それがお前の幸せになるのなら
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「…はぁ、なんでそんな平然としているのかなぁ…? 指取れちゃったんだよ? もっと然るべき反応をするべきなんじゃかな…」
「いやだって、別に指なくなったわけじゃねぇもーん! くっついてたらいいんだよ、儲け儲け!」
「儲けって…相変わらず変なところでポジティブだよね…」
そらポジティブになればなるだけ得だからな、クヨクヨ悩むのは時間の無駄無駄。
「俺んことはどうでもいいんだよ、それよりお前の方はどうだ? 元気にやってるか?」
「…おかげさまで、…久しぶりにお父さんといっぱい話したよ」
そっか、それならいいんだ。…俺も骨を折った…と言うよりも指を切った甲斐がある。
「…ごめんね、愛人君が大変なのにこんなことをして点そもそも愛人君の指が取れたのは僕達のせいなのに…」
「気にすんなって、決定的に千切ったのは別の奴だからよ。むしろ親父さんが変に気に病んでないかが心配だぜ」
「あ、そのことでお父さんが愛人君に謝りたいって…」
「あーそういうのいいわ。俺も割と口汚く罵ったしそれであいこってことで」
仕方ないこととはいえ煽ったことには違いない、むしろこの指の傷は俺の自業自得でしかない。
もっと優しく説得したり、ゆっくりとカウンセリングをすればこんな事態にはならなかったと俺は思っている。
確実性はないし、もし途中で精神がイカれてどこか知らぬ場所で死なれるリスクもあるかもしれないからショック療法じみた行為を取ったがやり用は幾らでもあった。
自分の中で一番確実と思える選択を取って、その中で懸念したリスクを受けただけのこと…この傷も痛みも織り込み済みってわけだ。だったら変に礼を受け取るのは違うだろう。
「…わかった、お父さんには上手く言っておくね」
遥稀は俺の言葉に了承し頭を頷かせる。…こういう時こいつの空気を読んでくれるところは有難い。
「サンキューな…んで、ちょっとお前に話さなきゃならんことがあるんだが…いいか?」
「うん、僕も君に聞きたいことがあるんだ」
遥稀は俺が何を言おうとしているのかがわかっていて、俺は遥稀の聞きたいことがわかっていた。
それでも通過儀礼の様に俺達は互いに確認しあう。
「…僕から聞いていいかな」
「勿論」
遥稀はほんの少しだけ深呼吸をする。
誰にも気づかれない様な小さな呼吸…それはこいつが身につけた覚悟の出し方なのだろう。
「…君は、叔父さんに何を聞いたの?」
色々と詳しく聞きたい筈なのに、随分とシンプルな問いを投げ掛けてくる。…いいだろう、全部話すさ。
「お前のされた事、やっていた事の是非、くだらねぇ一人遊びの戯言…」
本当は一瞬だけ伝えるのを躊躇った。
けど、こいつなら大丈夫だろうと…信用も信頼もして俺は伝える。
「そして、お前の母親の死の真実」
「───っ…そっ、か」
遥稀の瞳が揺らぐ。一瞬だけその目に強い炎が宿った。
けれど、その目には理性の光が灯り続けている。
「お前の母親を殺したのは御手洗漢喜だ。正確にはそいつが人を使って間接的に殺した…まぁ直接殺したのと変わらん。殺す動機も何もかもあいつの意思だったからな」
「……殺す動機、…それも教えてくれる?」
もう本当はわかっているのだろう。その目には確信が秘められていた。
「お前を手に入れる為…奴が言うには自分の理想がお前だったとのことだ」
「……………そっ、かぁ…」
遥稀はゆっくりと顔を下げる。
今、遥稀がどんな顔をしているのかはベットの上からはわからない。
けれど、きっと平常とは呼べない状態になっていることだけはわかる。
「奴自身はもう豚箱行きだ、俺への暴行に加えその他諸々の犯罪の証拠をぶち撒けてきた。ま、妥当に死刑か無期懲役かとかだろうな」
「………」
やるせないだろう、悔しいだろう。
自分の人生を滅茶苦茶にした奴が勝手に捉えられて、勝手に事が進んだ事が許せないだろう。
「俺を恨んでもいいぜ、お前さえ望むのなら俺の片腕でも命でもなんでもくれてやる。お前にはその権利がある」
復讐の機会は誰にでも与えられるものだ。それを勝手に奪った俺は極悪非道、地獄に堕ちても意義はない。
「……ばーか、そんなことするわけないじゃないか」
涙ぐんだ声で、ほんの少しくすりと笑いながら遥稀は顔を上げる。
「君があの時、指の傷を癒さずにすぐに行動に移ったのはそれが理由でしょ? …僕が変な気を起こさない様に、僕が復讐なんて出来ないように…僕が、これから普通の道を歩き出せるように、全ての重荷を背負ってくれた」
「………」
俺は復讐賛成派だ。
辛いことを受けたのなら、そいつに言葉に出来ない屈辱を受けたのなら、それを倍返しにでも百倍返しでも本人に返させるべきだと思っている。
だってそうじゃないと傷を受けた本人は救われない、そいつがのうのうと暮らしているという事実に耐えられない。
…けれど、しかし…この国の法というのは何処までも冷たく平等だ。
「世界って奴は平等を愛し過ぎている」
許したくない悪も、許されない悪も…その個人がどんな仕打ちを受けたとしても、それを裁くのは法である。
「どんな存在…例えば犯罪者であろうとも人権は尊重され、それを不当に扱うことは許されない。そうなれば持て囃された平等という概念が崩れるから…その犯罪者共はその人権を激しくぶち壊しているのも関わらずな」
法によって個人の復讐というのは許されない。少なくともこの日本では復讐の為に相手を自分からぶん殴ることも殺すことも許されない。…法は何処までいっても情を抱かない、抱いてはいけないのだ。
「お前が自分の心に、大義に、正義に従って復讐をしたとしよう。…そして、それが成功したとしよう…その瞬間、世界はお前を奴と同じ存在…犯罪者だと認知することになる」
法は理不尽だが、理不尽だからこそ秩序が生まれる。個人の私法で断罪を許せばこの世界は混沌に満ち溢れる。…それがいいことなのだろうとは俺にはわかるが、とても賛成出来そうにない。
けど、その下で生きているのだからそれには従わざるを得ない。…従わなければならないんだ。
「…お前はようやく一つ先に進めたんだ。…それを失わせたくなかった」
だからこそ、次の日には全てを終わらせたかった。…何もかもが解決していたならばもう何も出来ないから。
「これは全部俺のエゴだ。…お前の感情も受けた傷も何もかもを顧みないヒトデナシの選択だ。…だから、そんな俺のエゴを突き通し、お前の自由を奪った俺にお前もまたエゴを突き出せる」
それぐらいの対価は支払うべきだ…むしろそれぐらいしか俺には支払えない。
だからこその先程の言葉だ。
「だから、お前は……」
「バーカ、二度も言わせないでよ。僕は君に何も要求したりしないよ」
遥稀は俺は軽く馬鹿にした笑みを浮かべながら、デコにコツンとデコピンをしてくる。
「ってぇ…」
「別に痛いと思ってないくせにそんなこと言わない」
反射的にしてしまった反応さえ咎められてしまう。…強い。
「僕は君と違って優しくないからね、簡単には君の希望を叶えてあげない」
「希望…?」
「そ、…君っていう存在は本当にどうしようもない程に自罰的だ。悪い結果の責任は自分、良いことの功績は他の者に…そんな考えをしている」
「…………」
その双眸は俺の性質を嫌でもかって程に見透かしていた。
俺がこいつのことを理解している様に、遥稀も俺のことを理解している。…妙な感覚ではあるが、不思議と悪い気分ではない。
それはきっと、相手がこいつだからだろう。
「過去の経験からそうなったのか、それとも最初からそういう性格だったかは知らないけど…その罰を受けようとする姿勢もまた君のエゴでしょ? だったら僕はそれに従ってやらない、君を許すことで君を追い詰めるとするよ」
「はっはっは! …そりゃ、辛ぇな」
痛いところを突かれた。
…とびきりの笑顔でそう言われたならば仕方がない。…大人しくその罰に浸るとしようか。
「ふふ、というかそもそも僕、君のことを恨んでないし。勝手に決めつけないでよね、まったく…」
「すまんすまん…」
ぷりぷりと怒られてしまった。笑いながら謝る。
「…僕、本当に感謝してるんだ」
「ん?」
遥稀は少し間を置きながらそう言う。
「確かに少し腹立たしいとは思うよ? なんで僕がいない間に勝手にとか、僕に一声掛けてよとか思ったけど…。…その場合きっと僕は理性を保てなかった」
「………」
当たり前の様に感情を抱き、当たり前の様にその場面に直面したのなら…きっと誰しもそうなるだろう。
「その結果、どうなるのかは僕にはわからない。…けど、この先の人生を生きる上でその結果はずっと残る。…きっと、本当の意味で笑える日は来ないんだろうね」
それが激情の行き先だ。…それをこいつは理解している。
「今、やっと僕は幸せになれた。…変わらない現在を乗り越え、自分だけの道を歩めそうになっている。…僕をそうさせてくれたのは君がいてくれたからだ。君が痛みを我慢して頑張ってくれたからだ。…だから」
だから、と一拍置いて遥稀は手を胸に抱いて俺を見つめる。
「…だから、ありがとう。…僕に、普通の幸せを歩ませてくれて」
「───…なら、よかったかな」
その瞬間、心から救われた気分になった。
どっと肩の荷が降りた様な…空虚な自分が少しだけ満たされた様な気がした。
「あ、もしかして泣きそうになってる? 涙腺弱くなってない?」
「ばかやろっ、ちげぇわ!」
「え〜、無理に誤魔化そうとしてない?」
「うっせうっせ!」
いきなり煽られた、こんにゃろ〜人が真面目に罪悪感を感じてるところをつけ狙いやがって…!
「そういうお前はあの時あんなガキみてぇに泣いてた癖に、人のことおちょくってんじゃねーよ!」
「あ! それは禁止カードでしょ!!」
わちゃわちゃと遥稀と言い合う。
それは俺が昔に浸っていた空気だった。…俺が昔、当然の様に生きていた空間だった。
ただ、友人と駄弁る。適当に罵り合って、それすらも笑いに変える。
それは正しく…日常、というやつだった。
─
長い時間遥稀と駄弁った。
他愛もない話、どうでもいい話がつらつらと浮かんで来る。それは病院が閉まるまで続いた。
「あ、もうこんな時間か…」
ふと時計を覗いた俺がそう言う。外ももう暗い。
「あ…そうだね」
遅れて遥稀も気付いたのか少しだけ残念そうにそう言った。
「送ってやりたいのは山々なんだが、生憎とこの体でな…次は学校でまた会おうや」
別れの挨拶兼再会の約束をしたところで少しだけ遥稀の顔が曇る。
「…そのことなんだけどさ」
先程の空気が段々と霞んでいく。
…なんとなく、遥稀の言いたいことがわかった。…この空気には身に覚えがある。
「ん、なんだ」
けれど、俺から何か言い出すことはなく…ただ、その言葉を待つ。怖がらせない為に、少しだけ笑みを浮かべて。
「……もし、僕がこの街から遠くの場所に行くって言ったら…どうする?」
やはり遥稀の口から出てきたのはそんな言葉だった。
…だって、あの時と同じ別れの空気が出ていたんだからな、察したわ。
「どうするも…それがお前の幸せになるのなら自信を持ってそうするといい。何かに遠慮する必要はない」
「…でも、僕は君に色々と迷惑を掛けたのに…返し切れない恩があるのに…」
「あのなぁ…」
この頭でっかちめ…しゃーなし、説得してやるとするか。
「お前はやっと色々なしがらみから解放されたんだ。それなのに俺がお前を縛っちゃ元の子もねぇよ。…いっぱい考えて選んだ結論なんだろ? もっと自信を持て!」
背中を引っ叩こうとしたが残念、体が固定化されてしまって動けない…だったら声で叩いてやるとしよう。
「そりゃあ、久しぶりに出来た友達だし、寂しくはなるけどよ…永遠の別れってわけでもねぇんだ。いつかまた会う日を楽しみにすればいい…そうだろ?」
嘘偽りのない本音を言う。
寂しいと思っているのも本当だが、別れというものはいつでも来るもの…それを否定したら人生が固定化されてしまう。
絶対にいつか別れは来る、だったらその別れ方を良いものにすればそれはいい思い出になる。
そう思って、あくまで楽観的に伝える。しんみりとした空気は嫌いだからな。
「……僕、この街のことが嫌いだ」
突然の言葉、黙ってその言葉が終わるまで待つ。
「この街には嫌な記憶が沢山ある。…ずっと辛い思いをした、ずっと苦しい日々だった」
そう言っているにも関わらず、遥稀の顔は笑みを浮かべていた。
「…もう全員死んじゃえばいいのにって、何もかもが終わってしまえばいいのにってずっと思っていた」
その言葉自体は紛うことなき本音なのだろう…だから、それ以外のことが遥稀に笑みを浮かべさせている。
「…僕のこの体、限りなく元の状態に戻す為にはもっとちゃんした施設が必要なんだって。…君の紹介で教えてくれたお医者さんが教えてくれた、そしてその施設がこの街にないことも…」
正確には俺ではなく同僚に依頼して連れてきてもらったのだが…そこはどうでもいいだろう。
「そのことを聞いてほっとしたんだ。…例えお母さんと一緒に暮らした街だとしても僕はもう嫌だ。一秒たりともこの街の空気を吸いたくない」
それは仕方のない話だ、それ程の仕打ちを受けたのだから。俺にもその気持ちはよくわかる。
なんたって俺もそういう気持ちが強くて地元から飛び出たんだからな…やはり俺と遥稀は似ている。
「…筈なのにね。…この街から離れると心に決めた時、切なくなったんだ。…ほんのちょっとだけ、この街から離れたくないなって…心残りを覚えた。それは君のことだったり、クラスのみんなのことだったり…それぐらいしかないけど、そんなにもこの街への執着があったんだ」
遥稀は目を瞑りながら一つ二つと指を数える。その括りに俺が入っていることに誇らしさを覚える。
「ずっと迷っていた…けど、ようやく決心がついたよ」
よかった、その後押しが出来て…。よかった、その決心を踏み躙らないで。
「愛人君、僕…この街から離れるよ。…また、助けられちゃったね」
「別にいいさ、…相棒。…別れの時には挨拶に行かせてくれよ? 親友」
「───っ! …うん! 絶対に呼ぶね、相棒っ…!」
キザッぽく俺は残った拳を突きつける。それに呼応する様に遥稀も拳を合わせた。
男同士の別れに涙なんかいらない…だって、カッコ悪いだろ?
次でラストです