Episode1 自覚 1
妙に他人の声が五月蝿く感じる。
それが、武瑠の最近の悩みだった。医者にも行ってみたが、特に異常はないと言われた。
「あなたの気のせいではないですか? もしくは、最近何か精神的に疲れるようなことが――」
なんて精神科に回されそうになって、慌てて逃げ帰ってきたことはまだ記憶に新しい。
医者に頼れないとなると、どうしたもんかね……。
気休めにしかならないだろうけど、そう思って購入したヘッドホンが意外にも効果を発揮した。
本来の機能を発揮させてはもらえないコイツからすれば、不服だろうな。ヘッドホンなんだから音楽を聴けよって話だ。だけど、俺は聞こえすぎる声を軽減させるための大切なアイテムとして使わせてもらうことにする。
音楽を流すことはない。でも、愛着は湧いているんだ。もう街を歩く時には手放せない。お前は俺のお気に入り。
◆
武瑠はいつものようにヘッドホンをしながら街を歩いていた。街の喧騒もそれほど気にはならない。
“危ない!”
――誰かが耳元で叫んだかのように、突然言葉が武瑠の中に入ってきた。
驚いた武瑠はピタリと足を止め、サッと周囲を見渡してみる。すると、小さな子どもが子猫を追いかけ、道路の真ん中に飛び出していくのが見えた。そこへお決まりとでも言うかのように、運悪く結構なスピードを出したトラックが走ってくる。
っ、マジかよ。運転手の人、子どもに気付いてない!
ここからなら間に合う、と瞬時に判断した武瑠は勢いよく駆け出し、道の真ん中にいたその子を抱え、ギリギリのところで道の反対側へと転がり込んだ。
キキーッ! という盛大なブレーキ音が辺り一帯に響き渡る。
武瑠は、怪我はないかと腕の中にいる子どもに目をやった。見た限りでは、大丈夫そうだ。武瑠は体勢を立て直し、子どもと目線を合わせた。
「大丈夫か?」
こくりと頷くのを確認し、内心ホッと息を吐きながらその子の頭を撫でる。武瑠が元いた方向から駆け寄ってくる子どもの母親は、こちら側まで来ると直ぐ様我が子を抱き締めた。
母親が来たなら大丈夫そうだな。
そう思ってその場から立ち去ろうと歩き出すと、声をかけられた。
「おにいちゃん、ありがとう!」
後ろを振り返ると、小さな腕に抱えられている子猫が目に入る。
「ああ。そいつも無事みたいで良かったな」
武瑠がそう言うと、子どもはきゅっと腕に力を入れて大事そうに子猫を抱え直した。幸い、子猫も無傷なようできゅるんとした表情でその小さな腕をペロペロと舐めている。
お名前は――。お礼を――。と子どもの母親には言われたが、用事があって急いでいると断りを入れて武瑠はその場を立ち去った。
本当は大した用事もないくせに、急いでいるなんて嘘を吐いていた。人の役に立てるのは嬉しい。だけど、目立つのはあんまり得意ではなかった為、直ぐにその場を離れたかった。
武瑠は当てもなく歩き続けている内にふと思う。
あの声はいったい誰の声だったのか?
女の子の声だった。
ヘッドホンをしていたのに、耳元で叫ばれたように大きな声だった。
頭の中に響くような……。
「あ……」
武瑠はピタリと足を止めた。
「ヘッドホン、ない」
耳に手をやり、ヘッドホンがないことに気が付く。さっき転がった時にどこかへ飛んでいってしまったようだ。
アレお気に入りだったのに……、と落ち込みながらも空腹には逆らえない。
とりあえず、腹減ったし何か食べようと武瑠はいつも利用している古びた喫茶店へと向かうのだった。