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音無不比等

「俺、結構ものおじとかしないんですけど、あの時は、なんだか凄く緊張しました。」

秋吉は、グレープフルーツハイを飲んだ。

「なんとなく、わかる気がするよ。で、どんな人だったの?噂の音無先生は?」

私は待ちきれずについ、言葉を挟んでしまった。

秋吉は、軽く天井を(あお)ぎ見て、

「緊張していたから、背中と、正面に据えられたカメラしか覚えてません。」

と、素直に答えた。




ドアを軽く二回ノックをして、まずは、セバスチャンが少し、高めの緊張した声を発した。


「旦那様、食後のコーヒーをお持ちいたしました。」

セバスチャンは冷静だが、演じる秋吉の心臓は爆発寸前だ。

数回、劇団の練習に参加したこともある秋吉は、何となく、その時の事を思い出しながら、瞬時に四人の使用人を頭の中からダイニングルームの各位置に配置した。


旦那様の返答は無かったが、セバスチャンは慣れた手つきでコーヒーを運ぶ。

その間に、秋吉は部屋の中を観察した。


薄暗く演出された部屋は、10畳位だろうか?それほど広くない室内に、10人掛けのダイニングテーブル。そこにドアを背に向けて音無は座っていた。マナー的にどうかは知らないが、ドアの向かいの壁には美しい現代的な日本女性の油絵と、カメラがこちらを見つめているのだから、今回は異例の配置なのだろう。

毛足の長い、高そうな絨毯を踏みしめながら、秋吉は寸劇をしている気分を味わった。


あのカメラの向こうには、今回のアニメの監督や関係者がいるのかもしれない。

それとも、本当はドッキリなのだろうか?


散漫(さんまん)する意識を呼吸と共に追い出して、秋吉はセバスチャンになりきった。


「セバスチャン、今日のコーヒーは何かな?」


音無の隣にワゴンをつけたときに声をかけられた。

秋吉の心臓が一気に圧し潰されるが、セバスチャンは、いたって冷静に微笑んでいる。


「本日はモカです。」


ドアを開ける前に、秘書のおじさんに聞いておいて正解だったと、秋吉はホッとしたが、セバスチャンは、涼しい顔で銀のポットからコーヒーカップにアーチを作り、カメラにアピールする。

こんな時は、豊富なアルバイト経験に秋吉は感謝したくなる。


しかし、セバスチャンになりきってみても、人生をすべてかけた瞬間をコーヒーカップと共に音無の前に置くのだから、手が震えてしまうのは仕方ない。


音は!音はたたないでくれ。


秋吉とセバスチャンは、静かに空気を吸い込み、憮然(ぶぜん)とこちらを見つめ続けるカメラから、出来るだけ意識をテーブルにむけてコーヒーが震えないように注意をはらう。

カップは静かに音無の前に置かれた。

もし、この時の動画を秋吉が見る機会があるとしたら、別人のように優雅にたち振る舞う自分に驚くことだろう。


しかし、音無はなにも言わず、添えられたスプーンを指で摘まんで、わざと床に落とした。


な、何すんだよ。


秋吉が、わいた怒りをなだめていると、音無は、何事もないようによく通る心地の良いバリトンでロイを呼んだ。

「すまない、スプーンを落としたようだ。拾ってくれないかロイ。」


ああ、これは、オーディションだった。


秋吉は、自分がここにいる理由を再確認した。そう、全ては試験だ。ブチキレたら敗けだ。


ロイは、給仕係りらしい。細身の長身の男を想像しながら、少し高めの甘い声で

「どうぞ。」

と、新しいスプーンをワゴンから取り出してソーサーにそえると、落ちたスプーンを回収する。


「シャルル、明日の予定を聞かせてくれないか?」

スプーンを拾って安心したのもつかの間、次はシャルルに声がかかる。

「はい、よろしいですか?」

秋吉は、ワゴンのはしにおいてあるスケジュール帳の意味を今理解しながら、急いでページをめくる。が、不服そうな音無の声が、作業を止める。

「ロイ、君には聞いてない。」


え?ロイだって!


秋吉は、少し焦った。同じように聞こえたのか。

「申し訳ございません。シャルル早く旦那様に明日の予定をお伝えしなさい。」

とっさに、セバスチャンがフォローに入る。


「シャルル。私は君の低くて明るい声で予定を聞くのが楽しみなんだよ。他の人間に仕事を預けてはいけない。」

音無の発言で、秋吉のハードルが上がる。


低くて明るい声って…


秋吉に余裕が無くなってくるが、それでもシャルルはスケジュール帳を持ち直し、明日の長々とした予定を読み上げる。


つぎは、ベンだ。それで終わりだ。ベン…


シャルルが調子よく予定を音無に告げる短い間に、秋吉は、頭の中からベンを探しだす。


体の大きい豪気な男だ。

ベンのキャラが決まったことに安心して、秋吉はシャルルに専念する。


やはり、台本があるのはいい。


音無は、コーヒーを飲みながら無言でそれを聞いていたが、予定が一通り読み終わる頃、ふっと、秋吉の方を振り返り、

「ありがとう。シャルルもう下がっていい。」

と、秋吉の目を見つめて言った。


「は、はい。」


この時、秋吉は誰の声で答えたのか、自分でも理解できなかった。

ただ、音無と目があった瞬間、背中にゾクッとした悪寒が走り、居すくめられたように立ちすくんでしまったのだ。

それは、蛇を見つけたときの反応のように、DNAに刻み込まれているような、そんな本能的な恐怖だ。


「セバスチャン。コーヒーのお代わりを頼む。」

音無の声に、秋吉は我に帰り、とりあえず無言でコーヒーをカップに注いだ。


不合格なんかな…。


秋吉はミゾオチに重い何かを抱えたような気持ちになる。

しかし、終わりを告げられるまでは、()り続けるしかない。それがプロのオーディションだからだ。

「ありがとう。セバスチャン。今日はとても気分が良い。少し、話し相手をしてくれないか?」

音無がそこで立ち上がり、秋吉の肩を叩いてセバスチャンをしっかりと呼び戻した。


「さあ、他の者はもう下がるといい。私は友人と語り合いたいのだからね。」

音無は、カメラ目線で大袈裟(おおげさ)に両手をひろげて言うと、セバスチャンに自分の隣の椅子に座るように促した。

「今度は私が友人のためにコーヒーをいれる番だ。私には気のおける友人は君しか居なくてね、セバス、君は相談にのってくれるだろ?」

音無は、明るく言いながらコーヒーをセバスチャンにいれて、作り出したキャラクターがすっかり部屋から消えるのを少し待っていた。

「遠慮なく飲みたまえ。」

明るい音無の声に、促されて秋吉とセバスチャンは、コーヒーを口にした。


初めから音無と秋吉の、カップが二つあると言うことは、これもシナリオなのだろう。


しかし、音無は作家とは思えない大胆な、役者のような男だと秋吉は思った。


必死で作り上げたベンを披露できないのは残念だが、何となく、オーディションの山を越したような手応えを秋吉は感じた。


「さて、セバス、誰も居なくなったから、打ち明けるけれど、驚かないで最後まで聞いてくれるね?これは私、修二郎の初めての気になった女性の話なんだ。こんな話は…他の人間には出来ないだろ?」

音無は少し恥ずかしそうに口元をゆるめて、(まぶ)しそうに目を細めた。


「好きな女性について、誰かに話すなんてはじめてだから、上手く説明できないかも知れないな。でも、君は許してくれるだろ?」


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