蜂蜜酒はいかがかな
町に入ると外には人一人おらず、建物の中に入ってみようとするものの、どこもかしこも店は閉まっていて従業員は不在の状況だ。マリスと一緒に店のあちこちを見回りながら歩いていたが、一軒だけ戸締りもせず蜂蜜酒とエールが並んでいる店がある。扉は開いたままなのでマリスと一緒に中に入ると店の中から一人の男の主人が出てくる。
「やあよく来たな、まあ座ってくれや」
「「どうも」」
マリスと一緒に主人の正面に座ると、彼は二人分のジョッキを用意して蜂蜜酒を注ぎ始める、そしてそれをテーブルに置いてくれた。
「これは俺の奢りだ、一人三杯までなら無料にしておいてやる」
「ありがとうございます」
「やったー!」
マリスはちびちびと飲んでいたが、俺は水のように喉に流しおかわりをもらう事にした。蜂蜜酒は俺達人間にとっては大好物だ、エルフが普段何を飲んでいるかは知らないが感動が薄いような気がする。
「この町にはご主人しかいないんだな」
「俺が生まれた頃からほとんどこの町に人はいないさ、娘はいるがな、ところであんたらは正規の手段でインフィニットに入ったんだな?」
「そうだ」
「そうよ」
「そうかそうか、そこの嬢ちゃんは大分若く見えるがエルフの魔力が凄まじいものだっていうのは分かっている」
「あなたはここの住人だから分からないかもしれないけど私は」
「大学の首席だろ?」
「へ!?」
マリスは素っ頓狂な顔をしていた、きっと自慢気に自分が首席だと言いたかったのだろうが、彼女の決まり文句は主人にとってお見通しだったらしい。
「ここに来るエルフは大抵が魔術大学の首席として席に座る」
「そういうこと、先客がいたわけね」
「そしてあんたは王宮戦士か冒険者だな?」
「違う、俺はただの傭兵だ」
「傭兵だって!?」
俺は王宮戦士のようなエリート部隊でも無ければ、モーガンロール大陸内を自由に歩き回る千差万別の実力を持つ自由な冒険者でもない。ただの傭兵なのだ、派遣としてアシストをしたり、落とし物探しなどが主な仕事で地位的に低い立場なのである。
「すげえじゃねえか! ここに来る客で傭兵が来たのなんて初めてだぜ!」
「本当よ、大学で見た事無いと思ったらあなた傭兵だったのね!」
「ああ、実はドラゴ……」
『その事は喋るんじゃない』
「!?」
突如として脳裏に聞こえたその声は今日起きてから一番最初に話したドラゴンである。
『お前話せたのか』
『そうだ、私はお前の中でずっと行動を見ていた、彼女が私を敵対している事もな。その力の源を話すだけでそのエルフは深く言及してくるだろう、そうなればお前はそのエルフを殺生せねばなるまい、浅い判断で過ちは犯すべきじゃないな』
『分かったよ、話さなきゃいいんだろ』
「どうしたの? そんなぼーっとしちゃって」
「ああ、実は命を懸ける仕事は苦手でな、手を抜けば王宮戦士に選ばれないと思ってこの道を歩んだんだ」
「そうか、王宮も残念な事にお前という戦力を引き抜く事ができなかったという訳だな、だがお前が選んだ道も俺には理解できる」
「本当か」
無事ごまかす事はできたがそれは主人だけであり、マリスの方は未だに訝しいと思わんばかりにこっちを見ていた。思わず『ドラ』と呟いてしまったのが彼女の心の中の何かに引っ掛かったのだろう、それに魔術とはいったが彼女のように詠唱は使わないのである。
「さて、そろそろ主人の話も聞こうかな」
「俺かい? 別に大した話はできないぜ、俺は生まれてからこの場所を離れた事が一度もない」
「一度も? じゃあこの蜂蜜酒はどうやって仕入れてるんだ?」
「材料は娘が採りに行ってるのさ、ここら辺は魔物がうじゃうじゃいて危険だからな、お前達が通った場所は安全だっただろ? あれは娘が駆除したからだ」
「娘が?」
「ただいまー! あれ、お客さん来てるんだ」
「お、丁度帰って来たようだな」
振り返ると空いた入口から入って来たのは小瓶に入った蜂蜜を大量に持った背丈が子供のように低い、百三十から百四十センチメートル程の大きさの少女だ。巨大な斧を持つ彼女は身長にそぐわない豊満な胸の谷間を露出させていた。目のやり場に困るが彼女は堂々としており、カウンターまで回ると蜂蜜が入った小瓶を棚に並べる。
「へえ~君達がね~そこのエルフはどうでもいいとして、君は人間かな」
「そうだが」
「ちょっと、どうでもいいってどういう意味よ!」
小柄な彼女はにやにやしていたが、それとは裏腹に今にも爆発しそうな勢いでマリスはその少女に飛びかかろうとしていた。もし何かあれば止めなければならなさそうな状況である。
「悪いな、こいつはエルフを見慣れていて人間を見ること自体が俺以外で初めてなんだ、他の種族にもあまり懐かなくてな」
「っふん」
マリスと小柄な少女の初対面の印象はどうやら最悪だったようだ、しかしそんな事はお構い無しに小柄な彼女は近づいては俺の身体を舐めまわすかのように三百六十度見回してくる。これ程にまで無いくらい密着してくるので乳が体に触れていたが、その事に対して何故かマリスの怒りが更に増していた。
「確かに筋肉量は凄いけど人間がこれでインフィニットの空間を破れるかと言ったら微妙かな」
「その言い方だとお前は人間じゃないみたいだな」
「その子は俺と嫁のドワーフのハーフなんだ、だから人間離れした力を持ってるんだよ」
「そういう事!」
説明したのは酒屋の主人の方だ、確かにこの小柄な身長と豊満な胸からして少し違和感はあったが、ドワーフ自体モーガンロール大陸内には存在しない伝説上の生き物だと思っていた。ドラゴンが存在した事によって頭が麻痺しているのか、この世界に足を踏み入れるなんて万一にも起こる事のないものだと思っていたのですんなりと受けいれる事ができた。
「よし決めた、僕は君と一緒に冒険する事にするよ」
「はい?」
「お前は何を言っているんだ!」
主人の怒声が店内に響く、それもごもっともな反応と言えるだろう。まだ幼い娘が世界で一番危険と言われる見えざる扉の奥深くに進むと言うのだ、親としては心配しない方がおかしだろう。
「昔から言ってたでしょ、僕が大きくなったら冒険に出てもいいって」
「小さいだろお前は」
「身体的な事じゃなくて! もう14だよ? ママ抜きにしても敵を一掃できるようになったし僕の事は心配ないよ、それに力強い味方がいた方が安心だろ?」
「はあ~」
ご主人の大きいため息からしばらく間が空く、どうやら冒険に同行するかという話を勝手に進められているようだ。それにしても14という事に驚きだが、ドワーフという生物を目の当たりにしたのは初めてだったがここまで乳が育つなのか。
「あんたら、こいつを任せてもいいのか? 本当はこの危ない大陸にこいつ一人で行かせるつもりは無かったんだがあの空間を破ったお前達になら任せられそうだ」
「あの、えっと……」
「ダーメッに決まってるでしょ!!! コウジからもなんか言って!」
先に否定したのはマリスの方だった。そもそも適当な言い訳を付けてこのエルフともいつか別れようとしていたが、更に旅の仲間が増えたら別れる機会を逃しそうだ。
「ちょっと、僕の昔からの夢を邪魔しようとって気?」
「知った事じゃないわ、どうしても付いてきたいって言うなら今すぐ私にした無礼極まりない発言を謝るべきよね~」
「僕は君とじゃなく彼と行きたいんだけど? なんで君に謝らなければいけないのかな」
いがみ合っていた二人だったがご主人は仲裁する訳でもなく裏の見えない部屋にへと入っていく。確かに逃げたい気持ちは分かる、こっちからしても今すぐこの騒がしさに紛れて逃げたい気分だ。
しかしご主人は部屋から出てくると何かがいっぱいに詰まった袋を持って、それをテーブルに置く。紐を解きその中身を全て出すと金属音が弾けて次々とテーブルで鳴り響く。テーブルに山積みになったその中身は大量のゴールドだ。
「こ、こここここれ……」
「す、すげえ……」
「少し足りないかもしれないけどこれで娘を預かってくれないか? 先程の無礼な行為は俺から謝らせてくれ、申し訳ない」
よっぽど娘が心配なんだろう、俺がこの旅に持ってきたゴールドのおよそ10倍ともいえる金額を持って来やがった。傭兵が一生懸命貯めてきた全財産がこんなにも少なかったのだと分かると今までやってきた事バカバカしくなるものだ。しかし今必要なのは金銭ではなく身の安全であり目的を果たす達成感である、自分の身さえ守れるか分からないのにも関わらず彼女を護るという保証は残念ながらできない。
「ご主人、気持ちはとてもありがたいけど」
「是非是非! この私にお任せあれ!」
っておいっ、お前が受け入れるのか。
マリスの目にあるのはもはやゴールドだけだ、大学の首席と言われるこのお嬢様が金さえ手には入れれば何でもやる奴なんて知ると同期はさぞがっかりするだろう。
「本当か! 娘をよろしく頼むよ! 今日はここで休みなさい、勿論無料だ」
「やったー! 1日目からシャワー浴びらられるなんて奇跡よ! ねえ奇跡よ!」
「よろしくねコウジ!」
「あ、ああ」
結局気世渡り上手なご主人に話を乗せられ、ゴールドをマリスと折半し娘を受け入れる事となった。シャワーを浴びた後は今まで見た事のない巨大なベッドが置かれてあり、睡眠につく。この厳しい見えざる扉という環境下でこんなにも十分に休息をつける機会は中々ないだろう。毛布の中は不思議と温かくすぐに就寝する事ができそうだ。
服越しには柔らかい何かが密着していたがあまり気にならず今すぐ寝たい気分だ、部屋は勿論マリスとは別なので彼女がこの中にいる事はありえない。