Episode6 桜と月とあの日の約束 4
◇
二年前の春――。
河原町靖は、愛しい彼女を連れて都会の片隅にある、とある場所に来ていた。
まだ少し肌寒さの残る夜の風を感じながら、彼女の車イスを押す河原町。
何処に行くの? と彼女に問われても、着いてからのお楽しみだと言って河原町は目的地については存分に勿体ぶった。
目的地に着き、足を止める。そして、彼女の横にそっと踞み込み、目の前にある神々しいまでの桜の木を見上げた。
「ねぇ、キミカ。これを君に見せたかったんだ」
彼女は何も言わず、ちらちらと月明かりの中で舞う桜の花びらを目で追っている。どうやら、気に入ってもらえたようだと河原町はホッと胸を撫で下ろした。
「靖くん……、とっても、素敵ね」
声に涙を滲ませながら、キミカの瞳はうるうるとしていた。
「キミカ……、俺ねキミカの気持ちを勝手に考えてみたんだ。君はきっと、俺の事をたくさん考えてくれているんだろうね。でも、直接的には何も言ってはくれない。だから、考えたんだ。俺のプロポーズに対して何故君がyesと言ってはくれないのか……」
河原町は桜の木を見つめながらゆっくりと話をする。
「っ…………」
キミカはきゅっと眉間に力を入れて悲しそうな表情で河原町を見つめていた。
「俺に責任を背負わせたくない?」
河原町は優しく微笑みながら、キミカと目を合わせた。彼女はピクリと反応を示す。
元より心臓に爆弾を抱えて入退院を繰り返しているキミカ。河原町のことは、好きだったがそんな大好きな彼に自分のせいで苦労などしてほしくはなかった。彼はいつだって自分に優しく接してくれて、温かくてずっと彼と一緒に居られたら、幸せだろうな。確かにそう思ったこともある。
だけど、やっぱり要らぬ責任など彼には背負わせたくなかった。いつ、居なくなってしまうかも分からない自分と一緒にいるよりも彼は他の誰かと一緒になるべきなのだと無理矢理自分に言い聞かせていた。だけど、自分は我が儘だから、やっぱり彼と一緒にいたくて、優しい彼の温もりに甘えていた。一緒にはいたい。でも、迷惑なんてかけたくない。彼が自分を思ってくれていることも痛いほどに分かる。だから、せめて自分が居なくなった時に、家族という責任を彼が負わぬように。このまま他人のままで……。
「ふっ、全く……そんな事だろうとは思ったよ」
河原町はキミカの頭に手を伸ばし、愛しそうに髪を撫で、その手をそのまま頬へと滑らせる。
「責任なんてややこしいこと、キミカが考えなくてもいいんだよ? でも、君は優しいから自分の病気の事とか、一緒になったら俺に余計に負担をかけちゃうだとか、考えちゃったんだよね? でもさ、“好き”に責任が付き纏うだとか何だとかって考え出したら、切りがないじゃないか。俺はただ君が好きで、君と一緒にいたい。それだけなんだ……」
キミカは頬にある河原町の手に自分の両手を重ねてその温もりを確かめる。
迷っていた。甘えてもいいの?
私は、あなたの重荷になってしまうことが怖い、と。
「だけどね……」と河原町の言葉は続く。その声は震えていた。
「俺は怖いよ……。君は出会った時から美しくて、儚くて……。いつ俺の前から消えてしまうかって考えたら、とっても不安なんだ。だからさ、俺は確かな形が欲しい。責任とかそういうんじゃなくて、ただ君と一緒に居ていいっていう確かな形が欲しいんだ。ねぇ、キミカ……俺の我が儘を聞いてくれないかな。俺と一緒になって?」
河原町の目からポロリと涙が溢れた。それに気付いた河原町は、ハッとして立ち上がり顔を背けながら腕でごしごしと涙を拭く。
「ゆっくり一年考えてほしい……。俺はずっと待ってるから」
河原町はキミカに振り返りながら言った。
「それで、来年ここに来た時に返事を聞かせてくれないかな?」
河原町はたっぷりと考える時間を自分にくれた。どんな決断を下しても俺は君に従うよ、と。
それまでは、ずっと一緒に居られる。
キミカはこくりと頷いた。




