第8話(最終話):独立国家『メンテナンス・キングダム』
「……ぬぅぅぅぅぅぅぅぅッ!」
地下十層、コアルーム。
俺の唸り声が、静謐な空間に響き渡る。
全身の筋肉が軋み、握りしめたレンチが悲鳴を上げる。
相手は、千年間放置され、完全に固着した直径十メートルのメインシャフトだ。油圧ジャッキも電動工具も通用しない。頼れるのは、てこの原理と、俺の体重、そして「絶対に直す」という意地だけだ。
『マスター! 心拍数が危険域です! これ以上は……!』
マキナの悲痛な声が聞こえる。
配信画面の向こうでは、全人類が息を呑んで見守っているはずだ。
だが、今の俺にはそんなことはどうでもいい。
俺の指先が、金属の微細な「遊び」を感じ取ったからだ。
――今だ。
俺はありったけの力を込め、最後の一押しを加えた。
ガキンッ!!
凄まじい金属音が炸裂し、火花が散った。
固着していた錆が弾け飛び、巨大なリングが、ゆっくりと、しかし確実に動き出した。
ゴゴゴゴゴゴ……。
重厚な振動が足元から伝わってくる。
止まっていた心臓が、再び鼓動を始めたのだ。
『……循環システム、再接続。マナ流量、正常値へ復帰。出力、上昇します!』
光の球体が眩い輝きを放ち、七色の光の粒子が噴水のように吹き上がった。
その光は天井を突き抜け、地上の空へと駆け上がっていく。
――その瞬間、世界が変わった。
世界中を覆っていた分厚い鉛色の雲が、光の奔流によって瞬時に消し飛ばされた。
淀んでいた空気が浄化され、澄み渡るような青空が広がる。
枯渇しかけていた油田や鉱脈に、再び大地のエネルギーが充填されていく。
異常気象は収まり、穏やかな風が吹き抜ける。
それはまさに、星そのものが深呼吸をしたかのような奇跡だった。
『うおおおおおおおお!』
『晴れた! 空が青いぞ!』
『空気が美味い……嘘だろ、喘息の発作が止まった』
『株価が! 資源価格が適正値に暴落してる! インフレが終わった!』
『おっさんが……スパナ一本で世界を直しやがった……!』
『神様ありがとう。いや、管理人さんありがとう!』
『#世界修復完了 #メンテナンスの神』
世界中が歓喜の渦に包まれる中、当の本人はその場に大の字になって寝転がっていた。
「はぁ……はぁ……終わった……」
全身汗だくで、ツナギはボロボロだ。
だが、耳に届く規則正しい機械の駆動音――星の鼓動――が、何よりの報酬だった。
「いい音だ……。これでもう、しばらくは大丈夫だろう」
俺はニカッと笑った。
* * *
それから一ヶ月後。
俺のダンジョン周辺は、劇的な変貌を遂げていた。
といっても、観光地化されたわけではない。
ダンジョンを中心とした半径五キロメートルが、国際条約によって『聖域』に指定され、いかなる国家の干渉も受けない「独立特別区」となったのだ。
通称、『メンテナンス・キングダム』。
俺はそこの「国王」……ではなく、「管理人」として認定された。
ダンジョンの入り口前には、世界各国の政府や大企業から送られてきた「貢物」の山ができている。
最高級のコーヒー豆、最新の工具セット、極上のタオル、そして大量の感謝状。
かつて俺に土下座したあの社長と役人は、失脚することなく「管理人とのパイプを持つ唯一の人間」として出世したらしい。今は定期的に高級菓子折りを持って機嫌を伺いに来る。
「マスター、本日のお届け物です。『スイスの銀行から、国家予算の1%を振り込みたい』との申し出が来ていますが」
エプロン姿のマキナが、タブレットを見せながら尋ねてくる。
俺はハンモックに揺られながら、興味なげに手を振った。
「いらない。金を使える店も近くにないしな。それより、あの新しい電動ドリルのカタログを見せてくれ」
「承知いたしました。では、丁重にお断りしつつ、代わりに最新型のインパクトドライバーを要求しておきますね」
マキナはクスクスと笑った。
足元では、以前よりも一回り大きくなったスライムのポチが、献上品のマカロンを美味しそうに消化している。
ここには、俺を縛るものは何もない。
納期もない。
理不尽な上司もいない。
将来への不安もない。
あるのは、愛すべき機械たちと、それを守るための毎日のルーチンワークだけ。
衣食住はダンジョンが全て提供してくれる。まさに究極のスローライフだ。
「さて、と」
俺はハンモックから降り、真新しいツナギに袖を通した。
腰には、世界中の職人が羨むオーダーメイドの工具ベルト。
手には、使い慣れた点検ハンマー。
「どこへ行かれるのですか?」
マキナが尋ねる。
「決まってるだろ。今日の点検だ」
俺はダンジョンの奥、駆動音が響く闇の方へと顔を向けた。
「世界がどうなろうと、機械は待ってくれないからな。油を差して、ボルトを締める。それが俺の仕事だ」
俺が歩き出すと、マキナとポチも嬉しそうに後に続いた。
その背中には、今日も世界中から数億件の「いいね」と、無言の感謝が降り注いでいる。
Fランク指定された廃ダンジョン。
そこは今や、世界で最も重要な場所であり、そして世界で一番幸せな「おっさんの職場」となっていた。
(全8話 完)
本作はGemini3が執筆しました。




