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優しい世界が見たいんだ  作者: 川崎殻覇
恋は熟せど散りぬるを
127/134

長谷川流は偽れない

閲覧感謝です

「っっっ…!」


咄嗟にその言葉をおちゃらけた態度で誤魔化そうとした。

冗談でしょう、そう言おうとした。


「……っ」


けれどもそれを伝えるにはあまりにもその顔が真剣で、その顔が真っ直ぐ俺に向けられていて…。


「好き…好きだよ、名取君」


その言葉は痛いまでに俺の心に突き刺さった。


「………ぁっ」


言葉が詰まる、何か言おうとしても何も言えない。

…その言葉には全くの嘘も躊躇いもなかった。何の気負いも存在していなかった。


純粋な好意で伝えてくれているんだってハッキリわかった。


「…君はきっと気付いていなかっただろうけど、私は最初から…君の優しさに触れてからずっと君のことが好き」


冗談だと思っていた、ただの一時的な勘違いかと…吊り橋効果のように、一瞬だけ刷り込まされたり好意が惰性に続いているだけだと思っていた。

彼女は優しいから…勘違いだと気付いてもそのままの態度を演じてくれているのだと、…そう思っていた。


「嫌なことが立て続きに続くのって本当に最悪で…少しでも心が傾けば簡単に下に落ちてしまおうかなって思えちゃうの…それが心の支えにしていた余計にね」

「あれはっ! …あんな姿を見たら誰だってそうするでしょう…?」


泣きそうになる程悲しんでいた…そんな奴を見て傍観者を決め込めるのであれば俺は今の俺にはなれていない。


「そんなふうに言える君の優しさに惹かれたの。…その優しさにずっと触れていたいって思うの」

「俺は、…そんな先生が言う程大した人間じゃない。結局は俺が恩着せがましく…ただの自己満足でやったことで…」

「自己満足でもなんでもいいの。…どんな理由であれ、君が私を助けてくれたのは事実なんだから。それ以外の要素は関係ないわ」


先生との距離は少ししか離れていなくて、ほんの少しでも近づけば肌と肌が触れ合いそうになる。

彼女は決してそこから近付かず、ただただ言葉を持って俺との距離を近づけようとしていた。


「私は君の事情なんてわからないけど、そんなことは関係ないの…君がどんな過去があったとしても私はそれを受け入れたい…そう思っているわ」

「………」



心が引き裂けそうになる。


「…お、俺は…」


俺は、そんなことを言われる筋合いはない。俺が何かに受け入れられるなんて許されない。


「俺に…そんな資格は…」


この手にあの感触が残り続けている限り、俺に安息なんてものは要らない。


…そうだ、今からでも遅くない。

いつもの様に、最低に最悪に…彼女をこっ酷く振って仕舞えばいい。


昔からこんな勘違いをする相手はよくいた。俺のことを理解したいとか、俺に優しさを返したいとかそんな意味のわからないことを言う奴はよくいた。


大して関わったこともないくせに、たった一度や二度と助けたぐらいで俺のことを理解した気になっていて…一時の空気の流れでそんな馬鹿なことを言う奴はよくいた。

俺はいつもそいつらを傷つけた、お前なんかはどうでもいいと、興味はないと。俺の目の前から消え失せろと言い続けてきた。


そうやっていつも涙を流させた、傷つけた。

…だから、俺は近くに人を寄せ付けなかった。


「俺に、そんなものは…」


冷徹に、いつもの様に…そう言ってやれ。

暴言でも虚言でもなんでもいいから…この人の側から離れなければならない。


「…愛しているわ」

「…ぃが」


言おうとしたのに、その一言で全てが崩れた。


「もし、君に何か後ろめたいことがあって、それを理由に断ろうとしているのなら…それは私を拒む理由にはならないよ。だって、私はそんな君も受け入れるって決めるんだから」


それではどうやって拒めばいいのだろう、どうやって納得させられるのだろう。

その答えはすぐに教えてくれた。


「…私を拒みたいのならそう言えばいいわ。変に取り繕う必要はない…ただ迷惑だと。…私なんて必要ないとそう言って? そうでなければ私は納得出来ない、身を引けない」



「だから、どうしてもと言うのなら…私のことを受け入れることが不可能と思っているのなら…私のことが嫌いだと、そう言って?」

「──ッッっ」


口からは鉄の味がして、指には不自然に力が入る。

それは、さっき俺が彼女に言おうとしたことをただ単に突きつけただけの言葉だった。


「…そんな…こと、を…」


…でも無理だった、どうしてもそんな言葉を口には出せなかった。


「言えるわけ…ないじゃないですか」


…だって、

…だって。



「…無理っすよ」


だって、俺はさっきの言葉に険悪を抱かなかった。


「俺があんたに…先生に対してそんなこと…言えるわけないじゃないですか」


むしろ、…むしろ、俺は。


「この苦しさが…嘘なんかじゃないって…勘違いじゃないってわかっているから…」


俺は、きっとこの人のことが…。


「俺は、どうして…あんたのその言葉を…受け入れたいと思っているんだろうな」




好意というものに吐き気を覚える。


ヒトデナシの俺が、クズの俺が…そんなものを抱いてはならないし受け取ってはならない。


良くて親愛、それ以上の【愛】と言えるものを受け取ってしまうと俺はダメになる。

死んでしまいたくなる。


だから本当に驚いたのだ、先生に対してそんな想いを抱いている自分に。そんなものからずっと目を背けていた自分の醜さを直視している。

気持ち悪い、やはり俺は死んだ方がいい人間だ。


「あんたは俺に安らぎをくれた」


健やかなる日々。認めるしかない、俺はこの人とずっと一緒にいて幸せだった。

幸福でしかない日々だった。それを享受しているとすら思えない程…この人との間には何もなかった。


「きっとこういう日々を日常…って言うんだろうな。…上手く記憶を掘り起こさない何でもない日々、劇的な変化なんて全くなくて、ただ喋ってただ笑って…記憶に残らない日々が続いているんだ」


この人と一緒に過ごした記憶、本当にあまり記憶に残っていないのだ。


俺の人生の大半が面倒なことに塗れていたけれど、この人との日々はいつだって平坦だった。…俺は、一度たりともこの人に苦しめられなかった。


「なんでもない日々、それをあんたが俺にくれた。…あんただけがそれを俺にくれた。…そんな人に嫌いだなんて言えるわけがない。…俺、あんたと会えてよかったって思ってるんだぜ…? あんたと出会えて…きっと幸せだったって間違いなくそう言える」


確信がある。

この人の言葉を受け入れればきっと俺は幸せになれる。


過去の傷も過去の罪も、その全てを受け入れて、納得して咀嚼して…最終的にはそれを乗り越えることが出来ると思う。俺が幸せになるのだとしたらきっとそれが一番いい選択なのだと確信出来る。


「…でも、それは俺の幸せだ。あんたの幸せじゃない」

「………」


…気付かなくてもいいのに。

きっと、彼女はそう思っている。…あんたは優しいからな。



過去のことを振り返れば印象的なものばかりを思い出す。それは彼女の言葉も例外ではない。


「なぁ、もし…さ。俺があんたの言葉を受け入れて、あんたと一緒の日々を過ごすって決めたらさ…先生は、どうするんだ?」

「…どうするって?」


何でもない日々を送っていたからこそ、目立った日のことは際立って覚えていられる。


「あんたは根っからの教師だ、理想的で規律的な教師だ。…誇りを持って、真剣に俺達(生徒)に向き合ってくれる人だ」

「………」


…そんなあんたが生徒である俺と付き合う? 男女の仲になる? …そんなことはあり得ないんだ。


「聞かせてくれよ。…俺がその申し出を受け入れたら先生はどうするんだ? …あんたは、それでも先生を続けてくれるのか…?」


もし、もしそうであるのなら…俺はきっとこの申し出を受け入れられるだろう。教師という職業は彼女にとっての天職で好きなことのはずだ。

…それを続けてさえくれるのなら、俺はこの思いを存分に吐き出すことが出来ただろう。


「…うーん」


でも、そんなこともやはりあり得なくて…。


「…そこに、気付いて欲しくなかったなぁ」


彼女はあっさりとそう言った。


「でも、そんなに気にしなくてもいいんだよ? 確かに教師というお仕事は好きだしこれからも続けたいとは思っているけど…君のことが好きなのも本当だし…」

「ならどっちも選べばいい、どちらか一方だけ選ばずに両方選び取ってしまえばいい」

「………」


先生は俺の言葉に押し黙る。…そんな彼女だからこそ、俺はこの想いを抱けたのだろう。


「でも、それは出来ないんでしょう? …例え今、この瞬間の答えを保留にして、卒業後に付き合うという選択を取ったとしてもあんたは必ず教師を辞める。…あんたは誰よりも教師という職業を誇りに思ってるから…生徒と付き合う様な教師は教師として失格と思ってしまう」


彼女は理想の教師である。それは彼女が教師としての理想を追い求めている人だからだ。


生徒を導き育てる。そしてその生徒を唆す様なことはしてはならない…俺達のようなクソガキに自分の長い人生の一部の時間を使って知恵とか社会とか人生の生き方を与え、教えてくれる存在…教師というのは聖職者だと多くの者がそう言っている。

だからこそ彼女は俺に対して、自分に対して…そして教師という職業に対しても嘘は吐かない。


生徒()という存在と付き合うことになるのなら教師としてのあんたは死んでしまう。そうなれば俺はあんたの幸せを失わせてしまうことになる…そんな選択を、俺が…取れるわけないでしょう…?」

「…………」


この人のことが好きだった、今も好きだった。

だからこそこの告白を受け取ることは出来ない。それは好きな人の好きなことを奪う行為であるからだ。


「…君は、本当に優しいんだね」

「───っっ…」


告白を断るにしても最低な理由だったと思う。これもやはり相手の弱みに漬け込んだ手だったからだ。

結局俺は断る理由を相手に見出した、俺が自分の心に嘘をついて、この人のことが嫌いだと言えばこんな思いをさせなかったのだろうなが…それでもそうは言いたくなかった。


「…久々に心が苦しいな、…さっきまではあんなに楽しくて幸せで…浮かれきっていたのに…今は寂しさだけが残ってる」

「お、俺…は…っ!」


どう言えばいいかわからなかった。俺が傷つけた、俺が苦しめた。そんな加害者である俺がなんと言えばいい?


「……でもね? 君のことが好きだって気持ちは少しも収まってないんだ」


それでも彼女はそうやって優しく…背を伸ばしながら俺の頭をゆっくりと撫でた。


「君のことが好き、君のことを愛してる。…でも、それと同じくらいに教師という職業を愛していることも本当なんだ。…大好き過ぎて、どちらか一方しか選べない程に…ね?」


彼女はそれでも温和な笑みを浮かべていた。俺に微笑を向けてくれていた。


「…寂しくて、辛いけど。それでもやっぱり私は幸せだね…今まで好きになった、…ううん、好きになろうとした人の記憶の殆どは悪いものしか残っていないけど、君との記憶だけはずっと幸せで満ちているから…きっと、こうやって言ってくれる君だからこそ…こんなに好きになったんだと思う」


俺達は立場とか、考え方とか、…これまで受けてきた境遇とか…いろいろなことが似ている。不思議と自分のスペースに入れてもいいと思っている程他人とは思えない。


「…好きだよ、名取君…教師という職業を辞めてもいいって思うほど君のことが好き。…でも、そんな私を君は受け入れられないんだよね…?」

「……ぃ、…あぁ、そうだ」


喉を搾り出して何とかその言葉を吐き出した。頬からは酸っぱい味がする。


「…じゃあ、ダメだね。…私、振られちゃったってことだよね…?」

「………そういうことに、なる」

「そっ、か。…そっ…かぁ」



その言葉は嫌になる程俺の胸にのしかかった。その諦めた顔と落ちてくる雫が脳溝に焼き付けられる。


「……わかった」


それでも彼女は顔を表にあげて、俺と目を見合わせる。

脳がその顔を見ることを拒否していたが、それでもと俺はその目から視線を外さない。


「…じゃあ、これからはただの…身近なお姉さんだ。…偶に家に遊びに来て、君に少しだけ迷惑を掛ける…そんなただの隣人。それ以上の関係に昇格することはない…ただの友達」

「……………あぁ」


彼女はそう言った後、くるりと体の向きを変える。今の俺からはその背中しか見ることが出来ない。目線が外せられて何処を向けばいいかわからなかった。


「……きっと、これから先ずっと私はこのことを引き摺ると思う。…もしかしたらまた他の人を好きになるかもしれないけど、きっとこの恋だけは忘れない」

「……出来れば忘れて下さい」

「ううん、忘れない。…一生引き摺ってもいいって思えるほど…この恋は楽しかったから。…その次が来てもきっと忘れないよ」

「………」


きっと、これは癒えない傷になるだろう。…こんなにも心が苦しくなるのだから、こんなにも辛いのだから…きっと、この想いを抱いたということは絶対に忘れない。


「…ねぇ、最後に一つだけ…お願いしてもいい…?」

「……いいっすよ」


そのお願いを聞けば、きっと俺達のこの関係は終わる。未練がなくなって全ての関係が消え去ってしまう。


「…最後に、君の本音を君の口から…聞かせて欲しいな」


これから先、俺達はただの教師とただの生徒となるのだ。


「……」


ほんの少しだけ息を吸う。覚悟も決意も何も必要ではない。これから言うのはたった一つ、先程まで俺が抱いていた、これからも抱き続けていたくて…そして捨て去った言葉だから。


「──あんたのことが好きだよ、流」

「………私も好きだよ、名取君」



そう言って、彼女は再び俺の方へと体を振り返ると…。


「──っ」


優しく、俺に呪いを残した。


「……最後に、これくらいの我儘は許して…ね?」

「……あぁ」


唇の端を掠めた柔らかい感触、それを拭い去るでもなく、拭き取るのでもなく…その感触に名残を覚えて自分の指で触れてみる。もうそこに温度はない。


「それじゃあ、また…学校でね」

「…あぁ」


帰りの道は一緒のはずなのに、俺達は別れて帰路に立つ。




もし、俺が今の俺じゃなかったのなら…彼女の言葉を受け入れられただろうか?


もし俺が大人だったら…彼女の言葉の真意を読み取ったとしても…それを敢えて伏せて、聞こえないふりをして、見ないフリをして…彼女の優しさを受け入れられただろう。そして、その分の優しさを彼女に返せていた筈だった。


もし、俺が子供だったのならば…彼女の言葉を受け入れられた筈だ。

自分の感情を優先して彼女の優しさに気付かず…ただ幸せを享受し、けれどもそれを少しずつでも返せていけた筈だった。


けれども俺はそのどちらでもなく…大人と子供を半端に行き来している。そんなどっちつかずの存在だからこそ何も手に入れることが出来ないのだろう。


理想の大人を目指すというのはつまりそういうことだった。それを目指している限り俺は永遠に中途半端なのだろう。



「ただいま」


数時間を掛けて家に帰った、家には人の気配がある。

部屋の中は暗いからよくは見えないが…奥の布団で寝ている者が一人いる。


「……愛人さん…?」

「…わり、起こしちまったか」


家の中にいたのは愛菜だった。

愛菜には合鍵を渡しているので家に居づらかったら泊まりに来てもいいと言ってある。むしろ俺の留守中に家の管理をしてくれていたらしい。


小学生を一人残すという事実には抵抗が残るが…あの家にいても苦しむだけなのならばその方がマシだろう。


「もう旅行はいいんですか…? 折角のお休みなのに…」

「これでも結構楽しんださ、…もう充分だ」


愛菜は目を軽く指で擦りながら布団から出てくる。


「別に寝てていいぞ? 夜更かしはよくないからな」

「…久しぶりに愛人さんに会えましたから…少しだけ許して下さい」


そういえば最近のドタバタで愛菜と接する時間が少なかった。…反省しないとな。



そうやって少しの間だけ愛菜と共に夜を更かす。そんな時、ふと思い出したことがあった。


「なぁ愛菜、サンタ…って知ってるか?」

「サンタ? はい、知ってますよ、クラスで有名な都市伝説ですよね? 夜中に家に不法侵入をしてプレゼントを渡してくるっていうおじいさんですよね…?」


どうやら愛菜はサンタについて知っているらしい…俺よりも博識だ。

しかしやはりサンタという存在を俺の様にいない物として扱っている。それは正しい認識なのだろうが間違った解釈でもある。


サンタクロースは実在しない、それは帰りの飛行機で調べたから理解している。だがクリスマスという日にはプレゼントが来るのは本当のことらしい。

それはつまり、サンタクロースの役割を担った"誰か“がいるということに他ならない。そして俺はその誰かについてのヒントを先生から貰っている。


「私の家には来たことがありませんが、クラスの人達はみんなこの時期を楽しみにしているみたいです。私も出来るのなら会ってみたいですね…」


『な、名取君…本当にクリスマスがどんな日か知らないの…?! 十二月二十五日とその前日にやる行事についてわからない…?』


『…子供の頃…そうだね、小学生頃…十二月の二十五日周辺にご両親からプレゼントを貰わなかった?』


『……名取君って誕生日プレゼント貰ったことある?』


『…ううん、ここはちゃんと言うね。…名取君のご両親、何処か変だと思う。…例え家のルールがそうなのだとしてもやっぱりおかしい。異常だよ』


回想、わかりきっていること。幸せだった記憶を掘り起こす。


俺の家が異常というのは当たり前だ。当たり前過ぎて異常に慣れていた。


サンタクロースも誕生日プレゼントも、もしかしたら他の世間一般の恒例行事も俺達は知らないのだろう、理解していないのだろう。

俺はその生活に慣れた、全てはもう過ぎ去ってしまった。…けれども俺以外の存在は違う。


「…もしかしたら、今年は来てくれるかもしれないな」

「えぇ〜、ほんとですかねぇ…」


それが世間一般で言うところの"普通“であると言うのならば…それをするのが当たり前なのならば…それはきっと与えるべきものだ。

それを与えることこそ俺が一番やらなければならないことなのだから…そうするとしよう。


「…それじゃ、夜も遅いしもう寝な。サンタさんは良い子の所にしか来ないらしいぜ?」

「…はーい」


愛菜を布団に寝かしつける。

安らかに寝息を立ったことを確認すると、ゆっくりと音を消して家を出る。


夜は遅いが深夜というわけではない、愛菜の好きなものは大抵把握しているので今から買いに行っても間に合う筈だ。

きっと、クリスマス当日にはサンタがやって来る。




そう生きると決めた、そう生きたいと願った。だったら俺はそういう人間として生き続けていく。


中途半端に、完璧な大人を目指したいと永遠に子供の様に言い続ける。この俺を貫いてみせる。

それが、あの時の選択をした自分に対して出来る手向けであり、先生に対して出来る唯一の贖罪なのだから。



「それじゃあ教科書を開いて」


曇り空、教室内の空気は肌寒い。


「それじゃあ前回の続きから…」


その教師の声はやけに教室内に響き渡る。

厳かな空気、誰も私語などせず、真剣にその授業を聞いている。


「──というわけなんだけど、ここの問題…名取、答えられるか?」

「はい」


その教師との間にはもう何もない、情動も感情も、全てはあの時あの場所に置き去ってしまった。


「──だと思います」

「ん、正解。名取が言った通り…」


名残さえも存在せず、この場に残っているのは教師と生徒という関係だけ。

きっと…俺はそういうものを求めてはいなかった。けれどもこういうものしか残せるものがなかった。


でも、それだけでも満足と言わなければ、だって俺が望んでしまったのは理想の教師であるという彼女なのだから。


もう、その熱に触れることは出来ないのだから、そう思ってしまえ。

(うろ)の中の心臓が、そう嘯いた。

悲しい

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