えするよう」との遺言。席を立つかと思えば、そのまま月の光にかき消えました。

 その夜は、騒ぎに目を覚ました老母と泣き明かし、翌日、左門は母に対して、

「私は子供の頃から学問の道を歩んで参りましたが、国に忠義を尽くした名声もなく、母上に孝行を尽くすこともできず、ただいたずらに生きているだけです。それに引き換え、義兄の宗右衛門は、信義を貫き通して一生を終えました。私は今から出雲の地へ下って、義兄の遺骨を葬ってやりたいと思います」

 と述べました。母も涙ながらにこれを了承すると、左門は妹の嫁ぎ先である佐用家に母の後事を託して、出雲へとむかったのです。道中、夢にまで宗右衛門が現れ、左門は飲食もままならぬ有様。十日後に富田城につくと、赤穴宗右衛門の従兄、赤穴あかな丹治たじひの家をさっそく訪ね、義兄の死を告げました。

「翼あるものが知らせたわけでもないのに、なぜそのことをご存知か」

 驚きうろたえる丹治にむかって、左門はにじりより、

「昔、魏の宰相、公叔座こうしゅくざが病に倒れたとき、魏王ぎおうは彼の手をとって、『そなたに万一のことがあったら、誰に国事を任せればよいか』と尋ねた。叔座は答えて、『商鞅しょうけつは若いながらも才能豊かです。彼を登用してください。もし王が彼を登用しない場合は、他国へ亡命しないように、彼を殺してください』と教えた。しかし叔座は、すぐさま商鞅を呼ぶと、『私はきみを王に推挙したが、王はこれを聞き入れないであろう。私は王に、もしきみを登用しないときは、殺すようにと進言した。君主を先にして、家臣をあとにするのが道理だからである。けれどもきみは、他国へ逃れるがよい』と諭した。あなたと赤穴宗右衛門の場合と比べて、いかがお思いか」

 と問いただせば、丹治はもはや答えることもできず、左門は続けて、

「義兄が塩谷の旧恩に報いて尼子に仕えなかったのは大義である。貴殿が塩谷を捨てて尼子に降ったのは不義である。義兄が菊花の約束を重んじて、一命を捨ててまで百里の道をやって来たのは信義の極地であり、貴殿が尼子に媚びへつらって従弟を横死なさしめたのは、不義の極地である。ここにその汚名を残すがよい」

 と一刀のもとに切り捨て、その場を逃げ去りました。

 家臣たちが慌てふためいていると、これを伝え聞いた経久は、義兄弟の信義の篤さに感じ入って、左門のあとを追わせなかったということです。ああ、軽薄な人間と交際してはならないと言いますが、まことにそのとおりでございます。


  ○

   。

    .


 扇子せんすが打ち鳴らされて、わたしたちの意識は、我輩堂へと引きもどされた。

 夏をゆく雨足あまあしの音が、玄関からしとしとと聞こえてくる。

「みなさんは、これがミステリだと思いますか?」

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