Episode4 君影草を君に [解決編] 6
「お前が気安くみゅーの名前呼んでんじゃねーよ……」
ポツリと呟かれた言葉はその容姿からは想像もつかないほどに酷く低い声だった。拝田はそれまで自分が連れてきたその人物の存在を忘れていたのだろう。驚いたようにそちらに視線を向ける。
「マ、マユ……ちゃん?」
「お前に名前呼ばれるとか虫酸が走るわ。これ以上その気持ち悪い声で喋んなや、変態教師が」
マユはゆっくりと一歩ずつ拝田の方へと近づいていく。
チャラやシロがそれを止めようと動きかけたところを武瑠が手で制した。このまま見守れと目だけで二人に伝える。
「俺が邪魔なんだったら、直接俺を殺せばよかったのに――」
俯きながら拝田に近づいていくマユは、ウィッグを取り去り、化粧を取りながらゆっくりとその歩を進める。拝田は、ぽいっ、ぽいっ、と投げられていくウィッグやメイク落としを目で追いながら、近づいてくるマユの異様な雰囲気に少しずつ後ろへと下がっていった。尻と手をつき、後ずさる姿は何とも情けない。
「廣川真佑が憎かったんなら、みゅーに手を出す前に俺んとこに来ればよかっただろ!」
キッと拝田を睨み付けながら顔を上げたマユに拝田は再び驚きの表情を浮かべる。
「ひ、廣川真佑……。お前がどうして、ここに……」
拝田がびくびくとしながらも何とか絞り出した声を聞いて、マユの眉間にシワが寄る。マユはガシッと拝田の両頬を片手で掴み、顔を近づけた。
「その気持ち悪い声で喋んなって言ったよね? その舌引っこ抜いて一生喋れないようにしてやろーか」
マユの冷めた瞳に見つめられ、拝田は蛇に睨まれた蛙のごとく固まっている。このままでは本当に実行に移してしまいそうなマユを冷静に戻すべく、武瑠は声をかけた。
「マユ君、もうその辺にしときなよ。拝田の奴、驚きすぎちゃってそのまんまの状態で失神しちゃってるから」
武瑠に言われてマユも気が付いたのか、ふぅと息を吐き掴んでいた手をパッと放した。
「あーあ、変態野郎のこと素手で触っちゃったよ」
キモチワルーイと顔を歪めてぷらぷらと片手を振りながらマユは拝田から離れた。
「ごめんね、武瑠さん。我慢できなくなっちゃって自分の正体バラしちゃったよ」
にこにこと笑うマユは冷静さを取り戻したのか、いつものような緩いテンションに戻っている。
「いや、どっちにしろバラしてもらうつもりだったし、構わないよ」
武瑠はそんなマユを見てホッと息を吐いた。
すると突然、それまで立ち尽くしたまま動かなかった綾野すみれが我に返ったように「菫人っ!」と言って拝田の元へと駆け寄る。
「菫人、菫人……! 私があなたを守ってあげるから。あなたのこと一人になんてしないから!」
すみれは拝田の胸に頬を寄せて気を失っている拝田に縋りながら涙を流す。
うん、こっちの方が重症かもしれない……。
武瑠はどうしたものかと泣いているすみれを見つめた。このままでは彼女は前へ進めず、拝田に利用され、ボロボロに傷つけられたまま――闇に落ちたままだ。彼女が自分で気持ちに整理をつけない限り、闇から這い上がることは出来ないだろう。
武瑠が思案していると、後ろにいたチャラが黙ったまますみれの元へと歩いていった。そして、彼女の肩を支えて拝田から無理矢理引き剥がして立たせる。
やめてよ、何するのと抵抗を見せるすみれ。それでもチャラが彼女から手を離すことはなかった。
やめてやめてと言うばかりで、何も見えてはいない彼女をチャラは駄々っ広い窓へと凭れ掛けさせ、そしてバンっと音を立てながら彼女の顔の両サイドに手をついた。壁ドンならぬ、窓ドンだ。
高級マンションの窓ガラス。ちょっとやそっとのことでは何の支障もないだろう窓の向こう側には、目を見張るほどの綺麗な景色が広がっている。しかし皮肉なことに、今は誰も見向きもしない。
「俺は君を許すことが出来ない。君は分かっていたはずだ。この男が何をしようとしていたか。君は分かっていたはずだ。この男が君に渡すように頼んだ飲み物が妹にどういう結果を齎すのか。あの時既に悟りだった君が、気付かなかったはずがない。知ってたんだろ? その上で君は、妹にスズランの毒が入ったオレンジジュースを渡した」
綾野すみれも悟りだったのか、と武瑠は内心驚いた。彼女は全部知っていた。全部知っていた上で――。
先程武瑠が拝田に語った言葉は、武瑠が彼女の心を聞いて代弁したもの。彼女は現実を受け入れることが出来なくて、拝田の心を聞かなかったことにして、彼女自身でそう思い込むように自分で自分に暗示をかけていたという事か。――そうせずには、いられなかったんだろう。




