退屈な日々
閲覧ありがとうございます
二年生となって早数ヶ月が過ぎようとしていた。
あれから俺の人間関係は無事に縮小していた。
先生とはあまり会わなくなったし、高嶺ともあまり話さなくなった。
…疎遠になったというほどではなく、会えば普通に話す程度の仲だ。けれど街中で偶然会ったとしても話しかけなくなる様な…そんな仲だ。
クラス替えの結果、委員長と別れることにもなった。…となると俺にわざわざ話しかける存在は余計に希薄になっていく。
結果として俺は入学式の日に抱いた理想通りの生活を手に入れたということになる。この結果には喜ぶべきなんだろうな。
全てが俺の理想通りだ。
余計な重荷を背負うことはなく、全ての関係をリセット出来た。…きっと、俺は嬉しいと思っている筈だ。
…本当はそう思えなかったとしても、そう思うべきだ。それが責任を取るということなのだから。
想いを伝えるのもそれに応えるのにも責任が伴うことはわかっていた。俺は今までその責任を背負うことを放棄していたが…ようやくと言ってもいいだろう。それを背負うことにした。
正直辛い、二度と経験したくない。…それを二度も経験したのだから尚更だ。
いっそのこと今の生き方を変えてしまおうかとか…そんなことを考えてしまった自分がいる。
…けど、それじゃあダメなんだよな。今の生き方を変えてしまえばそれすら彼女達の告白に対する冒涜となる。…雁字搦めとはこのことだ。
「はぁ…」
授業がつまらない。今やっているのは世界史の授業だったか…。こんなことを考える暇さえある程に内容が薄い。
クラス替えによって教科担当の教師も代わり…今の世界史の先生は典型的、模範的な授業を行う。
ただただ教科書に書いてあることを復唱し、板書を続ける。まるでテストで良い点を取るためだけの授業だ。
…いや、元々授業とはこういうものだ。
大学なんかと違って中学、高校の勉強そのものの内容なんて将来的には意味がない。よく中高生が勉強をしない言い訳にこんなことをする意味がわからないと言っているが全くもってその通りだと思う。
数学なんて足し算、引き算、掛け算、割り算が出来ればそれでいいし、そもそも複雑な計算は計算機とかパソコンとかがやる。国語も漢字を覚えるのはいいがパソコンだったりスマホだったりが勝手に変換してくれる。
理科もそうだ、特殊な職業じゃない限り理科の知識は豆知識程度しか使えないし、社会…歴史なんかもクイズにしか使えない様なものしかない。
英語とか家庭科とか現代社会とかは使ったり覚える必要があるかもしれないが、中高のほんの触りの情報しか覚えないんじゃ別に意味はない。それにそういうものはやっている内、体験していく内に覚えていくものだ。
だからと言って勉強に意味がないとかそういうことを言いたいんじゃない。
将来的には中高で学んだ内容に意味はないのかもしれない、だが、この勉強をするという環境にいること自体に意味があると俺は言いたいのだ。
……そんなことは誰でも知っているかと少し自嘲、どうやら脳内で独り言をするのが癖になっている様だ。
普通の学生の様につまらなくても板書をノートに移す。これが、望んでいた日々なのだと噛み締めて。
─
学校の中で唯一と言ってもいい関係性が残っている。無論、先輩のことだ。
彼女と昼食を共にするという習慣はいまだに続いており、今では保健室の常連とも言える存在に俺はなっている。
学校内で誰とも話したくない俺にとっては好都合、それに先輩の事情に首を突っ込み関わったのは俺自身の選択だ。それを途中で放ることは出来ない。
「……名取君、最近調子どう?」
「…ん?」
先輩から突然の言葉…というわけではないのだろう。
「…別に深く聞くつもりはないけど、…なんだか最近ずっと暗い顔してるから…何かあったのかな…って」
…暗い顔、側から見れば俺の顔はそう写っているのだろうか。最近鏡を見ていないから自分の様子が確認出来ない。
「…別に大したことはないっすよ。もしそう見えたのならすんません…フキハラってやつっすよね、それ」
「ううん…!? 別にそういうわけじゃないんだよ? …ただ、いつもより元気ないふうに見えたから」
俺は自分のことを取り繕うことが得意だ。実の両親にだって自分の本心を明かされたことはない。
もしかしたらそれ自体は単純に両親が俺のことを深く見るつもりがなかったとかそういう理由があるのかもしれないが、それでも誰かに元気がないとか暗い顔をしているとかは言われたことはない。
だから、その俺の心情を赤の他人である先輩な悟られるというのはそれだけ俺が弱ってしまっているからだろう。
うじうじとあの日に戻れやしないのに前のことをずっと考えてしまう。
過ぎたことを考えるのは無駄なことだ。だって過去に戻ることは出来ないし戻れたとしても俺は戻らない。大切なものは既に決まっていて、それ以上のことは要らないとそう決めた。だったらそのことだけを考えていればそれでいいのに…。
…それでも、あの日のことを考えてしまう。それは確かな弱さであり恥だった。…未来は要らないと、過去だけを望んでいる癖にそう思ってしまっている。…本当に情けなかった。
「…ご家族のこと?」
「んー…」
先輩が俺の顔色を窺っているのか小さな声でそう聞いて来た。
それも理由のうちの一つだが…まぁ、こっちなら話してもいいか。
「まぁそんな感じです。実は両親が離婚しまして」
「────ぇ?」
なんてことはない、ちょっと前の話だからまだ鮮明に記憶に残っている。と言っても一ヶ月過ぎれば離婚のことも忘れるのだろうが。
「まぁそれ自体はどうでもいいんですが…妹が…」
「……前に言っていた子…?」
「いんやそっちじゃなくて…」
ここら辺の話はややこいからな…どう話したらいいものか。
「………」
先輩を見る。
神妙な顔をしている。他人の話を真剣に聞こうとしてくれているのが目に見えてわかる。
…この人なら別に俺の境遇を馬鹿にしたり貶したりすることはないだろう。それはこの一年間先輩と一緒に過ごして来てこの人はそういう人じゃないってことはわかっている。
…そも、身内の恥を二つも話したのだ。…それなら、後もう一つぐらいは話してもいいだろう。
「……俺には血が半分だけ繋がっている妹がいまして、…俺にとっての唯一の癒しとも言える子でした」
……仕方ないと割り切っていても、大人であろうとしている俺であったとしても…これだけは割り切れなかった。
「その子は…まぁちょっとした事情で母親に親権が握られました。んで、俺の方はというと父親に親権を握られて…ま、有体に言えば戸籍上の家族じゃなくなっちまったんです」
家族の絆…なんてものは俺は信じてはいないが、それでも俺とあの子の間にはある種のそう呼べるものがある。だから戸籍上のアレコレがあったって別に構いやしない。
…けれども、そこにあったはずの確かな繋がりが断たれてしまった。それが悲しかった。
「……離れたく、ないんだよなぁ…」
確かな本音を吐き捨てた。
…あの日、あの時に言った言葉は嘘でも虚実でも冗談でもなんでもない。俺の本気で本音で本心の言葉だ。
…けれどもあの子は聡い、その本心を聞いた上で他の要因を考える。…考える必要もない、する必要のない配慮をしてしまう。だから、あれから愛菜から連絡はない。
「本当にその子のことを大切に思っているんだね」
「えぇ、…あの子は、俺に残された唯一の……」
と、これ以上は喋るわけにはいかない。…これ以上は、誰だっても話すつもりない。
丁度よく早休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。
「っと、それじゃあそろそろ戻りますね」
「あ、…うん」
先輩は無理に止める気はなく素直に送り出してくれる。…話の途中でぶった斬ったのを少々申し訳なく思う。
「……名取君…っ!」
保健室を出ようと扉に手を掛ける。それと同時に先輩の声が掛かる。
「……もうすぐ、夏休みだね」
「…そういやそうっすね」
時間が過ぎるのは早い。気付けばもうこんな時節になっていた。
「えっと…」
先輩の次の言葉を待つ。…が、それで少々プレッシャーを与えてしまったようだ。
「…えっと、…た、ただ…それだけ…」
おそらく本音は別のところにあるのだろう。…が、先輩はそれを飲み込んだ。優しい彼女は自分の言いたいことを敢えて塞いでしまう時がある。それは彼女の美点でもあるのだろうが…他人事的に言えば内気とも言える。
だがこれは他人事ではない。…それならばこっちの方から彼女の言いたいことを察してやればいい。それが友人の役割だろう。
「………」
「………っ」
嫌な静寂が生まれる。自分で余計なことをしたと思っているのか先輩の顔がどんどん俯いていってしまう。
「ご、ごめ──」
「夏休み、楽しみにしててくださいね」
彼女がその言葉を言い切る前に、遮って声を出す。
「約束…したっすからね」
前回は忙しかった。…心情的に言えば一年の時とそう変わりはない。
家族のことで悩んでいる状況…様々な事情が入り組みもがいている状態…でも、それでも約束は守らなきゃだ。
それだけ言って俺は外に出る。
「……覚えてて、くれたんだ」
背中越しに、そんな声が響いた様な気がした。