#333 Aims世界大会観戦旅行初日その十三 『自覚』
夜も更けて来た頃。
紺野さんがうつらうつらと舟を漕ぎ始めたのを見て、雷人がすくっと立ち上がる。
「紺野さんも大分お眠みたいだし、ここら辺でお開きにするか」
「そうだな。明日の大会開始は昼からとは言え、早めに寝るに越したことは無いし」
「……うん。そうしよう」
各々立ち上がり、飲み物やお菓子の片付けを始める。
VRゲームも良いが、やはりこういったアナログゲームも中々捨てがたいな。こうやって集まれる時にたまにやると結構盛り上がるんだよな。中々楽しかったし、今度また俺の家とかに呼んだ時にでもやるか。
「……唯、布団で寝ないと身体痛めるよ」
「はい……」
目を擦りながら布団の方に向かう紺野さん。布団について間もなく、力尽きたように倒れ込む。
相当眠かったのだろう。そのまま寝息を立てて眠りについてしまった。
「……渚、後で布団掛けてあげて」
「え、俺?」
「……他に誰が居るの」
いや目の前に同性の友達が居るじゃないですか……。紺野さん、毛布の上で寝ちゃったし……一回彼女自身を持ち上げる必要がある訳で……。
「……私に唯を持ち上げられると思う? ……引きこもりぷろ、舐めんなよ」
「そんな情けなさ過ぎる煽り文句あるかよ……」
心配になるぐらい細くて白い腕で精一杯力こぶ(ほとんど無い)を作りながら、紫音がふんす、と鼻を鳴らす。雷人に視線を向けようとするが、あいつに頼むのもなんか違うと思ってしまった。
がりがりと頭をかきながら、紫音に向かって言う。
「わーったよ、流石に恥ずかしいからお前らが帰ってからな」
「渚……お前マジか」
「……わお。傭兵、大胆。……私達が居なくなってから、おっぱじめるつもりか」
「お前らなあ。それと紫音、女の子がそんな事を言うんじゃありません、何もするつもりは無いからな」
「……ドヘタレ、チキン」
うるさいうるさい、俺だって彼女の無防備さに必死に耐えてるんだ。あんまり煽って俺を犯罪者に仕立て上げないでくれ、マジで。
紫音の非難の視線を浴びながら、ゴミを片付ける事2分程。
忘れ物が無いか確認した二人が玄関の方へと向かう。
「じゃあ渚。後は二人で仲良くな」
「……ぐっない」
「はいはい、おやすみ」
雷人と紫音のニヤニヤとした視線に辟易としながら、送り出そうとした所で。
「ああそうだ紫音。緊張の方は解れたか?」
「……どうしてそれを」
「見りゃあ分かる。これでも数年の付き合いだ、普段全然表情を動かさないお前が、あんだけ表情動かしてたら緊張してんだってのぐらいは分かるさ。ここに遊びに来たのだって、どうせいつもつるんでる俺達のアホ面眺めて平常心取り戻そうって魂胆だろ」
「……傭兵の癖に、生意気」
えい、という掛け声と共に脛を蹴られる。だが、先ほど宣言していた通り、紫音自身の筋力が貧弱過ぎるので全然痛くなかった。超小型犬が突撃してきたかと思ったわ。もっと飯食え飯。
「まあ、負けたとしても仕方ないって割り切れ……とはプロのお前に言わないけどさ。もし試合の結果で非難の声を浴びたとしても、俺や紺野さん、雷人はお前の味方で居るから」
「……」
にっと笑って、紫音の背中を押し出す。
「やれるだけやってこい。明日の試合、楽しみにしてるからな」
少しの間黙っていた紫音は僅かに顔を赤らめると、眉を寄せながら何度も脛を蹴ってくる。
「……本当に、生意気。……そういう甘い言葉は、唯にだけ言えば良い。浮気者」
「普段から甘い言葉を紺野さんに言ってませんが!? というか浮気って、そもそも付き合ってないですが!?」
「……声、大きい。……唯、起きちゃうよ」
「やべっ」
慌てて後ろを振り返るが、紺野さんはこちらの様子に気付かないまま、すやすやと眠りについていた。
「……ありがと。頑張る」
「おう、じゃ、雷人。紫音をちゃんと送り届けろよ」
「任せろ。ま、串焼き団子さんに見つからない範囲で送り届けるさ……」
はは……と乾いた笑いを浮かべる雷人を見て内心で合掌する。
憐れ雷人、多分だけど串焼き先輩に見つかったら死ぬと思うぞ。まあ、バレない程度に頑張れな。
◇
雷人達が去って行ったのを見届けてから、部屋の扉を閉めて深呼吸を一つ。
紺野さんの寝ている方の布団では無い方の毛布を脇にどかしてから。
「ごめん紺野さん、失礼するよ」
紺野さんの身体をお姫様抱っこの要領で持ち上げる。羽のように軽い──なんて、筋トレを普段していない俺はお世辞にも言えないが、それでも簡単に持ち上げられるぐらいには軽い。
持ち上げられても気付かないぐらい深く眠っているらしく、そのまま起きないでくれよ──そう思いながら、紺野さんを移動させる。
そして、移動させた紺野さんの上に毛布を被せて──ミッションコンプリート。
「ふぅ……」
さて、俺も大概疲れてるし、さっさと寝ようか。
部屋に備え付けられているリモコンを操作して、部屋の電気を消す。
「おやすみ、紺野さん」
「んぅ……」
布団の位置の都合上仕方ない事だが、隣を見ると、あどけない表情ですやすやと眠りに就いている紺野さんの寝顔が正面に来ていた。その愛らしさに思わず頭を撫でたくなる衝動を抑えながら、毛布を被って天井を見上げる。
今日だけで、色々な事があった。HOGと紫電戦士隊の試合が決まった事から始まり、風呂場で倒れ、紺野さんに看病され……紺野さんと旅館内巡りした後、Hawk moon選手と出会い、その事情を知り、紺野さんの思いを知り、こうして紺野さんと隣で寝る事になり……。
まだ世界大会の観戦が始まった訳じゃないのに、濃すぎる一日だったように思う。それだけ元々の日々に彩りが無かったと言えばそうなのだが、リアルでこんな激動だった日は他に無いだろう。
再び紺野さんの方へ視線を向ける。彼女が完全に眠りに就いている事を確認してから、独り言を漏らす。
「紺野さんは、俺の事が好き……なんだろうか」
改めて口にすると、身体の奥の方から熱が湧き出てくるのを感じる。
看病して貰っていた時に言っていた、『大切な人』という言葉。そして、勘違いしてしまうような態度と言動は、俺にしかしないと……そう言っていた。
言葉の意味をそのまま咀嚼するなら、紺野さんが俺の事を好いてくれているのは確実だろう。勿論、その好意は非常に嬉しい……けれど。
(本当に俺なんかで、良いんだろうか)
温かい感情を覆い尽くすように、暗い感情が、心の奥底から湧き出てきてしまう。正直、俺は紺野さんに見合うような人間じゃない。魅力的な彼女が、俺なんかに惚れる要素なんて皆無だろうに、なんで好きになってくれたのか。親を始めとした、周囲に唆されてその気になってしまっているだけなんじゃないか。どうしてもそう考えてしまうのは──。
『ごめん、女の子っぽいから友達としてしか見れないかなぁ』
俺の根幹に根付く、あの過去の苦い記憶がそうさせているのだろう。人が聞けばそれは小学生の時の話だと一笑に付すかもしれない。けれど、俺にとっては抜ける事の無い楔として深く突き刺さっているようだ。
あれから時間は経ったし、吹っ切れて笑い話に昇華出来てると思っていたのに、今更その事実に気付かされるなんて──我ながら女々しいな、全く。
(俺が雷人みたいな人間だったら、もっと自信を持てていたのかね)
はは、と乾いた笑いを漏らすしながら、そんなどうしようも無い空想を思い描いてしまう。あいつみたいに内外完璧イケメンであれば、きっと紺野さんの好意を真正面から受け止める事が出来たのかもしれない。
(こんな気持ちのまま気持ちに応えたとしても……ただ紺野さんを辛くさせてしまうだけだよな……)
俺自身が紺野さんに見合う人間だと自信を持ってからでないと、きっと彼女を傷つけてしまう。だから、今はまだこの距離感で良いんだ。近すぎず、遠すぎず。友達以上恋人未満の、この関係が。
でも、それで彼女が愛想を尽かしてしまったら……離れてしまったら、きっと取返しの付かない程後悔する事になるのだろう、という確信に近い予感がある。
この決断が、こんなにも苦しく感じるのはきっと──。
「俺も、紺野さんの事が大事で、好きだからなんだろうな」
ぽろっと、いつの間にか蓋が外れていた事で漏れ出た想いが、口をついて出る。
(あ……)
口から出た事で、ようやく思いをしっかりと自覚出来た。これだけ彼女側からアプローチしてもらって、ようやく。
抑えつけていた思いは決壊したかのようにどんどんと溢れ出し、少しずつ蓄積していた眠気は完全に吹き飛び、全身が燃えるように熱くなり、心拍数が跳ね上がっていく。
「ん……」
(……やば、さっきの、聞かれたか?)
その時、もぞもぞと紺野さんが動き、寝ぼけ眼を薄っすらと開けた紺野さんは、こちらの布団に潜り込んでくる。
「んー……」
(ちょっ…………!!)
「ぎゅー……」
「!?!?!?」
寝ぼけている紺野さんが、その白く細い腕を背中に回して俺の身体に抱き着いた。浴衣越しに伝わる柔らかな感触と、密着している事で漂う甘いにおいが俺の理性をゴリゴリと擦り減らしていく。
追い打ちをかけるように、頬をすりすりと俺の身体に押し付けた紺野さんは、ふにゃっと笑った。
「えへ……」
(ッ……ッ……耐えッ…………耐えた!!! っぶねえ、本気で理性が吹き飛ぶ所だった……!!)
ギリギリだった、もうちょいで舌を噛み千切らなければいけない所だった。湧き上がってくる浅ましい欲求に必死に耐えている俺を余所に、紺野さんは幸せそうな表情のまま再び寝息を立てる。
本当に、この子は無防備が過ぎる。俺じゃなかったら間違いなく欲に負けてた。チキンで良かったぜ、くそったれ!
元々紺野さんが寝起きに弱いというのは知ってはいたが、ここまでとは思わなかった。……寝ぼけているだけだろうから、今自分が何をやっているかは理解出来てないだろうし……こっちから触ったら犯罪者に成り下がる所だった。
(……本当に可愛いな、畜生……)
今もまだ心臓が荒ぶり続けているというのに、頬を寄せる彼女はむしろそれが心地良さそうに表情を緩める。……ほんと、とんだ小悪魔だ。
(……ああくそ、余計寝れなくなった)
少しでも身動きを取ろうとすれば紺野さんの身体に触れてしまう。抜け出そうとして変な所を触ってしまう訳にもいかないので、俺はされるがままに天井を眺め続ける。
結局、耐えきれない眠気が襲ってくるまで、俺は眠りに就くことが出来なかった。
ようやく、自覚。
唯はいつも寝る時はぬいぐるみと寝ているので、ぬいぐるみに抱き着いたぐらいのつもりです。
結果として渚が死にかけてますが。




