一日目の夜
閲覧ありがとうございます
「まみぃちゃんをコンプリート出来てよかったぁ…!」
(初日でコンプリートするのは流石に頭がおかしいのでは?)
俺はそう訝しんだ。いやだってそうでしょ。
この旅館は食事などをした際にオマケとして限定グッズを付けたり、温泉に浸かった回数に応じて景品を与えたり…と、他にも様々あるがそこそこの量のグッズを用意していた。
俺の目から誰の目から見ても初日でコンプリートと出来るような代物ではなく、二日三日掛けて揃えるものというかそもそもコンプリートさせるつもりがなさそうに見えたというか…とにかく初日でコンプリートするのはおかしいと思う。
「これも名取君が手伝ってくれたおかげね…本当にありがとう…っ!」
「い、いや…俺殆ど何もしてないっす、マジで微細しか力になってない自覚が…」
「ううん! 本当に助かったよ。特にご飯を食べてくれたのが本当に助かった。…流石に全品完食すると太っちゃうからね…」
確かに飯を食う方面ではそこそこ力になれたか。
…でも太るだけで済ませられるということはこの人俺がいなくてもやろうと思えば全品食ってたってことか…やっぱりおかしいなァ。
…ま、まぁいいか。この人がおかしいことなんて当たり前だし、もう慣れたし。
「んでこれからどうする? もう殆どのイベントやっちまったけど、もう寝る?」
時刻は夜十時、この旅館は定期清掃の時以外は温泉に入ってもいいシステムらしいがもうあんなに入りまくったんだ。もう充分なんじゃないかと思う。
「んーそれもいいけどね〜…あ、名取君知ってる?」
「何それ豆しば?」
「若い子って豆しば知ってるの?」
いやぁ…流石に知ってると思うけど。最近カスみたいな嘘吹き込まれていたし…。
「じゃなくって! この旅館の温泉のシステムのこと。…知ってる?」
「いんや、知らんけど…」
なにぶん急に連れてこられた場所だからなぁ、事前情報を調べる時間がなかった。
それに先生の付き添いで結構あちこち動き回ったからな…そういった理由もあり調べられてはない。
「ふーん、そっかぁ…それならいいの」
先生は俺が無知であることを知るとふふんと少し上機嫌になりながらそう言う。なんでそんな顔してるんですか? なんか嫌な予感がするんですけど…。
「それじゃあ後ででもいいけどもう一回温泉に入るといいよ。…ほら、男性用と女性用に分かれる道の真ん中にある紫色の暖簾の中…そこに入ってみるといいことがあるかもだよ…?」
「はぁ…」
確かに温泉旅館に来たのだから後一回くらいは温泉に入りたいとは思っていた。けどなんだろ、すっげぇ含みがあるように聞こえる。
というか、男風呂と女風呂の間に紫色の暖簾なんてあったかな…あんま記憶にないんだが…。
「それじゃあ先に行ってるね〜」
「え、あ、うっす」
今更ながら俺達は同じ部屋に泊まることになっている。
部屋を分けたら金が掛かるしそもそもこの人と同じ部屋に寝てようとどうにもならない自信がある。ぶっちゃけこの人限定じゃなくても支障にはならない。
教師と生徒で問題があるのではないか…と考えたこともあるが、そもそも教師と生徒で泊まり掛けの旅行に行っている時点で既にダメだろう。
ならどんな問題を積み重ねようとも別にいいだろ的な感じの精神が俺の中で構築されていた。隣の部屋に住んでて行き来する仲になってるのだからもう何も言うまい。赤信号は既に渡りきったんだ。
先生は着替えを持ってスタスタと部屋から出て行ってしまう。…他にすることもないので俺も遅れて温泉に入ることにした。
「わ、本当に紫色の暖簾がある…」
先程までは確かになかった筈なんだがな…俺の見間違いだったのかな?
いやまぁ確かにやけに男湯と女湯との間が空いてるなぁとは思っていたが…構造的に考えると中間地点に何かあって然るべきなのかもしれない。でもなぁ。
「なーんか誘導されてるみたいで気に入らねぇんだよなぁ…」
別に誘導されてもいいんだがどうしても天邪鬼ってしまう。こう…なんだろう、敢えて普通の風呂に入ってやろうかみたいな感情がふつふつと沸いてしまっている。
「まぁ折角だし…誘導されてやりますか」
結局はそっちを選んだ。
先生が可哀想ということもあるし、俺もこの先に何があるのか気になったのでな…マジで何があるんだろ。
ガラリと暖簾を掻き分け中に入る。すると真っ先に注意書きが目に入った。
「この先のお風呂ではこの湯帷子をご着用下さい…?」
はぁ、と何が何だかよくわからないが取り敢えずそれに従うことにする。その先に進むとまた看板が。
「男性の方は左の暖簾、女性の方は右の暖簾を進んで下さい…」
その文言を見た瞬間に理解がいった。
「……はぁぁ」
急に戻りたくなってきた。いやもう戻ろうかなぁ…。
さっさとそう決め、元の通路に戻ろうとしたその矢先、俺の後列から数人の男がやって来た。
見るからな興奮した顔をしている。内心のウキウキが簡単に見て取れた。
「…はぁぁぁ」
そういう連中を見てしまったらもう帰るわけにはいかない。
乗らない気分でため息を吐きまくりながら、俺はその先に進むのだった。
─
「あ、来てくれたんだ、名取君」
「来てくれたんだじゃねーよ馬鹿じゃないのアンタ」
先に進みと案の定そこには先生がいた。俺と同じような湯帷子を着てな。
「混浴なんて今時アホな…はぁ」
「まぁまぁ」
頭が痛い、時々この人が何を考えているのか全くわからなくなる。
どうやらこの旅館は男湯と女湯の他に混浴風呂を設置しているらしい。中には複数人の男女がいる。
ソッチ系の店かとも思えるが、多くは爺さん婆さんであり、若い奴は一部しかいない。
おそらく普段はその一部もいないんじゃないかと思う。今いるのはイベントの影響だな。それ以外の爺さん婆さんは普段からこの温泉に浸かっている人だろう。
「それでどう?」
「…どうって?」
先生がニヤニヤとした顔でそんなことを聞いてくる。ウザいのでわざと理由を聞き返してやった。
「うら若き乙女との混浴した感想、どう?」
「別に、どうも。まぁまぁいい体してんじゃないっすか?」
本気でどうでもいいと思いながらそう伝える。別に嘘じゃない、先生の体自体は普通にいいと思っている。スタイルがいいし顔もいい、目の保養になると思えばなる。
「あらぶっきらぼう、もしかしてこういうのはお嫌い?」
「今更女体を見たところで毛ほども興味ねーんだよ。それに他に人間がいる場所で興奮する性癖はないんでね」
昔から女の裸(母親)を見続けてしまったことによりそういう耐性は無駄にある。漫画の主人公みたいにうわぁ! と動じる程精神が若くないのだ。
それになぁ、公序良俗を大事にする俺としてはこんな大人数の人がいる場所で勃起するわけがない。普通に無理。
「取り敢えず入っちゃったんで体洗いましょう。いつまでも入口にいると後続の邪魔になるんで」
「あ、そうだね」
周囲からの視線を感じつつ俺達はシャワー場へと移動した。
「でも意外だったなぁ」
「意外ってなにが?」
髪とかを洗いながらの雑談。
「名取君が今も混浴を続けてくれていること、てっきりすぐに連れ戻されると思った」
「あんた俺が混浴嫌がるって知ってて誘ったのか…性格悪りぃ…」
「あはは、まぁ…驚くかなって」
確かに驚いたし混浴もあまり好きではない。サプライズということなら大成功だろう。
それで今も混浴を続けている理由か…。
「混浴ってシステムが存在して、それをこの旅館が採用している以上俺がそれに口出しをする理由にはならないからなぁ…これが普通に男湯と女湯で分かれているんなら連れ戻しただろうけど」
そも、今でこそ混浴というシステムは珍しいものになっているが昔では混浴こそが普通だったと聞く。だったら無理に否定する必要はない。それを否定するのは傲慢が過ぎる。
「あとはまぁ…アンタが心配だったからな」
「…私?」
というかそれが一番な理由だ。
「アンタ、普通に美人だし、男運悪いし…愛嬌もいいから調子に乗る奴が現れそうだ」
なんなら今実際にいる。透けた考えで先生のことを凝視している連中がわんさかいる。
「アンタが強いのは知ってるけどなーんか偶に抜けてる部分もあるからな。そういった連中を遮るのなら俺みたいな存在はいた方がいい」
巨漢の強面なんて近づきたくないランキングの中でも上位に入る方だろう。そんな奴が近くにいれば誰も話しかけようとは思わない。
「それに目の保養になるのも事実だし…俺も男なんでね、役得を貰えるなら貰っておこうかなと」
「…ふ、ふーん…」
最後は冗談混じりにそんなことを言ってみる。少しマジになりかけた空気を変えたかったからな。
隣にいる先生が今どんな顔をしているかはわからない、間隔を分ける為の壁があるから当然とも言える。
だがふーんという相槌を打っていたからおそらく俺の言った理由に納得したのだろう。
「そ、それじゃあ髪も洗ったことだし温泉に浸かろっか。も、もう名取君は洗い終わってる?」
「ん…えぇ、終わりましたよ」
「じ、じゃあ行こっか…」
何故一緒に行く必要が…? 別に一人で湯船に浸かりにいけばいいじゃん…とも思ったが、自分から牽制の役目をしたんだった。分かれて行っちゃ俺が来た意味がない。
そのまま俺達は湯船に浸かりに行くことにした。
そこで少しの気付き、先生が俺の前を歩いているからこそ発見出来た。
「いつの間に髪結ったんすね」
「え? あ、うん。私髪長いからね、湯船に浸けるのは行儀が悪いし、お風呂に入る時だけは上げることにしてるの」
普段見ない髪型だからなんとも違和感があったが…これはこれで悪くない。
「いいっすね、似合ってる」
「そ、そうかな…」
そんなやり取りをした後、ゆっくりと温泉に浸かることにした。
「あ゛ー極楽ぅ」
「高校生なのにすっごいおじさん発言…でも確かにキクねぇ…」
偶には温泉に浸かるのもいいもんだ、体が癒されているというのが直にわかる。
しかも最近は色々と大変だったからなぁ…うん、偶にはこんなふうに癒しを求めるのも悪くはないだろう。
「あ゛〜…先生は長湯派っすか?」
「ん? まぁそうだね、入ろうと思えば一時間は入れちゃうよ」
「そっすか…実を言うと俺ってあんまり長湯しないんすよね」
「そうなの?」
実はそう。
普段なるべく効率的に時間を使うということをしているので入浴にあまり時間を割かない。そも、湯に浸かるなんてのは時間の無駄としか思っていなかった。普段は体を洗って髪を洗えばすぐに風呂から上がった。
唯一浸かる時は愛菜と一緒に入る時だが、それもあまり長続きしない、すぐに湯船から出てしまう。
「でも案外いいもんすね…こうやってゆっくり湯に浸かってみるのは」
「…これからは少しだけお湯に浸かるのも悪くないかもね」
「そーっすね……」
段々と頭がぼんやりになってくる。体の芯からあったまったからそうなったのだろうか。
「…ふふ、でもあんまりお湯に浸かった経験がないなら今日はこれぐらいにしておこっか、のぼせちゃうからね」
「んー…」
なるほど、この頭が動かなくなる状態がのぼせた状態なのか、初めての体験だ。
「あ゛〜…じゃあこんぐらいにしておくかぁ…じゃ、先生はゆっくりしてって下さい、俺に付き合わせるのも悪いんで…」
近くにある足場に手を置き、温泉から出ようとすると…。
「あ?」
「わっ…!」
つるっと手を滑らせる。
不味いと思ったのも束の間、何か柔らかいものが俺の顔を覆った。
「んぐ…」
「……これは大胆…って思ってもいいのかな?」
瞬間的に理解する。俺は今、先生に抱き止められているんだろうなということが。
…なんだろう、凄く死にたくなって来た。
「なーんて嘘嘘、そんなすぐにのぼせちゃうなんて…本当にお風呂に入る耐性がないんだね」
「…すんません、生きててすんません…」
自己嫌悪で死にたい。こうなるのなら倒れて頭を打つ方がマシだった。
「ダメよーちゃんと生きないと」
「あの、はい…でですね? もう大丈夫なんで…頭離してもらっても?」
「だーめ、まだ頭がぼんやりしてるんでしょう? また倒れちゃう」
先生は俺の肩を担ぎながら一緒に湯船から出てくれる。そうして設置してある椅子に座らせてくれた。
「少し休憩したら上がろうね、のぼせた状態で動くとまた倒れちゃうかもしれないから」
「…すんません」
はぁ、と深くため息を吐く。
先生は一時間ほど風呂に浸かると言っていた、それなのに俺のせいで無理矢理切り上げさせてしまっている…人の好きなものを邪魔をしているのが嫌で仕方ない。
「しっかしアレよね、不謹慎だけど名取君の弱いところが見られて新鮮な気分」
「俺としちゃあ最悪の気分なんすけどね…」
「あ、敬語」
やべ、動揺のせいか素が…。
「ふふ、案外可愛らしいところが沢山あるよね、名取君は」
先生はそんな俺を見てくすくすと笑いながら手を扇にして風を送ってくれている。そのおかげだろうか、少しだけ思考がクリアになる。
「…もう大丈夫、ありがとう」
「どういたしまして、また肩貸す?」
流石にそこまでされちゃあ俺の立場がない、そう思い体になんとか力を入れる。
「いんや平気、そんじゃまた外で」
「そっか、じゃあまた後でね」
軽くウインクをしながら先生は先に外に出る。俺はその後ろ姿をぼーっと眺めながらこう思う。
「ほんと、いい人だよなぁ」