第3話:ASMRと株価の乱高下
機械には「歌」がある。
調子の良い機械は、一定のリズムで心地よい和音を奏でる。逆に、どこかに不調を抱えた機械は、不協和音を発する。
俺は、その「音」を聞き分けるのが得意だった。
「……ここか」
地下二層。そこはまるで巨大なパイプオルガンの内部のような空間だった。
天井まで届く無数の真鍮製パイプ。そこを流れる高圧蒸気が、複雑な経路を辿って動力部へと送られている。
昨日のメンテナンスで吸気ファンと主配管は直した。だが、まだ何かがおかしい。
耳を澄ます。
シュゴオオオ……という重低音の中に、微かに混じる高い金属音。
――チリ、チリ、チリ……。
針先でガラスを引っ掻くような、神経に障る音だ。
「キャビテーション(空洞現象)気味だな。流量調整弁のバランスが狂ってる」
俺は腰袋からドライバーを取り出し、その柄を耳に当て、先端をパイプに押し当てた。聴診器代わりにして、ノイズの発生源を探る。
今の俺は、ただの設備屋ではない。この巨大な古代プラントの調律師だ。
――その時、ダンジョン・チューブの配信画面では、異様な現象が起きていた。
画面には、薄暗い蒸気の中でパイプに耳を押し当て、目を閉じて集中するおっさんの横顔が大写しになっている。
BGMはない。あるのは、蒸気の音と、時折響く金属の接触音だけ。
しかし、その「音質」が異常だった。
マキナの超高性能マイクが拾う音は、視聴者の脳髄を直接揺さぶるような、極上のASMR(自律感覚絶頂反応)となっていたのだ。
『やばい、ヘッドホンで聞いてたら脳みそ溶けそう』
『おっさんの吐息と蒸気の音がサラウンドで聞こえる……』
『なにこの没入感。不眠症だったのに秒で寝落ちしそう』
『#睡眠導入 #作業用BGM #おっさん』
『この人の真剣な顔、なんか見てて落ち着くな……』
コメント欄は「癒やし」を求める視聴者で溢れかえっていた。
現代社会のストレスに疲弊した人々にとって、余計な演出のない、純粋な「職人の静寂」は、最強の精神安定剤だったのだ。
同接数は10万人を突破しようとしていた。
だが、事態は「癒やし」だけでは終わらない。
「見つけた。第三バイパス弁だ」
俺は、直径三十センチほどの丸いハンドルに手をかけた。
締めすぎれば圧力が上がりすぎて破裂する。緩めすぎれば出力不足になる。
必要なのは、ミクロン単位の微調整だ。
俺は息を止めた。
指先の感覚だけに全神経を集中させる。
クッ……。
錆びついたバルブを、一ミリだけ動かす。
チリ、チリ……というノイズが、少しだけ高くなる。
「違う、逆か」
クッ、クッ……。
慎重に、慎重に、戻していく。
ノイズが消え、流れるような重低音へと変わっていく一点を探る。
その指先の動きに合わせて、現実世界の経済指標グラフが、心電図のように跳ね上がった。
東京株式市場、後場。
エネルギー関連株が突如として乱高下を始めたのだ。
俺がバルブを緩めると、ダンジョンから地上へのマナ供給量が爆増し、電力会社の株価が暴落する。
俺がバルブを締めると、供給が絞られ、今度は代替エネルギー株が急騰する。
俺の指先ひとつで、何兆円という金が動いている。
『おい! 日経平均がバグってるぞ!』
『東電の株価がナイアガラwww』
『原因なに!? テロ!?』
『いや、このおっさんだ! おっさんがバルブ回すとチャートが動くんだよ!』
『嘘だろwww 世界経済の蛇口握ってんのかこの人』
『やめろ! そこを右に回すな! 俺の含み益が飛ぶ!』
『もっと回せ! 電気代安くしてくれ!』
投資家たちの悲鳴と歓喜が入り乱れる中、俺はついに「正解」を見つけた。
ここだ。
俺は指を止めた。
シュゥゥゥゥーーーー……。
ノイズは完全に消え、パイプライン全体が美しいハミングを奏で始めた。
完璧な層流。エネルギーロス率0.0%。
「……よし、いい音だ」
俺は額の汗を拭い、満足げに頷いた。
達成感と共に、身体の力が抜けていく。
その瞬間、東京市場では「エネルギー価格の安定」が確認され、株価の乱高下がピタリと止まった。
俺がただ「静かな環境」を求めて調整した結果、日本経済はかつてないほどの安定供給(エネルギー・インフレの解消)を享受することになったのだ。
『音が……変わった』
『すげえ、完全な静寂と重低音』
『神回確定』
『【速報】来月の電気代、半額になるらしいぞ』
『おっさんありがとう……マジでありがとう……』
『スパチャ投げたいけど機能がない! 運営なんとかしろ!』
「ふあぁ……」
俺は大きなあくびをした。
神経を使ったせいで、急激な眠気が襲ってきた。
ここなら暖かいし、音もうるさくない。
俺は温かいパイプの隙間に身体を潜り込ませた。蒸気の熱が床暖房のように心地よい。
「今日はここで仮眠にするか……」
俺は帽子を目深に被り、目を閉じた。
世界経済を混乱と歓喜の渦に叩き込んだ張本人は、その自覚もないまま、数分後には安らかな寝息を立て始めた。
その寝顔すらも、「究極の癒やし動画」として切り抜かれ、拡散されていくことを知らずに。
(第3話 完)




