部外者の世界
閲覧感謝です
「…寒い、寒い…な」
目が吸い込まれた。
「…苦しい、痛い、熱い。どうして、僕がこんな目に遭うのだろう」
一人の少年が空気が凍るほど寒い橋の下に佇んでいる。
今にも目を閉じていそうで…目を離した途端に命を落としてしまうと思ってしまう程の弱い仕草。
「きっと神様が僕のことを罰しているのだろう。…神様はいつだって残酷だ。救わず、罰を与えて…いつだって僕達を苦しめる」
苦しげに地面に仰向けに倒れながら手を組む。祈る様に、何かを望む様に…。
「でも、それでもいいのです。罰せられることは罪ではないのだから、罰が終わればいつしか僕達は救われるのだから、…だから、僕達が救われるその日まで…」
それまで目を瞑っていた少年がゆっくりと瞼を開く。その目に光は全く映っていない。
今のその少年に何が見えているのか、この場にいる誰もがわからなかった。
「───罰して」
静寂が辺りを包み込む。その静かさは周りの人間の息を飲み込む音が聞こえる程だった。
「か、カット!!」
「ふ、ふぅ…」
ピシャリと音を鳴らして撮影が終了する声掛けと共に気の抜けた声が聞こえる。
「ど、どうだったかな…下手じゃなかった?」
「下手どころか最高だよ!! まるで最優秀男優が直に演技しているのを見ている気分! 凄い、凄いよ!!」
驚きだった。まさかそこまでのものが見れるとは思っていなかった。
映画撮影の為に今は夜の橋の下に来ている。撮影に来ているのは俺と眼鏡女子、それと紫悠だけだった。
映画を撮影するにあたり、眼鏡女子は取り敢えず一番最初のシーンを撮ることにしたらしい。他のクラスメイト達の登場シーンはまだ先の方なので一先ず紫悠と俺を指定してこの場所まで来たというわけだ。
…何故俺が駆り出されているのだろう。本来は部外者なのに。
そう眼鏡女子に問い詰めても無駄だった。やれカメラマンが必要だとか機材を運ぶのに力持ちが必要だとか色々と言われて抵抗虚しくここまで来てしまった。クソが。
だがその甲斐はあった様だ…まさかここまでの演技が見れるだなんて思っていなかった。
「そ、そうかなぁ…」
「このこのぉ〜謙遜しちゃって…ふふ、まさかこんな逸材がこんなにも近くに眠っているなんてね…こりゃあ将来俳優としてスカウトするっきゃないね」
「えぇ!?」
その言葉に戸惑う紫悠と、からからと楽しそうに笑う眼鏡女子…思ったよりもこの二人は相性がいいのかもしれない。
紫悠はなんだかんだとネガティブ思考になるが、眼鏡女子の突拍子もない行動、言葉に紫悠が振り回されている。そのおかげか紫悠がネガティブ思考に陥る暇が全くない。
「よーし、それじゃあシーンも撮り終えたことだし帰ろっか。紫悠君の名演に免じて暖かいココアを奢ってしんぜよー」
「え、もういいの?」
更に紫悠は眼鏡女子の言葉に戸惑う。おそらくもう何テイクやるのだと思っていたのだろう。まさかの一発撮りだとは俺も思わなかった。
「うん、だってもう既に満足出来るクオリティだもん。それに十一月とはいえもう冬だよ? 寒くない? 手が悴むし、あったかい飲み物が飲みたいから今日はもう終わりにしよ?」
「そ、そうなんだ…ごめんね? 綾辻さんのことも考えないで」
その言葉はあくまで自分本位に聞こえたものだが、俺には別に意味にも聞こえる。おそらく眼鏡女子は紫悠の体を気にしてもいる。しかしそれを指摘して撮影をやめれば紫悠が気にするだろうとわざと自分本位な言い方をしたのだ。
もし紫悠がかみかみの演技だとしてもそれはそれでおっけーとか言いながら撮影を終了しただろう。けど今回紫悠が見せた演技は眼鏡女子の納得のいくものだった。それならこれ以上撮影する理由はないということなのだろう。
三人で機材を片付ける。冬の寒さのせいか全身が冷え切っている。
「うぶぶ…さっむいねぇ。近くにコンビニがあったから早くそこであったまろう…!」
「…そうだね。早くいこうか」
足早に近くのコンビニに向かう眼鏡女子と、それを微笑みながら追い掛ける紫悠…ええ感じやなぁ。
「名取君にも何か奢ってあげよう。何食べたい?」
「あー、肉まん」
ずっと側から見ていたので存在を忘れられていると思っていたのだが、意外にも見ていた様だ。その問い掛けに適当に答える。
よいこらしょと撮影の機材を担ぎ二人の後を追う。
どう考えても俺の存在はこの空間には余計だ。今この空間はあの二人だけの世界になるべきだ。
何処か疎外感すら感じるこの状態…俺はこの状況に郷愁を覚えている。
何処となく昔を思い出すのだ。…お嬢や坊ちゃんと一緒に過ごしていた時と同じ空気を感じている。
この疎外感は意外と悪くない。むしろ心地いい…なんたって目の前には俺の見たかった景色が広がっているのだから。
「次の撮影場所はクラスの教室にする予定だよ。どう? クラスのみんなの前でも演技出来るかな」
「出来るかどうかはわからないけど…頑張るね」
「そこは出来るって言い切るとカッコいいよ。女の子にモテモテだよ?」
「え、そ、そうなの?」
二人の散歩後ろを流石に歩く。二人の雑談が聞こえる範囲…そして二人の視界に入らない距離をキープする。
俺は本来表立って行動するタイプじゃない。雄弁に語る存在でもない。…出来れば静かに暮らしていたい性質の人間だ。
だからこそ、俺の立ち位置はここだ。
ここがいい…安心する。…誰の人生にも関わらずにいられる。俺はここで見ているだけで幸せなのだから。
一見すれば若い男女が大柄の不審な男に後をつけられている姿…普段ならわざと距離を離したりするだろう状況だけれども…俺はいつまでもこの距離を保ち続けた。
───
月日は巡る。
いつの間にか学園祭準備は佳境に移り、着々と学園祭当日が差し迫っていく。
俺の本来のクラスの学園祭準備は滞りなく進み、リハーサルも完璧にこなしている。これも委員長が熱心に取り組んだが故の成果だろう。
俺の方も何故かキッチンチーフという役職を与えられて指示出しをする様になったが…他の厨房の奴らは別に無能ではない。俺が作ったマニュアルを完璧に覚え、一部の奴はアレンジを加えようと画策している。とてもいいと思う。更なる高みを目指そうとする奴は好きだ。
そして俺が関わっているもう一つの出し物…紫悠のクラスの映画も順調に進捗を進めていった。
撮影は全て終え、後に残るのは編集作業…。
これがとても大変らしく、その編集作業を全てやっている眼鏡女子は日に日に隈を深くしていっている。
紫悠とか他のクラスメイト達が心配そうに眼鏡女子を見ていたが、当の本人としては日に日にテンションが上がり続けている。
あれだな、好きなものにとことん熱中するタイプと言えばいいのか…夜更かし徹夜で体が疲れていても精神が更に燃え上がることにより体が動くタイプということだ。
でも流石に一人で全ての作業をするのは無理買ったらしく、途中でヘルプ要員が一命派遣された。…それがそのクラスの担任、長谷川流先生である。
先生は割となんでも出来るらしく、動画の編集作業もちょちょいのちょいとのことだった。あの人に出来ないことと言えば真っ当な彼氏を作ることぐらいだろう。
むしろ完璧であるが故に彼氏が出来ないのかもしれない…天は二物を与えなんとかというやつだな。
怒涛の様に時が過ぎていく。なんで俺こんなに忙しいんだろうなと不思議に思うこともあるが、まぁいいかと流し続け…気付けば学園祭当日。
「へい、オムライスニ、チャーハン三上がり、ホールすぐに持って行け」
「うっす!」
舐めていた。当日よりも本番の方が全然忙しかった。
どうやら我がクラスは相当話題になっているらしく、さっきから行列が外に出来ている。
なんでたかがメイド執事喫茶の癖にこんなに行列が出来てるの? 本当にふざけないでくれ。
「チーフ…っ! 私そろそろ休憩なんですけどぉ…!」
キッチンの一人がそんな泣き言を言う。…今抜けられたらちょっと本気で困るんだけど…。
「あー…それならしゃーね。休憩行ってこい、そのついでに次のシフトの奴を引き摺り出せ」
本気で困るが…高校一年の学園祭は一生で一回だ。それを裏方で費やさせるのは流石に可哀想なので休憩を許可する。ちゃんと交代を用意させてな。
「ありがとうございますっ!!」
「さっさと行ってこい」
疲れているせいで声に覇気は出ない。けど…後もう少しでランチタイムが終わる時間だ。それまでは頑張るとしよう。
「すんませーん! オムライス三とチャーハン四追加です!」
「あいよー」
指示を飛ばされたので急いで料理を仕上げる。ちゃんと加熱しないといけないのですぐに仕上げることは出来ないがそれでも時短の術はある。
ぱっぱと卵を割り、それに調味を加え一部をすぐさまフライパンに投入。その合間にチンしていたパックのご飯を別のフライパンにすぐに投入、後はケチャップをぶち込んで他の材料をぶち込んで…あぁ忙しい…。
目まぐるしく動く厨房を支配しながら料理を続ける。そうしていくうちに客足は段々と途絶えていき、ようやくクラスの中が落ち着いてきた。
「ふぅ…」
午前から午後までずっと忙しかった。その間俺は休憩なしでずっと働き詰めだ。
理由は単純、俺が抜ければすぐに厨房が崩壊するから…なんだかんだ一人のスキルも馬鹿にはならないということだな。俺すげぇ。
「後は俺一人でもいけるから他の奴等も休憩入りな」
後は適当にぱぱっとやればいける人数なので周囲の奴等にそう言う。
「え、でもチーフ一度も休憩入ってないですよね?」
「そうですよ。チーフも休憩を取った方がいいんじゃないですか?」
「俺はいいんだよあんま学園祭に興味ねぇし。楽しめる奴が楽しんだ方がよっぽど有意義だ」
実を言うと学園祭の何が楽しいのか未だによくわかっていない。
準備期間は面倒だったし、働いている最中も怠かった。…心の底から楽しむという機能が割と枯れている。なので心底この状況を楽しめない。
他の出し物に顔を出したところで何もしようとは思えないし、ずーっと屋上でぼーっとするぐらいしかやることが浮かばない。だったらこのまま働いている方がマシだろう。
「本当にいいんですか?」
「しつこい、さっさと行け」
「…はーい」
他の奴等を外に出し、厨房には俺一人。…こっちの方が気楽だな。
周りに人がいた時は指示とか出さなければならなかったが、一人でやる分には自由に出来る。…俺は根本からチームプレイが性に合わないらしい。
客足もぼちぼち、材料はまぁまぁ残ってる。…確か学園祭は三日に掛けてやるらしいのでこの分では二日のラスト頃に尽きるだろう。
食材は学校が発注したものなので追加はない。…なら、三日目には自由な時間が出来るな。
やだなー、ぼーっとするくらいならずっと働いてたいなぁ…何か暇を潰せるものはないだろうかと料理をしながら考える。
「…あ、そう言えば紫悠のクラスの映画、完成品を見てなかったな」
自分で参加した作品の癖に忘れていた。…ちょっと厨房が忙し過ぎた。
大体の話の流れはわかっているが、それが一つに繋がった時どう見えるのかまではわからない。…完成品がちょっと気になる。
「三日目に放送してたら見に行くか」
そんなことをぼやきながらその日の営業が終わった。