03 聖剣より魔剣を選びたがるお年頃
「臭い……」
黒い剣を持つ私は、ゴブリンの死体に囲まれていた。
ただでさい獣臭かった匂いに、臓物と血と、焦げた肉の匂いが追加される。
あげく――人型の生き物のグロテスクな断面図。
匂いと視覚のダブルパンチで、喉奥から何かがこみ上げてくる。
何かが、というか……完全にゲロです。
『移動するぞ童。死肉を嗅ぎつけた鬣犬がやってくる。もう一回ドンパチやりてェって言うなら、俺サマは構わねェけどな』
「や、やだ……逃げよう」
吐き気を堪えながら答える。
でも、腰が抜けて動けない。
『ったく、世話のかかるガキだぜ』
――カタカタカタカタ。
黒い剣が小刻みに振動する。
すると、私の身体はまるで何者かに操られるように、勝手に立ち上がり、歩き始めた。
多分……剣を握ったことはおろか、喧嘩すらしたことない私が、ゴブリンの群れを、武道の達人みたいにバッサバッサと切り捨てた時みたいに、この剣が私の体を動かしているんだと思う。
肉体の主導権を大人しく譲り、私は吐き気を堪えるのに集中し、死体の山を後にするのであった。
***
『おいガキ。そろそろ自分で歩け。俺サマの以気馭体は剣術の足運びに特化しているが、徒歩での移動や日常生活の細かい動きは疲れるんだ』
ゴブリンの嫌な匂いがなくなり、吐き気も収まってきた頃。
私の手の中にある黒い剣が、カタカタと振動しながら、脳内に直接声を送る。
「うお……体痛い……っ!」
肉体の主導権が戻ってくる。
同時にズン……と体が重くなり、節々に痛みが走る。
普段使わない筋肉を、無理やり動かされた反動……ってやつ?
とりあえず危機は脱した……と思っていいのだろうか?
そうなると、今度は色んなことが気になってくる。
けれど、分からないことが多すぎて、どこから整理すればいいのか分からない。
汚れ放題になっている、実家の私の部屋の床みたいに……。
さて――黒い剣にまず、何を聞くべきか。
「イキギョタイ……って何?」
なぜ私が異世界転移したのかとか、どうすればスキルが使えるのとか、そもそも黒い剣は何者なの? とか、知りたいことは沢山ある。
けど、なんか恰好いい単語が聞こえたので、私の興味は全部それに奪われてしまった。
14歳の悲しい性だね……。
『以気馭体は以気馭剣の意趣返しに編みだした仙術だ――剣が人を使う。面白いだろ?』
「いや、私はまず以気馭剣? がなんなのかすら分からないんですけど……」
『道士が使う仙術の一種だ。仙力を使って触れることなく剣を宙へ持ち上げ、縦横無尽に操る。でも以気馭体は剣が人を操る』
もしかして、ゴブリンキングを自害させたのも、その以気馭体ってスキルを使ったのかな?
しかし魔術師に魔法にスキルか。
やっぱりこの世界にもあるんだ。
『っておいおいおい! 俺サマを引きずるんじゃねェ! しっかり持て』
「だって重いんだもん。刃の部分持ったら怪我しちゃうし」
以気馭体(?)ってスキルが解かれ、自分で自分の体を動かさないといけなくなると、この剣は帰宅部女子の私には重すぎる。
鞘もないから、必然的に柄しか持つ部分がない。
『俺サマが人の手を離れたのは20年も前だ。とっくに刃は潰れてる。抱きかかえても怪我することはねェ』
「でもゴブリンは、骨ごと豆腐みたいに斬ってたよね?」
『仙気《魔力》を薄く纏わせてんだ。薄く鋭く伸ばした仙気は、それだけで利刃に優る』
恐る恐る刃に触る。
指の腹で刃を垂直に撫でるように。
なんともない。
次ぎは水平になぞる。
やっぱりなんともない。
思い切って掴んでみると、やはり手の皮が斬れることはなく、なんだかオモチャの剣みたいだった。
これなら実質、ただの金属の棒だ。
よっこいしょと、両手で担ぎ、肩に掛けながら運ぶ。
あれだけゴブリンを切り捨てたのに、刃には血も油も付着してない。
切れ味を纏わせた魔力が、サランラップみたいな役割も果たしていて、汚れから守っているのかな?
「でもやっぱ重いよ……アンタ自力で浮けないの?」
『それが出来たら苦労はしねェ……生身の頃から舞空術は苦手だったんだ』
「生身? アンタ、昔は人間だったの?」
『妖怪だがな』
「さしずめ、悪いことして、人間に退治されて、剣に封印されちゃったって感じでしょ? ファンタジー作品によるあるやつ」
『…………』
からかうように言うと、聞こえているはずなのに、剣は答えない。
きっと図星か、言いたくないような過去なのかもしれない。
ただ、やっぱりこの剣は、無条件で人間の味方をするような聖剣とかではなく、どちらかというと、魔剣の類いなんだろうなというのは、察しがついた。
悪魔との契約は、結果は望み通りだけど、その過程は想定とは違う悪質なものだと、相場は決まっている。
そして契約者は必ず不幸な結末を辿る。
猿の手みたいに。
「…………」
それでも私は、この不気味な剣にすがるしか、生きる手段はない。
今日魔物に殺されて死ぬか、明日魔剣に憑り殺されるかなら、私は後者を選ぶ。