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猫であること  作者: 藍沢義也
7/7

大作戦

いい頃合いになってきた。

次なるは、夕陽大作戦だ。

私たち猫は、天候予測に関しては人間のはるか上を行っている。図らずも、今日は絶好の夕陽日和になるはずなのである。

夏から秋にかけての夕陽は最高に美しい。

ピンクとオレンジと、そしてちぎった綿菓子のような雲が浮かぶ夕刻。

「散れ」と私はネコパシーを送った。

名残惜しそうな猫達も、しぶしぶ立ち去っていく。

すっかり猫の姿が消えて、

「行っちゃった…」と不満げなユミに、

「見て」と主人が言った。

下方ばかり見ていたユミが顔を上げた。

「きれい……」

私の目に狂いはない。それはそれは美しい夕焼けだった。

二人は言葉も交わさぬまま、静かに空を眺めていた。

口下手で、不器用で、空気の読めない主人にはこれが最適なのだ。

言葉のいらない時間が。



大分日が暮れてきた。

「行きましょうか」

主人はユミをいざない、ベンチから腰を上げた。

いいデートになったのではないかと思う。が、私は内心ほくそ笑んだ。総仕上げはこれからである。

"主人達が帰るぞ"とネコパシーを送る。"配置に着け"

公園を出た主人達は、あぜ道を並んで歩いていた。

まだ二人の間に距離はあるものの、行く道よりはいくぶん近付いている気がする。

主人が何かを言い、ユミが笑った。多分、何かつまらない冗談を言ったのだろう。

我々が隠れている地点に向かって、二人が近づいてきた。

最後は抱擁作戦である。

草むらに隠れている猫達が、一斉に主人にタックルを食らわせる。すると、よろめいた主人がユミに抱きつき、二人の距離はぐんぐん縮まるという重要かつ最終ミッションである。結局のところ、スキンシップに勝るものはない。

体が触れ合えば、心も触れ合う。これ定石。放っておいたら手を握るまでに一年はかかりそうな主人である。そんな悠長なことをしていたら、あっという間に他の男にかっさらわれてしまう。だから、これくらい大胆な作戦が必要なのだ。

ついに主人達がポイントにやってきた。

"今だ!"と私は合図を送る。

それを受けて、猫達が一斉に飛び出した。

誰が悪いかと言えば、確かに猫達の突進力を甘く見ていた私にも非がある。が、その辺はおのおのが調節できなかったか。

全身で猫達のタックルを受けた主人は、よろめくというよりは、明らかに吹っ飛ばされた。主人が一人吹っ飛ぶ分には構わないが、当然隣を歩いていたユミに体当たりする羽目になる。

泥水のたまった田んぼに、ユミがダイブした。



策士、策に溺れるとはこのことか。

私は素知らぬ顔をしながらも、居間の隅で恐る恐る様子をうかがっていた。

ノラ猫どもは、私の報復を恐れてとっくに逃げ出している。

落ち着かないのは主人も同じらしく、動物園の熊みたいに行ったり来たりしている。

それはそうだろう。デートは大失敗。継ぎに会ってもらえる可能性を考えると、それは低いと言わざるを得ない。なんたって、田んぼに突き飛ばしているのだから。

すまない、主人よ。

しばらくして、風呂で全身泥水を洗い流したユミがタオルで髪を押さえながら、湯気をまとうように居間に入ってきた。

「すみませんでした。お風呂貸してもらってしまって」

言われた主人はポカンとユミを見ていた。まるで、今まで見たことのない新種の生物であるかのように。

洗い髪が色っぽかったのか、主人のだぼだぼのシャツを着ている姿に悩殺されたのか。

明らかに狼狽していた。

主人は、目のやり場に困りながらユミにコーヒーをいれた。

向かい合って、静かにカップを傾ける二人。

私はごくりと唾を飲んだ。

もし私が田んぼに落とされて泥だらけにされたのだとしたら、必ず八つ裂きにする。果たして……。

突然、ユミがぶっと吹き出した。

それから、思い出すと止まらないといった風にケラケラと笑いだした。

「私、田んぼに落ちたのなんて初めて」

うむ。それは見事な落ちっぷりであったことは間違いない。

何かのツボを刺激されているらしく、ユミは涙を流しながらひーひー笑っていた。

つられて主人も笑いだす。

ひとしきり笑いがおさまると、そこにはいつの魔にか親密で穏やかな空気が流れていた。

「あ、もう時間も時間なので…」と主人が椅子から立ち上がった。

送ります、の代わりに「夕食を一緒にどうですか?」と言った。「何か作ります」

主人!

そんな、と言ってユミが立ち上がった。

「私が作ります」

それから、いやいや僕が私がという不毛な水掛け論をしたあとで、

「じゃあ、一緒に作りましょうか」と主人が言った。

主人!!!

この時、私は2/8初めての喝采を主人に送った。

そう、やれば出来る男なのだと私は信じていたぞ。

二人は照れながら台所に立ち、勝手が分からないユミを主人がサポートする形で料理が進んでいった。

女が台所に入るようになったら腹をくくれ、というのは誰の言葉だっただろうか?

主人はいつも幸せそうな顔をしているが、今日はまた別格だ。

あの二人の距離はどうだろう。

今にも肩が触れ合わんばかりではないか。

私は月夜を見るためにサンルームに移った。

虫達の声が聞こえる。

終わりよければ全てよしだ。



田んぼで焼くもみがらの煙が、うっすらとサンルームにも入ってくる。

なんとも眠りを誘う匂いだ。

秋。日がなここで日向ぼっこをするのに最適な季節である。

怠惰ですら、私が身にまとうと美しい。それが私。

「にゃんこ」と主人が私を呼んだ。

へへへ、と笑いながらサンルームに入ってくると、

「おみやげだ」と私に紙袋を見せた。

中に入っていたのは、首輪。

ビロードのような生地の赤い首輪。私の高貴な雰囲気にぴったりだ。

「ユミさんと一緒に選んだんだ」

だろうな、と思う。主人はこんなにセンスが良いわけがない。

ピカピカの金の鈴が付いている。

「付けてやる」と主人が言って、これまでのボロをはずし、新しい首輪を付けてくれた。

新品の匂いがする。

それから、懐かしい鈴の音。

「いい音だなぁ」と主人が言った。

「そうだ、お前の名前は鈴にしようか」

リンリンと小気味よい鈴の音は、これからもこの街に響くことだろう。



おわり

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