ただの一日
最終章です。よろしくお願いします
どうすれば、この罪が無くなるのだろう。
どうすれば、この罪が償えるのだろう。
真っ赤に染まる手、周囲に散らばる血痕。俺が作り出してしまった光景。
人が倒れている。俺がそれをやった、俺がそうしてしまった。俺の手がそうした、俺の意思でそうした。
呆然とその結果を見る。迸った激情は冷め、後に残るのは絶望だけだった。
俺は、なんてことをしてしまったのだろう。俺はなんてことをしてしまったのだろう。俺はなんてことをしてしまったのだろう。俺は……。
漫然と、携帯を取り出した。救急車を呼ばなければならなかった。辺りには声が響いている。
か細く、か細い、弱い、小さな、ちっちゃい声が。響いていた。うるさくてうるさくて、耳障りなその声が響いていた。
罪は無くならない、一生消えない。俺の手には未だにその痕が残っている。今でも俺に突きつけている。
ならば、一生を賭けて償おう。安易に逃げるなんてことはせず、一生その罪と向き合おう。罪がそこにある限り、俺は生き続けよう。
そんな誓いを、その子の前で立てた。泣いて俺の服の裾を掴んでいるその子に誓った。
行かないでと、離れたくないと…泣いているその子に誓ったのだ。
その時から、俺はずっとこの俺を続けている。続けなくてはならない。
続けることが、罰なのだろう。
─
様々な手続きが終わった。
端的に言えば、両親の離婚がようやく成立した。時間にしてほぼ一年掛かったと言ってもいいだろう。
気分は暗いのかどうかよくわからない。俺にとって、父親とか母親とかの絆なんてものはないし、情もあまりない。ただ、世間一般ではきっと辛いことなのだろうからといつものヘラヘラした自分を封じている。人によっては真剣な表情をしていると言われるかもしれない。
今日から俺は、両親の片方とは他人となる。
「それじゃあ俺は失礼するぜ」
長男ということでこの場には立ち会ったが、俺は本来は子供の立場。こんな重苦しい場所にいていい人間じゃない。
「…あぁ」
「………」
父親の声と、母親だった人の無言が俺を貫く。それらを無視して俺はその場から立ち去った。
建物の外に出ると、愛菜がそこで待っていた。
「…いたのか?」
「………はい」
なんとなく落ち着かない。先程まで気にしていなかった空気の重さがやけに肩にのしかかってきた。
「…今日、俺の家に寄ってくか?」
いつもの様にと心掛けながら家に誘う。けれども愛菜はふるふると首を横に振った。
「……気持ちは嬉しいです。願うことならそうしたい…けど、ダメですよ」
愛菜は少し口角を上げて…歪な顔で、目元を無理やり優しくしながら言葉を続ける。
「だって…私達…今日から他人になっちゃうんですから。…兄妹じゃ、無くなるんですから…私は、名取じゃ無くなるんですから…」
愛菜は、母親だった人が引き取ることになった。
血縁関係を考えればそうなるのも納得なのだろう。…愛菜と血が繋がっているのは母親だった人だけなのだから。
「んなもん別に関係ねぇよ。戸籍上がどうであれ、俺とお前は兄妹だろ?」
「…でも、それだと新しい家族と仲良くなれませんよ…?」
「どうでもいい、新しい家族も大切なんだろうが…それは今までの家族を切り捨てる理由にはならねぇよ。優先順位が変わることはない。大切なものも変わらない…だろ?」
「………愛人さん」
そんな、苦しそうな顔をしている妹を放っておくなんてしたくなかった。
…もしくは、俺がただ、そうしたかっただけなのかもしれない。
「愛菜、帰ろうぜ」
「…はい」
自然と手を差し出して、愛菜も自然とその手を掴む。変わらない俺達の習慣。二人で一緒に帰る時はいつもこうしていた。
歪と思うだろうか? …俺はそう思わない。
俺が俗に言う良い子…聞き分けのいい人間ならばこの手を掴むことはしないだろう。
もうないものだと、関係のないものだと自分の目を覆い全て過去にしてしまうだろう…だが生憎とおれはそう言う人間じゃない。
俺にとって大事なものは過去であり、その先に続くものは不要だ。思い出だけがいつだって俺に幸せを与えてくれる。…だから、新しい家族なんてものは俺には不要だ。
未来なんて、俺には眩し過ぎる。
─
今日、私の母親が離婚したらしい。
離婚と聞けば大概は悪いイメージを持つと思う。私もそう思う。だって普通の夫婦なら離婚なんてせず生涯を添い遂げるものだと思っているからだ。
それは私が子供だからそう思うのだろう。大人になれば様々な事情、様々な条件によりそういう道を閉ざされることもあるらしい。
家の事情、家庭の事情…そんな様々な要因があって、初めて離婚という選択を取ることになる…知識としてそういうものがあるのは知っているが、感情としてそれを飲み込むことは難しかった。
別に、親が離婚することになんの抵抗もない。母親の結婚相手なんて存在を私は一度も見たことがないのだからしょうがない。
嫌なのは私の唯一の味方であるおに…愛人さんと離れ離れになることだけだ。
…母親は愛人さんを恐れている。それも病的に。
自分のやったことは棚に上げ、いつも私に愛人さんがどれだけ怖い人間かということを教えようとしている。
洗脳するかの様に、毎日毎日同じことを刷り込む様に言っている。
『あの子は恐ろしい、何を考えているかわからない。暴力的な子、あんまり近付いちゃいけない。関わってはいけない』…と、そんなことを言っている。
…だから、私はあの家が嫌いなのだ。一秒たりとも同じ空間に居たくない。
私が小学生だから何もわからないとでも思っているのだろうか? 本当に理解出来ない人達だ。
…愛人さんは私の全てを教えてくれた人だ。
赤ちゃんの時の記憶はもうそこまで残っていない。幼い時の思い出も少ししか残っていない。当たり前の話だ、人間の記憶能力は適当で、曖昧なことしか残らない。
その僅かな記憶に映るのはいつだって愛人さんだった。
愛人さんがいつも私の側に居てくれた。自分も学校で忙しい筈なのに、運動会にお弁当を作って持って来て一緒に食べてくれた。
雷が降って、暗い夜の日…年甲斐もなく怖がっていた私を安心させる様に私が寝るまで一緒にいてくれた。あの人だけがずっと私のことを考えてくれた。私の短い人生の中で愛人さんが優しくない日なんてなかった。
私はとても運がいい。こんな終わっている家の中でも希望がある。私を救ってくれる人がいる。それはきっと幸運と言うべきものなのでしょう。
…でもだったらあの人は? 愛人さんにとっての救いとは何処にあるのだろう…?
…私と同じ様に…いや、他の大勢の人達とも同じ様に愛人さんにも救いと呼べるものはきっとある筈なのだ。…むしろ愛人さんこそ救われるべき人の筈なのに…あの人は救いを拒絶する。
…私はその理由を知っている。だからこそ無理強いすることは出来ない。
本音では違うことを考えていても、それはきっと愛人さんの為にならないから…だから、私はいつまでも知らないフリをしている。
……でも、願わくば、大勢にとっての救いではなくても、それが一般的な幸せとは程遠いものなのだとしても…愛人さんにとっての救いが現れます様にと私は思う。
…私は、それになれないのだから、…だから、誰かお願いします。
…誰か、あの人を助けてあげて下さい。