こいばな
「それにしても…、セバスチャンにシャルルとは。『シルク』は大正時代が舞台で、西洋の執事が出てくる話ではないのだろ?なんでそんな不可解な試験をしたのかね。」
私(透也)は、秋吉の不思議な話に引き込まれていた。
音無 不比等とは何者なのだろう?
藤原不比等から名前を貰ったのか。
確か、名前の意味は、この世に等しく並びなき者
だったかな?随分と自信家の作家らしい。
「そうですね。分かりません。別人かとも思ったけど、今思い返すと、やはり、あの人が先生なのかも、なんて考えたり、コーヒーを飲んだ辺りから、何だか、展開がおかしくなって来て。」
秋吉は、不服そうにそう言って、自分の台詞に何か気がついたように押し黙った。
「どうかした?」
私は気になって声をかけた。すると、秋吉はぼんやりと
「あの時、コーヒーを飲まなかったら…」
と、小さく呟いて、それから何事も無かったように続きを話はじめた。
「恥ずかしいけど告白すると、私は今、恋をしているようなんだ。」
音無は、少年のようにほほを染めて恥ずかしそうに秋吉を見た。
先程の蛇のような嫌悪感はどこにも感じられない。
今までで一番、引く台詞だと思うのに、秋吉は音無の言葉に自分の気持ちが高揚している事に、役者としての嫉妬すら感じる。
「誰かに…いや、君に聞いて欲しいな。秋吉くん。」
微かに震える唇に、音無の緊張が伝わってくる。
秋吉くん?
秋吉は、自分の名前が呼ばれたことに困惑する。
「あ、あの、セバスチャン…は。」
思わず素に戻って秋吉は音無を見上げた。
「もう、寸劇は必要ない。君の声質はよく分かったから、私は、秋吉くん、君と話がしたくなったのだ。いいかな?」
音無は、席に座りながら秋吉に同意を求めた。
こ、個人面接、なのか?
秋吉は、混乱する頭を落ち着かせるためにコーヒーを一口飲んだ。
「だ、大丈夫です。」
さて、ここから自分アピールの時間だ。秋吉は、気合いを入れて音無を見た。
「そんなに怖い顔で睨まなくてもいいから。」
音無は余裕の微笑みを浮かべて、コーヒーを口にした。
この時点で、やっと秋吉は、音無の容姿を見た気がした。
顔のシワの刻み具合から見て中年だと思う。
浅黒く引き締まった肌と、太くて真一文字に上向きに伸びた眉と、鷲のような鋭く光る瞳。
薄く知的な唇と、意思の強さを象徴するような発達した顎の魅力的な男だ。
「すいません。」
秋吉はなんだか照れながら、軽く視線をカップに移した。
「謝ることはないよ。それに、そんなに緊張しなくてもいい。最後の課題は、私の話を聞くだけだからね。私が『シルク』を書くきっかけになった話だよ。これは、誰にも話したことは無いんだけれど、私は一人の女性に恋をしたようなんだ。」
音無は、親友にでも打ち明け話をするように、少し照れた表情で、甘く微笑んだ。
その表情は自然で、幸せそうで、少しだけイタイ感じを滲ませて、深く秋吉を惹き付けた。
演技…だよな。
秋吉は、少しだけ混乱した。
これはオーディションなのだ。カメラがこちらを狙っているし、その向こうには、監督や関係者がいるはずだ。
いくら作者でも、主役の声優の決定権があるとも思えないし、何より、打ち合わせを入念に重ねただろう、このオーディションに、突然の初めての恋の告白はないだろう。
だとすれば、俺に求められているのは何だ?
秋吉は、目まぐるしく頭を働かす。
『シルク』は、Web小説としても人気があるし、秋吉も内容を気に入っている。
実業家らしいこの男は、自分の小説を成功させる為に、あらゆる手を使うに違いない。
つまり、ヒット間違いなしの作品だ。
修二郎を手に入れたい。
秋吉は、強い欲にかられた。そして、長く短いその決断の瞬間に、彼は友人の役を選び、穏やかな笑顔の仮面をかぶった。
「こいばな…ですか?」
秋吉は人好きする優しい笑顔で、数年来の友人のように音無に話しかけた。
音無は、瞬間、秋吉の優しい笑顔に惹き込まれ、それから、我にかえり、とても嬉しそうに笑った。
「…、そう、そうだよ。恋バナなんだ。彼女の事を考えると、こう、胸があつくなって…、幸せなのに、苦しいんだ。考えると眠れなくなるのに、あの人の事を思わずには居られないんだ。彼女は本が好きらしいから、彼女のために執筆したんだよ。最近、気に入った小説がないらしいからね。」
音無は、少年のように無邪気に自分の恋を語り、その表情に秋吉は胸が痛くなった。
コイツ…俳優だ。
虚構と認識しながらも、感情を揺さぶられながら、秋吉は悟った。
カメラの回るこんな空間で、初対面の人間に対して、ここまで自由に感情を表現するなんて、一般人に出来るはずがない。
大体、オーディションの最終審査で、他の役者が居ないのも不可解だ。
だとすれは、この音無と言う男もライバル。と、言うことになる。
テレビのドッキリも気になるが、どちらにしても、上手く演りさえすれば、名が上がる。
この男と演りあって、勝ち抜くことを考えよう。
「じゃあ、この物語は、愛しい女へのラブレターですね。」
秋吉も攻めに転じる。張りのある甘い声で、カメラの向こうの…まだ存在しない自分のファンにアピールする。
一瞬、抑揚の違いに気がついて、音無は少し戸惑ったが、直ぐに持ち直した。
「そう。そうかもしれないね。実を言うと、彼女は私の事をまだよく知らないんだ。山で一度会っただけなのだから。完全な片想いなんだよ。」
音無は寂しそうに目を細めて、その時の事を回想した。
片想いか…
秋吉も沈黙しながら、音無の方がかなり有利な事に気がついた。
作者役の音無は、打ち明け話をいくらでも作れるし、その度に注目される。
が、聞き役の秋吉は、それに合わせて会話をするしかないから、守りに入るしかない。
片想いは、女性の注目を浴びるし、音無は年配だが深みのある甘い軽さのあるバリトンの耳障りいい声を持っている。強敵だ。
「どんな女性ですか?」
秋吉は穏やかに音無を見つめた。
受け役で目立つためには、観客が知りたいことに切り込む事だ。
「私も良くは知らない。でも、素敵なお嬢さんだ。快活で、笑顔が素敵でね…。ああ、その前に、一つ話して置かなければいけないな。私にもかつて、気になる女性はいたのだよ。銀座でホステスをしていてね。黒目が印象的な綺麗な女だった。」
音無は昔を思い出すように、両手を組んで目を閉じる。
今度は銀座のホステス?
秋吉は、話の盛りすぎを心配する。が、自滅してくれるなら、それもいい。
「若くして死んでしまったがね。あの時は、彼女に対する気持ちが、なんなのか分からなかったから、急に世界から彼女が消えてしまうことを受け入れられなくてね。結構無理をしたんだ。」
音無は余裕で、本当に昔の記憶を思い出しているように、ほろ苦い笑いを天井に投げ掛ける。
「何をしたんです?」
乗り出すように秋吉は音無に質問する。
考えさせてはいけない。話の盛りすぎで自滅しろ。 意地悪な秋吉が心のなかで呟いた。
「死体を取り替えて冷凍保存をしたんだよ。」
音無は、子供の頃のいたずらの話でもするように、楽しそうに微笑んだ。
「冷凍保存。」
さすがに、秋吉も言葉を上手く継げなかった。
いつら何でもぶっ飛んでる。
どうしたらいい?
犯罪だと怒るべきか?
それとも、一緒になって興味深く聞くべきか?
迷う秋吉の目線の端にカメラが横切った。
負けられない。
秋吉は、方針を決めた。
「それは犯罪じゃないですか?」
キリッと音無を睨んで、取って置きの刑事の声を響かせる。秋吉は音無と闘うことにした。
「大丈夫。合法だよ。彼女の身元は分からなかったし、献体の手続きをしていたから、研究目的で保存できたんだ。」
音無は、秋吉をなだめるように優しくいった。
「コーヒーのお代わりはいるかい?」
音無は上品に立ち上がり、
「それとも、お酒の方がいいかな?」
と、壁際の小さなバーカウンターに歩き出した。
「いえ、俺はいりません。」
肩透かしを食らって、秋吉は不満を感じた。
コイツ、絶対何かやっている!
秋吉は、イライラする自分に気がついて、正気に戻る。これは、オーディションだ。音無も役者で、二人で役を取り合ってるのだ。
音無の架空の話に呑まれてどうする?
秋吉は、両手を握りしめて、静かに息を吐いた。