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優しい世界が見たいんだ  作者: 川崎殻覇
渡伊代は断らない
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三度目の屋上、二人だけの離別式

屋上、それはやはり俺にとってはいい思い出のない場所だ。


一度目はどこぞのカップルが盛っていた。二度目はヤベェ話を聞いてしまった。そして今回三度目。


いいんちょが言うには今日この場所の放課後に決着を付けるらしい。それを直前の昼休みに言うもんだから本当に焦った。

焦ったは焦ったが、放課後ということなので屋上に忍び込むのは簡単だった。梯子を登り貯水タンクの前に匍匐する。この角度なら上を見られない限りバレることはないだろう。


その状態で待つこと一時間。きぃぃ…っ…と、鉄のドアが開かれる。現れたのは二人の男女、いいんちょとキノコ頭だ。…こんな早くに待つ必要なかったな。


…いいんちょは真顔で、キノコ頭も真顔…カップルなら別れ話でも切り出しそうな雰囲気の中、最初に口を開いたのはキノコ頭だった。


「伊代…早速で悪いけど聞かせてくれ…僕と、やり直してくれるかい?」


その声は不安には震えていなかった。本当に平然とした声。

まるで出てくる答えが既にわかっているようだった。その態度に若干どころではない苛立ちを覚える。


だがここで俺が割って入ることはない。…こいつに引導を渡すのはいいんちょの役目だ。


「…うん、じゃあ早速言わせてもらうけど…悪いけどそれは出来ない。私達、もう終わりにしましょう」


キッパリと、一切の迷いなくいいんちょはその言葉を切り出した。


「…な、なんで!?」


キノコ頭はいいんちょの答えが不思議で仕方ないらしい。その声には焦りと疑問が詰めに詰められている。


「逆に聞くけど、どうしてその提案が通ると思ったの? 普通あんなことされてそのままの関係を保ち続ける人間なんていないと思うんだけど」


「それは…! そうだけど…」


いいんちょは正論でぶん殴る。流石に被害者の言葉には頭がおかしいとはいえ加害者であるキノコ頭であっても認めるしかないようだ。


「…でも、これからは絶対にしない。もうそんなこと二度としないから…! お願いだ…伊代、僕とやり直してくれ…!」


しかし頭が狂っていなければよりを戻すなんことは言えない…キノコ頭は懇願するように頭を下げる。


「ごめんね、例え本当に二度と前のようなことをしないのだとしてもその言葉には頷けない。…私達の関係はここで終わりにしなければならないと思う」


その懇願すらも受け付けず、いいんちょは言葉を続ける。


「別に貴方の言葉を疑っているわけじゃないわ。貴方を嫌っているわけでもない。…例え一生貴方が私に逆らえないという条件が追加されても、私はその提案に頷けない」


「じゃ、じゃあどうしてそんなことを言うんだよ! おかしいじゃないか!」


嫌っているわけでもなく、疑っているわけでもない。どうやらキノコ頭はその言葉を信じていないらしく口調を荒くしていいんちょに寄って詰める。

距離を詰められてもいいんちょは何も動じていない。首をふるふると横に振りながら粛々と次の言葉を続ける。


「私達は最初から関わり方を間違っていた。お互いにお互いを好きではないのにいきなり彼氏彼女という関係になった。そのせいで本来育む筈だった関係性とか、いろんなものをすっ飛ばしてしまった」


「それは…!」


「その全ては私のせいよ。…私が馬鹿なことを言ったせいで貴方の思考を歪めた。それは認める。」


キノコ頭が何かを言おうとしてもいいんちょはその全てを遮る。まるで口答えをさせないように。


「でも、その後のことは私と貴方両方のせい…ダメだとわかっているのにその関係を保ち続けた。…貴方は私に全ての責任を押し付けて、私は罪悪感で貴方の全てを許してしまった」


キノコ頭は何かを口にしようとはしているが上手く声には出せていない。その間もいいんちょは言葉を続ける。


「あの大柄の人に言われて貴方もわかっているでしょう? 私のお姉ちゃんと貴方のお兄さんの件について貴方は何でもかんでも私に責任を押し付けた…違うとは言わせないわよ」


「…うっ」


キノコ頭はいいんちょのその雰囲気に押されている。若干足を後ろに後ずさらせた。


「その後のことは言わずもがなよね。貴方は私を徹底的に凌辱しようとした。その理由はよくは知らないし、知るつもりはない。…けど、それは人として最低の行為な筈。それを一旦は受け入れた私が言うのはアレだけどね」


その事実があっても尚いいんちょはキノコ頭を嫌っていないのだという。俺だったら到底無理な思考だ。

嘘でもなく建前でもなく、本気でそう言っている。それはまだ関係の浅い俺ではなく、キノコ頭の方がその事実をよくわかっているだろう。


だからこそキノコ頭はたじろいでいる。何も言えず、黙っていいんちょの言葉を聞き続けている。


「色々と終わっているのよ、私達。貴方は私を通してお姉ちゃんしか見ないし、そもそも私は貴方に恋慕の感情を抱いていない。…そんな状態でもう一度付き合っても絶対良いことにはならない。時間の無駄よ」


「…それは…! …そんなことは……」


キノコ頭が一瞬反論しようとしたが、いいんちょの目を見た瞬間に何も言えなくなっていた。それ程いいんちょの目は真っ直ぐだった。

キノコ頭はその真摯な声に拳を震わせ、顔を俯かせてしまう。


「…多分、私達はもう元の関係には戻れない。楽しかった過去には戻れない。…もう、貴方のことが好きだと嘘でも言えない…だから、私達の全てを終わりにしましょう」


「全てを終わりにする…?」


その言葉を聞いてキノコ頭は再び顔を上げた。

キノコ頭はいいんちょの目を見ている。それを見て、俺はようやくキノコ頭がいいんちょを認識したのだと思った。


「えぇ、恋人でも、幼馴染でもなく…単なる他人になるの。そうして別々の道に進む…そんな関係になりましょう」


それはある種の絶縁宣言、もう二度と互いに関わらない誓い…それをしようといいんちょは言っている。

 

「これ以上私達が互いに関われば、お互いにとって絶対よくない。貴方は前に進めないし、私はずっと後ろ向きに立ち止まり続ける。…そうして年老いて昔の自分を恨むことになる。どうしてこうなったんだって一生後悔し続ける。…そんなの、嫌でしょう…?」


…彼女の声が震えている。その目には掠れた赤が混じっている。


彼女は泣いている。未来の為に現在を捨てることに心を痛めている。それは彼女の言うところの心残りそのものなのだろう。


「伊代…」


キノコ頭はその彼女の目を見てたじろぐことをやめた。その目は今も彼女の姿を捉えている。


「昔はよかったって、いつの日か言える様に…あの頃はよかったねって未来の自分が言える様に…そんな私達になる為に…私達の関係はここで終わらせるべきだと思う」


彼女の中で今も過去は美しいものとなっている。それが美化されたものなのか、それとも真実にそうなのかは他人の俺にはわからない。

だが、そんな過去の為に現在の全てを終わらせるべきだと言える程彼女にとってその過去は輝くものなのだろう。であればあんな顔をする筈がない。


あんな、透き通る程綺麗な目で苦しむ顔をする筈がない。過去を悔やむ筈がない。


懇願し、お願いする声、彼女の表情はそれで染まっている。


どうか私の記憶を穢さないでと、もうこれ以上失望させないでと言っている様に俺は感じた。

それでもまだ提案する様に言っているのは彼女の性質がそうさせているのだろう。

…あの女はどこまでも優しい奴だから。



「…………………そう、か」



長い長い沈黙の後、キノコ頭は絞る様にそんな掠り声を上げた。


「伊代の中では僕達の…みんなの記憶はもう過去のものになっているのか」


どこか呆けた様な声、自分でもその声を曖昧に出していることを認識しているのか、キノコ頭の言葉には力がなかった。


「…あの日々が、…僕が台無しにした全てが美しかったと。楽しいものだったと…君は思ってくれている」


それでも、それでもと…キノコ頭は漫然と言葉を続ける。それは、きっと彼女の声がキノコ頭に届いたからだ。


「…………わかっているんだ。本当は君はなんにも悪くないって、僕が勝手に苦しんで、周りに呪いを波及させて、全部が全部台無しになってしまえばいいって思っているクズなんだって、でもそれ程僕はあの人が好きだった。人生を何度やり直しても好きだって言えるほどあの人のことが大好きだった」


執着の発露、あれ程のことをしでかしたキノコ頭の執着は大きい。それこそ何もかもを犠牲にして世界の全てを呪う様な代物なのだろう。

…しかし。


「…でも、それと同じくらいに…君はあの頃を大切にしてくれていたんだ。僕が沙織さんを好きな様に、君は僕達の四人の関係性を大好きでいてくれた」


ようやくキノコ頭はそれに気付いた。ようやく彼女の姿を見て、知覚して…彼女の想いの大きさに気付いた。


自分の全てを犠牲にしても、過去の全てを大切に守ろうとした彼女の想いに気付いた。


「…でも、君は今、それを捨てようとしている。これまでのものを嫌いにならない様に、美しかったものであり続ける様に…僕達の関係を過去のものとして、記憶の中でだけ在り続ける様にしようとしている。…………あぁ。…僕は、そうか、…僕は君をそこまで追い込んでいたのか」


キノコ頭の顔がもう一度下を向く。ここからはその顔がどんなものをしているのか俺には見えない。だが、きっとその顔を俺は知っている。


「……………ごめん。ごめんよ、伊代…君をここまで苦しませて、君にこんなことを言わせて…本当は僕からそう言うべきだったのに、あんなことをしてもう二度と関わらないと言うべきだったのに…僕は君を自分の都合のいいものと認識して、また甘えて、身勝手にこんなふざけたことを言って…もう一度君を傷つけてしまった」


自業自得だと俺は言う。お前の全てが悪かったのだと俺は言う。


今更何を綺麗事と…お前がやったことは絶対に許されるべきことではないのだと俺は言う。今更そんな後悔に満ちた顔をしても無意味だと蔑んでやる。内臓を吐き出すまでぶん殴ってしまいたい。


…だが、しかし…その全てはやはり他人事。俺は彼、彼女らの物語の登場人物ではない。

この話の主格はあの二人だ。…その二人が導き出した結論に俺が異議を唱えることは出来ない。


「……今更だけど、本当にごめん。謝って許されることではないことを僕は君にした」


「謝罪は要らない。…謝らないで、ずっとそのことを覚えていて。…自分したことがどんなことだったのかを忘れないで…そして、次からは絶対にしないでね。…二度と同じ過ちを繰り返さない様に、私が貴方の軛になってあげる」


謝罪とは許しの行為である。

どんな形であれ謝罪をすれば心の負債はいくらか減る。

そしてそれを許さなければそちらの方が大人がないと揶揄されてしまう…何故なら人々にとって許すことというのは素晴らしいものであると…美徳であるとされる。

つまり、謝罪とは謝ったものが圧倒的に優位となる行為だ。


しかし、彼女はそれを否定した。安易に許すことは出来ないと告げたのだ。

彼女は優しい人間だ。おそらく俺であれば到底許せるわけのないあの時の出来事すらも彼女は許してしまう。

だが、その彼女が許さないと言った。


それはやはりキノコ頭を想ってのことなのだろう。…この先、キノコ頭が二度と道を踏み外さなくていい様にと彼女は思っている。


「わかった。忘れない。…僕は、この先ずっと君に後ろめたさを覚えて生きていくよ…二度と、同じことをしない様に」


その真意にキノコ頭は気付いているのか、覚悟を決めた声でそう言い放つ。そして、次の言葉を苦しそうに口にした。


「…僕は、この先一生…金輪際、君に近寄らない。…それで、いいかな…?」


「…うん、…これからはなんでもない他人同士…単なる隣に住む近所の人。お互いに家を行き交うわけでもなく、朝、偶然出会ったとしても挨拶も何もしない関係…そんな関係に私達はなろ? …幸太郎君…」


友人でも知人でも、知り合いでも何でもない他人。それこそが彼女達が選んだ新たな関係性。

歯車が狂いに狂って行き着いた終着、彼、彼女はもう全てが終わってしまった関係性でなければならなくなってしまった。


俺の目に映るのは二人だけの離別式。儀式の様に二人は互いにこれからの事実を確認し合う。


子供が大人になる様な程激的なものではない。…ただ、ほんの少し大人に近づく為の一歩を二人は踏み出している。


「…それじゃあ、さよなら。…伊代」


最初に足を動かしたのはキノコ頭…くるりと足の向きを変え、先程通った鉄のドアを開く。


きぃぃ…と再び鉄のドアが開く音がするが、数秒経ってもそのドアは閉まらない。今もなお、キノコ頭は躊躇の念を抱いているのだと俺は思った。


キノコ頭もきっと思い返している。昔の日々を、それを捨て去る苦しみを…だが、それは彼女に比べてあまりに偏っている記憶。

それでも、きっと彼女との記憶もキノコ頭は有している。…キノコ頭にとってもその記憶は美しいと呼べるものだったのだろうか。


「………っ!」


しかし、結局そのドアは閉められる。躊躇を振り払う様に一瞬息遣いを大きくすると、そのままの勢いでキノコ頭は駆け出したのだろう。その足音は勢いよく遠ざかっている。


それは確実に前に進む為の一歩だった。


「…さよなら、幸太郎君…。……ぇぐ、……っ!」


彼女もその一歩を踏み出すことになる。


最後の最後まで彼女は気丈に振る舞っていた。だが、最後の最後でその顔は崩れてしまう。


彼女は泣いていた。楽しかった過去を全て捨てた事実に泣いている。もう戻らない過去に嘆いて泣いている。

誰も彼女を慰められる者はいない。その選択は彼女自身が選んだもの…赤の他人がどうこう言えるものではない。


涙が流れる両目を手で擦り涙を拭っている。両足は崩れ彼女は力無く両膝を地面に置いてしまっている。

慟哭が、目の前に広がっていた。



いいんちょとキノコ頭は…両者の因縁は決着した。

その全てを確認して俺は貯水タンクの近くから降りる。


いいんちょは今も両膝をつき目を両手で覆っている。そんないいんちょに俺はゆっくりと近付いた。


「…………」


なんと声を掛けようか少し迷う。泣いている女性に声を掛けるなんてあまり経験がないからやり方がわからない。

そんなふうに、少し悩んだ末に出た言葉は…。


「……見てたぜ、いいんちょ」


そんな事実を告げることだけ…しかしそれでは少しなんだと思い、咄嗟に俺は掌をいいんちょの頭にぽんと置く。


「よく、頑張ったな」


俺は頑張れとは言えなかった。だが、頑張った者に対して頑張ったなと言うくらいは許されるだろう。労いは誰に対してもやっていい筈だ。


「…うん、…私、頑張った…よ」


涙を両腕で拭い、俺の顔を見上げるいいんちょの目は赤くなってしまっている。しかし、それとは対比してその顔は清々しく染まっていた。


やはり、その姿は俺には眩しく見えた。

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どうか何卒よろしくお願いいたします。

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 済みません、酷い事を書きます。   委員長、何故怒らない? だいじにしようと何故出来る? 思考が理解出来ないです。彼女には元々何の責任も無いのに。反吐が出そうな最低野郎なのに。  したことに対して報…
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