二日目の夜
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「ぷっ、ふふふ…」
「何を笑っているのかしら名取君、ねぇ何がおかしいのか言ってご覧なさいよ、ほら、早く」
どの面でそんな強気なことを言っているのだろうか、余計に笑みが浮かんでくる。
これまた普段の授業の様なキリッとした声が更にこの状況の面白さに拍車を掛けている。うわ、ビデオ撮りてぇ…。
「まさかだけど、いい大人が本気で腰を抜かして立てなくなって、本気で涙目になりながら助けを求めたことが本当におかしかったのかしら? 今もこうして名取君の手にしがみつかないと失禁してしまいそうな私を見て笑っているの? 無理やり私をあそこに連れ込んだのは名取君のくせに…っ!」
「ふふは! だからなんでそんなに強気なんだってば…!」
そのギャップがツボに入ったのか笑いが抑えられん…やばい、腹痛い…っ。
「いい? 大人が本気でビビる姿はね、どうしようもなくみっともないのよ? 若い子がびっくりする姿は可愛いで済ませられるかもしれないけど大人がそれをやると滑稽でしかないの、ねぇわk…」
ひょいっと先生の側から離れようとする。
「ごめんなさぃぃぃい、お願い離れないで私を見捨てないで私を守ってぇぇぇっっっ!!!」
「ぷふふ…!」
ダメだ、すっごい庇護欲が高まって来る。めっちゃ揶揄いたくなる。
「わ、私をいじめて楽し…? そんなのに楽しいの……?」
「いやいやそんなそんな…そんなことはないっすよ?」
「……うそつきぃ」
「ははは」
まぁでも、そろそろ揶揄うのはやめることにしようか。これ以上やると嫌われそうだし。
「すんません、離れないんでせめて少しだけ動きやすくさせて下さい」
「……うん」
そこまで言うと先生は手にしがみつくのをやめた。
「…手は繋いでてもいいよね…?」
「えぇ、どうぞ」
俺にしては珍しく簡単にそんなことを言えた。我ながら変わったと思う。
普段ならきっとここまで距離を詰められるのなんて容認しなかったはずだ…何か適当な理由を付けて離れていたと思う。
多分、俺はこの空気に酔っているのかもしれない。この非日常感が俺を変えているのだろうと考える。
「あと少しでコンプリートだな」
「うん、そうだね」
気付けば残りのスタンプも後少し…つまりもうすぐでこの時間が終わるというわけだ。
「………」
名残惜しいという感情がないと言えば嘘になる。この二日間、ずっと楽しかったからな。
馬鹿をやった、アホみたいにはしゃいだ。…何処か懐かしい思い出の様な体験が出来た。
普段、冷静を装っている俺の表面が削ぎ落とされ、単なる名取愛人としていられた…それがきっと俺の心を休ませてくれたのだろう。
別に普段の俺が嫌というわけではない。自分から進んでああいう俺になったのだからそれを否定するわけがない。…でも、偶にそういう自分に疲れてしまう時が来る。
ふとした拍子に過去のことを思い出して、お前はそんなことをしている場合か…なんて声がよく響いて来る。
贖罪を果たせと、自分の罪に向き合えと…一生をそれに費やせと言っている。赤の他人と触れ合う時間なんてない、無駄なことなんかせずにお前はやるべきことをしろよ…そんな赤子の声が聞こえて来るのだ。
…その声はきっと正しい、だから…今の俺はきっと間違ったことをしているのだろう。
楽しいなんて感情を抱くのは間違っている、ずっとずっと地獄を味わい続けろと誰かが俺に言っている。脳髄には言葉を覚えていない叫びが響き続けている。
…だけど、お願いだから今だけは耳を塞がせて欲しい。今、この瞬間を楽しませて欲しい。
「名取君、次これ乗ろっか」
この人と一緒に楽しむ権利を…少しだけ俺に許してくれ。これが終わればまた元に戻るから、心に安らぎなんか与えないから…今、この時だけは…。
「…えぇ」
…心の隙間を埋めさせてくれ。
─
「ん〜! これでコンプリート…だね!」
「ふぃ…ちっかれたぁ」
気付けばもう辺りは暗くなってしまっている、人々はまだこの遊園地に残り続けている様だった。
「後はこれを係員の人に渡せばおっけーだね…思えばもう何時間もこの場所にいるんだね…そんな長い時間ここにいたって実感はないけど」
「そうっすね、あっという間だった」
アトラクションから出て、自然と手を繋ぎ直しながらそんなことを言い合う。
本当に呆気なく終わってしまった。一日のおよそ半分の時間を過ごしたというのにも関わらず、体感的にはまだ一時間程度しか経過していない様に思える。
「………」
束の間の静寂、なんとなく先生の考えていることがわかる気がした。
「…ね、名取君。この遊園地って実はパレードがあるんだって」
おそらく俺も同じことを考えている。…この時間が名残惜しい…多分、先生はそう思ってくれている。
「…帰る前に少しだけそれを見ていかない? まみぃちゃんコラボとは全く関係ないんだけど…それでも君と一緒に見たいの」
だから、そう言ってくれたのだと俺は思っている。
「…ワガママかな?」
「いいえ、特に帰る時間に指定はないんです。それを見てから帰っても問題はないでしょう」
そう、俺も素直な感情を表に出した。
「…ふふ、ありがと。でも敬語はナシね?」
「あ」
やはりそれだけは慣れないな。
─
パレード、それは煌びやかに輝く宴。
現実には実在しない遊園地のキャラクター達が現実に舞い降りる一時の幻想。非現実な光景だからこそ俺達はそれに魅入られてしまうのだろう。
「綺麗…」
隣で呟く彼女も自然とそんなことを呟いてしまっていた。俺はそれを眺めてしまっている。
その目は純粋に美しさを秘めていた、情熱を持った目だった。
きっと目の前の煌びやかな光景にも負けないほどの美しさ、人が必ず一度は持つであろう光がその目に宿っている。
「………」
踊るキャラクター、遊園地内を回り続ける彼等の世界。軽快で厳かで、楽しそうで寂しくて…記憶にずっと残り続けて欲しいと思える一幕。それはきっとこれが一瞬の出来事で終わってくれるからだ。
綺麗なものは永遠には続かない、いずれは錆びて朽ちていく。
綺麗なものから落ちぶれていく姿は見るに堪えない…綺麗であると思ったからこそ余計に耐えられないのだ。いっそのこと、全て消えてなくなってしまえばいいと思うほどに。
「………」
でも、俺は我儘だったから、綺麗なものは永遠に続いて欲しいと思っていた愚か者だったから…この一瞬の輝きを見ることさえ少し辛い。
綺麗なものは一瞬でいいのだから、それ以上を求めようとした俺は傲慢だった。…その一瞬だけでも大事に出来ればそれでよかったんだ。
それなのに、俺はそれ以上を求めてしまった。…永遠を望んだ結果、最悪なことを引き起こしてしまった。
「……」
今の俺があの時の俺だったのならどういう選択を取ったのだろう。…どういう結末を望んだのだろう。
全てはたらればの話だ、もし過去に戻る手段があったとしてもそれを選ぶことはないけれど…そんな"もし“の過去を考えてしまう。無駄なことだというのはわかっているけれど、それでも考える。
この先同じ様なことが起きた時に間違えない為に、過去の無駄を糧にして未来で繰り返さない為に…俺は考え続ける。
「…………」
しかし、未だにその答えは導き出すことは出来なかった。
いつまでその宴を見続けたのだろうか?
時間にしてはほんの十数分、俺たちのいる場所を通り過ぎていく一団を見続けた時間がそれだった。
多くの人はそのパレードの後を追い掛けていった。段々と静寂が当たりを染める。
彼等はまだ非日常を楽しむつもりだろう、まだ満足出来なくて、ずっと楽しんでいたくて…決定的な終わりが来るまでその後を追い続ける。
「…そろそろ帰るか」
「うん、もう満足」
俺達はもうそれを追い続けることはなかった。これ以上この空気を吸い続けていると戻れなくなりそうだから…俺の口からそんな提案をする。
彼女はそんな俺の言葉にすかさず応えてくれた。
「…ね、名取君」
「ん、なんすか?」
その声はよく聞くものだった。それは彼女が俺に頼み事をする時に使う声音だ。
まだ何も言われていないというのに…なんでだろうな、俺は既にその頼み事を受け入れていた。
「…このまま、一緒に帰ってもいい?」
「………ん」
返答は返したりしない。
その代わり今も繋がれている手を少しだけ強く握り返した。
「…ありがとう」
「なんのことやら…じゃ、帰りますか」
残った手で頬を掻きながらそんなことを言う。何も知らない素振りでその手だけは繋ぎ続けた。
それはやはり永遠には続かないのだろうけど、それだけで俺は満足だった。