#318 勧誘
昼休み。
今朝の約束通り、俺と紺野さんは不知火さん?に呼び出されて空き教室へとやってきていた。
「で、関わりを持った覚えは無いんだが、あんたは一体誰なんだ?」
開口一番、俺はテーブルを挟んで向かいに座る少女に問いかけた。
「そ、そうです。渚君とはいったいどんな関係で……?」
紺野さんも不安そうに口を開く。俺と同じく購買で買ったパンを片手に、恐る恐る相手の顔色を窺っていた。
幾ら俺が外見に対する頓着が無いとは言え、これほどの美少女は一度会えば顔を忘れる事は無いだろう。だが、俺の間違いで無ければ彼女に関する記憶は一切存在しない。
俺の視線を受け止めながら、少女はふわりと微笑んだ。その口元には、育ちの良さから来る余裕すら感じられる。
「ふふっ。観察眼の鋭い貴方の事ですから、すぐに見抜けると思ったのですが」
「見抜ける?」
不意に引っ掛かる言葉に、思わず眉をひそめながら問い返す。
俺の中で警戒心がじわりと広がっていく。向こうが一方的に俺の事を知っているのは何故だ?
それだけならまだしも、彼女の言い方では、まるで俺が彼女を知っている筈だと言っているようにも聞こえる。手がかりがあるとすれば──あの、今朝の発言。
『そんな……!? あれだけ熱い夜を過ごした仲だと言うのに……!?』
あの発言が本気で言われたものだとするなら、彼女と俺は夜に会ったことがあるということになる。
だが俺は基本的に夜はゲームしかしていない。昨日の夜だって、厨二と一緒に【アガレスの大穴】を攻略していた。リアルで誰かと会った記憶は微塵もない。
……待てよ。不知火財閥のご令嬢。ご令嬢。最近知り合った中で一致するのはとんでもない口調の、インパクトの強いお嬢様ロールプレイヤー……。
「……なあ、まさかデスワさんだったりする?」
いやあそんなまさか。こんな蝶よ花よみたいな見た目をした綺麗な人がファッ〇ン迷宮だの鳩がバズーカ喰らったみてぇな顔してやがりますわよとか言う訳が──
「御明察。あの虚構の世界ではグランデ・スワーヴと名乗っております」
「マジかよ」
言い切った彼女の表情に一切の冗談めいた様子はなかった。
そっかー、言うんだー。……頭が痛くなってきた。リアルガチのご令嬢がFワード連発お嬢様ロールでMMORPGしてるとか、誰が想像付くんだよ。
「ええと……?」
隣の紺野さんがきょとんとした表情で首を傾げる。ゲーム内での彼女のキャラにはまだ会ったことがないため、当然の反応だ。
「【アガレスの大穴】で出会った癖の強いプレイヤー。一応フレンドにはなったんだけど、まさかリアルで遭遇するとは思わんかった……」
「そうなんですね……?」
俺がげんなりした声で説明すると、不知火さん?は、どこか嬉しそうに頬に手を添えて微笑んだ。
「ふふ、運命とはまさにこのような事なのでしょうか。当初は私も同じ学び舎に通っているとは思いもしませんでした。それこそ、飛び跳ねるぐらいに嬉しかったのですよ? ですが、いきなり現実でご挨拶するのは引かれると思いまして……先に向こうでご挨拶させて頂きました」
「うんごめん。引かれてないと思ってる所悪いんだけど、普通に引いてるんだわ」
俺は顔をしかめながら正直に告げる。ゲーム内とリアルのギャップが激しすぎるし、何より俺のリアルを特定されているのが不気味すぎる。
それでも、目の前のストーカー系ご令嬢は、俺のジト目にも怯まず不敵に笑って見せた。
「ご紹介が遅くなりました。私、不知火梓と申します。不知火財閥の令嬢で、不知火財閥の保有する会社の、次期社長候補でもあります」
不知火さん(断定)は、こちらを真っすぐに見つめ、遂に今回呼び出した本題を告げた。
「単刀直入に申し上げます。日向渚さん……いえ、傭兵Aさん。貴方を我が不知火財閥が新設するプロゲーミングチームにスカウトさせて頂きたいのです」
「断る」
◇
「……あら、意外です。理由を先に伺っても?」
対面に座る少女――不知火さんは、俺の返答に対しても冷静沈着な表情のまま、まるでゲームの開始合図を告げるような口ぶりで問いかけてきた。
「理由は三つある」
俺は視線を逸らさず、間を置かずに答える。真正面からぶつけてくる彼女に、こちらも真っすぐに向き合うしかない。
「断る理由その一、先約がある。紫電戦士隊に所属してる串焼き先輩……いや、串焼き団子さんとシオンの二人から直々に勧誘を受けてる。もしこの話を受けるにしてもまずはそっちに断りを入れてからってのが筋ってもんだ」
不知火さんよりも先に、俺というゲームプレイヤーを欲しいと言ってくれたのはあの二人だ。交友関係を抜きにしても、先に勧誘してくれた彼らの顔を立てたいと思うのは当然の事だろう。
「その二、純粋にプロになる事に関しての興味が薄い。馬鹿にしてる訳じゃ無くて、プロの世界は甘くない。俺は好きの延長線上でここまでやってきた。Aimsの日本一だってそれで成し遂げたんだ。……プロになれば必ず結果を求められる。俺はゲームは縛られる物じゃなくて楽しむ物でありたい」
言葉にすると、改めて実感する。好きだからこそ俺は跳弾技術を突き詰めてきた。でも、それはあくまで“自由”があったからできたことだ。それが義務に変わった瞬間に、同じようなプレイはできなくなる。そんな気がしてならないから。
「その三、単純にデスワさん、あんたの人となりを知らなすぎる。有名財閥の令嬢だからこれまでの人生はワガママを振り回して何とかなってきたのかもしれないが……金で全部解決出来る訳じゃ無い。俺をスカウトしたいのならまずは理由から説明してくれ」
言葉に棘があるのは自覚している。でも、誤魔化したり、下手に媚びたりする必要はない。ここでの駆け引きに、遠慮なんて不要だろう。
だが、彼女は微塵も動じなかった。むしろ、当然のように頷いてみせる。
「良いでしょう。私には、それを話す義務がありますもの」
まるで、自分の心をさらけ出すことにも一切の迷いがないとでも言うように、間を置かずに語り始めた。
「最初、貴方の話を聞いたのは私の兄からです。私の兄はAims、そしてSBOの開発・運営に携わっておりまして、貴方の事を非常に気にかけていました。ああ、勿論、貴方に贔屓するためにシステムの変更等はしておりませんので、勘違い無きよう。お気に入りである貴方の事を定期的に耳に挟んでいましたが……正直、興味がありませんでした」
「あまりにも衝撃の事実なんだが」
運営のお気に入りってマジかよ。でも、跳弾に対する対策は嫌という程されてきたから贔屓にはされてないというのは本当の事だろう。
今でこそ勧誘しているが、俺に対して興味がなかった、と断言するその潔さは評価する。財閥の令嬢として育ってきた彼女だからこそ、こういう時は歯に衣着せないのだろうか。
「ですが、SBOで行われた1st TRV WARというイベント、そして【二つ名レイド】で魅せた貴方の輝きに、私の心は動かされたのです」
瞳が少しだけ熱を帯びる。出会ってから、機械のようにしか見えなかったその完璧な表情に、わずかな人間味が差し込まれたようだった。
「それから、私は貴方のこれまでの活躍を追っていきました」
まるで一人のファンがヒーローを讃えるかのように、語る声にも熱を帯びていく。
「最早芸術とまで言える程の緻密な跳弾計算、そしてその速度。戦況を覆す、豊かな発想力。無茶を可能にするVR体への適性の高さ……などなど、挙げだしたらキリがありません」
まるで、プレゼン資料でも読むかのようにスラスラと俺の長所を羅列する彼女だったが、一切の誇張も虚飾もする気はなさそうだった。純粋に、俺というプレイヤーを欲しているという誠意が、感じ取れた。
「贔屓目抜きにしても、貴方のゲームの腕前は世界に通用する。Aimsというゲームであるのならば、尚更の事。貴方の活躍を知れば知る程、私は貴方の事が欲しくなった」
そう言うと、不知火さんはこちらへと真っすぐ視線をぶつけてくる。
「私は、これまでの人生“欲しい”と思った物は全て自分の力で手に入れてきました。だから、こうして直々にスカウトしに来たのです」
不知火さんは満面の笑みを浮かべながら、両手を広げる。
「貴方が望むのなら、何でも差し上げます。金銭を望むのなら、一般的なサラリーマンの年収を遥かに上回る膨大な給与を。自由を望むのなら、仕事以外の時間に対して何不自由のない生活を」
プロになりたいと望む人間だって世の中沢山いるだろう。そんな彼らが聞いたら破格すぎる条件が淡々と並べられていく。……これが財閥の令嬢の力か。俺と同い年の少女一人が行使できる権利の凄まじさに戦慄していると──
「肉欲を望むのなら、私自身の身体を捧げたって構いません。そういった経験は無いので貴方がご満足頂けるかは分かりませんが、これでもスタイルには自信がありますので」
「ぶっ!?」
不意打ちの発言に思わず吹き出してしまった。真顔で何言ってるんだこの人は。
「そ、それは駄目ですっ! 不純だと思いますっ!!」
隣で紺野さんが顔を真っ赤にしながら抗議の声を上げた。
そうだそうだ、うら若き乙女がすぐ身体を差し出すとか安易な発言をするんじゃありません。
一度仕切り直すように、ごほんと咳払いをしてから。
「……なるほど、呼び出した経緯とあんたの大体の人となりは分かった。……だけど、そうだな……」
俺は一呼吸置き、顎に手を添えた。深く考えるような間を作ってから、隣に座る彼女をちらりと見る。
「俺をスカウトするなら、彼女もスカウトしてくれ。最低でもその条件を呑まなければ俺がこの話を引き受ける事はない」
唐突な言葉に、隣に座っていた紺野さんが小さく息を呑むのが分かった。
「な、渚君!?」
驚きと戸惑いが混じった声。紺野さんからしたらとばっちりだろう。今の俺の発言は、彼女の将来を考慮していない余りにも無責任な発言だし、後でしっかり謝罪しないと行けないが──それでも、俺がもしこの話を受けるとしたら彼女が居た方が心強いと思ったからだ。
「どうせ俺の事を特定してるんだから知ってるんだろ? 彼女は──」
「勿論存じております。紺野唯さん、貴女は変人分隊のグレポン丸でしょう? 私個人としても、貴女の事も高く評価しています。貴女の実力が日本トップレベルだという事も」
声に一切の迷いは無かった。だからこそ、彼女に対する評価は本物だと感じさせるものだった。
「だったら──」
「ですが──残念ながら、私が欲しいのは世界トップレベルの人材なのです。プロを名乗るからには、そこを妥協する気は一切ございません。つまり、私が欲しいのは日向渚さん、貴方だけという事です」
それを聞いた紺野さんの口元が引き結ばれ、膝の上に乗せていた拳がぎゅっと握られるのが見て取れる。言葉にならない悔しさや葛藤がそこに凝縮されていた。
「おい、その発言は流石に看過できないぞ。俺自身は紺野さんだって俺と遜色ない実力を持ってると思ってるんだが?」
「では、気を利かせて貴女も世界トップレベルの実力があると言えと? 確かに卓越した空間認識能力には目を見張る物がありますが、精神面での不安定性がネックです。プロになるというのなら、一番欲しい能力と言っても過言では無いでしょう。──生憎ですが、私、嘘が死ぬほど嫌いなのです。嘘を吐く方が、紺野さん自身への侮辱に繋がるかと」
そこで、俺もぐっと言葉を詰まらせる。確かに、ポンは日本でもトップレベルの実力を持っている。だが、世界のトッププレイヤー達と比べたら流石に見劣りしてしまうのも事実だった。
嘘を吐く事は紺野さんへの侮辱に繋がる。……その通りだからこそ、俺は苦し紛れに呟く。
「嘘が嫌いな人間があんなロールプレイするかね……」
「だからこそ、ですよ。私も、もう我儘だけを言って許される歳じゃない。財閥の令嬢としての立場があります。死ぬほど嫌という事でも、本性は奥の奥にしまうべきなのです。その抑圧された分の発散を、あちらの世界でしているだけですので、何も問題は無いかと」
「いや発散するのは別に良いんだけど、普通にFワード連呼は通報対象になりかねんからね?」
本性を知っているからこそ今の彼女と話してると脳がバグるんだよな。未だにこの人が本当にデスワさんなのか疑っているんだけど。
不知火さんは紺野さんの方を見ると、軽く頭を下げる。
「ごめんなさい、紺野さん。気を悪くしないで欲しいのですが……私、こういう性分ですので」
「……いえ、不知火さんの言う通りです。私は、渚君や皆さんと比べると劣っている自覚はあるので」
紺野さんは自嘲気味に笑ったが、一つ息を吐き出すと。
「ですが」
紺野さんは顔を上げ、不知火さんに対して啖呵を切るように言った。
「次のAimsの日本大会。そして世界大会。私を見ていてください。──渚君が不知火さんにそう思わせたように、私を……紺野唯を“欲しい”と言わせて見せます」
強い瞳。負けん気と、覚悟が宿った目だった。俺の隣に立ち続けるために、自分を高めることを選んだ少女の目だ。まさか彼女がそんな事を言うとは思わず、俺も硬直してしまう。
「──」
不知火さんは何も言わずに微笑む。端正で冷たいその微笑みが、少しだけ形を緩める。
「その発言が、虚言でない事を楽しみにしていますね」
俺の勘違いで無ければ、紺野さんを見る彼女の眼がほんの少しだけ変わったように感じた。
「それでは、また会いましょう。お二人共。日向渚さん、気が変わったらいつでもご連絡下さい」
そう言い残し、彼女はこの教室を去っていった。
不知火さんの兄はあの不知火さんです。ッス口調のあの人。
実はしれっと双壁編ラストでデスワさんの存在を仄めかされていたりする。気付いた人は居るのだろうか……。




