贖罪というには身勝手な、けれどもそれは確かな願いだった
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「さっきから意味不明なことを…! さっさと家から出ていけ! 私の目の前から消えろッ!!」
「今から二十年年前、アンタは紫悠重…旧姓、御手洗重と大恋愛の末に結婚。相当な困難を乗り越えたらしく、アンタ達夫婦は正に比翼の鳥と思えるかの如く互いを思っていた」
遥稀の親父さんからの言葉を無視し俺は言葉を続ける。
「そこから四年程経過し、アンタ達夫婦には一人の子供が生まれた。…覚えていないかい?」
「子供? 私達には子供はいない、欲しいとは願っているがその傾向はな、い」
俺が支離滅裂なことを言ってると思っているのだろう。まるで狂人を見る様な目を俺に向けていた。
「そうか、覚えていないか…」
「さっきから何を言っているんだ…ッ!」
理解不能なことを言っている俺を糾弾するが如く、排除するべく、遥稀の親父の動きは定まらない。その場に佇むのではなく手に持った包丁をふらふらと動かしている。
きっと脅しているつもりなのだろう、これ以上変なことを言えば刺す…そう言っているのだ。
「──本当に?」
うっかり相手が強行しない様に立ち位置を調整しつつ、俺はその脅しを受け流す。
「本当にアンタは覚えていないのか? 違和感の一つも抱いていないのか?」
「だから何を言って…」
「少し思い出してくれ、今から十六年前のことを…その日、アンタはどんな感情を抱いていたのか、どんなことを思っていたのか…聞かせてくれよ」
問い掛ける、過去を問い掛ける。
例え最愛の死によって記憶が薄れていたとしても、その最愛との間に生まれた存在のことは心に刻まれている…筈だ。
それを信じなければ俺はやっていけない、それを信じているからこそ俺は今ここにいる。
「何を、言って…」
「いいから、ゆっくりとでいい…昔の記憶を思い起こすんだ」
俺は信じている、愛って奴を信じている。信じ続けている。
「アンタにとっての最愛ってのは…本当に一つだったのかい?」
信じ続けているから、俺は目の前の男を見ている。
「重、以外の最愛…? そんなのは私には…僕にはいな、いな…いな…?」
顔を押さえながら遥稀の親父は一歩、また一歩と後退りする。俺は追い詰める様にそれまでの距離を保ち続ける。
遥稀の親父は頭を抱えてしまっていた、何か思い出しそうになりながら苦しそうに呻いている。
なんだ、まだ残っているものがあるじゃないか…少しでも残っているのならそこからまた掘り起こせる。
「いる筈だろ? …きっと十六年前、アンタはいろんな感情を抱いた筈だ。それが誰なのか、それを誰と一緒に抱いたのか…アンタは忘れていない筈だ」
脳が忘却を選んだとしてもきっと忘れていない、魂が、心臓が…脳以外の機能がきっとそれを忘れさせてはくれない。
「…十六年前…? 何も、何もなかった筈だ。…僕の、僕の記憶には何もない平凡な日々がある筈なんだ」
遥稀の親父は今も顔を手で押さえている…指の隙間から見える遥稀の親父の目は揺れ続けていたが、その目は虚ではなかった。
「…何故、何故だ…? 何故記憶がないん…だ? 十六年前から僕は何をしていた…? なんで何も覚えて…」
「そうか、アンタはそこまで記憶を消してしまったのか…」
行き過ぎた愛というのは間違いない、何せ今の自分を守る為にそれ程の年月を消し去るほどだ。
けどそれももう終わり、自分を守るのはこれまでだ。
「なんで僕は…いや、でも重がいたんだ。僕の近くにはいつも重が…」
「…本当にそうかい? ここにいる奴は本当にアンタの奥さんなのか? …よーく見てみるんだ」
後ろにいる遥稀に目配せをする。
それまで事の次第を見て来た遥稀だったが、ここで初めて声を出すことになる。
「お父…さん」
「────────はる、き」
遥稀の親父は覆ってた手を解いた。
目が引き裂かれるのかと思うほど見開き、たった一人の息子をようやく認識した。
「重、は死んでいて? 生きていなく……て? ………これまで、重だと思っていたのは、遥稀…?」
理解が及んでいない、まだ何も理解していない。
自分がどんなことをしていたのか、自分が今までどうやって生きて来たのか…十六年分の記憶が今思い出されているのだろう。
だから、俺は先回りをして遥稀の親父の側に駆け寄っていた。
「…………………………………………あ」
その現実に気付いてしまったから、その事実を知ってしまったから…遥稀の親父は何の予備動作もなく、何の起こりもなく…ごくごく自然に手に持つ包丁を自分の首に突き刺した。
───
人という生き物は罪悪感というものを抱く。
自分が何か大きな罪を犯してしまった時、自分が何か取り返しのつかないことをしてしまった時…人は贖罪を求める。
「わかっていたよ、アンタがこうするってことは」
贖罪…善良なことを行い罪を償うこと。してしまったことに対してその罪と等価値になる様に何かを差し出すこと。
この世から免罪符というものが消えてから幾数年、今じゃ罪という事象を担当しているのは司法という冷徹な掟である。その掟がある限り人は罪を償えない様になってしまっている。
けれど、追い詰められて、追い詰めた人間の思考はそんな他人任せな掟は脳裏から消える。
そんな時にする行為として一番思い起こされるのは身近なものを差し出して償おうとすること、もしくはその罪悪感を忘れて何もかもを忘却して誤魔化すこと。
彼は忘却という罪を起こした、彼は忘却をしている最中に罪を犯した。
何かを差し出すにはもう遅く、何もかもが台無しになっている。歪んだ過去は決して元には戻らない。
紫悠遥稀という存在は紫悠重とすり替わっていた。
紫悠遥稀のしていたことは紫悠重がしていたことでもある。
掃除、洗濯、料理。家計簿、貯金の管理、夫の愚痴の付き合い…それはきっと妻がするべき役割である。少なくとも紫悠の一家では妻の役割であった。
けれど妻の役割というのはそれだけでは終わらない、…きっとそれに気付いてしまったのだ。
「自分の…してしまったことを直視したんだろ?」
自分がしたことを認識する。それは言葉で言うよりもずっと難しい行為だ。
悪いことをしてしまった時、一瞬でも他人に責任を求めない人間はそういない、その上で色々と納得させられ、罪悪感を抱き…最終的にその罪を背負うことになる。
けれど、その罪が行き過ぎれば人は容易くその境界線を越える。
死んで罪を償うという浅はかな思考に至る。
ポタポタと手から血が流れる。
それもその筈…何せ力一杯引かれた包丁を素手で握っているのだ、血が出て当然だ。
「確かにそれが一番手っ取り早いもんな、死んで罪を償う…そうすりゃ相手への一番償いになるし、自分が楽になる行為でもある。…それでなんでも解決すると思うもんな」
今も包丁は紫悠の親父の首を突き刺さんと力が入り続けている。それを強引に引き止めているからか顔から冷や汗が止まらない。
俺がこの二歩圏内を保っていたのはこれがわかっていたからだ。
人間、追い詰められた時の思考はパターンが少ない。前回の面倒事の時は俺を排除する動きだったが、今回はその逆…自分を排除するパターン…つまり、こいつはまた現実から逃避しようとしたのだ。
「……邪魔を、しないでくれ…僕は、僕は…死ななければならない」
「どうして」
包丁を引く力が更に強くなる、俺はそれに対抗して握力を更に込めた。
「どうして…? どうして…!? 僕は…僕はずっと息子を妻と思っていたんだぞ!? 五年間の間ずっと…あぁ、あぁ! あァァァァァアアアアア!!!!」
絶叫…いや、もうこれは発狂と言ってもいい。
耐え難い現実を無理矢理直視させた、そこで自分が何をしたのかを自覚させた…心が壊れるには充分の理由だ。
遥稀の親父は半狂乱になりながらどうにかして自分の首に包丁を突き刺そうとしている。俺はそれでも包丁を握り続けた。
「死ねよ! 死なせてくれよ…っ! こんなことをして…生きていられるわけが、…死んで償うしか僕には出来ないじゃないか…」
「……死んで償う? 甘ったれたことを言ってんじゃねぇッ!!」
「ッッ!」
あんまりにもその言葉にムカついたので俺は余った拳で遥稀の親父の顔面を殴る。
「お父さん…っ!!」
遥稀の悲痛な声が響く中、遥稀の親父は後方へ吹っ飛んでいった。その反動で手に持った包丁も手放す。
「愛人君! 何を…っ」
「持ってろ」
俺を責める声を無視し、奪い取った包丁を遥稀に渡す。
そのままの倒れ込んでいる遥稀の親父の胸ぐらを掴み、顔を上げさせる。
「罪を償うということと、自分が死んで楽になろうとすることを一緒にやろうとするんじゃねぇよ。あ?」
「だがっ、僕は…っ、それ程のことを…ッ!」
涙を流し、鼻水まで流し…嗚咽する目の前の男は差し詰め半死人か。
目に生気がない、このまま放っておけば死んでしまう様な危うさがある。
「…いいか? この場においてテメェの意思なんてものは何の意味もねぇ、テメェの辛さとか後悔とか贖罪なんてものはゴミ以下の価値しかない」
だからお前の抱いているものは全て無価値だと伝える。そんな考えは無意味だと伝える。
「お前、自分が一番可哀想だと思っているんじゃねぇよなぁ? 妻が死んで、頭がおかしくなって、目が覚めたら自分は犯罪者の仲間入りをしてたんだもんなぁ。…で? その程度でどうして自分が一番最悪だと思えているんだ?」
「………っ」
生気のない目が微かに揺れる…まだ俺の言葉を聞けるみたいだ。
まぁ、もし聞けない状態だとしても無理やり聞かせるけどな。
「アンタ、自分を被害者だと思っているだろ。どうして自分はこんな目に遭うんだ、どうして自分だけがこんな思いをしなければならないんだ…ってな? 馬鹿が、ふざけんじゃねぇ、テメェは被害者なんかじゃなくて加害者だ」
胸ぐら掴んでいる手に少しだけ力を込める。倒れ込んでいる状態から立たせようとしたが、遥稀の親父の足は棒の様に動かない。
「そんなテメェが死んで償う? なんてお笑い草だ、加害者が死んだらそれは逃避でしかない、加害者の死なんてものは被害者にとって何の役にも立たない」
「でも、だったらどうやって罪を償えばいいんだ…っ! 僕は取り返しのつかないことをしてしまっだぞ!?」
「だから? それはテメェが死んで楽になっていい理由にはならないだろうがよ」
「──ッッ!」
そこまで言って、ようやく遥稀の親父は自分の足で地面を踏み締めた。そのまま俺の胸ぐらを掴む。
「お前に何がわかるんだ! 部外者の癖に…僕の気持ちなんて何もわからない癖に!」
「わかるさ、わかるよ…」
俺には目の前の男の気持ちが痛い程わかる。
「そんなわけがあるか! 誰にも、僕の……っ」
「自責の念で死にたくなるもんな、自分がこの世で一番要らない存在の様に思えて…なんてことをしたんだろうと自分の行いを直視して…生きていることが耐え難くなる」
遥稀の親父は泣きながら俺の胸ぐらを掴んでいる。そのまま否定の言葉を口にしている。
その全てを受け入れて、俺は言葉を続ける。
「目の前にある自分の罪を認めてしまって、見ないフリは出来なくて…もう忘れることも出来ない。どれだけ自分を保とうと意思を強く持っても背中には罪の意識が迫り来る。…どうして、何故…どうやって罪を償おうと考えてもそれは全て無駄。加害者の自分に出来ることは死ぬことだと最終的な結論が出てくるんだ。そうだろ?」
「…な、んで…」
…目を覆いたくなる現実が目の前にあって、それを受け入れてしまったのなら死以外に自分を救う手段はない。…それは俺が通って来た道だから凄くわかる。
…けれど、それじゃあダメなんだ。
「…でもダメなんだよ。俺は…アンタはまだ向き合っていない。アンタは自分の罪と…罪悪感と向き合わなくちゃならない」
顔を地面に向けている遥稀の親父を引っ張って無理矢理そいつの下へと近付ける。
「俺の言葉なんかは別に聞かなくていい、今言った全てのことを忘れても構わない…けど、この場における唯一の被害者の言葉には耳を傾けろ」
唯一の被害者…。
加害者になることはなく、ただ耐えることでのみ己の親愛を証明した者。
どれ程辛くても逃げずに立ち向かい、どんな目に遭ったとしてもそいつはたった一人の父親のことを想っていた。
「俺はお前を糾弾しない、お前を糾弾するべき存在はたった一人しかいないからだ。…死ぬなんて生温いことを言う前にそいつの声を聞け! 言葉を目に焼き付けろ…! お前にはその義務がある…ッ!」
そうして、俺はそいつを突き出した。
突如として突き出されたからかそいつは無様に倒れ伏す。そして、そのままの体勢でゆっくりと、おずおずと顔を上げた。
「………はる…き」
きっと恐れているのだろう。
死ぬなんてことよりも恐ろしい筈だ…大切な存在を、自分の息子を害した事実を知って平常でいられる筈がない。
項垂れ、事の次第を怯えながら待っている目の前の男は差し詰め処刑される前の死刑囚、目の前には飛び切りの断頭台が見えていることだろう。
「……………」
じっとその人物は黙っている。今まで存在がなかった少年は黙っている。
その目線には何が映っているのだろう、その耳にはどんな情報が入っているのだろう。
俺にわかることはたったの一つ…その少年が発する言葉は、そいつの命運を握る者だろうということだけだ。
「…あの、ね?」
「…………」
これで、俺の役割が終わった。
…後の結末はこの二人に握られている。
─
───
─────
久しぶりに"僕"が見られているという感覚がある。
これまで僕を通して"誰か"を見通していた瞳は今、僕にだけ集められていた。
恐怖に揺れている、僕の吐息一つに怯えている。
僕の全てが恐怖を与えている…なんで、こういうことをするかなぁ。
奥にいる友達に目線を向けてもしらんぷり、後のことは僕に委ねたみたいにその目には僕達を映っていない。
まさか考えがあるというのはこのことだったのか? こんな強引で強制的で無理矢理な結果を叩き出されるとは思ってもみなかった。
お父さんが包丁を自分の首に刺そうとした時心臓が止まるかと思った。だって、それは僕が恐れていた未来だから。
けれど君もその未来を予知していて、それを強引に止めた。そうしなければ僕達は先に進めないのだと知っているかの様に。
僕が考えもしなかった方法だ、考えついても出来なかったことだ。…彼のように、いろいろなことを乗り越えて、今も乗り越えようとしている人にしか出来ない行為なわけだ。
「……………」
はぁ、と内心でため息をする。ここから先の全ては僕に委ねられてしまった。
何を言おうか、何を伝えようか…目の前に怯えている人はきっと今なら何だって聞いてくれる。
手繰り寄せられた未来は僕の想像していたものとは全く違った、もっと優しい方法で解決してくれると思っていた。
けれど取られた方法は野蛮で強引でゴリ押しなものだった。それを非難したい気持ちは多少はあるけれど、それ以上に自分達の環境がそれ程の終わっていたのだと改めて知らしめられた気分だ。
これほどの劇薬を投与しなければ僕達の状況は変わらなかった…優しいだけでは解決出来ないものがあるのだと改めて教えられた。…彼には本当にいろいろなことを教えられる。
ここで僕が言うべきこと…考えてみたけれど、やはりここは本音を話すしかないと思う。
取り繕った言葉は必要ない、僕自身の言葉をお父さんに伝える必要がある。
これも、君が言っていた言葉だね。
「…あの、ね?」
「…………」
作った言葉ではなく、考えた言葉ではなく…今、ここで僕が思っている感情、気持ち…それを言葉に乗せるしかなかった。
「僕、辛かったよ…?」
正直に伝える。
「いろいろと酷いことをされたことじゃなくて…お父さんと話せなかったのが辛かった」
本音を伝える。
「僕、この数年でいろいろと変わり果てた。…いろんな人にいっぱい酷いことをされたし、お父さんにも少しだけされたね。…けど、そんなことは本当はどうでもいいんだ」
嫌な記憶が沢山ある、嫌な思い出しか残っていない…それでも僕が今もこうやって生き続けられているのは過去があるからだ。
「お父さんはずっと僕のことをお母さんと思っていたね。…お父さんの心を守る為にはそれが必要なことだったとしても、僕は辛かった。…お父さんは、お母さんしか愛していなかったんじゃないかって伝えられているみたいで」
「ち、違ッ!」
お父さんは慌てて僕の言葉を否定してくれた…それは嘘じゃないって心の底から伝えてくれている。
…本当に嬉しかった。
「わかっているよ、お父さんが僕を大切にしてくれていることも、僕を愛してくれているということも…でも、それでもお父さんが選んだのは僕じゃなかった」
その事実は変わらず、僕は何年もいない存在になっていた。
…だから、ようやく伝えたいことが伝えられる。
「僕…っ! …ね、……本当に寂しかったんだ…」
ずっと胸に秘めていた感情を呼び起こす。
「お母さんが死んじゃって、とても辛かった。…本当に世界が終わったのかと思える程の絶望した。…でもね? 僕には一つだけ残っているものがあったんだよ…?」
まるで地面が無くなった様に、足元がわからなくなる。自分が今どこに立っているのかわからなくなった感覚がその頃にはあった。
…それでも、僕が目を瞑らなかったのは…。
「だって、僕にはお父さんがいたんだもん」
「───ッ」
大切な人を失って、絶望に陥っていたとしても…僕にはそれを共有する人がいた。
傷口を舐め合って、ずっと失った存在に目を向けて…そしていつか、その失ったものを過去に出来ることが僕達には出来た筈なんだ。
前を向いて、悲しさを乗り越えて…多くの辛さを共有することが僕達には出来た。
「…僕は、頼りなかったかな…? お父さんの心の支えにはなれなかったかな…? …ううん、なれなかったん…だよね…」
「はる……き……」
結局それは叶わなかった、今も僕達は悲しみの中にいる。
その連鎖の中に僕達二人はまだ捉えられている、…僕はずっとそれでもいいんだって思っていた。それは最悪ではなかったから。
でも彼と出会って欲が生まれた、もっともっと更にを求めたくなった。…本当の幸せというものを手に入れたくなった。
「…だったら、僕は待つよ。お父さんが僕のことを頼ってくれる様になるまで待つ、強くなって、凄い人になって…! 逆に僕が…おと、お父さん…を…っ! たすけられるように…なるよ…っ!」
感情が抑えられなくなる、これまで偽っていた自分が出て来てしまっている。
「だか、だからぁ…! ぼ、ぼく…強い人になるから…! お父さんのかなしみをなくしてみせるから…………死ぬなんて、言わないでよぉ…」
「……遥稀」
決壊した。
「しんじゃやだよぉー!! おとおさんが死ぬなんてヤダよぉ…っ!」
感情が抑えられない。
「さびしいのはやだよ! おかあさんがしんじゃって…っぐ、おとおさんまでいなくなるなんてやだよぉっ…!」
まるで子供の我儘だ、醜いことこの上ない。
「ヤダヤダヤダヤダヤダやだぁ! つぐないなんていらないからいっしょにいてよ! ずっといきてよ!! もっとぼくをみてよぉ!!」
駄々を捏ねて…嫌だと言い続けている。
きっとこの先この記憶を蒸し返したら恥ずかしくて死んでしまいたくなる程、今の僕はみっともない。
「ぼくをむししないでよ! ぼくとはなしてよ! …ぼくを、置いていかないでよぉ…」
そこから先は嗚咽しか出せなかった。意味のある言葉なんてもう言えそうにない。
心の底の本音は決壊してしまった、僕が平穏を守る為に隠していた言葉は全て出し尽くした。
結局僕はお願いすることしか出来ない、子供の様に泣くことしか出来ない。
目から涙が止まらなかった、それを止めようと手で目を擦っても一向に止まる気がしない。
恥ずかしくて目を覆った、お父さんの前から離れようと思った。
…しかし。
「…すまな、かった」
お父さんから背中を向けた僕を、誰かが抱きしめてくれる。
「…私は、取り返しのつかないことをしてしまった。…遥稀にも辛い思いをずっとさせてしまった」
ぎゅっと僕を抱きしめてくれている。…それは、正に親が子にする様な暖かさがあった。
「死ぬしかないと思ったんだ、…こんなことをした私は許されるべきではないと…償うにはそれしかないと…そう、思ったんだ」
後ろでは僕以外の嗚咽が響いている。…それが誰なものかは明白だ。
「…けれど、遥稀が望むのなら…いや、私にもしも、そのもしもが許されるのなら…もう一度、遥稀の父として…やり直させてほしい」
「……っっっ!」
ずっと。
ずっと、ずっと。
ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと…っ!
───その…言葉を願っていた。
「…もう、僕を忘れない…?」
「あぁ」
「…もう、僕の名前を間違えない…?」
「…あぁ…っ!」
………。
「──お父さんって、呼んでもいい…?」
「…お父さんも、遥稀のことを、遥稀と呼んでもいいかい…?」
待ち侘びた時は今この時に、決して叶う事のない願いが今叶った。
もう僕達は元の様には戻らない、徹底的に壊されたから…元の様振る舞おうとしてと結局は歪なものになってしまう。
…でも、それでもいいんだ。
例え元に戻らなかったとしても…新しく始めればいいから。
困難も何もかも、これから先ずっと苦しいことがあったとしても…また何度でもやり直せばいいのだから。
…だから、本当の最後に勇気を出して…僕は最後の言葉を伝える。
「おとう…さん」
「遥稀…」
六年ぶりに、僕達は親子に戻った。
もう少しでこの章も終わりになります。