#320 旅行に向けて
「今日も酷い目にあった……」
「あはは……お疲れ様です……」
結局今日も色々と聞かれたせいで学校で一睡も出来なかった。お陰で脳みそが動いていないのが良く分かる。
多分自宅に帰ってどこかに座った途端に寝落ちてしまうのは確定だろう。
だが、夏場である以上最低でもシャワーは浴びておきたい。洗い物が余計に増える事になるのだけはごめんだからな。
「これで今週末の旅行についてどっかから話が漏れた日にはどうなる事やら……」
俺達はただ世界大会の観戦のために外泊するだけなのだが、あの恋愛関連の話題になるとやたらと厳しいあいつらの事だ。この事が公になればきっとある事無い事吹聴して回るに違いない。情報の漏洩だけは絶対に避けないと。
内心でそう意気込んでいると、視界の端の紺野さんがぼそりと呟く。
「……やっぱり、旅行は無しにしますか……?」
しゅん、と表情を暗くして落ち込んだ様子を見せる紺野さんに、慌てて首を振る。
「いやいや、わざわざ両方の両親に許可まで取って行くって言ったんだ。旅行をやめるつもりは無いよ」
「そうですか、良かった……」
安心したように胸を撫で下ろす紺野さん。紫音からの厚意を無駄にしたくも無いし、そもそも世界大会の観戦の為なんだから行かない理由は無いんだよな。
「折角買った水着が無駄にならなさそうで安心です」
「そうだね……ん? 水着?」
あれ? 別にプールとか海とかに行く用事は無かった筈なんだが……俺の聞き間違いか?
俺が怪訝な顔をしていると、紺野さんが少し興奮気味な様子でこちらに詰め寄る。
「事前に宿泊する旅館について調べたんですけど、全部屋に客室露天風呂が付いているらしいんですよ!」
「へー! それは凄い……って、それと水着に何の関係が?」
普通に関連性がない気がするんだけど……。
「えっと、客室露天風呂に入る時に着る用に……あっ、旅館側の公式サイトを見たら、客室露天風呂での水着の着用はOKらしいので大丈夫です!」
「ごめん、多分気にするのそこじゃないと思うんだわ」
寝不足でただでさえ頭痛いのに更に頭痛くなってきた。
この子、俺と同じ部屋に泊まるって事を認識しているのだろうか? いやそういうトラブル防止の為っていうのは分かるが、それでも準備が良すぎない?
「渚君は水着って持ってますか?」
「ん~、一応水泳の授業用の奴ならあるけど……」
「なら大丈夫そうですね!」
「何も大丈夫じゃなくない?」
待て待て待て、普通に客室露天風呂に入らずとも旅館なんだから大浴場がある筈だしそっちに行けばいいだけの話では!?
「えっと、俺の勘違いだったら悪いんだけど……もしかして一緒に入るつもりだったりする?」
「!?!?」
いや、会話の流れ的にそうとしか思えないんだけど……うん、この顔見た感じそういう意図は無かったって顔してるわこれ。顔を真っ赤にさせながら、紺野さんは顔の前で手をぶんぶんと振る。
「ちっ、ちがっ!? 別に一緒に入る為に水着を持ち込む訳ではっ……!!」
「だよね、マジで焦ったから発言に気を付けようね。今の発言をあいつらに聞かれてたらどんな反応をされるか分かったもんじゃないし……」
斬首で許されるかな、いや普通に全身八つ裂きにされた挙句ありとあらゆる苦しみを味わわせた上で殺してきそうだな。あいつら、最近はちょっとした会話でも言葉狩りしてくるから不用意な発言は出来ないし。「下校」を「放課後デート」に変換してきた時は流石に真顔になった。ガバ翻訳映画だってそこまで酷い誤訳はしないと思うぞ。
あわあわしていた紺野さんは、口元をきゅっと引き結ばせながら、こちらに上目遣いしてくる。
「……でも、渚君さえ良ければ一緒に入っても良いんですよ……?」
「…………」
この子は、本当に、もう。
ええい、俺はそんな勘違いをするような人間じゃない。ここは冷静に諭さねば……。
「……多分紺野さん自身も寝不足で何言ってるか分からん状態になってると思う。幾ら信頼しているからといって、そういう発言をされた側の人間は簡単に勘違いするもんだ。……ましてや、紺野さんみたいな人から言われたらな。……だから、一旦寝よう。な?」
寝不足で良かった。今のを素面で聞いてたら間違いなく狼狽えていた。お陰で勘違いせずに済む。
「……分かりました」
「よろしい」
紺野さんはただでさえ顔が良いんだから、そういう事を軽々しく言えば大半の人間は落ちてしまうだろう。俺だって正直めちゃくちゃぐらついた。けれど、そう言う事は彼氏彼女の関係になってからする事であって、友達同士がやるような事ではない。
「……まあ、取り敢えず水着は準備しておくよ」
「! はい!」
一緒に入らないにせよ、普通に客室露天風呂で周囲を気にせず浴槽に浸かれるというのはとても良い。たまには何のしがらみにも囚われず、のんびりとした時間を過ごすのもいいかもしれないな。
その後も他愛もない会話をしながら、俺達は家路に就いた。
◇
マンションの部屋の前で渚と別れた後、唯は自室へと入り、バッグをソファの上に置く。
軽く水分補給をしてからソファに座ると、ゆっくりと息を吐き出しながら天井を見上げた。
「冗談なんかじゃなくて、本気で言ったのに……」
ぷく、と頬を膨らませながら呟く唯。
元々ハプニング防止用に水着を持ち込もうとしていただけなのだが、渚がそういう思考に至るとは唯も想定していなかった。少なからず意識してくれているのか、と少しだけ浮足立ったけれども、渚が続けた言葉を聞いて、拒絶されたような気がしてしまった。
「渚君は優しいから、そういう意味を込めて言ったんじゃないんだろうけど……でもやっぱりショックだな……」
少し、焦り過ぎているのかもしれない。彼との関係はゆっくり深めていきたいと思いつつも、それでも……。
ソファに置いていた手に、少しだけ力が入る。
「渚君の魅力を、色んな人が知り始めてる。それはとても嬉しい事なのに……私、どうして」
思い出す昼休みの出来事。あの不知火財閥の令嬢である不知火梓に、渚はプロゲーミングチームのメンバーとして勧誘されていた。渚の事をどれだけ評価しているのかは、熱の籠った彼女の説得の様子を見れば十分に伝わった。だが、それだけではない感情が、彼女の中にある事にも気付いていた。
「嫌だな、こんな気持ちが自分の中にあるって知るの……」
このままだと、誰か知らない人に渚の隣を取られてしまうかもしれない。それが……どうしようもなく嫌だ。
そんな独占欲が顔を出し始めている事に気付き、胸の辺りをぎゅっと握る。
「渚君は鈍感だから、もっと積極的にアプローチしないと……」
そう呟くと、唯はカレンダーへと視線を向ける。
迫る週末の世界大会観戦旅行。少しでも仲を深める為にも、大会の観戦以外も充実させなければならないと、唯は決意を新たにした。
次回から観戦旅行編。果たして彼らの仲は進展するのだろうか。




