01 異世界はスマホと共に(ただし圏外)
新連載です。よろしくお願いします。
「ここ…………どこ?」
ふと気が付いたら、背の高い木に囲まれた森の中にいた。
黒っぽい木の幹は、私が3人に分身して手を繋いで輪を作っても囲めないくらいに太い。
高さは数十メートルもあり、伸びている枝から茂る葉っぱもこれまた厚みがあり、太陽の光が全然届かない。
それくらいに大きな木が、当たり前のように何本も何本も、視界いっぱいに生えている。
神社に一本生えてたら、「樹齢1000年の御神木かな?」と思い、思わず手を合わせそうになるが、生えてる木が全てこのサイズだと、自分が小人になったと錯覚してしまい、「ありがたみ」よりも「恐怖」が勝ってしまう。
その周囲は茂みに覆われている。
地面は勿論アスファルトではなく、黒い土。
「どこなのよここー!! トンネルもなくなってるし!!」
はぁはぁ……。
落ち着け私。
まずは深呼吸。
「すーはー……すーはー……うっ……匂いが……濃い……」
植物の匂い。
土の匂い。
中学1年生の時の農業体験で、農家さんの畑でジャガイモを掘った時よりも、濃い土の香り。
梅雨の時期、畑の横を通った時の匂いも、一瞬「うっ」ってなるけれど……そんなのとは比較にならないくらいの、大地の匂いだ。
そして……獣の匂い。
動物園の匂いを更に複雑にしたような、嫌な臭い。
東京生まれ東京育ち、生まれながらの都会っ子(八王子市)の私の鼻は、生まれて初めて嗅ぐ、人の手が一切入っていない、本物の自然の匂いに、むせ返ってしまう。
「まずは落ち着いて、状況を整理しよう」
こんな時こそ冷静に、今の状況を整理する。
まずは私の名前から……。
白石鈴蘭。
14歳の中学3年生。
肩の辺りで切りそろえた黒いボブカットがトレードマーク。
今日は春休み明けの始業式だった。
新学期1日目は入学式と、クラス変えで新しくなった担任の先生による軽い挨拶。
それだけで終わり、午前中で下校となった。
「よしよし、ちゃんと覚えてるぞ」
あごに手をあてながら、続きを思い出す。
そうだ。
帰宅後、自宅の玄関に鍵がかかっていたんだ。
お母さんは昼間だけパートの仕事をしていて、家の中は無人だった。
通学カバンに入れっぱなしにしている合鍵を取り出そうとしたのだけれど、春休みは宿題もないので、ほぼ手ぶらで登校できる。
そのため、いつものかさばる通学カバンではなく、トートバッグで登校してしまった。
「で……合鍵を持ってない私は、仕方なくお母さんが帰ってくるまで近所の散歩をすることにして……」
途中、喉が渇いたので自販機でポカリスエットを購入した。
ペイペイが使えるタイプの自販機だったので、財布を持ってなくても買うことが出来たのは運が良かった(学校にスマホを持ってくるのは禁止だけど、中3でそんな校則を守っている子はいない)。
「それで……トンネルを見つけたんだ」
物心ついた頃には、3階建ての一軒家に住んでいる私は、10年来にも及ぶ土地勘で、近所の地図は完璧に頭に入っている――はずだった。
にも関わらず、見覚えのないトンネルを見つけた。
「こんな所にトンネルなんてあったっけ?」
と――私は好奇心に抗えず、トンネルの中に足を踏み入れた。
車道と歩道が、白線のみで区切られた簡素なトンネルで、等間隔に並ぶ蛍光灯は煤けていて、夜だったら絶対怖くて通れない……。
なんて思いながら、外に出たら――
「大自然の森の中にいたって訳……んな訳あるかーい!」
ダメだ。
何度記憶をさかのぼっても、理解ができない。
だって後ろを向いても、私が通ってきたはずのトンネルがなくなってるもん!
おかしいのは私の記憶か、世界か……。
「ん? おかしい世界? もしかしてこれって――」
その時、私の全身に電流が走る!
いきなり雷属性の魔法攻撃を受けた訳ではない。
比喩ってやつです。
「――異世界転移、ってやつ!?」
アニメや漫画ではお約束のやつ。
私も常々、「来世は異世界に転生してチートスローライフしたいよ~」と思いながら生きてきた。
神様が私の願いを聞き届けて、異世界に転移させてくれたのでは!?
そうとなれば、最初にやることは決まっている。
すぅ~~っと、肺に空気を溜めて、声を一緒に一気に吐き出しながら叫ぶ!
「ステータスオープン!」
異世界転移。
チート無双。
優雅なスローライフ。
ドキドキ。
ワクワク。
ステータス振り分けはどうしようか。
安全を期すなら魔法使いタイプだけど、スピード重視のアサシンタイプも憧れちゃうんだよね~。
なにせ、日本人には忍者の血が流れているからね。
あと回復魔法は絶対に取っておきたいよね~。
それから鑑定スキルも必須。
念のため状態異常耐性スキルもあった方がいいよね。
なんて期待を膨らませて10秒経過。
「…………」
……。
…………。
……………………。
20秒が経過。
「…………」
一向に、なにも起こらない。
声高らかに上げた私の期待は、あっさりと裏切られてしまうのであった。
「そうか……ステータスウィンドウが出ないタイプの異世界か……まぁ、そういうパターンもあるよね」
――ミシミシ。
――パキパキ。
「へっ!?」
その時。
隣の茂みの奥から、枝が折れる音と、葉っぱが擦れる音が鳴る。
「(もしかして、魔物!?)」
経験値が貰えるかもしれない!
私は腰を屈め茂みに近づき、ゆっくりと、音が出ないように枝をかき分け、向こう側を見る。
『フゴッ……フゴッ』
「で、でっかぁ……!?」
そこにいたのは、イノシシだった。
ただし、高さ2メートルくらい、頭からお尻までは5メートルくらいありそうな、超巨大イノシシが。
口の端からは、象みたいな曲線を描く牙が生えている。
その牙を器用に動かして、地面を掘り返していた。
そして、地面から出てきた芋? みたいなものを食べている。
「(ムリムリムリ! あんなん絶対レベル1じゃ勝てないって!!)」
こちとら異世界転移してきたばかりなんだからさ、スライムとかゴブリンとか、JCでも倒せるタイプの魔物から来てよね!
抜き足差し足で、食事中のイノシシを刺激しないように、ゆっくりとその場を離れるのであった。
***
「はぁ、はぁ……喉渇いた」
日光が殆ど届かないくらい鬱蒼とした、薄暗い森を歩いて1時間が経過した。
トートバッグに入れたポカリスエットのキャップを明け、最後の一口を飲む。
気温は、ブレザーとスカートだけだと、少し肌寒い程度。
けれども、緊張感が原因か、背中にはじっとりと汗が滲み、喉が渇いて仕方がなかった。
「なんか……さっきより暗くなってない?」
上を見る。
葉っぱが何層にも重なった樹木のせいで、日光は殆ど遮られているが、わずかに見える空がオレンジ色になっていることに気付く。
「もう夕方!?」
スマホで時間をチェックする。
まだ昼の2時だ。
いやいや。
私が本当に異世界転移しているのなら、私のいた世界と、異世界の時間が同じとは限らない。
ついでに、当たり前だがスマホは圏外。
「お腹も空いた……」
最初にあった高揚感はとっくになくなっていた。
今あるのは、孤独と焦りと恐怖。
スキルの使い方が分からない今、さっきのような巨大イノシシみたいな魔物と遭遇したら、私は死んでしまう。
「うぅ……お兄ちゃん、お母さん、お父さん……」
ついに涙が滲んで、目尻から溢れそうになる。
胸がきゅう、と締め付けられるような気持ち。
幼稚園児の時、ショッピングモールで迷子になった時の様な、いいようのない虚しさに襲われる。
――ゴソッ。
――ガサッ。
「っ!?」
後ろの茂みが揺れる音が鳴る。
ゆっくりと振り返る。
しかし、そこには何もいない。
「気のせい?」
そう思って再び歩く。
しかし――
――ゴソゴソッ。
――ガサガサッ。
「気のせいじゃない……何か……いる……っ!」
今度は、怖くて振り返ることが出来なかった。
間違いない。
背中に、何者かの視線が突き刺さるのを感じる。
見られている。
監視されている。
後をつけられている。
私が進むと、背後の魔物は一定の距離を開けて近づく。
私が止まると、やはり魔物も足を止める。
「(立ち止まっちゃダメ……私が尾行に気付いてることがバレたら、襲われるかもしれない……でも、どっちにしろこのままじゃいつかは襲われちゃうんじゃ……)」
日が沈んできてる。
気温は更に下がって肌寒い。
にも関わらず、髪の毛の奥の頭皮と、背中から嫌な汗が吹き出し、止まる気配がない。
後ろ髪が痒いが、背後の魔物を刺激してしまうのではないかと思うと、怖くて掻くこともできない。
「はぁ……はぁ……ひゅう……ひゅう……」
意識して呼吸をしないと、酸欠になりそうなくらい息苦しい。
そんな風に数分、尾行に気付かない振りをしながら、森を進むと――
――ガサガサガサガサッ!
――ゴソゴソゴソゴソッ!
「っ!?!?」
数が増えてる!
しかも、最初よりも距離が縮んでいる。
私という獲物を発見しても、すぐには襲わず、尾行を続けていたのは、仲間を呼んでいたから?
――ガサガサッ!
「(前からも……っ!?)」
前方の茂みが、目の錯覚ではあり得ないくらい揺れている。
囲まれている!!
『ギギャッ!』
そしてついに。
満を持して。
茂みに潜む魔物が、私の前に姿を現した。
「ゴ、ゴブリン……?」
背丈は私の胸のあたり。
身長は120センチくらい。
さっき見かけた巨大イノシシみたいに、下から上へと、長い牙が唇からはみ出している。
肌は緑色で、元の色が分からないくらい汚れた布を腰に巻いている。
手には、木の棒の先端に、削って鋭くした石を取り付けた槍を持っていた。
『ギャ、ギャギャッ!』
お風呂に入る習慣も、服を洗濯する習慣もないのだろう。
嫌な臭いで鼻が詰まりそう。
詰まりそうな鼻孔とは裏腹に、涙腺の方が完全に決壊しており、溢れた涙が頬を濡らした。
ゴブリンなら倒せるとか言った、1時間前の私を殴ってやりたい。
あの石槍に刺されたら、絶対痛くて動けなくなる自信があるし、そのまま動けなくなった私が、滅多刺しに殺されてしまうビジョンまで見える。
『『『『ギギャギャギャ!!』』』』
「ま、待って……待ってよ! 聞いてないよこんなの!」
四方の茂みに隠れていたゴブリンが、次々と姿を見せる。
一匹一匹は、男子小学生くらいの体格。
尾行に気付いた時、勇気を出して戦っていれば、こんなことにはならなかったのでは? と後悔してももう遅い。
ゴブリンが持っている武器は石槍や石斧。
石がついてない、棍棒を持っているゴブリンもいるが、全員が何かしらの武器を持っている。
『グオッ! グオッグオッ!!』
「っ!?」
既に絶望の淵に立たされている私を、突き落とすかのように――ソレは姿を見せた。
「ゴブリンの……親玉……?」
私を包囲するゴブリンが道を開ける。
開いた道から姿を見せたのは、身長2メートル半はある、巨大なゴブリン。
武器も刀身が黒い剣を持っていて、それを肩に担いでいる。
殺した冒険者の死体から回収したのだろうか?
「や、やだっ! 死にたくない! 誰か助けてっ! 誰かっ!!」
私はその、ゴブリンの親玉に背中を向けて走る。
けれども木の根っこにつまずいて転んでしまう。
手のひらを擦りむいて血が滲む。
傷口に土が付着して染みる。
この痛みが、夢でも幻でもなく、紛れもない現実であることを意味していた。
何が異世界転移だ。
何がステータスオープンだ。
何がチート能力だ。
何がゴブリンなら倒せるだ!
安全な家の中、モニターの奥のアニメの出来事に楽観的な憧れを抱いておきながら、いざ異世界にくれば、私は何もできない無力な子供に過ぎないのに!
「助けて……お兄ちゃん……っ!」
私を包囲する小さいゴブリンは、あくまで私が逃げられないように囲んでいるだけ。
大きな親玉のゴブリンが、近づいてくる。
獲物が怯える姿を楽しんでいるのか、わざと大きな声を出したり、肩に担いでいた黒い剣で宙をブンブンと振ったりしながら、ゆっくりと地面に倒れた私に近づく。
「助けてよ……っ!」
自分の力で助かれって?
そんなの出来る訳ない。
舗装された平らな道の上でしか走ったことないのに、こんなデコボコした薄暗い森の中、ゴブリンの群れから逃げ切れるとは思えないし、石の槍を持っているゴブリン相手に、素手で勝てる訳がない。
ついにゴブリンの親玉が、転んで起き上がれないでいる私の目の前に立つ。
黒い刃が、私の頬に当たる。
嫌だ。
死にたくない。
死にたくないよ……。
「誰でもいいからっ! 助けてっ! 助けてえええええっっっっ!!!!」
その時、脳裏に声が響いた。
――本当に、誰でもいいんだな?