第2話:ゴミだと思っていた埃が、国家予算級だった
翌朝。
目が覚めると、規則正しいファンの駆動音が耳に届いた。
シュゴオオオ……と低く唸るその音は、俺にとってはどんなクラシック音楽よりも心地よい目覚まし時計だ。
寝袋から這い出し、伸びをする。空気は昨日よりも澄んでいて、淀んでいた地下特有の臭気も消えていた。
「順調だな」
俺は携帯コンロで湯を沸かし、インスタントの味噌汁を作った。具は乾燥わかめだけだが、労働の後の朝食は格別だ。
腹ごしらえを済ませると、俺はすぐに作業着の袖をまくった。
昨日の試運転で、吸気ファンは動き出した。だが、それはほんの入り口に過ぎない。
俺のスキル【構造解析】が、この奥にあるパイプラインの深刻な「詰まり」を警告していたからだ。
「今日の現場はここか」
ファンの裏手にあるメンテナンス通路を抜け、俺は巨大な配管エリアに出た。
直径一メートルはある太いパイプが、複雑怪奇に絡み合っている。その継ぎ目という継ぎ目に、ビッシリとこびりついているものがあった。
七色に光る、硬質な結晶体だ。
場所によっては鍾乳石のように垂れ下がり、パイプを完全に塞いでしまっている箇所もある。
「うわぁ……こりゃ酷いな」
俺は顔をしかめた。
これは「マナ・スケール」。水道管で言うところのカルキ(石灰)汚れと同じだ。
高濃度の魔素が長期間滞留すると、こうして結晶化して配管を詰まらせる。設備屋にとっては親の敵のような存在だ。
「硬そうだな。ケレン(錆落とし)じゃ追いつかないか」
俺は工具箱から、タガネとハンマーを取り出した。
カンッ! カンッ!
鋭い打撃音が響く。
俺は無心で結晶を叩き割っていく。美しく輝く結晶が砕け散り、床にガラガラと積み上がっていく。
――その時、ダンジョンの外、すなわちインターネットの世界では、昨夜の比ではない騒ぎが起きていた。
『おい、今の見たか!?』
『レインボークリスタルだろあれ!?』
『嘘だろ……過去2年間で世界で5個しか発見されてない超レア素材だぞ!?』
『発電所の炉心に使うやつじゃん! 1個で億いくぞ!』
『おっさん! それ砕くな! 丁寧に採取してくれえええ!』
『ああっ! 雑に足で蹴飛ばした!』
『もったいねえええええ!』
コメント欄は阿鼻叫喚の嵐だった。
だが、地下深くにいる俺の端末には電波が届いていないし、そもそもマキナが配信していることすら知らない。
俺にとって目の前のこれは、ただの「産業廃棄物」でしかないのだ。
むしろ、配管の寿命を縮める憎き邪魔者だ。
「しっかし、硬いな……」
俺は額の汗を拭いながら、一際大きく成長した結晶の塊と対峙していた。
大人の頭ほどのサイズがある、見事な七色の塊だ。
普通なら観賞用として床の間に飾るレベルかもしれないが、あいにくこいつはメインバルブの回転軸にガッチリと食い込んでいる。
「ここを外さないと、圧力が逃げないんだよ」
俺はタガネの角度を調整し、職人の勘で「急所」を見定めた。
ここだ。
カァァァン!!
会心の一撃。
キィン、という澄んだ音と共に、巨大な虹色の塊がゴロリと床に落ちた。
「よし、取れた」
バルブは見事に露出した。俺は邪魔な結晶を足先で無造作に転がし、瓦礫の山へと追いやった。
『ぎゃああああああああ!』
『今のやつだけで小国の国家予算並みだぞ!?』
『ミント製薬が喉から手が出るほど欲しがってる特級触媒だ!』
『俺なら一生遊んで暮らせるのに……』
『このおっさんにとってはお宝もただのゴミなのか……』
『ある意味、最強の贅沢動画だわ』
視聴者たちは、画面の前で頭を抱えたり、拝んだり、あるいはその無欲さ(無知さ)に奇妙な畏敬の念を抱き始めていた。
同接数は、早朝にもかかわらず既に3万人を超えようとしていた。
ハッシュタグ「#神の掃除屋」が、トレンド入りを果たした瞬間だった。
「ふぅ……だいぶ片付いたな」
一通りのハツリ作業(コンクリートなどを削る作業)を終え、俺は満足げに息をついた。
足元には、キラキラと輝く瓦礫の山。
邪魔だな、と俺は思った。
通路を塞いでいるし、角が鋭利で危ない。
「後でまとめてトロッコに乗せて、廃棄坑に捨てるか」
独り言を呟きながら、俺は次の作業工程を確認する。
詰まりが取れたなら、次は潤滑油の注入だ。
俺は腰のベルトからグリスガンを抜き取った。
ヌルリとした油を可動部に塗り込んでいく。地味な作業だが、これが機械の寿命を決める。
その、あまりにも手慣れた、慈しむような手つき。
それを見た視聴者たちの反応が、少しずつ変化し始めていた。
『なんか……見てて気持ちよくなってきた』
『わかる。宝石をゴミ扱いするのも凄いけど、この手際がエグい』
『音が良いんだよな、音が』
『カンッ、て音と、グリスのヌチャッて音のASMR最高』
『俺も仕事行きたくねぇ。ずっとこれ見てたい』
当初の「もったいない」というパニックから、次第に「プロの仕事を眺める快感」へと、視聴者の需要がシフトし始めていた。
現代社会のストレスに晒された人々にとって、余計な言葉を発さず、ただ黙々と目の前の問題を解決していく俺の姿は、一種の清涼剤として機能し始めたのだ。
「……よし、回すぞ」
グリスアップを終えた俺は、バルブに両手をかけた。
ググッ……と力を込める。
昨日は微動だにしなかったハンドルが、ヌルリと滑らかに回り始めた。
プシューーーーッ!
詰まっていた蒸気が解放され、白い煙が勢いよく吹き出す。
同時に、床下のパイプライン全体が、ドクン、ドクンと脈打ち始めた。
「通ったな」
俺はニヤリと笑った。
この瞬間だ。
便秘が治ったような、詰まっていた鼻が通ったような、この爽快感。
設備屋冥利に尽きる瞬間だ。
その時、俺のポケットに入れていたスマホが、圏外のはずなのにブブブと震えた気がした。
気のせいだろうか?
いや、実はこのダンジョン、マキナの干渉によって、俺の周囲だけ強力なWi-Fi環境が構築されていたのだ。
だが、俺はまだそれに気づかない。
「さて、休憩にするか」
俺は瓦礫(数億円相当の結晶)の上にどっかりと腰を下ろし、二本目の缶コーヒーを開けた。
画面の向こうで、数万人が「そこ座布団にするのかよ!」とツッコミを入れていることも知らずに。
(第2話 完)
次回 第3話:ASMRと株価の乱高下
ダンジョンの深部へ進む主人公。巨大な歯車と蒸気パイプが複雑に絡み合うエリアで、彼は異音を発しているバルブの調整を行う。
AIのマキナは、彼の作業音(金属のカチリという音、蒸気のシューという音)を高音質で配信。これが「究極の睡眠導入動画」「神のASMR」としてSNSでトレンド入りする。
さらに、彼がバルブを開いたことで、ダンジョンから地上へのエネルギー供給ラインが復活。現実世界では電力株が暴落し、エネルギー関連企業の株価が乱高下する事態に発展する。




