二日目の朝
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あの人は本当にいい人だ。
俺にこれ以上罪悪感を抱かせない為にをわざと話を切り上げてくれたことも理解している。いろんなことに気遣いをするその姿はまさしくいい女といって然るべき人だろう。
…でもなぁ。
「なんでこういうことするかなぁ…」
俺の目の前にはぴったりと隣同士にくっついた布団が…。
「旅館、二人きりの男女で泊まり込み…何も起きないはずがなく──」
「アホか、何もあるわけねぇだろ」
こういうこと言うんだもんなぁ…そうところでいい女感を掻き消している気がする。
まぁなんとなくこんなことになるんだろうなとは思っていた。
ベタな展開だ、旅館のスタッフが俺達を恋人かなんかだと勘違いして布団をぴっしりくっつけるなんてことは。
見た目だけなら俺はまぁまぁ老けてる、んで先生は言うまでもない…むしろこうなる方が自然と言えよう。
まさか生徒と教師が同じ部屋に泊まるなんてことは想定出来るはずがないからな…旅館の対応は別に間違っちゃあいない。
「よーし、それじゃあ早めに寝よっか、明日も早いからね…」
「おい、ちょっと待て」
ほらまたこんなことを言う…勘弁して欲しいんだが?
「え、どうしたの? 夜更かしは流石にダメだよ…? だって明日六時起きだもん」
「え、早…じゃなくて! なんでこのまま寝ようとしてんだよ、普通布団離すだろ」
何を当たり前かのように言ってるんだ? やっぱりこの人頭おかしい…。
「えー別にいいじゃない、一緒に寝たところで名取君が私に何をするでもないし、私も何もしないよ?」
「んなのはわかってるけど心情的に嫌なの! おら、さっさと離しますよ」
「あ、敬語」
ぎぎぎぎ…いちいち指摘されるのクッソ腹立つぅ…。
「……いいから離すぞ」
「はーい」
……はぁ、ほんと、どうしてこんな状況になってるんだか…。
普段よりも十倍くらいはっちゃけている先生の相手をするのは中々に厳しい。この人、普通に俺より体力あるからな…全力でボケを入れられたりすると追いつけなくなる。
「名取君、名取君! さっき言った明日行く場所が何処か覚えてる?」
「遊園地でしょ? 流石に忘れないって」
けれども子供のように元気にそう言われるとなんだかんだ全てを許してしまう。…ほんと、この人と関わると不思議な気分をよく味わう。
俺が俺でなくなる気分、それでもやはり不思議と嫌悪感はない。
先生と関わると様々な不思議を味わう…本当になんでだろうな。
─
「というわけで、今日はこの遊園地の全アトラクションを制覇します!」
「何がというわけなんだよ…」
宣言通り先生は俺に何もすることはなく、無事に次の日を迎える。
「言ったでしょう? 今日この遊園地に来たのはマジスクとコラボしているから…この遊園地にある全てのアトラクションを巡り、スタンプを貰うことにより限定特別まみぃちゃんグッズを手に入れることが出来るのよ…!」
「いや、その話は聞いたけどさぁ…」
今から俺達がするのは簡単に言えばスタンプラリーである。一々この作品は変なことで限定グッズを渡そうとするよな…。
…まぁ、先生の考えはわかる。早めに入場して客のいない内に多くのスタンプを押そうとしていることはわかった。…わかってるけどさぁ…今何時だと思ってんの?
「……」
時計を眺める、…現在の時刻は朝八時…流石に早いって。
「まさかマジで六時に起こされるとは…」
「知らなかったの? 私の口に出した言葉は殆ど本当のことよ」
「マジかよ…」
愕然とする…この人の情熱は計り知れない。
というか、ちょっと聞きたいのだが…。
「あの…六時に起きてここまで来てのはいいんだが…開園時間九時って書いてように見えるんだけど…俺の目の錯覚?」
「……あら!」
あら! …じゃねぇんだよマジでふざけやって…っ!
「あはは、楽しみすぎてちょっと早めに来ちゃったみたい。めんご」
「古い! そして軽く謝るんじゃねぇ!!」
「てへぺろ…っ」
そしてまた古いっ! 無駄に可愛いのが腹立つ…。
「はぁ…じゃあ取り敢えず適当な場所で飯食います?」
「いや、園内でいっぱい食べる為にもここは我慢しておこうか、取り敢えずここで雑談しよ?」
「へいへい…」
けれど時間は思ったよりも早く流れ──。
「あ、いつまにか開園時間過ぎてる」
「えッ…!?」
雑談に興じ、ふと時計で時間を確かめるととっくに九時は過ぎている、今現在九時十五分だな。
「う、迂闊…っ! と、取り敢えず早くいこ…!」
先生はいきなり俺の手を掴んだかと思うと腕が取れると思う程の初速を出す。
「は、速…」
「ほら、ダッシュダッシュ…!!」
これが先生の全力の走りだしか…凄まじいな。
俺のような筋肉ダルマでは出せないようなしなやかな走りだし、運動は得意だという自覚はあるが先生には負けるな。
無論筋力という点では俺の方が圧勝だろう…しかしそれ以外の運動神経やら体の使い方なんかは先生の方が圧倒的だ、本当に凄い。
普段、俺は他の人間に対し先手を取ってペースを取ることが多い。
変にボケたり、話を適当に受け流したり…会話の主導権も俺が握ることが多い。
別に意識してそうしているとかではなく、自然と俺はそういうふうに会話と関係を進めるのだが…この人相手だと勝手が違う。
基本的に会話の主導権は譲られている。握っているのではなく譲られていると俺は考えている。
別に先生が譲ってやっていると態度で示しているわけではない。自然と俺のやり方を優先してくれているのだと理解していた。
思えば夏休みの途中、愛菜と先生が会った日も先生は空気を読んでくれていた。
あの時、俺は愛菜と二人で出掛ける途中に先生と出会い、奇遇だからと一緒に出掛けないかと誘ったが、今思えばあれは悪手だった。
愛菜は人見知りをする子だ、そんな子が初めて会った人…更に言えば歳も離れた大人相手と食事をするというのはかなりキツイ。
だが俺は何故だか知らないがそれを忘れて先生も一緒に誘ってしまった…多分顔には出していなかったが愛菜は拒否反応を見せていただろう。
その拒否反応は一見すれば平常にしか見えない、あくまで心の中でそう思っているだけ…その雰囲気を掴み取るのは至難だ。実際に俺は見逃していた。
けれど先生はそんな愛菜の小さな反応でさえも見逃さなかった、だからきっと断ったのだろう。
あの人、俺が何かを誘えば絶対にイエスで返す人だからな…そんな人が断るなんて変だなとは思っていたのだ。
「わぁ…っ! ねぇねぇ! 何から乗る!」
「全部乗るんじゃないの? 別にどれから行ってもいいと思うけど」
「チッチッチ、違うよ名取君…例え全部乗るのだとしても、その全部を楽しまないと。…この、…何から乗る? というワクワクもちゃんと楽しもー!」
「…へいへい」
子供のように、無邪気な顔で笑う彼女は…無性に可愛らしく見えた。
手が繋がれたままなんてことはわかっている。けれど何故だかそれを外す気にはならない。
「ははっ…」
釣られて笑ってしまう。空っぽの心が少しだけ小さくなっていくような気がした。
不思議だ、本当に不思議だ。
どうしてこの人と一緒にいるとここまで疲れて、ここまで楽しいのだろう。嫌な気がしないのだろう。
本当は人と関わるのが嫌で嫌で仕方ないのに、出来るなら誰とも会わず、ひっそりと壁の端で生きていたいのに、どうしてこの人とはその先でも会いたいと思うのだろう。
わからない、俺には何もわからなかった。