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猫であること  作者: 藍沢義也
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決闘2

赤ん坊の頃の私は、真っ白な猫だった。

成長するにつれ、徐々に茶色の模様があぶりだしのように浮かんできた。

今では、ミルクに少しチョコシロップを垂らしたようなグラデーションのきいた毛色になっている。

目は角度や光の具合によって変わる、南国の海のような綺麗なグリーンブルーで、私がきっと睨むと、大抵のオスは腰砕けになる。

おそらくシャムの血が入っているんだろうと誰かが言っていたが、私は生まれたときの事は覚えていないし、両親の顔も知らないので確認する術はない。

陽だまりの中で、私は毛づくろいをする。

飼い猫だろうがノラだろうが、私はこの日課を欠かしたことはない。毎日、隅々まで綺麗にする。そこまではやっていられないという猫達も多いが、私にとってはこれ以上大切な事はないのだ。

美しくいる事は、私が神様から与えられた仕事なのだから。

そこには一切の言い訳は存在しない。何よりも優先すべきは天命なのであるからして。

納得するまで全身をつやつやにしてから、水を飲む。

主人はというと、裏庭で、隣に住んでいる畑好きのじい様と話し込んでいる。手に野菜のいっぱい入った袋を提げているところをみると、またお裾分けをしてもらったのだろう。

頼りない性格と風貌が功を奏しているのかどうか、主人は色んな物をあちこちでもらってくる。特に野菜や果物に関しては、主人がお金を出して買ってきたのを見た事がない。

日が傾き始めるころに、ドロが急ぎ足でやってきた。

「あねさん」

何やら慌てた様子で、サンルームのドアの敷居にちょんと前足を乗せる。「大変です」

面倒な予感がして、私はため息をつきながら、

「なに?」

「片目の親分がやられました」

やれやれ。

私にしてみればどうでもいいのだが、ドロの話をまとめるとこういう事だ。

この界隈を仕切っているのが"片目"と呼ばれるボス猫である。その名の通り、片目が潰れていて見えない。その"片目"が発情期後でぼろぼろになっている所をよその猫に襲われてシマを奪われた、とそういう話。

「あいつはしょっちゅう発情してるからね。物を食いすぎなんだよ。だから無駄なエネルギーがたまる」と私は言った。

発情期などは年に一度で十分だろうに。

オス猫は、発情するとメスを奪い合ってやたらと喧嘩するから、事を終えた後には大抵ぼろ雑巾のようになっている。

「いいんじゃない?」と私は続けた。「誰だっていつかは倒される。強いのがボスになる。それが決まりじゃないか」

「あっしだってね、正々堂々と片目の親分が親分がやられたんなら納得しますよ。でもね、弱っている所を三人がかりで襲うなんざ許せません」

またドロの熱い、そして中途半端な正義感が顔を出してきた。うっとおしい。

だったら、あんたがやり返してボスになればいいと言うと、

「あっしじゃ勝てません!」

とそこは自信満々に言うので呆れた。「あねさん、片目の親分の仇を取って下さい!」

「やだよ」

「返答が早い!」

「そりゃそうでしょ。私はね、誰がボスになろうが興味ないの。おまけに片目には何の義理もないしね」

「そんな事言わないで。あんないけすかない野郎がここを仕切ったら大変な事になりますよ」

「それを解決するのがオスの仕事だろうが」

「どうしても駄目ですか?」

「くどい」

私は、話は終わりだとシッシッと追い払うように手を振った。

「じゃあ、チャオチュールでどうです?」

ドロの奴が奥の手を出してきやがった。

「チャ…」

チャオチュールだと?

ごくり、と喉が鳴った。

「手に入ったのか……?」

「あっしの腕を甘く見てもらっちゃあ困りますよ」

ドロがにやりと笑った。

チャオチュール。

クリーミーな舌触りと絶妙な味。くだらないものばかり生み出す人間達が作り出した最高傑作と言っていいだろう。神の英知とも思えるあれが……。

ドロがじっと私の目を見た。

「仕方ないな」

私はしぶしぶと立ち上がった。「片目の奴に恩を売っておくのも悪くないだろう」



まんまとドロに乗せられた形で、私はやつらの根城に向かった。

一つことわっておくが、私は乗せられたのではなく乗ってやったのである。私の欠点は優しすぎる事だと思う。

主人の家からまっすぐ南に向かうと大きな墓地があって、その隣につぶれた工場がそのまま残っている。片目の奴はここを拠点にしていたが、今では無法者の三匹が居座っているらしい。

面倒は瞬速で片付けてゴロゴロするのが私のモットーだ。ドロを従えて、私はずかずかと工場跡地に入っていった。

ここは人間が来ることは滅多にないから、猫の楽園である。

建物の中に入ると、中央の作業台の上で虎猫がふんぞり返っていた。余裕たっぷりに腹を見せている。

「あいつか」とドロに確認すると、「へい」と短く返ってきた。

大きなオス猫だった。片目と比べても一回り大きいのではないか。これではまともにやりあったとしても片目は負けていたかもしれない。

何よりあの狡猾そうな顔。田舎でのんびり育った猫でない事は明らかだ。おそらく、都心から下りてきたのだろう。

私達を見ると、その場にいた猫達は一斉に顔を上げた。

ボスの虎猫の足元には手下が一人、そして少し離れた箱形の機械の上にもう一人。あとはメス猫達が……六匹はいるか。

「なんだ、お前らは」

機械の上にいたサバ虎が、ひょいと下りてきて言った。

「きれいな姉ちゃんだなぁ」と虎猫が言った。「ハーレムに入りたくて来たんだろう。来い、来い」

メス猫達が、むっとして私を見た。

ドロが鼻息荒く、私を押しのけるように前に出ると、

「親分の仇、とらせてもらう」と堂々と言い放った。

虎の威を借る狐を忠実に再現している。

「ほぉ」

ボスの足元にいたブチの方も立ち上がった。

「お前らの卑怯なやり方は許せん!」と、どこぞの熱いテニスプレイヤーのごとくドロが吠えた。私に使った手口もそこそこ卑怯だったけどな。

ボスの虎猫が笑った。

「領土を奪うのに卑怯もへったくりもあるか」

その通りだと思う。

問題は自分の望みを叶えられるかどうかだ。紳士面したい者はすればいいし、奪いたいものは奪えばいい。だから、私もぐいっとドロを引き戻すと矢面に立った。

「私の望みのために消えてもらうよ」

それを聞くと、虎猫はさっきよりも大きな声で笑った。

「お姉ちゃんがやるってのかい?……まぁ、女のわがままに付き合ってやるってのも男の役目だわな」

ボスは手下二人に向かって顎をしゃくった。「ほどほどにな。あまり傷を付けるなよ」

サバ虎とブチが、にやにやしながら私に向かって歩いてきた。

「片方はあっしがやります」とドロが言ったが、必要ないと首を振った。

わずかな動きを見ていれば分かる。この二人は全くの雑魚キャラクターである。

私の方も二人に向かってとことこと歩いていく。

好きなだけ油断しておけ、と思う。女なんかにというその思い込みに、こちらもつけ込ませてもらう。

ためを作り、左右からやってくる二匹のオスの間をしゅっと通り抜ける。

交差した爪が、すれ違いざまに彼らの喉を裂く。

何も言葉を発せられぬまま、二人の手下はどしゃっと砂ぼこりだらけの床に倒れた。

「悪いわね」と私。「見せ場を作ってあげるほど優しくないのよ」

虎猫の耳が、ぴくぴくっと動いた。

ドロは静かに首を振っている。いつもながら見事、そういう顔だ。

実を言えば、ドロにしたって初めは私の妖艶な魅力に勝手にはまってちょっかいを出してきた口である。一瞬で返り討ちにして以来、分をわきまえているが。

虎猫の顔つきが完全に変わっていた。面白がるような表情が消えて、品定めするようにじっと私を見ている。

「なかなかの手練れだな」

虎猫がひらりと作業台から飛び降りた。

その動きを見たら肝が冷えた。

こいつ、ただ大きいだけじゃない。しなやかで強靭な筋肉と関節。

ちょっとまずいかもよ、と私の本能が告げる。

「もしや、お前が…鈴とかいう猫か?」と虎猫が言った。

「あら。私、そんなに有名人だったかしら?」

ふん、と虎猫が鼻を鳴らす。

「俺はな、なわばりを狙ったらまず徹底的に調査するんだ。行き当たりばったりに動いたりはしない。……あの"片目"を片目にしたのはお前さんだとか?そんな噂を聞いたぜ」

「さぁて…」私はにっこりと笑ってみせた。「どうだったかしら。ごめんなさい。私、つまらない事ってすぐ忘れちゃうの」

お互い軽口を叩きながら距離をつめ、タイミングを計っている。

さすがに、つうっと冷や汗が出た。対格差がありすぎる上に、相手は動きが洗練されている。もしスピードが互角だとしたら、パワーとスタミナで私が負ける。

私が様子を見ているのに気付いたか、虎猫が仕掛けてきた。

びゅんと巨体が跳んできて、猫パンチが飛んできた。

私は瞬時に体をねじって飛び退けたが、かすっただけで頬がびりびりした。

「ふぅ…」

正直なところ、これは完全にまずいと思った。

いかに天下の逸品と言えども、さすがにチャオチュールと命を天秤にかけるわけにはいかない。

だけど、困ったことに逃げるわけにもいかない。美しい私には、同時にプライドというやっかいな十字架を背負わされているからである。

とはいえ、ボロボロになりながらも勝利を掴むといった青春漫画的展開にはまったく興味がないので、私はいったんボス猫から距離を取ると、ドロに耳打ちした。

「マジすか!」

ドロは悲壮な声を上げたが、

「お前にしか出来ない」

私が魅惑の流し目を使うと、顔を赤くして、

「やります」と鼻の穴をふくらませた。

私の作戦とはいかなるものか。

まずは、ドロがまっすぐに虎猫に向かっていく。

奴がドロをはね除けるや否や、私が突っ込んでいく。

「そんなもん効くか」

虎猫が私を照準に捉えた刹那、

後ろに回り込んでいたドロが虎猫の尻尾をぐいっと踏んずけた。

にっと私が嗤う。

猫がなぜに素早い動きが出せるのかと言えば、それは一言で言えば全身のバランスである。尻尾を押さえられたらどうなるか…?

私を狙ったパンチが大きく空を切った次の瞬間、私の爪が奴の胸を裂いていた。

が、浅い。とっさに身を引く運動神経はさすがだ。

私はそのまま空中で体を反転させて、今度は虎猫の顔を切りつけた。

「ぎゃ!」

虎猫は、そのまま背中からどんと倒れ込むと、

「卑怯だぞ!二人がかりなんて」と顔を押さえながら喚いた。

「あら」

私は首をかしげると、「領土を取り戻すのに卑怯もへったくりもないんじゃないかしら」

それから、ずいっと虎猫に顔を近づけると、

「あなたも片目になっちゃったわねぇ。どうする?今なら出血大サービスでもう一つも潰してあげるけど」

虎猫がほうほうの体で逃げ出したのは言うまでもあるまい。

それから、一度も姿を見ることはなかった。

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