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少年

作者: 三宅好古

Aは難関校のたった一つの推薦枠を勝ち取ったらしい。ここ最近症状が酷くて喀血していたけれども、それも勉学のせいだろう。推薦発表が廊下に掲示された時、青白くなっていたAの顔がほのかに明るくなった気がするほどだった。これで彼の病状が良くなれば、道は確定的に開けたわけだ。

 一方でBは前々から言っていたヴァイオリンのプロを目指すことを決意したらしい。Bには確実に才能があった。何せ四、五年足らずで海外からやって来た先生すらも仰天させるほどうまいのだから。素人の僕でもそれが凄いことなのは分かる。そのために僕は毎朝彼の弾くヴァイオリンに起こされる羽目になった。

 僕はまだ何も決まっていない。とにかく僕の目標はこの忌々しい結核と精神病を治し、死なない事だ。僕の肺結核なんぞAやBに比べたら甘いものだ。それなのに僕は何故彼らのように必死に生にしがみつき、死に抗うことが出来ないのであろうか。する必要が無いのであろうか。追い詰められているからこそ、彼らは本気で生きようと考えるけれど、僕にはわずかに残された道があって、そこをホラ進めと悪魔が尻と叩いて誘導しているよう

だ。

 いや、こんな事は言い訳にしかならないのかもしれない。誰だって生にしがみついていて、死なずにいようと努力している。

努力___。

 そんな言葉を聴いたら、もう人生とか生とか死とかどうでも良くなってくる。いっそ

諦めて、雨にでも打たれて、ここを抜け出して、寒さに凍え、野で死んでやろうか。それで腐って道に溶けてもアメーバか何とかが僕を喰って、それで栄養になるんだったら万々歳じゃないか。

 じゃあ逆に考えて、生きていて万々歳な事って何なんだい。そう___例えば、飯が食えて、好きなだけ寝れて、人と触れ合えることだろうか。おとぎ話の主人公じゃあるまいし、そんな綺麗事で世が埋め尽くされてたまるものか。

考えれば考えるほどキリがないじゃないか。もう止めだ、止め。さっさと昼寝しちまおう。考えたって無駄だ。

 AはA、BはB、家は家、よそはよそ___!

「御面会ですよ」

 昼寝しようと思ったらこうだ。今日は嫌いな祖母が面会に来る日だった。何故来るのかわからない。いつも両親の伝達をしに来るが、毎度毎度他愛のない時事を伝えに来るだけだし、それに加えて僕に対しての愚痴を言うから訳が分からない。

 面会専用の和室に案内されて、直接面会せずに障子越しの影に向かって話をする。また他愛のない時事を話してくる。それでいて、「私はお前の様なのが居て、心底恥かいているよ」とか言い出す。また始まった。

「そんな事僕にだって分かるんだから、もう来なきゃいいじゃないか」

 毎度のようにテキトーに話を流す。何故僕がこのような人間のために時間を割かなくてはならないのかと、心底疑問に思う。

「お前のせいで親戚もバッタバッタと倒れるし___」

「そんな風に僕を卑しめるな!」

 僕は嫌気がさして大声を上げた。その反射で呼吸が苦しくなった。僕はその時激しくむせびかえって、畳の上に血を吐いた。僕は初めて血を吐いた。

 僕が目覚めたのは医療用ベッドの上だった。学生の多く集まる病棟とは打って変わって嫌に静かだった。飛び起きる気力もなく重い上半身をゆっくりと強引に起こして辺りを見渡すと、僕の知る病棟で見る患者とは比べもできないほど衰弱し、魂の抜けた様に白くなった人々がベッドに横たわっている。僕はここが噂に聞いていた重病室であると瞬時に分かったし、同時にヒュッと何かが腹の底に落ちる様な不気味な不安が頭を包んだ。

 僕が目覚めて間もなく看護師がやってきて僕に今日一日はここにいろと言った。看護師が出て行った後に、僕はしばらく枕にもたれかかって天井を見つめた。祖母がどうなったか記憶には無いが、どうせ呆れて帰ったに違いない。

 息が苦しくなってきたので姿勢を変えて、楽な態勢を模索した。少し動いただけでも体力が削られて、更に息苦しい。胸の内部でゴロゴロと音を立てているのでカッカとハンカチに痰を吐くと、さっきの事もあってか赤黒かった。血痰であった。

 僕はそれを見てどことなくボンヤリと、いつしか自分の肺が圧し潰されて、フッと息が出来なくなって、死ぬのではないかと不安に思った。正岡子規が自身が結核になって血を吐くまで鳴き続けるホトトギスに、名をなぞらえたのもつくづく理解できる気がする。

 一睡もできぬまま夜が明けても、看護師はまだそこにいろと言った。それで今度は僕に手紙をよこした。父からの手紙だった。


"仕事の都合が合わず面会に行けなくて申し訳なく思っています。昨日君の担当医から、君が喀血したと聞きました。病状が悪化しているようですので、私は君を富士見の療養所に移動させようと決めました。あなたの母が入院していた所です。長野まで行くから少し遠いですが、東京より空気も澄んでいて、良い所には間違いないので安心しなさい。担当医と相談するから少し時間はありますが、今のうちに友人達に挨拶をしておきなさい。___"


 僕はここまで読んで、字が滲みだしたので顔を布団に擦り付けてむせび泣いた。

 気が付いた。僕はAやBとは違った。

 そして今僕は母が死んだ場所に身を委ね、死を待つしかないのだと悟った。

 寂然の中、僕のすすり泣く声と、激しくせき込む患者の息が、朝日に照らされた白い病室を包んでいた。

2023/12/18 数日前に見た夢より

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