プロローグ
それは、昼下がりの口論から始まった。
「できます」
大学の小教室に、わたしの屹然とした声がひびきわたった。
報告者だったわたしは、壇上からひとりの男子学生に語りかける。
「作者の同定は、自然言語処理の登場によってめざましい成果をとげています」
最後尾の窓際にすわっている男子学生──わたしの卒論報告会にどこからともなく現れたそのひとは、肩をすくめてみせた。椅子にもたれかかって反論する。
「作者の同定は、だろ。小説を書くのとはわけがちがう」
「おなじです。作者の同定ができるということは、文体の特徴量をとらえてるわけです。その特徴量を反映させれば、人間の作家になりすますことは可能です」
「AIに夢見すぎだよ。きみに文学のなにがわかるの? 小説書いたことある?」
わたしは頬を紅潮させた。冷静に、あくまでも冷静にと、じぶんに言い聞かせる。
「そういうことは関係ありません。わたしは純理論的な話をしてるんです」
ことの発端は、こうだ。白峯大学の情報学科に所属するわたしは、機械学習で卒論を書きたくてこのゼミをえらんだ。わたしの目標は、機械学習でプロ作家の文体をまねて、評論家でも見分けがつかない小説をつくること。その第一回目の進捗報告会で、いきなり会場から否定的な質問が飛んだのだ。しかも、ぜんぜん知らない学生から。
わたしのさっきの「できます」は、このからかいに対する断固とした抗議だった。
ほかのメンバーは、ちょっと関わりたくない、という感じで視線をおとしていた。
見かねた若い助教の先生がたちあがる。
「ああ、きみたち、これはSNSバトルじゃないんだ。遠坂くん」
わたしは名前を呼ばれて返事をした。
「今回の報告内容では、使用するデータセットに言及がなかったね」
「そ、そこは今から選定します」
「データセットを決めるまえにモデルを提示するのは、手順がよくない。もういちど考えて欲しいところだ。とくに、ジャンルを推理小説にしたのは問題がある」
「どうしてですか?」
「そこは研究が進めば自然と気づくだろう……さて、さっき質問したきみ」
男子学生はちょっとムスッとした。
「なんですか?」
「きみは情報学科の学生ではないね。講義でもみかけたことがない。それに、さきほどからきみの批判は、情報学的な側面にまったく触れていないな。抽象論だ。この質疑応答は技術面での指摘をメインにしているから、そこのところはわきまえて欲しい」
男子学生は「はい」とだけ答えて、いきなり席を立った。
みんなが唖然とするなかで、彼はドアを開ける。
「じゃ、俺は帰ります……ま、好きにすればいいと思いますよ。AIには、どうせ人間の謎なんか解けっこないんですから、永遠にね」




